209話 「教会と謎の少女」
教会の入り口をくぐると、まず三人の目に、人を模した大きな石像が映った。
教会奥。壁面にはめ込まれたステンドグラスを背景に、白石で作られたその像は祈りの形で留め置かれている。
モデルはゆったりとしたローブを羽織った女性で、背には天使のような羽が生えていた。
「思ってたより偶像的だな」
石像を見てサルマーンがぼそりとつぶやいた。
「バカにもわかるように目に見える形が必要だったんだよ」
「旧派サイサリスの教えはもともと高等民族のための教えだったってことかい」
〈盗王〉クライルートの答えにサルマーンがわざとらしく肩をすくめた。
「僕はそう思うよ。形のないものを信仰するっていうのは普通の人間には難しいことだ。基本的に人は、目に見えるものを信じたがるから」
「まあ、それはそうかもしれねえが」
たしかに目に見えないもの、形のないものを無条件に信仰するのは難しい。
旧派サイサリスの清貧志向も、もとはといえば資本主義にまみれて絶望した者が一周回って抱くたぐいのものだ。
もともとが資本を十分に集められるような優秀な人間たちによって支持されたものだから、優秀ゆえに加減を知らない彼らが『清貧』の意味を拡大解釈して、極端な反偶像主義を掲げてもおかしくはないが、それを普通の人間にも強く信仰させるとなれば話は変わってくる。
「教えっていうのは、その正当性を担保するために、必ずその発言者の権威みたいなものを求める。路傍でゴミ拾いを生業にしている者が金持ちになるための教えを説いたとして、誰がそれを信じるだろうか?」
同じく、まだ年端もいかない少年が人生のなんたるかについて語ったとして、人々はそれを崇めるだろうか。
「――〈魔王〉と呼ばれる者が世の不条理さを説いたとして、人々はそれを受け入れるだろうか」
「……そうだな」
サルマーンは頭をわしわしと書いてバツ悪そうにした。
「てか、人いるぞ」
すると、サルマーンが教会内部に列をなして置かれていた長椅子のひとつに人影を見つける。
「子どもか」
線の細さからして女の子だろう。
その少女はサイサリス教信者を表す白いローブを身にまとっていた。
「とりあえずすぐ出ていくのも変な感じだし、いったん座っとく?」
クライルートの提案にうなずきを返し、サルマーンは少女の座っている席から三つほど後ろの椅子に腰かけた。
「――旅の者か」
少女の背中から思いのほか落ち着いた音色の声があがったのは、その直後のことだ。
◆◆◆
「ああ、そうだが」
「そうか。まあ、ゆっくりしていくといい」
少女は振り向かない。
見た目のわりに妙におとなびた声だけが、教会内に響いた。
「さきほど、おもしろい話をしていたな」
「聞こえてたのか」
「耳が良いものでな」
前に座る少女が振り向かないまま自分の耳を指差したアピールした。
「――ああ、なるほど」
直後、サルマーンの言葉を待たずして少女がなにかに納得したように言った。
「なんだよ」
「いや、ずいぶんな人生を送って来たのだな、と思ってな」
「……」
この時点ですでに、サルマーンはいつなにがあっても動けるようにと身体に力を入れていた。
さきほどのクライルートとの会話は、露骨ではないにしろ自分たちが〈魔王〉であることをほのめかす内容だ。
加えて、自分たちになんの興味も持たない者が、こんな閑散とした教会の中でわざわざ自分たちに声をかけてくるとは思えない。
内心で自分のうかつさをわずかに呪いながら、サルマーンは少女の背中をじっと見つめる。
「どういう意味だ?」
「いや、こちらの話だ」
「いまいち的を射ねえな。あと勝手に納得されるとこっちも良い気分はしねえんだが」
「ふふ、そうやって怒ったフリをしながらも、お前はわたしの一挙手一投足を冷静に観察している。拳は軽く握り、足の指には力を入れていつでもすばやく動けるように床の感触をたしかめている。――なるほど、見た目のわりにしたたかだな」
「っ」
サルマーンの肩がぴくりと動く。
――こいつ、どうやってこっちを見た。
教会に入ってからただの一度もこの少女が振り向いた様子はない。
それなのに少女がサルマーンの内心を一発で当ててみせた。
サルマーンの警戒心が徐々に上がっていく。
「いや、なに、ちょっとかまをかけてみただけだ。そう警戒するな。……さきほど旅の者と言っていたが、こうしてさびれた教会で会うのもなにかの縁だろう。少しわたしの話し相手になってくれないか」
「あんまりおしゃべりは好きじゃねえ」
「そんなにおしゃべりなバケモノを身の内に飼っているのに?」
その瞬間、サルマーンは周りの仲間たちが反応できないほどの速度で一気に動いた。
目の前の椅子に足をかけて飛び上がり、軽業師のような身のこなしで真上から少女の前面に回り込む。
「てめえ、なにを知ってる」
右腕の〈魔拳〉を解放。紫色の光子がその腕から噴き上がった。
「なにもかもを」
少女はそんなサルマーンを見ても微動だにしない。
「ほら、そんなに感情を昂ぶらせるとバケモノがまた語りかけてくるぞ」
少女が目深にかぶったフードの下でくつくつと笑ってサルマーンの右拳を指差した。
【――】
直後、サルマーンの頭の中にバケモノの声が響く。
「うるせえ」
しかしサルマーンはそれを片手間に振り払い、一歩少女に近寄ってその顔をのぞきこんだ。
「見ないほうがいい」
「どういう意味だ」
当初の予想どおり、彼女はまだ年端もいかない少女のようだった。
陶器のような白い肌。フードの隙間からのぞく黒い髪。
少しやせぎすで、よく見ると纏っているローブはぶかぶかだ。
「きっと後悔する」
「どうだかな」
サルマーンは構わず少女の目元まで視線を移動させる。
わずかにくまが出来た目の下から、やがてその瞳に移り――
「っ」
吸い込まれるような赤紫色の目と、視線が交差した。
その瞬間――
「やめろッ!!」
サルマーンは彼女の大きな二つの目から出てきた『なにか』が、自分の目を通して中に入ってきた感覚を覚えた。
気づいたときにはその『なにか』を遮るように腕を振り、叫んでいた。
「俺の中に入ってくるんじゃねえ!!」
「だから見るなと言ったのに」
少女がやれやれとため息をつく。
「なにをしやがった!」
「なにもしていない。わたしがなにかをしようと思ったわけではない。ただ、私と目が合うとそうなるようにできている」
サルマーンはとっさに目を閉じようとした。
しかしどれだけ力を入れても瞼が動かない。
視線は吸い込まれるように少女の赤紫の瞳に向けられたまま、身体の自由が効かない状態だった。
「サル!」「サルー!」
異変に気づいたリィナとミィナがすぐにサルマーンに駆け寄ろうとするが、
「お前らはそこにいろ! こっちに来るんじゃねえ!」
サルマーンがそれを制止する。
「お前らもだ!」
さらに人知れず得物を抜いていた〈盗王〉クライルートと〈刀王〉ムラサメをも制止し、サルマーンは再び少女に意識を戻した。
「仲間思いなのだな」
「うるせえ、さっさとこれをなんとかしろ」
「しばらくすれば勝手に解ける。それまではまあ、我慢することだ」
「今、お前はなにをしてやがる」
「見たくもないものを見ている」
「それはなんのことだ」
「心」
少女は人形のように表情の動かない顔で淡々と言った。
「心だと?」
「そう。私は普通の人間の心を見る分にはもうなんとも思わなくなったが、お前のような〈魔王〉の心を見るのはまだ少し堪える」
「おまえ、誰だ」
サルマーンが片目を手でふさぎながら言う。
少女は思いのほかあっけなく、その問いに答えた。
「お前たちが探している人物だよ、〈拳帝〉」





