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第七話 欲しいのは一本のナイフなのに 6


 通夜が終われば朱莉たちの仕事は終わる。


 明日の告別式に向けて簡単な打ち合わせを済ませて、着替えを終えたが、あまりの疲れように事務所の席に腰を下ろして休憩していた。


 スタッフがが不足し急きょ呼ばれ、必死になっている間はアドレナリンが出ていて平気だったが、落ち着くと強烈な睡魔が襲ってきた。なにせ前夜はトーコとレンタルビデオを借りて、垣ケ原監督の過去作品一気観祭りに興じていたのだ。不眠三十六時間が経過しようとしていた。


 机の上には佐藤家遺族からもらった件の本が置いている。白い上品な表紙に、明朝体の赤い文字で『蟋蟀の命』と書かれている、いかにも文学作品といった装丁だ。


 手に取って表紙を開こうという気には、なかなかならないな、と朱莉は思う。なによりタイトルからして普通の人は読めない。いや読めないから気になるという事もあるか……と、せっかくなので、とページをめくる。


 びっしり詰まった文字列の三行を、目で追うだけ追って脱落した。


 これは瞼を閉じさせる呪文が書き連ねてある。眠れない夜のベッドサイドの備品としてはよいものだ。そう言い聞かせて、本を閉じあくびを噛み殺しながら席を立った。


 あまりに眠いので、コーヒーでも飲んでから帰ろうと自販機に向かう。


 館内のほとんどは照明が落とされ、自販機の灯りだけが煌々と照っていた。小銭を投入していると、少し離れた非常灯の灯りのみで照らされ、薄暗くなった休憩所の椅子に、男が座っているのに気づく。親族でも会葬者でもない。本日の葬儀の主役、故人の佐藤修二である。


 無視しようかと思うが、がっくりと肩を落として落ち込んでいる修二を見ると、放っておけなかった。


(あの……飲みます?)


 霊が缶コーヒーなど飲めないことはわかっている。ただ話しかけるきっかけに言っただけだ。案の定修二は、(え、ああ、あれ?)と目を白黒とさせている。そして(僕のことが見えるんですか?)と問う。朱莉は彼を見つめて静かに頷く。


 しばし二人の間を無言の空気が埋め尽くす。


(あ、の……)と言いかけて修二は深いため息をつき、口を噤む。


 いざとなれば死者にかける言葉なんてない。自分は何を言おうとしたのだろうと、朱莉も次の言葉を紡げないでいた。


(……あの、僕の本、もらってくれてありがとうございます)修二は頭を下げる。丁寧で礼儀正しい人なのだろう。


(いえ……)三行で眠くなったことを申し訳なく思いながら、肩をすくめ頭を下げる。


(夢ばっか追いかけて、全然だったんですよね。いつか自分の映画を撮る、なんて本気で思ってたんですけど……あの小説は、自分の考えた作品をどうにかして世の中に出したかったんですよね)


(……し、心中お察しします……)


自分で言ってなんてお仕着せな言葉かと、嫌悪する。


(テレビドラマや、映画の脚本賞にもずいぶん投稿しましたけど、なしのつぶてです。僕には才能がなかったんだなっていうのを感じるのが嫌で、一心不乱に書き続けました。いい歳になって就職も決めなきゃいけなかったんですけど、思いは断ち切れなくて番組製作会社に入ったんです。親には反対されましたけどね)


(じゃあ、ドラマとか映画とかも作ったんじゃないんですか?)


(いえ、会社で出来るのは会社の仕事ですよ。ほとんどがバラエティ番組です。たまにドキュメンタリーなんかもありましたけど、でも、それは自分の作品じゃない。僕も当初はモノづくりの現場って、もっとクリエイティブなものだと思ってました。でも仕事を始めてみればガチガチの縛りの中でこなすただの作業ですよ。とはいえ製作会社でディレクターや放送作家をしながら映画監督になった人も多いです。だから僕もいつか本物の、骨のある、人を心の底から感動させる深い作品を撮れる監督になりたいって思ってました。魂を揺さぶる作品をつくりたいって。結婚してからの短い三年間、僕は映画のことばかり考えていた。妻には申し訳ないと今では思っています)


(後悔してらっしゃるのですか?)


(ええ、妻の真奈美は僕とは違って、その、つまり、ミーハーというか、売れている俳優や、話題の作品に飛びつくタイプでして、そのことでたびたび喧嘩になりました。僕は彼女がテレビを観ている傍で、こんな一過性の中身のない作品で喜んでるんじゃないって。そしたら彼女は言うんです。“あなたの面白さと私の面白さは違うのよ”って。はは……僕は、自分を否定されたような気持になってたんです)


 自分が心血を注いだ作品が認められない悔しさは朱莉にもわかる。それが近しい人であったならば尚のことだろう。


(けど、それは仕方がないことですよ。作品の面白さや良さをひとくくりにすることなんて出来ませんもん。捉え方は十人十色じゃないかと思います)


 十人十色だなんて無難な言葉を発したことに、再び嫌悪する。ちがう、そうじゃないと心が叫んでいる。


(そうですよね。作品なんて人の心を掴む前に、まず手に取ってもらわなければ話にならないんですよ。自分の作品の良さが分からない奴は駄目だ、なんてお高く留まっていただけなんですよ、僕は)


 ちがう、お高く留まっていたっていい。自分の作品の良さが分からない奴は分らない奴でいい、だけど自分もそうなっちゃいけないんだ。自分もわからない奴になっちゃいけないんだ。朱莉は強く叫びたかった。しかしうまく言葉に出来ない。


(でも、病気が判って入院することになると、妻は退屈だろうって映画のレンタルビデオを毎日のように持ってきてくれました。それも自分が観たいものばかり)


 修二は苦笑いしながら言う。


(だからね、最初はもっといい話を持ってきてくれよってさんざん言ってたんです。でも贅沢は言えないから渋々それを観てた。彼女の持ってくる作品は皆一様にハッピーエンドだった。王道のありきたりのテンプレートな作品ばかりだった。中には素晴らしい出来の作品もあった。それで興味が出たんです、今の流行りってどういうものなんだろうって。相変わらず僕は仏頂面でつまらないを繰り返してはいたんですがね、妻にバレてからかわれるのが嫌だったから、深夜に隠れてウェブの動画や、小説サイトなんかを徘徊した、あれこれ見ているうちに、いつしかどんどん詳しくなってしまって……)


(面白かったんですね)


(ああ、面白かった。物語の論理もめちゃくちゃだし、登場人物の行動原理も一貫性に欠ける、時系列も座標軸もでたらめ、あらゆる物理法則を無視しているし社会規範も崩壊してる。だけど、面白かった。もちろん中には視聴に堪えないものもあったけどね……妻が面白いって言っていた意味がなんとなく分かった、理屈じゃないんだって)


 佐藤修二はうなだれていた首をあげ、朱莉に顔をむけ微笑んだ。少し長めの髪だったが綺麗に整えられており、細面の知的な笑みが印象的だった。


(それでね、僕が楽しいって思った感覚を頼りに、最期の作品を作ろうと思った。ベッドで隠れて書いたんだ。もう映画を撮ることなんて叶わないからね、小説を書いたんだ。楽しい物語を作りたいって思っていた僕の原点に戻ろうとしたんだ)


(奥様はそれを読んで……)


(いや、残念ながらあの作品は完結できていないんだ。だから彼女はその作品を見てもいないし、存在すら知らないだろう)


(なんで……途中でも……)


(そんなのは駄目だ。未完の作品なんて作品じゃない)


 そこは譲れないのだという。作品は最後まで書ききってこそ一つの物語として完成する。セリフに“「”と“」”があるように、結末がない作品は物語の意味を失うのだ、と強く主張する。


(――佐藤さん、その作品は今どこにあるんですか?)


(僕の登録している小説投稿サイトに保存されているはずですが……)


(あとどのくらいで完成、出来ますか?)


(え? どのくらいって、もう完成はしないよ、僕はもう死んでいるんだよ?)修二は両手を広げて肩をすくめ、首を振る。


(いいから答えて! あとどのくらい時間があれば書けるんですか?) 


(なにを……)


 修二が言いかけたとき、朱莉は突然何者かに尻を蹴られた。


「いいったぁ!」痛みに飛び上がって意識が途切れた。


「なにしとんねんな」振り向いたそこには飛騨が呆れた表情で立っていた。


「あ、飛騨さん……いや、帰る前にひと時の心の安らぎをですね……飲みます?」缶コーヒーを掲げるも、気まずい顔をして目をそらしてしまう朱莉。その視線を追い、飛騨はちらと修二が座っている長椅子の方へと目を向ける。


「あー、佐藤さんかなぁ? 明日はええ式にしたるさかいにな、大人しゅうして待っといてや。こちとら仕事やからプライベートはご法度やねん、かんにんやで」と言い放つ。飛騨には見えてないはずなのに何故だろうと思っていると、おもいきり襟をつかまれて引きずられ、エントランスから表に出された。


「いたいいたぁい、はなしてぇえ!」


「この、あほっ! あんたウチに霊には過剰に関わるなとかゆうといて、自分が取り込まれとるやないか」


「なんで、わかるんですか……」


「あんたのぼーっとした目ぇみたらわかるわ、また霊と話してたんやろ!」


 会話は犬を介しているとはいえ、彼女も助郷禄仁左衛門宗兵衛という霊と同居していることを自覚する身だ。いずれなり霊的感覚に敏感になったとて不思議ではない。


 結局否定も出来ず渋々と首肯すると、飛騨に腕をとられて会館を後にするしかなかった。



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