208話 「魔王は神に祈るか」
「教会か……。なんだかんだ言ってもちゃんと宗教都市してんだな」
エルマたちとは別行動でサイサリスの〈下流区画〉へ散策に来ていたサルマーンが、目の前に立つ建物を見上げて言った。
「旧派サイサリスの教会だね。とはいってもサイサリス教は教会という建物すら持つことを禁じていたから、これは比較的新しく作られたものだ」
その声に答えるのは赤髪を後ろで三つ編みにした〈盗王〉クライルートだった。
見た目は身軽な旅装をまとった少年という感じだが、口にする言葉からは少年らしからぬ博識ぶりがうかがえる。
また、そのベルトに差し込まれた二本の短剣が、いざというときの荒事にも対応できることをささやかなに主張していた。
「よく知ってるな」
サルマーンがちらりとクライルートのほうを振り向いて言う。
「そりゃあ、一度は自分が『仲間にならないか』って誘われた国だ。下調べくらいはするさ」
「そうだったな」
「まあ、断ったうえにまたこうして訪れてるわけだけど」
ややバツが悪そうに言うが、かといって残念がるふうではない。
サルマーンはサイサリス教国へ来るまでの道中、最近加入したこのクライルートとも何度か話をした。
「ここに来るまでになにも盗ってねえだろうな?」
「まさか。僕だって節操なく盗みをするわけじゃない。僕が〈魔王〉として追われ、生きるのにも必死だったころはたしかに盗みもやったけど、それでも自分なりのポリシーは守ってきたつもりだ」
クライルートが両手をあげて潔白を主張する。
その手には不思議な術式紋様が刻まれていた。
「ポリシー、ねぇ」
サルマーンはその様子を見て腕を組む。
それから困ったように鼻で息を吐いた。
「まあ、かといって義賊を主張するわけでもないんだけど」
クライルートは両手をあげたまま器用に肩をすくめた。
「前にも言ったけど、僕はきれいごとが嫌いだ。でも泥とクソとゲロで塗り固めたような汚物じみた人間も嫌いだ」
「難儀だな、〈盗王〉」
「〈魔王〉だからね」
サルマーンはクライルートがどんな人生を歩んできたのかを知らない。
それを聞きだすつもりもなかったし、それを本人が『知ってもらいたい』というまで聞かないのが〈魔王連合〉の暗黙の了解でもあった。
「あんたもそれなりに難儀な性格なんだろう? ――〈拳帝〉の末裔」
「……まあな」
サルマーンは教会を再び見上げる。
そのまま自分の右腕を左手でさすった。
【――】
声がする。
それはサルマーンにだけ聞こえる『悪魔の声』だ。
「ところで――」
と、ふいにクライルートが声音を変えて言う。
「あのおチビちゃんたち、ムラサメに任せちゃっていいの?」
「あ? あー……まあ、あいつは大丈夫だろう」
「ムラサメの方は大丈夫じゃなさそうだけどね」
二人が立っている場所から少し離れたところに三つの人影があった。
二人の前にある教会には外壁伝いに小さな庭が広がっている。
庭先には大きな木が何本か植えられていて、教会の尖塔先につりさげられた無数の術式灯の光がその木々をほのかに照らしている。
ちょうどその木々の影になるあたりに――
「サルよりたかーい!」「たかーい!」
「む、バ、バランスが……」
背の高い黒髪の男と、その肩に器用に乗る小さな少女が二人。
クライルートと同時期に魔王連合へ加入した〈刀王〉ムラサメと、いつもサルマーンと一緒にいる〈水王〉リィナと〈氷王〉ミィナの二人だった。
「あ、あまり動かないでくれまいか……」
「えー」「やだー!」
二人の少女を肩に乗せてぐらぐらとしているムラサメ。
長い黒髪で目元を隠し、普段からあまり多くを語らない新加入の魔王も、このときばかりは双子の慌ただしさにたじたじとしていた。
「あいつがいてくれるおかげで俺の肩こりもだいぶマシになってきた」
「ご、ご愁傷様……」
肩をぐるぐると回すサルマーンとムラサメの様子を見て手を合わせるクライルート。
「あのチビどもはクソ野郎発見機なんだ」
「クソ野郎発見器?」
サルマーンが今度は首を鳴らしながら言う。
「あいつら今じゃあんな無邪気そうにしてやがるが、結構悲惨な過去を渡ってきてる。無論〈魔王〉ゆえの悲劇の道だ。そのせいかあいつらは自分たちに害意を持ってやってくる人間にえらく敏感だ」
「……なるほど」
おそらくサルマーンは最も双子との生活時間が長い。
一応〈白国〉レミューゼにおける魔王たちの居城――〈星樹城〉では双子用の部屋が割り当てられているが、正直あまり使われていなかった。
というのも、二人はほとんどサルマーンの部屋で過ごしていたからだ。
「俺たちがレミューゼに拠点を構えてから、ほんの何度か害意を持って接してくるやつらがいた」
「へえ。僕たち以外にもいたんだ」
クライルートがわざとらしく目を丸くして言う。
「よく言うぜ」
サルマーンが苦笑して返した。
「お前らのは害意って呼ぶほどのもんでもなかっただろ。ともかく、そんとき奴さんはさも自分たちが被害者だとでも言わんばかりの顔で近づいてきたんだが、不思議なことにあいつらはすぐそいつらを『敵』だと判断した」
サルマーンがそう言うと、クライルートは今度こそ驚いた表情を浮かべる。
「どういうわけだろう。術式かなにか?」
「はっ、あいつらにそんな器用な術式が使えるか。あいつらはたしかに水や氷にまつわる術式をおそろしくうまく使えるが、その他基本的な魔術はてんでからっきしだ。最近は自衛のためにってリリウムたちが教えてるみたいだけどな」
「ふーん」
クライルートがふと思案気にうなる。
「――あの子たち、元は南大陸の奥地の子だろう」
「っ、よくわかったな」
サルマーンが眉をあげて言った。
しかしその表情はどことなく訝しげでもあった。
「ほんの少しだけ聞いてことがあってね。僕は結構いろんなところを転々としていたから」
また肩をすくめてクライルートが言う。
しかしすぐに彼は憐れむような表情を浮かべて双子たちを見た。
「あそこは水が貴重だからね。おおむね〈水王〉という号を持った者がそこでどんな功績を上げ、そしてどんな悲劇に見舞われて〈魔王〉になっていったか予想はできるさ」
「それを悲劇だと思うか?」
「思うね。なぜなら僕も〈魔王〉だから」
「――そうか」
「大衆はいつだって勝手さ」
「広い目で見れば俺たちだってその一部だ」
「わかってる。だから僕はあえて〈魔王〉であることを決めたんだ」
二人の間にしばしの沈黙が流れた。
「さて、そろそろ彼を助けてあげたらどうだい? 十分肩もほぐれただろう」
「マジかよ。また俺かよ」
「彼女たちもムラサメに飽きてきたみたいだし」
クライルートがにやりと笑みを浮かべてムラサメたちの方を指す。
リィナとミィナがムラサメの長い黒髪を引っ張って遊んでいた。
「あー……俺、髪が短くてよかったって思うわ」
「僕も危険かなぁ……」
クライルートが三つ編みにした自分の赤髪を手に取って迷う素振りを見せる。
「切ってやろうか?」
「今は遠慮しとくよ……」
「ハハ、そりゃ残念」
サルマーンがわざとらしく笑う。
けれどその顔は屈託のない、仲間に向ける笑みだった。
「おい、大丈夫かー」
「す、すまない〈拳帝〉。我には少し荷が重いようだ……」
髪を好き放題にいじられて顔面自分の黒髪まみれになったムラサメが弱々しい声で言う。
「おい、お前らもいい加減にしろ」
「えー!」「じゃあサルで遊ぶー!」
「だからその俺をオモチャみたいに言うのやめろよ……」
「サルオモチャー!」「サルチャー!」
「はあ……」
ほどなくして二人は定位置も戻る。
サルマーンの肩には再び重みが戻った。
「一応教会の中も見てくから、お前ら静かにしてろよ」
「やだー!」「なんでー!」
いまさら遅いかもしれないが、とサルマーンは心の中で思いながら続ける。
「教会ってのは静かに神様に祈る場所なんだよ……」
「神様ー?」「神様って祈るとなにかしてくれるのー?」
「――」
ふと、その場にいたサルマーン、クライルート、ムラサメは胸を突かれた気がした。
「……まあ、なにかしてくれるとはかぎらねえな」
「このおチビちゃんたち、たまに核心に迫ることを口にするよね」
「我は元々神を持たぬ部族出身ゆえ、よくはわからんが……思うところはあるな」
無邪気にはしゃぐ少女たちをよそに、大の男三人は無言になって教会の扉を開いた。





