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百魔の主  作者: 葵大和
第十五幕 【天に掲げよ、その名の意味を】(第四部)
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215話 「道化の笑み」

 公共の場に姿を現すため、衣装替えをしたアリシアは、しばらくしてからサイサリス城の客間へと向かった。

 最初に自室を訪れた部下にウェスティア商会の使者を客間へ通すよう指示を出していたので、すでに向こうは椅子に座って暇を持て余していることだろう。


「一度顔を出したことのある使者だったか?」

「いえ、()()()()()()()()でした」

「そうか」


 客間へ入る間際(まぎわ)、実際にその使者と顔を合わせた例の部下から話を聞き、アリシアはうなずきを返す。

 隣でザイムードが少し安心した表情を浮かべていた。


「初めての顔であれば、問題はなさそうですね」

「……そうだな」


 アリシアが(えり)を正して客間への扉を開く。

 絢爛(けんらん)とは言わないまでも適度に整った内装の部屋が映った。

 そして――


「っ」


 続いて部屋へ入ったザイムードが、中で待っていた人物を見て――


「無礼なッ!!」


 その柔和な顔にそぐわぬ怒声を発した。


◆◆◆


 その男はザイムードと同じくらいの背丈をしていた。

 衣装は商人というより貴族然としていて、白いシャツに汚れのない黒のケープ。

 ベストも着こんでいてそのポケットから見事に編みこまれた金色の紐飾りがのぞいている。

 そこまではいい。

 貴族の坊ちゃんが多い学術都市アイオースで探せばすぐに見つかりそうななりだ。

 問題は――


「いますぐその仮面を外せ! 教皇陛下に無礼であるぞ!」


 その男は、顔をすっぽりと覆い隠す仮面をかぶっていた。

 まるで、芸術都市の喜劇に出てくるような――道化の仮面を。


「無礼? これは失敬。しかしご容赦くださいませんか。私の顔はあまり人様に見せられるものではないのです。ひどい火傷(あと)が残っておりまして――」


 ザイムードの攻撃的な物言いにも一切ひるまずその仮面の男は答えた。


「きっとこの仮面を取ってしまえば、もっと無礼なことになります。身分を証明するために部下の方には顔をお見せしましたが、さすがに教皇陛下にはお見せできませんよ」


 仮面の男は平然と、いやいっそのこと友人に告げるかのような気軽さで肩をすくめてみせる。


「このっ……!」

「いい、ザイムード。いまさらウェスティア商会の人間に礼儀など求めん。頭目(とうもく)からしてがめつさが顔ににじみ出ている男だったからな」


 対するアリシアは仮面の男の態度にさして気にするそぶりもなく、同じく淡々と歩を進めて席に座る。


「お気遣い痛み入ります」

「こちらからでは目が見えんな。それも商人としての心得か?」

「いえ、そんなたいそうなものではありません。たしかに商売は心理戦でもありますから、口ほどにものをいう目を見られたくないという魂胆(こんたん)もないではありませんが――」

「そうか」


 この男は〈心帝の魔眼〉を知っているだろうか。

 一瞬そんな予想が浮かんだが、すぐに仮面の男が話を続けたのでアリシアの思考は途切れた。


「さて、まずはこんな夜分に突然お邪魔した非礼をお詫びいたします。しかし、我々にもやむにやまれぬ事情がございまして――」

「前置きはいい。要件を話せ」


 アリシアは会談用の長机の上にあらかじめ用意されていたカップを手に取って、中に入っていた香草入りの水を飲む。


「では遠慮なく」


 仮面の男は一度咳払いをしてから続けた。


「まず、先日の協定で取り決めた地代についてなのですが――」


◆◆◆


「要するに、倍にして還元するから金を貸せ、ということだな」


 しばらく商会と教国間での協定について話し合いをしていたアリシアと仮面の男だったが、協議が煮詰まったあたりでそれまでの内容をまとめるようにアリシアが言った。


「だいぶ要約されましたね……」

「だが事実だ」

「それはそうなのですが……」


 当初、アリシアはまだ仮面の男のことを疑っていた。

 部下に身元を確認させたとはいえ、現に男の素顔を見ていない。

 そもそもこんな格好をした人物を信用しろというほうが無理な話だ。

 こうしてアリシアが気兼ねなく飲み物を飲んでいられるのも、近くに味方がいるというのを知っているからだが、もし身一つであればこんなうさんくさい人間とは会わなかっただろう。


「……まあ、ウェスティア商会の人間というのは間違いないようだな」

「あれ、まだ私を疑ってらっしゃったのですか?」


 当然だ、とアリシアは相手に見えないように小さく笑う。


「それで信用されると思っていたのならお前は商人失格だな」

「これはこれは、手痛いお言葉で」


 仮面の男はまいったと言わんばかりに頭を掻く。


「ではなぜ陛下は今になってご確信を?」


 アリシアは逆に訊ねられ、ふと考える素振りを見せた。


「――知りすぎているからな。先日の協議内容は他言していない。今の打ち合わせの中で、あの協議の内容を知っていなければ即答できないものがいくつかあった。それこそ、あの場に出席していたウェスティア商会の頭目でなければ知りえないような内容も」


 ふとアリシアの赤紫の眼が男の仮面に描かれた線のような眼をのぞきこむ。

 しかしその奥にある男の本当の眼はやはり見えなかった。


(おさ)から直接話を聞かされましたからね」

「まあ、この場に遣わされる使者としては当然だな」


 男の眼をのぞきこむことを諦め、アリシアはまた手元のカップを持ち上げる。


「ところで」


 香草入りの水で唇を湿らせてから、再びアリシアが口を開いた。


「お前は〈魔王〉についてどう思う?」

「〈魔王〉、ですか」

「そうだ」


 今度は逆に、仮面の男が顎に手をやって考えるそぶりを見せる。


「まあ、実際に〈魔王〉になったことのない私には実感の伴う返答はできませんが……」

「かまわん。なんでもいい」

「そうですね……。端的に言うなら、不憫な者たちですね」

「ほう、不憫と?」


 アリシアは少し興味をひかれたように目を見開く。


「だってそうではありませんか。たしかに実際に〈魔王〉と呼ばれてしかるべき行いをした者もいます。しかし、そういう者でさえある者にとっては〈英雄〉だったかもしれない」

「戦乱の時代にはよくある話だ」

「ええ。でもだからこそ、不憫です。特に、国を挙げて担ぎ上げられた英雄なんかは。彼らはたしかに〈英雄〉と呼ばれるようななにかを為したのに、その後の時代の流れで悪にもされた」

「時代……か。その時代を作るのは人だ。結局のところ、かつての〈英雄〉は――いや〈魔王〉たちは、敗者だったのだ」


 アリシアが続けた。


「人の心は弱い。強者の敷いた制度の上を歩くことしかできない者がほとんどだ。強者が〈魔王〉といえば、それは〈魔王〉になる」


 暴論である。しかし同時に現実だ。

 そう改めて思ったとき、アリシアの手は自然と拳を握った。


「……いずれにせよ、勝った者が正義なのだ。どんな思想であれ、最終的にその時代においての勝者になることが正義の証になる」

「ふむ。これからその勝者になろうとしているのは黒国ムーゼッグでしょうか」

「それと、このサイサリスだ」


 アリシアがなにげなく言った言葉に仮面の男は少し驚いたようだった。


「なるほど。さすがは教皇陛下だ。お考えになることが大きい」


 バカにしているのか、単純に感心しているのか、どちらとも取れない仮面の男の反応に、それまでじっと会話に聞き入っていたザイムードの肩がぴくりと動く。


「たしかに、単純な暴力という点でいえば近頃の貴国はなかなかどうして捨てがたい可能性を持っている。しかし、です」

「なんだ」

「もし時代が求める強さが、財力であったら」

「――」


 今度は逆にアリシアが豆鉄砲を食った鳩のようにきょとんとした顔を浮かべた。


「ハ、ハハハ、なるほど、財力か」


 ついにアリシアが笑い出す。


「ありえない話ではないですよ? なんといっても()()()()()()()()()()


 仮面の男は至極まじめな声音で言った。


「そうだな。それもあるかもしれん。金で人心が操れるのであれば、財力は時代の正義を左右する」

「まあ、ムーゼッグにおいては暴力も財力もたらふく蓄えているようですが」


 わざとらしく残念がるように仮面の男は肩をすくめた。


「話がずれたな。つまらないことを聞いた」

「いえ。しかしなぜ急にそんなことを?」

「少し、似ていてな」


 ふとアリシアは仮面の男の髪を見た。

 まるで磨き抜かれた金貨のように美しい金の髪。


「だが違うようだ。わたしの知る男は〈魔王〉を不憫などとは言わない。……いや、正確には不憫という形容だけでは終わらない」

「気になりますね。もし私が陛下のおっしゃる者だったら、〈魔王〉についてなんと述べたのか」


 きっと、彼ならこう言う。


「――『魔王は不憫だ。けれど、同時に与えられた者でもある』」


 なにを与えられたのか。


「『魔王と恐れられるに足る力と、この逆境を再度(くつがえ)すための盛大な舞台を』」

「まるで芸術都市の喜劇役者のような言葉ですね」

「あるいはもう一人の演劇好きの影響かもしれんな」


 だが、その言葉が嫌いではなかった。

 彼はいつも、幼い自分がこの眼のことで泣きだすたび、その言葉を繰り返した。


 のちに彼自身が〈魔王〉と呼ばれ、生まれ育った祖国を失い、ある日突然に――その姿をくらますまで。


「……まあいい。ともあれ、これでそちらの要件は済んだか」

「はい。ですがまだお答えを聞いておりません」

「そうすぐに答えられる内容ではない。返答はまた明日にでも使者を――」


『教皇様!』


 アリシアが仮面の男に向かって会談の終わりを告げようとしたとき、客間の外から慌ただしい声が聞こえてきた。


「……なんだ」

『ウェ、ウェスティア商会の使者を名乗る者が!』

「それはもうここにいる」


 なにをいまさら、とアリシアが重い腰をあげて客間の外にいるであろう部下を諌めに行こうとし――


「違うのです! ウェスティア商会の長が直々に参じてきたのです! さきほど使者が来たことを伝えると、『使者など出していない』と……!」


 空気がしんと冷えた気がした。

 その冷たい空気の中で誰よりも先に動き出したのはザイムードで、彼の服の袖の中から短剣が取り出されるまでに、およそ二秒とかからなかった。


「貴様! 何者だッ!」

「――ハハハ」


 そのときザイムードは見る。

 仮面に隠されて見えないはずの男の口元が――

 そこに描かれた道化の笑みの下でたしかに楽しげにつり上がったのを。

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