表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/104

第八話 たいていのことはへっちゃらよね 7

 葬儀は生きている者のけじめであり、慰めである。霊能界や天上霊界のあらゆる理に照らしてみても、葬送の儀式に霊的な意味はない。しかし死んで間もない意識体が、生きている間の意識をほぼ齟齬なく携えているならば、彼らもまたそれを見てけじめをつける。


 葬儀という常識を携えているが故にだ。


 同じく、俗人には念仏の内容など何一つ理解はできないし伝わっては来ないが、故人、会葬者双方にとって、ありがたいお経を僧侶に唱えられているのだ、という事実認識は、葬儀の要となる。


 金を基調とした荘厳な祭壇と、白い菊をメインに波を表現した、ダイナミックな花壇の制作はお馴染み石嶺園芸の仕事だ。


 この大仰なセットに、線香に読経に焼香、桐の棺に経帷子に六文銭、それで故人の魂は浄土へと向かうことが出来ると説明されれば、遺族はほっと胸をなでおろす。故人は悲しみを越える遺族の姿をみて心が穏やかとなり、死を受け入れる準備が整う。


 葬儀とは延べてこのような効果があるため、霊能界でも価値は認めているし、霊界の理を知る韻枢師や法鼎師が、世を忍ぶ姿として僧侶や神主を選ぶのは、彼らが霊体ではなく実体を持った人間だからである。


 しかしこれはちょっと、と朱莉は思うのである。


(おじいちゃん……お経読めないじゃん……)


 いかめしい顔つきの黒服が勢ぞろいした会場を見渡しながら、司会を担当する朱莉は、観寧の、むにゃむにゃと誤魔化しつつ、読めない部分はすっ飛ばしているかのような読経に戦々恐々とする。


 茂木寛治の意識体は観寧のすぐ隣で仁王立ちして、会場全体を見渡しながら(観吉よぉ、無理せんでええぞ、わしは別にこだわっとらんからな。――しかし観吉、お前が死人と話が出来るとは思わなんだぞ、霊能力とかいうのか、それは)と問う。


(自慢にもならん能力じゃ、あって得することなどなんもない)


 眉間に皺をよせ、ちらちらとこちらを横目で確認する観寧の視線に気づかないふりをするのがつらい。背後では鞠がクスクス笑っている。


(鞠さんっ、おじいちゃん阿闍梨なんでしょ、なんで? お経ぐらい……)


(――ま、まあ、あはは、ねぇ……カンちゃんお坊さんじゃないからね、法鼎師だから。ン……実際はお経なんて霊にとっては何の効果もないから、読めても読めなくてもいいし、――大事なのは祈りの念だから)袖を口に当て笑いをこらえている鞠の姿が思い浮かぶ。


(祈りの念?)


(故人のことを想ってね、“お疲れさま”でも“ありがとう”でも“おめでとう”でもね。現世の軛から解かれたことを祝福するの。それが霊にとっては最も温かい心に響く念となるのよ。死後の世界を知る僧侶の多くは、お経にそれらの念をのせてるの。歌詞の意味が解らなくても音楽を聴いて感動したことはあるでしょ? ああいう感じ)


(じゃあ、おじいちゃんも?)


(ええ、とってもいい波動を寛治さんに送ってるわよ。彼の魂に直接届くような強い念よ。お友達ならではよね……)


 “おめでとう”か、と。ここで死生観の話をするのも憚れるので、それ以上朱莉は何も言わなかった。ただ、残された者はやはり悲しいだろう。逝っては欲しくない、長生きしてほしいというのが人情だ。いくら霊界の理を知っていても、そこは感情とは切り離すことが出来ないと思う。少なくとも今は肉体を持ち、生きている人間なのだから。


ちらと観寧の横顔を見遣ると、目に光るようなものが見えた気がした。


(おじいちゃん……)


(あーねむい、自分で念仏唱えて逝ってしまいそうじゃ……さすがに貫徹は老体に堪えるわい、ふわぁああ)


(――また徹夜でネトゲやってたのね……)


 呆けた老僧侶の珍妙な読経が響き渡る、ある者にとっては笑いをこらえるのに必死になっている空間ではあれど、ここに居るほとんどの人にとっては、厳かな葬送の場であり、朱莉は会葬者の焼香の案内を告げながら、憎々しく観寧の背中を睨む。


そんなことはどこ吹く風と、観寧は(あー朱莉、聞きなさい――)


(なによ、遺言? そのまま逝ったら寛治さんの棺に仲良く一緒に入れてあげるわよ)


 続々と会葬者が焼香台に立ち始め、茂木の遺族は喪主の寛樹を筆頭に脇に立つ。


(――物騒な奴が混じっとる)


(は?)


(ふむ、無粋な輩もいるもんじゃの、観吉よ)寛治は驚くよりも呆れたといった表情をしている。それに対し観寧は(わしが何とかする)とも。二人は本能的何かを感じ取っている。


(観吉、今までわしの命を狙ってきた者はいくらでもおった。そのたびに矢面から逃げるようなことはしてこんかった。言いたいことがあるならいくらでも聞く、わしが悪いのならいくらでも謝る、是正できるもんなら努力はする。きゃつらがわしを狙うという事はそういう事じゃ。対峙するのは力持てる者の義務じゃと思っとる)


 そう言って寛治は両手両足を開いて祭壇の前に立ちはだかったが、(お前さんは忘れとるかもしれんが、もう死んでるんじゃぞ)と観寧がそれを制する。



(む!……そうであった! いやはやこれは失敬)霊だが顔を赤らめて手刀を切る寛治。



(すまぬが翠滸すいこ、寛治の家族を守ってやってくれんか)観寧は目を伏せ、自らの対なる者、彼の守護霊へと語り掛ける。


(えーなんだよそれ、なんで俺がお前のツレ守らなきゃいけないんだよ)姿は見えず、粗暴な語り口だけが聞こえる。


(仕方ないじゃろ、因果律に縛られとる守護霊には守り切れん)


 観寧と言い合いをしている守護霊ものの姿は朱莉の目からは鞠と同じく、鏡越しにしか見えない。つまり鞠と同格の霊なのだろうと理解していた。


それにこの翠滸、何度か見かけたことがあるが、おそらくは戦国期くらいの武士だ。口も態度も異様に悪い。高級霊かもしれないが高飛車で、粗暴、見た目的にも総髪を後ろで結い、けして人相がいいとは言えない。いつもキセルを咥えて、着崩した着物の腰には虎の毛皮、帯の代わりに荒縄を巻いており、いわゆる傾奇者といった表現が最も近い。


(じゃあなおさらだぜ。世の中のルールは守るもんだ、その中で守護対象を守れねぇ方が悪いんじゃん。なあっ? だいたい相手は実体じゃねぇか。そんなのとやりあって妙な縁を作るのは御免だね。近頃はよぉ、守護霊を召喚獣か何かと勘違いしてねぇか?)と、明らかに朱莉と鞠に同意を求めてきているのがわかる。


 朱莉は彼の顔が嫌らしく笑っているのが想像できる。対して寛治の守護霊は平安時代の公家のような格好をした青年だ。翠滸に比べるといかにも頼りない。


(ふぅ、あなたほど割り切れたら楽なんだけどね。あいにくこっちはややこしい事情ばかりだから、そうもいかないの――)


 鞠がそう言ったか言わなかったかのその時だ、「バン」という破裂音が会場にこだまする。


 驚き、慌てて朱莉は演台の下に頭を隠す。


「やっ、やっぱり来たじゃん! 鉄砲玉!」


 焼香台を蹴飛ばし、片足をかけ、両手で銃を構えた喪服の男。眼は血走り髪を振り乱している。


「うぉおおりゃああ! 覚悟せぇや茂木寛樹! ここで引導渡したらぁ!」


 続けて二発、三発と銃声が響く。会場内は騒然とし、大混乱に陥る。狙われたのは組長の茂木寛樹だ。会葬者を装い、至近距離から銃を放った鉄砲玉の男は、周囲の者に一斉に取り押さえられ、台もろとも床にひれ伏される。


(寛樹!)寛治が叫んで、倒れ伏す息子、寛樹に駆け寄る。


 あの距離で銃弾を受けたならば寛樹は助からないだろうと思った。


呪われてるとしか思えないほどトラブルの多い、この天華会館。さすがに身の振り方を考えようかと安否確認もままならない状況下で、不謹慎な思いが沸き立つ。


 男が取り押さえられるのを、会館の職員は為す術なく傍観している。それはそうだろう、いくら酒豪ぞろいだろうが荒事に慣れてるわけではない。彼らは一般人だ。そしてそれは朱莉とて同じだ。銃の弾丸の前では霊感応力など何の役にも立たない。鞠や翠滸が出張っていれば違ったかもしれなかったが。


 この世ならざるものが霊感応力者以外の、現世の存在に干渉することは因果律に反する。そのため彼らは極力傍観者で居続ける。寛治の守護霊も、寛樹の守護霊もそれは同じだ。彼らが守護すべき対象は、対となる存在の者という不文律はあれど、現世での因果に介入することはしない。非なる結果を避けようと導く引率者たらんとするのが、対なる者の人生を守護する、守護霊である。茂木寛樹はこの人生において、この結果を避けることが出来なかった――天上霊界における、一人の人間の顛末に添える理屈コメントはえてしてこのような淡泊なものだ。


ところが床に臥していた茂木寛樹は、すっくと起き上がった。無傷だった。彼の妻も、息子たちも。


(どういうことだ……?)と寛治は呆然と立ちすくんでいる。


 観寧は胸をなでおろし、目を伏せる。


 寛樹の前には、白い水干を着た少年が立っていた。全身から神々しい光を放ちながら、面白くなさそうな顔をして、握った掌を開いて銃弾をバラバラと床にこぼした。


(あれは……たっ……タケル? なんで?)朱莉は演台から顔を覗かせて驚く。寛治も同じく、突然とも言えるほどに現れた、不思議な少年を見てぽかんと口を開けている。


(ほんの、恩返しだよ。君たちが本当に助けを望むときに、僕は君たちを助けるって決めていた)タケルは言う。


(一体何のことだ……お前は誰だ?)寛治は警戒を解いていない。


 しかし狙われた寛樹も遺族の者も、これだけ多くいる会葬者の面々も、この不可思議な少年の姿が見えていない事に気づく。職員がタケルをすり抜け駆けつけてくる。タケルは実体ではない。呆然と立ち尽くす朱莉の横で飛騨が警察に連絡を入れている。


「実体じゃない……?」呟く朱莉のことを、飛騨は電話しながらちらちらと見やっていたが、何も言わなかった。


(ああ、寛治とは顔を合わせるのが初めてだね)タケルは懐かしいとでもいった微笑を浮かべ、遥かに年長者の寛治に親しげに話しかける。


(寛治……、だと? わしゃ小僧に呼び捨てされるような謂われはないがの。まずは口のきき方を何とかせえ)生来の気性だろう、年功にはうるさいようだ。しかし、そんなことはどうでもいいとばかりに、同じ調子でタケルは続ける。


(なんだ、勘吉は何も言ってなかったのか――まったく。君たちは昔、大銀杏にやぐらを作ってただろう)


(大銀杏……樋井山の……?)


(そこに僕の居場所も作ってくれた、その恩返しだよ。それだけだ、じゃあね)


 それだけ言って、タケルは消えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ