第四話 変わってみるのもいいんじゃない 6
周防敏夫と妻の美智子は、至って普通の父母と子一人の三人家族を営んでいることを公言していた。周囲から見ればそれは当たり前の光景に映ったであろう。霊感応力者であるということを公私ともにひた隠しにしてきていたのだった。
ところが錯乱する朱莉の様子を見て取り、両親は真実を娘に伝え、目の前で深く頭を下げた。もはや隠し通すことは不可能だと悟った。
そして矢継ぎ早に「実は朱莉、お前には兄さんが居るんだ……」と、もう一つの重大な秘密を告げた。
ショックを受ける暇もないほどそれらは、あっさりと、当然のように暴露された朱莉は、起きがけにホラーショーと昼ドラを、無理やり立て続けに見せられた気分だった。
*
美智子が懐妊し待望の第一子を授かると期待をこめ、すでに名前は“伊知郎”と決めていた。しかし妊娠三か月を迎え、安定期を迎えたと安堵したのもつかの間、ある日の検診で産婦人科の医師から流産の危険を告げられ緊急入院となる。
母子の身体のことは医師にしかわからないが、霊感応力者の彼らは無理を承知でなんとか五センチ足らずの我が子との対話を試みようとした。
胎児はこの頃にはすでに脳の形成も出来ているが、そもそも人間が思考する仕組みは脳にあるのではない。脳はあくまで体と霊体をつなぐコンバーターであり、意思や意識といったものは既に完全で完結している、天上から降りてきた霊体が管理しているのである。
では赤ん坊は生まれた時、何故言葉の一つも発せないのかというと、これは彼らが持つ脳の言語変換機能が未熟であるからに過ぎず、霊体レベルで思考していることが言動にして上手く出すことが出来ないという状態なのである。
従って、霊的には赤ん坊であれど全ての現象をとらえているし、両親が話す言葉も、人の行為もすべて深層的に記憶と記録を行っている。この状態は実際に言葉を話し始め、自律する、おおよそ長くて三才まで続き、それ以降は天上霊界との通信は切断され、独立した人間として生かされる。
覚えているはずのない記憶や経験が性格に裏付けされ、人の生涯の性質を左右するという“三つ子の魂百まで”という諺は、こういった仕組みに裏付けされているのである。
敏夫は美智子の腹を撫でながら、念話をもって語り掛けた。
念話は訓練された者でなくては念が散逸し対象には伝わりにくい。指向性の制御が難しいのである。
しかしこう言ってしまうと普通の人が胎児に語り掛けるのは無駄なのかというとそうではなく、通常人間は言葉を発する際には無意識に念を込めているので、念話は出来なくとも胎の中の赤子の霊体に届いている。ただ彼らが正確に実存実体の聴覚で母親や父親の言葉を聴きとっているわけではないだけで、感情や意思は充分伝わっているのである。
敏夫は何度も来るべき魂に語り掛けた。三か月というとちょうど霊体が宿るかどうかを見極める期間なのだ。だめかもしれないという思いを封じ、敏夫と美智子は念じ続けたのだという。
だがしかし、彼の肉体は人として育つことを許されなかった。医師から流産を宣告されたのだ。
悲しみに暮れる敏夫と美智子であったが、彼らは伊知郎をあきらめなかった。すると今まさに肉体に宿ったばかりだという伊知郎が応えたのだ。
(残念ながら僕の入るべき肉体はあなた達との縁が形成できなかったみたいだ。こうなれば念力場が形成できないし、現世降霊する意味も喪失するから僕は天上霊界へと出戻りになるしかないんだよ)
まだ完全に肉体に宿っていない伊智郎の霊体は、天上霊界の記憶を持ったまま二人の元に降りてきていた。
(君はどうなんだ、伊知郎は私たちの子供として生まれたかったんじゃないのか?)
(そりゃ生まれたいよ……だけどこれはルールだから。僕たちがどうこうしてどうなるものでもないよ)
水子の霊は肉体が生まれずに滅ぶことで発生するとされているが、霊体にとって現世に定着する依代を失うこと、すなわち縁が発生しなければ念の力場も形成することはなく、乖離意識体にすらならない。
したがって空振りとなった霊は再び天上霊界へと呼び戻されリトライさせられるのが通例で、水子という概念は人が我が子を慈しむ気持ちが作り出したものであり、現世にも常世にも存在しない架空の存在なのである。
(いや、私達ならできる――なあ美智子!)
霊感応力者、周防敏夫は鼻息荒く、妻の美智子を見つめた。
同じく霊感応力者、周防美智子は夫の敏夫の覚悟を読み取り、深く頷いた。
(そんな……そんなこと、因果律に反することだよ!)伊智郎は彼ら二人の想いを感じ取りおののいた。そんな彼の不安を払しょくするように、敏夫は力強く言う。
(現世と天上霊界で発生するツケは私たちが背負う、お前は私たちの子供だ! 神が何と言おうと私たちの子供を奪う権利などない!)
そうして彼らは伊知郎のために二人で一つの霊体を現世に保持する念力場を造りだし、そこに伊知郎をつなぎ留めた。
この念力場とは通常の人間であれば肉体を指すが、地縛霊もまたその場所という念力場を持っている為現世にとどまることが出来ている仕組みと同じで、要するに霊体が現世にとどまるためのアイデンティティといえば解りやすいだろう。
これを概念的に人工造成するということは、魔界から魔物を召喚するのと同じ手法を使ったことになり、緻密に組まれた宇宙のあらゆる世の理である『因果律』に多大なる歪みを生じさせる遠因となる。当然ながら天上霊界からしても霊能界からしても外法中の外法である。
伊智郎は朱莉が言っていたような人工未知霊体造成とは全く別の、外的に影響を及ぼす行為であり、まさに“子供がほしい”という人の欲望がもたらした悪の所業と断じられても仕方のない行為であった。
そして彼は霊体として生まれ、両親の形成した念力場の元で、自ら仮定存在としての形骸を形作り、年齢に合わせて成長するという離れ業までこなしている。
*
「でぇ、つまり、あのイケメンはあたしのお兄さん、ってわけ? 守護霊じゃなくて?」
「は? イケメン?」朱莉の追及するような言葉に一瞬戸惑った二人だったが、すぐにすまん、と正座をした敏夫と美智子は朱莉に向き合い頭を下げ、改めて今まで黙っていたことを詫びた。
二人は朱莉には見えないことが解っていただけに――いや、自分たちと同じような霊感応力を持てないように施したことが同時に家族の一人が見えなくなってしまうという事と引き換えにしていいものかと、ずっと迷い続けていたのだという。
(なぁるほどね……)
気づくと敏夫と美智子の背後に掛けられた大きな鏡の中には、さっきの女性がしなりと座ってい話を聞いていた。両親は彼女に気づいていないのか、汗を拭きふき十四歳の朱莉に頭を下げるのみである。
「でさ、その当の本人はどこに居るの、ここに呼べるんでしょ?」こんな無茶苦茶な話をされてそれでも冷静に問いかけることができるのは、朱莉が今まで膨らませてきた想像力の賜物と言えるだろう。
「え、ええ、そりゃまあ――伊知郎! こっちにきなさい」美智子が彼を呼ぶと、さっきとは打って変わってギィと遠慮がちにドアが開き、何者かが部屋に入ってきた。
そう、伊知郎である。
鏡の中の女性の霊はそれを見ているのか、目を細めて何かを読んでいるように見えた。 朱莉は兄と紹介された伊智郎を一見して、開いた口を閉じられなかった。
目の前に座る伊知郎は黒の学生服で小太りで背が低く、髪はぼさぼさで眼鏡をかけており、団子鼻で口元は緩く引き締まっておらず、どっからどう見ても精彩を欠いた、野暮ったいを絵に描いたような、オタク臭プンプンの高校生であった。
(や、やあ、あかり……ぼ、ぼくが君のお兄さんだ、よ!)
震える指先でピースサインを出して、精一杯気さくさを出そうとしているのが痛い。両親も引きつり作り笑い、この状況を明るく楽観的に、ほのぼのしたムードに転化させようと必死だというのが更に痛い。さっきのイケメンはどこへ行った。あの神々しいまでのイケメン。
「き、桐原耕哉は? さっきここに!」
「は? きりはらこうや? 何を言ってるんだ?」
(はあい、残念! 朱莉ちゃん、私が説明してあげようか?)と鏡の中で面白そうにしている女性を朱莉は鏡越しに睨む。どうやら両親には彼女の姿も見えなければ、声も聞こえていないらしい。
(おおこわ……ま、訊けることは両親の口から聴いた方がいいかもね)そう言うと女性の霊は鏡の中から消えた。
「とりあえずお父さん。あたしは元から霊能力があった、って事なの?」
「ま、まあそういう事だ」
「あ、あのね、朱莉には普通の女の子として育ってほしかったから、それで――」
「――母さん、いい、オレから説明する――伊知郎が生まれオレたちは三人で幸せな家庭築こうと誓った。伊知郎の流産が発覚した時、母さんはもう二度と子供が生めないだろうと言われたんだ」
「おとうさん……」美智子はそう言って唇を固く閉じる。
「伊知郎が生まれてからも、表向きは子供が出来ない若い夫婦に見えただろうが、そんなことはどうでもよかった。俺たちには霊体だろうが伊知郎がいると、それだけで幸せだったんだ。だが二年して朱莉が生まれた。奇跡的だったんだ。もちろん喜んだ、無事に生まれてきてくれて何よりだった。男だろうと女だろうと構やしなかった。伊知郎だって喜んだんだ、妹が出来たとな」
朱莉はもじもじとして顔を上げない伊知郎の姿をちらと覗き見る。恥ずかしがっているのだろうか、霊なのに?
「だが、俺たちは霊感応力がある事で散々苦労してきた。朱莉に同じ思いはさせたくない。それで朱莉がまだ赤ん坊の時にオレが封じた」
「は?」
「お前が持っているはずの能力は幼少のときに俺が印を結んで能力を封じたんだ、覚えてはいないだろうが……」
「印を結んでって?……父さんって何者……?」
「別にどうってことはない。パソコンでもIDとパスワードを設定するだろう? ああいうのと感覚的には同じだ。朱莉の成長具合を見てそれを解くかどうかは考えるつもりだった……が、なぜか式が解かれてしまっている。こりゃどういうことだ?」敏夫は朱莉の顔を覗き込んでくる。本当に想定していなかったことのようだ。だが朱莉にとってそんな父親の態度などどうでもいいことだ。
「しらないわよ! あたしが知るわけないでしょ! なにそれ? 信じられない、人をおもちゃか機械みたいにいじくってたってこと?」
朱莉は両親を避けるようにして身を引く。
「ちっ、ちがう! お前を大切にしているからこそパスワードでロックしていたという事であってだな――!」
そういうことじゃない、と朱莉は勢いよく立ち上がり両親の制止も聞かず部屋を出て行った。




