第四話 変わってみるのもいいんじゃない 7
(まあ、両親に欺かれてたって事実はショックだろうけどねぇ)
「別にそんなんじゃないよ。それが必要だと判断したんなら構わない」
(えらく物分かりがいいのね?)
「あたしは両親には感謝してる」
この守護霊を自称する女性に、わかったようなことを言われて反発したかっただけだ。ショックでないはずなどない。
家を飛び出して当てもなく歩いた先は駅構内のコンコースで、朱莉は柱に据え付けられた大きな鏡の前で膝を抱えていた。
「あなた……名前はなんていうの……ですか?」
寄る辺なきとみて朱莉は彼女に事の全容を訊こうと顔をあげる。午後十時を回っていたが周囲にはまだ通勤帰りの人々が多く行き来している。彼らからしてみれば朱莉が鏡に向かってぶつぶつと独り言を言っているようにしか見えないだろう。家出少女のように思われていたかもしれない。
(あら、さっきとは打って変わってえらく殊勝じゃない?)
「っく……一言多いんだよBBA……」
(もしもしー? なんか聞こえましたけどぉ?)
「独り言です」
朱莉に悪態をつかれても、相変わらず女性は鏡の中で余裕の微笑みをたたえている。さすがにここではポルターガイスト現象を起こすわけにはいかないだろうが、逃がれることなどできない、といったところか。
(私の名前は鞠。改めて宣言するけど、私があなたの守護霊よ。あなたが生まれてくる時からずっと見てきている。時にあなたを危機から救うことだってね、あるのよ)
「じゃあ、父さんと母さんが霊能力者で、その上わけわかんないお兄ちゃんがいるとか、そういうことも知ってたの?」
(二人に能力があることは解るわよ。彼らや朱莉ちゃんのように霊とコミュニケーションがとれる能力者のことを『霊感応力者』というの。でもレベルの差が色々あってね、波長の違いで私のことは見えないのね。同じくこちらからも直で彼らの守護霊にはアクセスできないから、彼らの行為は正確にはつかめない、そういうルールなの。そもそも人間の結ぶ封韻式や法鼎式は回りくどくて私たちには理解不能なんだけど)
「――ちょ、ちょっと待って……えーと。じゃあ鞠さんからは何もできない、と?」
(あなたを守ること以外はね。で、朱莉ちゃんのお兄さんっていう霊も霊格の違いから私には見えないの、向こうからも当然見えない。これも絶対的なルール。あなたの周囲に取り巻いている何らかの霊がいることは感知できても、私には姿として見えないから、それが何なのかはわからない、事情は本人が話さない限り知れない、というのは普通の人付き合いと同じね)
「それじゃあ普通の人付き合い以下じゃないですか」
(以下じゃないわよ、別に姿が見えなくても、雰囲気とか気配とかは正確に読み取れる、嘘偽りなくね。それがあなたにとって良いものか悪いものかくらいは当然ね。むしろ形なんて邪魔なだけよ)
「あの、あたしの兄とかいう人は大丈夫なんですか?」
(おおよそね。そのお兄さんという霊が生まれてからずっと、一緒に居たにもかかわらず朱莉ちゃんに害がなかったのは、彼が干渉しようとするたびに私がブロックしていたから――――ね? ボディガード)
鞠は鏡の中で小首をかしげピースサインを作って微笑む。
「や、やっぱり害があるんですか? 干渉って……何をしようと、してたんですか……あ、兄は」
(……あー、まあ、なんだ……健康な年ごろの男の子がとるべき行動っていうか……いや兄妹じゃ普通しないかぁ?)鞠は人差し指を顎に当て、思わせぶりに思慮に耽るような態度をとる。
「なっ、なんなんですかそれ! エロいことですか? エロいことですよね、それ絶対!」
(ほほほ、ご想像にお任せするわよ――で、イケメンはどこ行ったかって話だけど、あれは私がおばさんって言われて殺してやろうかと思って、首絞めていたところ、あなたが伊知郎さんに助けを求めて干渉したから、彼に朱莉ちゃんの念を利用されたのよ。いわばあれは朱莉ちゃんの理想の男性像ってことね。一瞬だったからそれほど保たなかったみたいだけど、まあまあ強い念だったから一瞬だけ私にも見えたわ――――んふ、朱莉ちゃん、ああいう男くさいのが好きなのねぇ?)
冷静になって考えれば家族の内情はもとより、自分のプライベートも何もあったものではない恥ずかしい話である、途端に朱莉は顔を上気させてうつむいた。
(ん? 朱莉ちゃん、どうしたの?)
「も、もう、消えてください……これ以上あたしに構わないでください! でないとこの鏡を割りますよ!」そう言って朱莉は鏡の前から走り去った。
鞠は鞠で(そう言われてもねぇ、別に私は鏡の中にいるわけじゃないんだから……あーもうっ! あの父親がくだらないことで封韻式なんて結ぶから、私が苦労するぅ!)鞠は愚痴りながら波長の違う空間を飛んで朱莉のことを追いかけた。
もうあの家になんて帰る気になれない。かといってこのまま走っても街はずれにたどり着くだけだ。そうなればいよいよ気が滅入る。
駅前から繁華街を抜けたあたりで朱莉はサラリーマン風の男ににぶつかりそうになり歩みを止めた。しかしその男は朱莉のことを何も気にしていないかのように直進してきて、やがて朱莉の体を通り抜けていった。
ぎょっとして振り返る。
まだ人通りはそんなに少なくはない。
色んな人が色んな方向へ向かって歩いている。
朱莉は立ちすくみ絶句する。
それはそれは、見なれた街に多彩な顔ぶれが溢れていた。
帰路を急ぐスーツのサラリーマンに混じり、着物を着た侍や、馬にまたがって髭を生やしてる明治時代の将校、矢絣の着物に袴をあしらった女学生がそこここに居るとおもえば、気配を感じ振り返ると、ふんどし一丁で柄のついた箱を担ぐ飛脚が朱莉の脇を走ってゆく。
「何……ここ?」
(まあまあの吹き溜まりね。この辺りは昔の中心地だったのかしらね)
鞠の声が聞こえる。反射的に鏡がどこかにあるのかと見回すと、朱莉の首元に向けられたクロムメッキのような細長い金属に鞠の姿が映っていた。小さく映る鞠はその中でまた微笑んで手を振っている。
しかし彼女が映るそれは何かと問うならば、目の前で(無礼者! 手打ちにしてくれるわ!)と鬼の形相の侍によって引き抜かれた刀である。
(どうしたの?)
「侍が……刀を抜いて……」
(ああ)
侍は上段に振りかぶり、今にも朱莉を切り捨てようとしている。
「きゃっ、鞠さんっ!」朱莉はおののき身を引いたが、間に合わない。
目をつぶり、斬られる痛みと恐怖に構えた。
だが何もなかった。
確かに斬られたはずだった。
恐る恐る目を見開き、自分の身体を確認する。どこも斬られていない。
そして、さっきまで目の前にいたはずの侍の姿を探す。
しかし侍は何事もなかったかのように朱莉を素通りし、刀を鞘に納め平静を保って歩き始めていた。
(朱莉ちゃん、大丈夫よ。念動力以外で霊体は実存物質に干渉できないから、あの刀であなたを傷つけたりすることはできないわ)鞠は朱莉が尻餅をついた脇の水たまりの中から話しかけていた。
「なんなのこれ! あたし頭おかしくなっちゃったの?」
(だいじょうぶ、これはあなたがもともと持っていた能力なの。これから私が能力との付き合い方を教えてあげる。おそらくは、たぶん、一生付き合っていかなくちゃいけないものだからね――って、水たまりに向かって話してると変に思われるわよ?)
何人かの街を行く人々に怪訝な顔で見降ろされ、可愛そうな子だとでも言いたげな目を向けられる。
そんな彼らに交じって、GIF動画のように短スパンの行為を延々と繰り返す存在がいる。さっき朱莉に斬りかかろうとした侍もそうだ、特に誰でもよいらしく、自分の目の前に立ちふさがった人物には、同じように刀で斬りかかるという動作をしている。相手が侍のことを見える見えないに関わらず。
(この世に残った霊体は残留思念体って言ってね、この世に残念した部分だけが、朱莉ちゃんの目で見えるような姿かたちとして顕れ、こだわっていることを元にして行動しているのよ。特に朱莉ちゃんが干渉しなければ、どうこうしようという気はないから、安心して)と、にっこり微笑む鞠だが、安心するだとかそういう問題ではなかった。
目の前には朱莉を見つけて、もの珍しそうに寄ってくる子供や若い男性の霊がいる。現実の世界の人間は尻餅をついている自分を助け起こそうともしてくれないというのに。
(だいじょうぶ? だいじょうぶ? おねえちゃんどこからきたの? きれいな髪だね? 綺麗なべべだね?)矢継ぎ早に言葉を投げかけてくる。それに呼応するように他の霊も興味を示し寄ってくる。
「ありがとう、大丈夫だから……」
差し伸べられた手を握ろうとしたその時だ。
(朱莉!)
突然体を囲う輪のようなものが現れ、それらは衝撃波となって外側へと拡散してゆく。聴覚に響く音ではなく、皮膚触覚として感じる音に朱莉は体を緊張させ、目をつぶった。
ほどなくしてあたりが静かになったと眼を開いてみると、さっきまで人の形として見えていた霊たちは文字通り雲散霧消、かすかに湿った靄のようなものとなって散り、消えていた。
「ふえ……きえちゃ、った?」
(バカっ! 残留思念と心を交わすものじゃないの! 取り込まれるわよ?」
「みんな、心配してくれたのに? 殺しちゃった……の?」
(……元々死んでるでしょうに。彼らが依代としてる念力場を一時的に散らしただけよ)
(でも!)
(――彼らは人じゃない。何を言われたか私には解らないけど、彼らをまともに相手してはダメ、朱莉ちゃんの様な霊感応力を持つ人は標的にされやすいの。気をつけなさい)




