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第四話 変わってみるのもいいんじゃない 追伸

 結局週末の二日間、実家に滞在した。昨晩は地元の友達と盛大に飲みに行って朝帰り、寝ると二日酔いになるので、そのままシャワーを浴びて気持ちばかりの酔い覚ましをする。


 今日こそトーコとの決着をつけようと鏡の前に立ち、握りこぶしを作る。和紙を切り墨を刷り、ありったけの呪符を作る。とはいえ真似ごとである。


 朱莉は退魔法術の何たるかを知らない。ただ鞠に教えてもらった『呪符』を携えていればある程度身を守れると聞いたからだ。


 鞠の力を全面的に借りれば、おそらくトーコの力をねじ伏せることは容易だったが、あえて朱莉はそれを拒んだ。自分の力で出来るところまでやって、話し合ってみると言って。


「朱莉、これあんたがいない間に届いた郵便物。――ねえねえ、何やってるの? これから部屋に戻るんでしょう?」


「もう、大体事情わかってるなら訊かないでよ……憂鬱になるから」


 口をとがらせる母から、輪ゴムでくくられた便せんやハガキの束を渡された。引っ越してから各種の住所変更の手続きをまだ済ませてなかった。ほとんどの郵便物はどうでもいいようなものだとは思ったが、中に薄ピンク色の便せんが一通あった。


 家電量販店のダイレクトメールはゴミ箱に直行させ、カード明細に素早く目を通してため息をつき、役所とハローワークの書簡はいったん保留し、手書きで宛名が書かれたピンクの便せんを開く。


“周防朱莉様 このたび私、旧姓・有元朝子は来る10月――”

 

 朝子はいつでも少し先を歩いている。いや、全力疾走している。


朝子の噂は朱莉の大学在学中に嫌でも伝わってきていた。彼女は宣言通り東京芸大のデザイン科に現役で合格し、在学中にいくつもの個展を評価され、朱莉とは違って卒業と同時に引く手あまたの大手企業に就職、ぐんぐんと実力を伸ばし既に彼女のデザインした商品が世の中にリリースされている。この早すぎる展開にいつでも周囲は驚く暇がなかった。


 文末には手書きで“今後も仕事は続けてゆくよ、朱莉も頑張りなよ!”と追伸されており“Gペンのアリア”とサインが書かれていてすこし噴き出した。


 今はしがない葬儀屋だよ、と心中で呟き柔らかい吐息と共に封筒を鞄に仕舞う。


 時は流れ人は移り変わりゆく。だけどきっと変わらないものだってある。


(あかりん、おはよう!)という声が着替え中の朱莉の後頭部に響く。


「鞠さん、また雑霊が入ってきてる。吹き飛ばして」と鏡の前で呪符を、溶いた米汁で張り付けた身体に下着をつけながら、振り返ることなく告げる。


 瞬間、ドンという衝撃音と共に部屋の空気密度が上昇する。


首をそらし、急な気圧変化による耳閉感を唾をのんで解消する。これも慣れた行為だ。


周防伊智郎は変態である。妹に欲情するという。


いや、遺伝子的に見て彼が兄であるとは言えないわけで、彼は概念だけで兄妹という関係性を認識している。肉体を持つか持たないかという部分で、愛情表現に齟齬を生じることは、半分は仕方がないと思っている。


 しかし、ならばなおさら欲情した男性に裸体を見せてやる義理はないし、必要以上のスキンシップを許す気もない。それに兄という“地位”を前押しにして妙にこちらを慮られるのもイライラする。人のことより自分の今後を考えろと。


両親の形成した念力場の関係上家から離れることのできないニート霊体、それが周防伊智郎という、おそらく見た目は実体であったならばすでに百キロを超えた巨漢で、無精ひげを生やし、切りっぱなしの脂ぎった長髪を整えることもしない、役立たずの肉塊である。明らかに初めてあった時よりも巨大化している。


(伊智郎さんも懲りないけど、朱莉ちゃんも少しは許してあげたら? 別に減るもんじゃなし)


「何言ってんの、やだよ。こっちは向こうの姿が見えてる上に、肉体持って生きてるんだから。鞠さんだってお兄ちゃんの姿見たら嫌がるよ……と――ねえ、鞠さん。霊体は自分の意識で姿を変えられるんじゃないの? 見た目がああじゃなかったらあたしの対応だって少しは違うよ」


(さあて、どうかしらね? 伊智郎さんの場合もともと肉体がなかったから、“家から一歩も外に出ない成人男性”って概念で肉体表現してるんでしょ……そんなにヒドイの?)


「ヒドイヒドイ、あれがもし自分の守護霊だったら全力で除霊の方法を探すわね、チェンジよチェンジ!」


(……朱莉ちゃんって怖いわぁ)


「まあ鞠さんも、それ以上老け――」


(――ぶん殴るよ?)


「あっは。冗談だよ――鞠さんには感謝してるよ。ありがとう」


(何言ってんの、お礼言われる筋合いなんてないわよ――っと、それ長いこと着けてるわね)


 朱莉は鞠の指さした胸元の緑色のペンダントを手に取る。「ああ、これね」昔河原を歩いていて、拾った珍しい透明の石。実は川の流れで長年かけて磨かれた瓶の破片と知らず、ペンダントにして大事にもっていた。


「パワーストーンだって信じてたねぇ。なんか恥ずかしいわ」不定形な透明な緑色の石を窓から差し込む光にすかしてみる。


(ある意味パワーストーンだけどね。朱莉ちゃんの想いが凝縮されて封入されてるから)


「んなことないよ。青春の残滓、妄想のかけらだよ。まさに魔王の暗黒アイテム」


 朱莉ははにかんで、ペンダントをシャツの中の胸元に落とし込むと、よしと気合を入れ、空手家のように両肘をぐっと腰に引き付ける。


 部屋から出てきた朱莉の後ろを、そっと伊知郎が付いてくる。伊知郎も吹き飛ばされるのは慣れていて、復活は極早い。


(あかりん、もう戻るのかい?)


「うん、また冬に帰って来る。お父さんとお母さんにもよろしく言っといて。それからお兄ちゃん、あたしがいない間に部屋入ったらケガするからね」


 そう言って朱莉はドアに張られた呪符を指さす。


(ええ、そんなぁ……)


「なによそれ、その口ぶりだとまあまあ出入りしてたってこと?」


(いっ、や。そんなことないです、してません、ぜんぜん)


「鞠さん、ごめん。手間だけどもういっぺん吹き飛ばして」


 周防家の狭く短い廊下に瞬間的な気圧変化が起き、伊知郎はかすかな悲鳴を上げて吹き飛び霧散した。

(そういえばさ、朱莉ちゃんの封韻式の解韻パスワードって何だったのかしらね? たまたま解除されたとか?)


「ああ……子供が普通に育ってほしいって親の想いとは裏腹に、当の本人は色々考えるじゃん? 異世界行きたいとか、悪魔に心を売りたいとか、実は自分は富豪の娘だとか、超能力がつかえるだの、神の化身だの、状況打破できるなら、死をも厭わなかったり――――だからさ、たぶん――」


 靴を履き、玄関の扉を開くと、早速正午の太陽が朱莉のまつ毛を焼き、あたりの空気を一気に支配する蝉の大合唱が、朱莉の言葉をかき消してしまう。


 そんな中、背後からもう一方ひとかたの声が追いかけてくる。


(あかりん、あかりん! ボクりんのこと忘れるなんてひどいじゃないか!)


 朱莉はミケランジェロを一瞥して、“あかりん”という呼び方に舌を打つ。そして、このまましれっと出て行って周防家に置き去りにしようと思っていたのに、と。


「ごめんごめん、わすれてたよぉー」


(ぜんぜん感情こもってないよっ!)


「そんなことないよぉ」


(さっき舌打ちした)


 朱莉は高い夏の空の向こうに沸き立つ積乱雲を仰ぎ見て、「空耳だよ」とミケランジェロを抱きかかえると、自宅マンションへの帰路を歩み始めた。




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