207話 「魔剣の啼泣」
「少し聞きたいんだが」
「はい、なんでしょうか……」
エルマが話しかけたウェイターは、どことなく重い表情をしていた。
「実は、この部屋の客と待ち合わせをしているんだ」
「こちらのお客様と?」
ウェイターはいぶかしげな表情を浮かべる。
――さすがに露骨すぎるか。
こういうときほかの魔王ならどんな手を使っただろうか。
「本当だ。なんなら受付に確認してくるといい」
「はあ……、わかりました。少々お待ちください」
――よし。
今回は運が良かった。
このレストランは高級店らしいが、芸術都市ヴァージリアと比べるとまだ『お偉方』の扱いになれていないらしい。自分の不器用さに呆れながらも、エルマはいったん安堵の息を吐く。
このとき実際は中の客に対するウェイターの心象の良しあしが彼の行動に大きな影響をもたらしていたが、エルマには当然わからなかった。
――念のため荒事の用意はしておくか。
ウェイターが自分のほうを何度か振り返りながら広間のほうに歩いて行くのを見つつ、エルマは片手で魔剣クリシューラの柄の位置をたしかめる。
やがてウェイターが完全に視界から外れたところで、エルマは静かに個室の扉へ手をかけた。
◆◆◆
キィ、と小さな音を立てて扉が奥へ開く。
中から香ばしい匂いが漂ってきて鼻をつついた。
「……誰もいない」
しかしエルマがわずかに顔を出して中を覗きこんでもそこに人の姿はなかった。
すぐに扉の裏もたしかめるが、やはりもぬけの殻だ。
――術式か?
警戒心を高めたまま部屋の中へ踏み込む。
中途半端に切り分けられた皿上の肉。
無造作に置かれた銀食器。
――食事を終えたという感じではないな。
自分たちで意図して姿を消したというより、不可抗力的にこの場から消された、という感じだ。
「これは……」
そんな中、エルマは個室の床にちらばった細かな黒い土を見つけた。
指ですくって感触を確かめる。
「……」
これを見つける前にアイズとシラディスから『メレア』という単語を聞いていなければこんな予想は思い浮かべなかったかもしれない。
しかしあの白髪の青年の顔を思い出すと、どうにもその黒い土が彼の使うとある術式の残滓のように思えた。
――〈死神〉ネクロア=ベルゼルート。
ここのところ、あの芸術都市で出会った不気味な男の名前がたびたび脳裏をよぎる。
やつのせいでいろいろなものが〈死霊術式〉がらみのものに思えてしまう。
――考えすぎだろうか。
ひとまずそこで思考を切って、エルマは部屋を出ることにした。
◆◆◆
エルマはウェイターが戻ってくる前に広間へ戻り、そのまま二人を連れてうまく店を出た。
アイズとシラディスもエルマの急な行動に驚くでもなく、食事を途中で切り上げて大人しくそれに従う。
人の多い街道へ出てから、ようやくアイズがエルマに訊ねた。
「どう、だった?」
エルマがその問いに困ったように頭をかいた。
「もぬけの殻だったよ」
「やっぱり……」
「だが、あの個室にいた者たちがアイズやシラディスの存在に気づいた、という感じではなかった。テーブルの様子からして中には二人いたはずだが、そのどちらもがまるで食事中に意図せずどこかへ飛ばされた、という感じだ」
「術式?」
今度はシラディスが周りの人の目をきょろきょろと気にしながら訊ねる。
「だろうな。部屋の入口は一つしかなかったし、ウェイターの様子からしても中にいた客が目に見える形で外に出たとは思えない」
そうでなければ自分の問いに対してあんな答え方はしなかっただろう。
「あれが術式によるものでなかったら、逆に状況の説明がつかない」
エルマは顎に手をおいて思案気にうなる。
「わからないものは、しかた、ないよ。わかることから、地道にたどって、いかなきゃ。あ、でも、情報の共有は、しておいたほうが、いいかも、ね?」
アイズがエルマの腕をぽんと叩いて言った。
「うむ、そうだな。……というかアイズ、最近本当にたくましくなったなぁ」
「えっ!?」
エルマは改めてアイズをまじまじと見て言う。
対するアイズはびっくりしたように目を丸くした。
「マリーザやシャウ、サルマーンなんかは最初から頭が回るという感じだったが、最近はアイズもやつらに負けず劣らずという感じがする」
「で、でも、わたしはみんなみたいに、一人じゃ身を守れないし……」
「そんなものは体を動かすしか能がないやつに任せればいいんだ。むしろ今は、アイズのようにメレアなしでも行動の指針を示せるようなやつが重要だと私は思うぞ」
アイズはけっして率先して自己主張するようなタイプではない。
だが、求められればはっきりとした意見を言う。
ほかに派手な者がいる手前あまり目立つことはないが、なんだかんだと頭も切れるしいつだって冷静だ。
芸術都市ヴァージリアでの一件では、そういった彼女の能力をこれでもかと見せつけられた。
「アイズみたいなやつがいると、メレアがいないときでもちゃんとできることが増えるな」
「い、いや、わたしは、そんな……」
あたふたとするアイズの隣ではシラディスが力強くうなずいている。
なんだかその二人の姿がおもしろくてエルマは笑ってしまった。
「あ、すまん」
と、そんなとき。
よそ見をしていたエルマの肩が通行人と接触する。
そのひょうしにローブの下の魔剣の鞘が、同じく通行人がローブの下に佩いていた『なにか』にぶつかった。
「――」
キィン、と。
魔剣が妙に高い声で啼いた気がした。
「いえ、気にしないで」
通行人はエルマの謝罪に振り向いて丁寧に言葉を返した。
目深にかぶったフード。
影のせいで顔はよく見えない。
しかしその隙間からのぞいていた黒髪に、エルマは心は強く引っ張られた。
「――」
その黒髪のあとにエルマの視線がたどりついたのは、一瞬ちらついた彼女の瞳。
自分と同じ色をしていた。
「なにか?」
エルマはなぜか、その通行人から目を離せなかった。
「あ、い、いや」
ハっと気づいてはぐらかす。
通行人は首をかしげていた。
「なんでもない。とにかく、申し訳なかった」
エルマはそう言って踵を返す。
さっきから心臓の鼓動が大きい。
「エルマ……?」
歩き出すとすぐにアイズが隣へやってきて心配そうにエルマを見上げた。
「いや、本当になんでもない」
どう見てもそうは見えない。
アイズとシラディスは顔を見合わせ、さきほどまでよりも少し位置を近づけてエルマのあとを追った。
◆◆◆
「ああ、あれが……」
エルマたちがその場を去ったあと、通行人もまた何歩か歩いて――再び後ろを振り向いた。
片手でフードを外し、サイサリスの風にその黒い髪をなびかせる。
どことなく、その凛とした表情はエルマに似ていた。
「――〈エルマ・エルイーザ〉」
彼女はローブの前留めを外して、腰に佩いていた剣の柄に手を添える。
エルマの持つ〈魔剣クリシューラ〉とひどく似ている剣だった。
「いつの時代も戦争ね」
つぶやきながら見上げた空。
無数の星がきらきらとまたたいている。
「――気を引き締めなさい、エルマ。この街には『あの時代』と同じ風が吹いている」
直後、彼女は通りにいたすべての人間の意識の外側に消えた。
まるではじめからそこにいなかったかのように、音もなく。
されど彼女が踏みしめた通りの石畳には、なにか鋭いものでえぐられたかのような傷痕が、その存在を声高に証言するように、ぽつりぽつりと刻まれていた――





