216話 「教区に降る金の雨」
ザイムードが短剣を仮面の男に投げつけるのと、仮面の男が椅子に座った状態から目の前の長机を蹴りあげるのはほぼ同時だった。
「アリシア様! おさがりください!」
宙に舞った長机の蔭で、ザイムードがアリシアの前へ身を乗り出す。
「ほう、なかなかサマになっていますねぇ」
その姿を見た仮面の男が意味深な言葉を口に乗せた。
「ぜひ芸術都市で役者に挑戦してみるといいと思いますよ、ザイムード・ゼル・バルドラ」
直後、仮面の男が懐からたっぷりと中身の入った革袋を取り出す。
じゃらり、と硬質な音が中から聞こえた。
「なにを――」
「正しい金の使い方をお教えしましょう」
仮面の男はそれをザイムードではなく自分の後ろにあった窓へ投げつけた。
「金貨……?」
口紐のほどかれていた革袋の中から一斉に飛び出したのはきらきらと輝く金色の硬貨。
瞬間、仮面の男の手のひらからいくつもの術式が広がった。
「錬金術式――〈黄金の杭〉」
勢いよく飛び散った金貨が一瞬でその形状を鋭い杭のように変える。
最初に飛んだ金貨が杭となって窓ガラスに突き刺さると、そこからいくつもの亀裂が走った。
「っ、逃がすなザイムード!」
「ハハハ、もう遅い」
アリシアがザイムードの背後から叫ぶのと仮面の男が走り出したのは同時。
「ま、待て――!!」
「ここにきてまでボロを出さないのは感心します。ですが、ここで逃がしたことをのちのち後悔せぬように――もう一人の"金の亡者"」
その夜サイサリス城の最上階でひときわ大きな窓が割れる。
客間用に作られたその窓はきらびやかな上流区を映していた。
しかし、その日の主役はそんな上流区の景色ではない。
杭となって窓ガラスに亀裂を生んだあと、再び硬貨へと戻った無数の金。
「ここは最上階だぞ……!」
仮面の男がその身で窓ガラスを割って飛び出した空に、美しい金の雨が降る。
いったいどこに隠していたのかという量の金が男の懐から奇術のように舞い落ち、そして男の手から再び術式が広がった。
「――金を、操っている」
まさしくそれは〈錬金王〉の所業。
男の展開した術式は舞い落ちる金貨をまたたく間に膨張させ、変形させ、まるで一つの生き物であるかのようにそれを操った。
金が城の外壁を支点に次々と足場を作る。
現れては消える黄金の空中階段。
仮面の男はその階段を軽やかな足取りで飛ぶように降りていく。
「くっ、衛兵!」
もう遅い。
たしかに仮面の男の言うとおりだとザイムードは唇を噛んだ。
サイサリス城の最上階からあれだけ優雅に逃走する術を持っているのであれば、このまま眼下の家々を縫って逃走するのも容易だろう。
このあたりは時間帯的に人の通りが少ないが、少し進めば上流区がある。
あの場所は夜であっても人で賑わう。
「なんだ……?」
と、そこでザイムードはあることに気づいた。
男が踏んで使い終わった金の階段が色を変えている。
それどころか、材質すら変わっているように見える。
――あの男はいったいなにを金に変えたのだ。
ぞくりと背筋に嫌な悪寒が走った。
いつの間にかずいぶん遠くなった仮面の男が上階を見上げる。
すると男が仮面の縁に手を置き、ついにそれを外した。
「申し遅れました」
磨き抜かれた金貨よりも美しい黄金の髪が風に舞う。
仮面の下から現れた細面の顔に火傷痕はない。
切れ長で、どこか胡散臭さの宿る狐目。
「私の名前は〈シャウ=ジュール=シャーウッド〉。どこにでもいるしがない商人にして、今は〈魔王連合〉に所属する"金の亡者"です」
声は遠い。
しかし口にした言葉は、ザイムードを射抜くどこか鋭い視線と共にたしかに届いていた。
「ザイムード、あなたには借りがある。それを必ずやこの国でお返ししましょう」
それまでの飄々とした表情はない。
そこにあったのは明確な敵対心だった。
「……やれるものなら」
そのときザイムードは口の動きだけでそう答えた。
後ろにいるアリシアにはけっして見えぬように。
彼もまた明確な敵対心をほんの一瞬だけ露わにしていた。
やがて仮面の男――シャウは再びサイサリス城を外壁伝いに降りはじめる。
一夜の邂逅はこうして終わりを迎える。
そう思われた。
「っ、よけろ! エヴァンス!!」
ザイムードの後ろに隠れていたアリシアが、彼の脇の下を通り抜けて窓辺に身を乗り出し叫んだ。
直後、今度は遠く離れた上流区の時計塔から莫大な魔力の光が散った。
◆◆◆
上流区の一角に立つ背の高い時計塔。
そこの頂点で、花火のように奇妙な光が散ったのをシャウは目の端にとらえた。
――あれは……
刹那、シャウは直感する。
自分目がけて超遠距離から攻撃が行われたこと。
まもなくそれが自分を襲うこと。
そしてその一撃を、
――あれは私では防げない。
シャウはとっさに金の足場から身を投げた。
空中で体をねじり、正面を時計塔のほうへ向ける。
「錬金術式――〈黄金の鏡〉」
足場にしていた金をすべて自分の正面に展開する。
可能なかぎり厚く、最低限急所を守れればいいと範囲を狭める。
かろうじて目の前に黄金色の盾を展開したところで、それはシャウを襲った。
「ぐっ……!」
突きぬけて来た。
目の前に展開した金の盾などまるで異に解さず、まるで柔らかなバターを熱した棒で貫くかのように、それはシャウの脇腹を削る。
――弓矢。
一応実体があった。
術機銃のように魔力そのものを弾丸に変化させて打ち出したものではない。
そんな確信を得たのもつかの間、金の盾に開いた穴の向こうで二発目の射出光が弾けた。
――避けなければ。
一撃目はとっさに足場から身を投げ出したのが功を奏した。
しかしもう同じ手段は取れない。
足場に使っていた金をすべて盾に回し、体は自由落下に任せている状態だ。
『ああ、あれは〈忌むべき悲嘆の兵器〉ですね』
そのときシャウの背後から声がした。
そして――
「あなたからはメレアの匂いがします。力を貸しましょう」
シャウが振り向くと同時、その心臓目がけてまたたく間に飛来した魔導の一矢を、いつの間にか背後にいた一人の女が止めていた。
「――」
その、すべてを圧潰させてしまいそうな暴力の気配をたたえた真っ黒な土の尾で。
◆◆◆
「あなたは……」
「あの子の母の一人です」
その一言でシャウはすべてを悟った。
「少し揺れますよ」
いまさら揺れたところでどうということはない。
見れば女は尾ていから生えた尾の一本を地面に突き刺し、自分の体をその高さまで持ち上げていた。
さらに一本の尾でシャウの体を巻き取り、残る一本でいまだに推進力を失っていない光る矢を止めている。
――すべてが現実離れしている。
黒曜の尾に巻きとめられながらもぎゃりぎゃりと不気味な音を立ててこちらを貫こうとしている矢も、それをなんの気なしに止めているこの女の術式も。
やがて女はようやく推進力のなくなった矢を黒い尾で握り潰し、そのまま地面へと急降下した。
地面に当たる寸前でさらにもう一本の尾を地面に突き刺し、衝撃を和らげて着地。
シャウの体をやさしく立たせると、着ていた黒のドレスをぱんぱんと軽く払った。
「――〈土神〉クリア・リリスですか」
「わたしの名前をご存知なのですね」
そんな女をまじまじと見ながら、シャウがげんなりとした表情を浮かべる。
女は地面をこすりそうなほど長く伸びた紺の髪を揺らして、ほんの少し驚いた表情を見せた。
「それはもう、あなたの鍛練の厳しさについて何度も彼から聞きましたから」
「ふふ、それは誤解ですよ。わたしより厳しい英霊はほかにもいました」
くすくすと楽しげに笑う紺色の髪の女。
シャウはその顔を見て再び引きつった笑みを浮かべる。
「ところで、このままここにいて良いのですか?」
「良くはないですね。確認と、宣戦布告のために我ながららしくない大立ち回りをしてしまったので」
「そうですか。ではせっかくですのでこのままここを離れましょう」
「あ、はい。……ちなみにそれは普通にですよね?」
走ったり、跳んだり。
一般人の考えうるような、逃走手段で。
「ええ、もちろん普通にですよ?」
紺色の髪の女は不思議そうに首をかしげる。
見目こそ賞賛に値するほど美しいが、その仕草はどことなく無邪気で独特の愛嬌がある。
――なるほど、普通。
それをなにげなく眺めながらシャウの頭は目まぐるしく回転する。
ここにこの英霊がいる理由。
その彼女が自律した意志のもと自分を助けた理由。
あの〈死神〉ネクロア=ベルゼルートにまつわるもろもろを考えると、あきらかに今の状況は異質だ。
――普通とは、一般人が使ってこそはじめて正当な意味を成す。
それでもシャウの思考の大半がまず注がれたのは、彼女の言う『普通』が、本当の意味で普通であるかについてだった。
「では、少しじっとしていてください。あなたはちょっと足腰が弱いようですので、わたしが運びます」
「はあああ……」
嫌な予感がしてその場から離れようとしたときにはもう遅い。
一瞬で黒尾に巻き取られるシャウの身体。
その口から魂まで抜けてしまいそうな大きなため息が漏れる。
「私、これでもごく一般的な成人男性くらいには筋量があるはずなのですが」
身長はむしろ平均より少し高いくらいだ。
そんな自分を見て『足腰が弱い』とはどういう了見か。
「そうなのですね。それはなんとも――悲しいことです」
なにが悲しいのか。
説明を要求しようとしたが、自分の体をつかむ黒土の尾がいっそうギュっと締まったので、せめてもの皮肉をと思いシャウは口を開いた。
「私、あなたの子と行動を共にして結構経つので、いろいろと彼の『普通』についておかしな点があることには一定の理解があるのですが、どうして彼の言う普通がたまに常軌を逸しているのかが本当によくわか――」
「では跳びます」
「んんあああああああああああああああ!!」
その夜、サイサリスの空を三本の巨大な尾を生やした奇妙な人影が跳んだ。
翌日の上流区の新聞には『怪奇、三本の尾を持つ怪物がサイサリスを舞う!』というゴシップ記事が載ったが、それについて真面目に取り合った奇天烈な人間はほとんどいない。
まして、その尾の一本に巻きとられて輸送された悲運な男については、そもそも記事ですら触れられなかった。





