国際情勢を適当に分析してみる(9)外国はなにもしてくれない?
特にターゲットにする読者層を決めず徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。
今回の御題は「ミャンマー問題」である。
より正確性を期するならば、「ミャンマー問題に対する報道への疑義」というべきだろう。
タイムリーな話題なので複数回にわけて執筆すべきかもしれないが、残念ながら僕は東南アジアについてあまり詳しくない。僕の興味は中東や旧ソ連圏あるいは欧州が中心なので、東南アジアは手薄なのだ。
ベトナム戦争世代ではないのも、理由の一つだろう。
そんな僕でも最近の報道には引っかかる点があるので、今回はその点をついていこうと思う。
尚、僕はジャーナリストでも国際政治学者でもない。そのため的外れな指摘をするだろうが、「分かったふりをして、また馬鹿な主張しているな」と笑いながら流してもらえると助かります。
◇
ミャンマー問題は今更語ることはないだろう。
アウンサン・スーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)政権に対し、軍部がクーデターを引き起こした事件である。現在進行形で展開されるこの事態は、軍部に抵抗する市民が多数犠牲になるという悲劇的様相を呈している。
今回の騒動がどのような結末を迎えるかは不透明だが、同様のケースと比較することで、ある程度予想ができるのではないだろうか。
民主的に選ばれた政権が軍部によって転覆されたケースは多い。
似たようなケースを上げるとしたら、2013年のエジプトが近いのではないかと僕は思う。2013年選挙から一年を過ぎたある日、ムルシー大統領は軍部によって権力からを引きずり下ろされ、軍人であったシーシー氏が大統領職についた。
エジプトのような国において、軍とは良くも悪くも特別な存在である。
普通選挙は一応存在するが縁故主義やら汚職やら蔓延る国において、軍は国家を守る最後の盾という立ち位置も兼ねている。それが良いのか悪いのかは置いておくとして、軍にその意識があるという点が重要なのだ。
彼らの主観で国が誤った方向に進んだと判断したら、反対派が何百人、何千人死亡しようとも完遂してしまう。
シーシー氏の政権は屍の上に築き上げられたのだ。
その後選挙によって選ばれているので――あれを普通選挙というならばだが――政権の正統性も一応主張できるのだろうな……
軍部がクーデターを起こした点では隣国タイも同じだが、あの国には国王がいる点が違う。
王室が国民から絶大な支持がある点も重要だが、国王が国家元首を務めているため権力の独占が辛うじて免れている。
軍部が全てを独占していないというアピールは、国民に冷静を促す上で重要な要素だろう。
ミャンマーがどのような展開を迎えるかは不透明だが、「エジプトに比べれば被害者の数が1/10だ」と軍部が嘯いたとしても僕は驚かない。彼らはルビコンを渡ってしまったのだ、どこまでも推し進めるだろう。
根拠なき独裁は民意はおろか法的にも長続きしない。
シーシー氏政権の成功例を参考して、相当に規制された選挙と統治へと切り替えるのが、軍部が取りうる現実的な選択な気がする。
◇
幾つかの例をみてきたが、ミャンマー問題に移ろう。
日本のメディアではあまり指摘されることはないが、スーチー氏の統治スタイルは控えめにいっても褒められたものではなかったと思う。憲法によって大統領に就任できないからとって、国家顧問という大統領に指示できる役職に就任するなど無茶もいいところ。おまけに外務大臣、大統領府大臣、教育大臣、電力エネルギー大臣の4閣僚も兼任していた。
僕からみても「独裁じゃね。これ?」と思うくらいの横暴である。
これにロヒンギャ問題も重なったので、対外的なスーチー氏の株は暴落していた。
その後の選挙で多少敗北でもすればまた違ったのだろうが、彼女は大勝してしまう。
問題があっても選挙をすれば勝利するという意味では、国を追われたタクシン氏に似ているが、彼のケースでは曲がりなりにも同規模の野党が存在していた。だが、ミャンマーにはスーチー氏を引き下ろせる存在がない。意図的に育てなかったのもあるだろうが、このことも軍部の暴走を促したのかもしれない。
このように書くと軍部を支持ているように思うかもしれないが、それは違う。
僕が主張したいのは、20年前と違いスーチー氏は清廉潔白な人物といえないという点だ。
我が国のジャーナリストは、臭いものに蓋をするかのようにこの話題を避けている。
軍部が失敗してスーチー氏が政権に戻れば、以前よりも状況は悪化してしまうだろう。個人的には4閣僚のポスト以外に、財務と軍部もさらに兼ねるとか言い出す気がしてならない。
極めて問題がある人物だとしても、ミャンマー国民が選挙で選んだのだ。某国の言い分を持ち出すなら、「内政問題」なので僕らが口を出すべきではないのかもしれない。ただし、それを言うなら、軍部の暴走にも口を出すべきではないのだ。
某国はいずれにも口を挟まないのである意味筋が通るのだが、我が国のジャーナリズムは軍部のみを話題にする。ダブルスタンダード対応は、決して褒められたものではないだろう。
◇
スーチー氏の政治資質の問題以外に、僕がジャーナリストの主張で引っかかる点がもう一つある。
「非難をするだけで、外国はなにもしてくれない」だ。
この手の問題が起こるたびに、聞いたことがあるフレーズではないだろうか。「なるほど」とか「そうだ政府はなにもしない」と賛同した方は、この主張の曖昧さに気付いていないだろう。
僕はこの手の主張を聞くと、マスメディアの無責任さに嫌悪感を覚える。
「お前、何言っているの?」と思うかもしれないが、この主張をよく読んでみよう。
そう、「なにをして欲しいのか」「なにをしたほうがいいのか」を明確に主張していないのだ。「欧米は経済制裁をしたが、もっと実効性のある政策を」などと無責任に語る。
実効性のある政策って、なんだよ!
90年代にイラクに科したような経済制裁や石油食料交換プログラムを、もう一度やれとでも主張したいのか? あれによってイラク国内はボロボロになったが、フセインは権力から滑り落ちなかったのを忘れたのだろう。たった十数年前のことなのに。
ミャンマー軍高官関係者に対する銀行口座封鎖の影響は、微々たるものだろう。
それは認める
しかし、この措置はミャンマー国民に犠牲を強いない。
『経済制裁は権力者の力を強めるだけです。犠牲を強いられるのは国民であって権力者ではありません』
僕の言葉でも、マスメディアの言葉でもない。
あるイラク人の言葉だ。
実効性のある政策とやらを主張する方は、この言葉に耳を傾けて欲しい。
経済封鎖を実行しても権力者が地位から滑り落ちないのは、イラクで十分すぎるほど証明されているのだと。
この問題を突き詰めれば、無茶をする軍部を実力で排除してくれということになる。
イラクやアフガニスタンのような米国の介入、あるいはカンボジアにおけるPKO(国連平和維持活動)やシエラレオネ内戦での国際連合シエラレオネ派遣団ということになる。
良くも悪くも武力介入である。
本来ならばASEANがこの件に責任をもって対処するべきなのだが、アフリカ連合と異なり平和維持部隊の派遣などしない組織だ。域外の組織が介入する余地を与えているという意味で、僕に言わせればASEANは欠陥組織としか思えない。ASEANの対応は、サダム・フセインを実質放置した湾岸諸国と大差ないのだ。
「東南アジアの問題なのだ、お前らが何とかしろよ!」
僕がこのように思うのも無理もないのだ。
「非難をするだけで、外国はなにもしてくれない」
ここでいうところの、外国の定義も曖昧である。
隣国なのか、地域なのか、国連なのか、大国なのか。定義があいまい過ぎてなにを主張したいのも暈けてしまっている。ASEANの弱点を指摘する報道もあるにはあるが、無責任さを糾弾するまでには至っていない。ジャーナリストはこの種の報道を垂れ流すだけで、責任の所在追及から逃げているのものだから始末に悪い。
ミャンマー問題からは外れるが、シリアの難民問題も同じである。
欧州に渡る難民に対する対処を糾弾する声がマスメディアに流れるが、あれはそもそも中東の――いや、イスラム教徒の問題である。トルコやレバノン、あるいはヨルダンは限界まで難民を受け入れているが、もっとも金のある湾岸諸国がこの件で活発に行動していると聞いたことがない。
同じイスラム教徒だろう?
欧米社会を糾弾するの結構だが、僕にはマスメディアが都合よく目を逸らしている気がしてならない。
◇
ミャンマー問題がどのように展開するかは不明だが、最近は反対勢力が少数民族であるカレン族などと結びつこうとしているとか。少数民族に誰が武器などを提供しているかは知らないが、航空機を保有しない点から外国による強力な梃入れはなかったのかも。
いずれにせよ万が一軍部を排除できれば、NLD(国民民主連盟)はカレン族などに対価として高度な自治権を認めることになるだろう。それだけではすむまい。イラクのクルド人の例をみれば重要閣僚ポストの一つや二つは要求するだろう。
実質的戦力を提供するのだ、そのくらいは当然だろう。
それはつまり、4つもの重要閣僚ポストを独占しているスーチー氏との確執を生むことを意味する。
ミャンマー問題における軍部は大きな要素ではあるが、それだけで構成されない。
軍部が権力から退場しても、第二部、第三部へと続いていくと僕は思う。
今回のところは、この辺で。




