265話 「もっと、違う出逢い方をしたかった」
思えば、とても遠くへ来たと思う。
はるか連綿と続いてきた歴史の中で見れば、ほんの一幕、幕間にしか過ぎない時間かもしれないけれど。
きっと、こういう出来事が続いて、受け継がれ、そして今、ここに繋がっているのだろう。
自分も、この世界の登場人物の一人である。
そう屈託なく思えるようになった。
だからこそ――
「そろそろ、『俺とお前の物語』に決着をつけよう」
顔が見える。
自分を救ってくれた彼と同じ灰色の髪。
表情は似ても似つかないけれど、面影がないと言えば嘘になる。
「そうだな。――いずれにせよ、もうこの先はない。幕を引くにはおあつらえ向きの舞台だ」
その男は、前に見たときよりもどこか儚く見えた。
『存在』を冠するかつての魔王の力を経て、おそらくその力も増し、祖国における存在感もこれ以上ないほど高まったであろう『時代の寵児』。
「地竜はいいのか」
「邪魔になるだけだ。貴様こそ、『パパ』の助力はいらないのか?」
歩数にして三十歩ほど。
これだけ巨大な戦場の中心にあって、ぽっかりと不自然に開けた空白地。
セリアス=ブラッド=ムーゼッグは、乗ってきた地竜を早々に下がらせ、その二本の足で大地を踏みしめている。
「必要になれば借りるさ。そういうお前こそ、あれほどフランダーに執着していたのに、いいのか?」
「過去の遺物に興味はない。……いや、なくなったというべきだろうな」
『メレア=メア、お前が私の目の前に現れたから』。
セリアスの目は、メレア自身にもそうとわかるほど如実に、語っているように見えた。
「セリアス、お前は俺に勝ったら、次はどこへ向かうんだ」
メレアはかつてセリアスに投げかけた言葉を、もう一度投げた。
今のセリアスには、ザイナス戦役で戦ったときとは違う妙に落ち着いた雰囲気があって、今ならその言葉の答えをちゃんと聞けるような気がしていた。
「――さあな」
「またそれか。お前はどこにいるんだ」
「……どこにも。……メレア=メア、貴様にはわかるまい。どこにも、この世界にすら属さずに生まれた貴様には」
セリアスはほんの一時その視線を地に落とし、そしてすぐに空を見上げた。
「私が、この時代のムーゼッグの王子として生まれた瞬間に、『この私』は始まった。探す、などという蒙昧な過程など不要なのだ。私は、生まれたその瞬間からセリアス=ブラッド=ムーゼッグであり、そしてその私がどこへ向かうかなど、私の意志どうこうで変わるものでもない」
メレアはセリアスの言葉にとっさに反論しようとした。
しかし、メレアは開きかけた口を強く引き締めた。
わからなくはなかった。
時代と、生まれ持ったモノと、環境と。
受け継がれてきたもの。受け継ぎたいと思ったもの。受け継がなかったもの。
自分も、それは同じだ。
そしてどんな選択をとっても、その選択の結果はその身に残る。
すべてを捨てて、すべてをしたいように。
やろうと思えばできるけれど、その結果は、死ぬまで残る。
「でも、お前はムーゼッグの王子だろう。良くも悪くも、ムーゼッグが辿る道に、お前は干渉できるはずだ」
「そうだな」
「なら――」
「では、その私が自分本位に選択をした結果、貴様たち〈魔王〉がより長く苦しむとしたら?」
「なに?」
セリアスはそこまで言って、口元ににやりと笑みを浮かべた。
「いや、いい。メレア=メア、問答は終わりだ。いうなれば、この状況こそが今の私にできる唯一のわがままなのだ。だから、貴様自身がその邪魔をするな」
セリアスの青い眼に術式紋様が浮かぶ。
「――わかった」
対峙するメレアもまた、体に臨戦態勢を敷く。
「だが、俺が勝ったら、全部教えてもらおう」
「――その時間があればな」
瞬間、セリアスの体にバチりと白い雷が弾けた。
メレアが同じく〈雷神の白雷〉を展開しようとした瞬間、メレアは右の頬を激しく殴打されたのを感じた。
◆◆◆
――なんだ。
雷を纏った高速移動。
自分自身が最も多用してきた英霊の術式。
それはわかる。
だが問題は――
「くっ……」
殴られた勢いで吹き飛んだメレアは、とっさに態勢を整えながら自分に起こっている異常に気づく。
――術式が展開できない。
間に合うはずだった。
英霊たちにも褒められたほどの自分の術式展開速度。
だが術式は発火せず、その一瞬をセリアスに捉えられた。
「――」
〈術神の魔眼〉は、セリアスが展開している白雷が〈雷神の白雷〉であることを知らせている。
いまさらセリアスが英霊の秘術を再現できることに驚きはしない。
それだけの才覚がやつにはあった。
「良い術式だ。――で、まさかこのまま私に殴殺されるだけではあるまいな、メレア?」
セリアスが言葉を残し、再び高速で移動する。
――左。
「〈水神の〉――」
「それももう『見た』ぞ」
甲高い炸裂音。
近接したセリアスの手に握られていた〈麗刀〉と、メレアの半生成された麗刀が打ち合った音だった。
「っ」
至近にて目が合う。
同時。
メレアの金色に変容した魔眼は、セリアスの青い魔眼に浮かぶ式を読み解いた。
「その眼……っ」
メレアは即座に麗刀の生成を止め、シンプルな手刀でセリアスの首を衝く。
並の戦士なら瞬きの間に首を落とされたであろう手刀をセリアスは寸でのところでかわし、白雷の残光を残して距離を取る。
「それが世界式を読み解くという〈白神の魔眼〉か。……それで、どうだ、なにかわかったか?」
セリアス=ブラッド=ムーゼッグに宿った青い魔眼。
それは、かつてフランダー=クロウ=ムーゼッグが発現させた〈術神の魔眼〉と近しい能力を持ちながら、一つ、決定的に違う力があった。
「視て『奪った』術式の生成に干渉する力を持っているな……!」
原理までをこの場で詳しく解析している余裕はない。
だが、今の二つ攻防で自分の身に起こった変化を鑑みれば、それが間違いないと断言できる。
「貴様は〈魔王〉の術式を使う。それも、ほぼ完璧に。だが、貴様の発動する術式には中間がない。そんないびつな育ち方をした貴様とこの魔眼の相性は、さぞ悪かろうな」
古今東西、ありとあらゆる魔王の秘術をそのけた外れな才覚で我が物にしてきた時代の寵児。
それが、まさしく次元の違う天才と呼ぶに足るものであることを、メレアは再び理解する。
そしてそんなセリアスの眼に、ついに発現したこの魔眼。
だがメレアは〈術神の魔眼〉を受け継いでいるからこそわかる。
――見えたからといって、そんなに簡単に再現できるものじゃないんだ。
フランダー=クロウですら、ほかの英霊たちの術式はそう簡単に模倣できなかった。
自分もまた、それを再現するためにセリアスのいういびつな訓練によって、中間を飛ばして再現しているにすぎなかった。
ゆえに、メレアは思った。
「よくぞ、ここまで」と。
――だから、悲しいな、セリアス。
敵ながら感嘆すら覚える才覚。
ここまでくると、過去の英霊と比較してもなお、セリアスはきっと、この世の術士の頂点に君臨しうる存在だと思った。
――お前はきっと、フランダーを超えたよ。
〈術神〉ともっとも長く手を合わせてきた一人の術士として、そう思う。
「――お前とは、もっと違う出逢い方がしたかった」
それは考えて出た言葉ではない。
メレアの口から、自然と漏れ出た言葉だった。
「でも――」
目をつむる。
数日前に見た学術都市アイオースの学園の中庭。
一瞬、存在しない光景がよぎる。
――嗚呼。
そんな未来が、あったらよかったのに。
セリアスを真正面から見据える。
その眼、そのさらに奥、そしてそこからセリアスの背中に抜けて、広大なこの世界に広がっていく無数の式。
――今、わかった。
「セリアス、やっぱりこの物語は、ここで終わりにしよう」
「だからそう言って――」
「違うんだ。違うんだよ、セリアス。俺は今、明確にこの誰かが作った物語を、壊したくなった」
「っ」
メレアの金色の眼が自分を見ていないことに気づいたセリアスの背筋に冷たいものが走る。
ほぼ反射のようにセリアスはメレアに再び近接し、その両眼に麗刀の一閃を繰り出し――
「――〈魔神の神威〉」
なにげなく顔の前に差し出したメレアの手が、セリアスの麗刀を一瞬にして霧散させた。





