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百魔の主  作者: 葵大和
第十四幕 【世界が動き出す日】
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181話 「術王」

 それは絶対に完成するはずのない術式だった。

 〈クロウリー=クラウンの矛盾術式〉。

 たとえどんな術式理論をそこに追加したとて、必ずどこかで回路同士が干渉して術素の通り道を阻害する。

 (もと)となっている図象式と言語式の関係上、どうしてもそうなってしまうのだ。

 もし図象式を無理やりに曲げようとすれば、そもそもの式の効力が失われ、術式は完成しない。

 あちらを立てればこちらが立たず。

 学者たちのジレンマをくすぐるばかりの術式。 


 理論としては優れていた。

 このクロウリー=クラウンの術式理論を応用することで、数々の優秀な術式体系が生まれた。


 ――が。

 この世にたった一人、その術式が抱える矛盾を特別な能力によって乗り越えられてしまう者がいた。

 名を〈サーヴィス=エル=フロンティア〉。


 〈術王〉の名を継ぐ若き魔王である。


◆◆◆


 サーヴィスの父、始祖〈術王〉マウラス=エル=フロンティアは〈転換期〉よりあとになって生まれた魔王だった。

 そのため、〈術王〉の号は生まれとしてはかなり新しい。

 号の制定がなされたのは国家間の戦争が盛んになりだし、各国家で術式理論が貴重な取引材料にされはじめたころである。


 マウラスは著名な術式学者であった。

 古今東西の術式理論に精通し、その応用、さらには新たな術式理論の創出まで、およそ数千に渡る術式をその頭の中に貯蔵していたという。

 

 マウラスはそういう意味で天才であった。

 しかし一方で――マウラスは凡才でもあった。

 マウラスには己で術式を行使する力がなかったのだ。


 『非術素保持者』。

 マウラスは生まれつき身体のうちに術素を宿していなかった。

 人間の生まれ持つ術素はそのほとんどが『魔力』である。

 西大陸北西の孤島に住む原住民が、地中に存在する魔力とはまったく別の術素――『地力』を使うことや、北大陸の超巨大山脈〈ベルヌーイ〉の頂上部に生息する〈天鳥(パラミア)〉と呼ばれる鳥類が天空に存在する『天力』術素を使うことは知られているが、普通の人間にはまだどちらも手の届きづらい代物である。


 あるいはマウラスが術式を行使することに関してもっと熱心であったのならばそういう自然中の術素を使って己の術式を行使しようとしたかもしれないが、マウラスはそこまで術式の行使に熱心ではなかった。

 マウラスの望みは世界の深遠とも言える術式を理論的にどこまでも追及することにあったのだ。


 『私は術式という世界の一表現を通じて真理が知りたいだけだ』


 彼のことを記した伝記にはそんな願望が書かれている。

 だが、世界の住人はそんなマウラスを放ってはおかなかった。


 マウラスは最初、隠棲していた地を領土としていた国家に声をかけられた。

 『その頭脳を国家のために役立てたい』

 マウラスの術式に関する知識は山ほどの金塊に匹敵する。

 マウラスの持つ術式の知識を利用すれば、国家の軍事力を高めるのみならず、取引によって多くの資金を集めることができる。

 しかしマウラスは――

 その国家の誘い(めいれい)を断り隣の国へ逃げた。

 ただ静かに真理を探究したい。その望みのために。


 だが、どこへ逃げてもマウラスに平穏はなかった。

 時代が、あるいはそれに準ずる世界が、マウラスを一人にしない。

 幾度にも及ぶの逃避の果てで、何人目かもわからないとある国家の使者が言った。


『これ以上逃げるのであればあなたを〈魔王〉として認定する。他国へ逃げられるのは厄介だ。もしあなたが次に逃げた国家で折れて、その国に術式の理論を(さず)けたとする。次の年には我が国は滅亡する』

『それは脅迫か』

『いや、お願いだ』


 無論、脅迫だった。

 ただ単に魔王として認定されるのであれば、まだマウラスにはやりようがあった。

 自分は〈悪徳の魔王〉の血を継いでいるわけでもないし、〈転換期〉の英雄たちのように名前が売れているわけでもない。

 今の時代の大衆は〈魔王〉という名前に漠然とした恐怖を抱いてはいるが、そこに具体的な『行い』や『力の証明』が伴わなければ、そう急いで存在を迫害しようとはしないだろう。

 〈悪徳の魔王〉は『行い』によって。

 〈転換期〉の英雄たちは悪徳の魔王をも上回る『力の証明』によって。

 人に畏怖と不安を抱かせる。


『大衆を甘くみない方がいい』

『どういう意味だ』

『彼らは思っている以上に物事を信じやすい。根拠などなくとも、多数派が口をそろえて〈術王〉はこの国を裏切ろうとしていると言えば、彼らはそれを信じる』

『……』

『そして人の意志は伝染する。大衆の意志は無尽蔵に大きくなる。誰かがそれを虚構だと言い張ったとて、もはや止まらぬよ。そういうものだ』

『合理的ではないな』

『合理で世が回るものか。これだけの長い時を生きていながら、今でもなお戦争などという非生産的な行いを繰り返す生き物が、合理的なわけないではないか』

『……戦争がなければ、私は平穏に生きられただろうか』

『どうかな、人は元来争うものだ。あなたの言う戦争がどういった領域のものを指しているかは定かではないが、もし物理的な狭義の戦争を指すのだとして、たとえそれがなくなったとて、人はまたどこかで争いを起こすよ』

『やはり非合理だ。世界の式はこんなにも合理的で美しいのに、そこに住まう人間が非合理で醜すぎる』


 そうしてマウラスは最後の逃避を心に決めた。

 この美しい世界で、非合理な波に呑まれて死なないために――


 自分で命を絶つことにした。


 真理はもう追えそうにない。

 であれば、せめて真理の中で真理のために死にたい。

 理想を叶えることを捨てた狂気の天才には、もう生きる理由がなかった。


◆◆◆


 サーヴィス=エル=フロンティアが生まれたのはマウラスが死ぬわずか一年前だった。

 『人間の式』を研究したいと思ったマウラスが、愛からではなく己の研究のために孕ませた子である。

 マウラスは常時揺れ動き形を変える人間の式を当初は興味深く思ったが、


 『これは世界の式ではない。まったく別のなにかだ』


 〈感情変数式〉と命名した生物に独特の変数式を研究している途中、そう言ってすべてを投げ出してしまった。

 

 一方で、そんなマウラスには術式を研究し、そのたびに術式に触れることで後天的に身に着いた能力があった。

 それは、術素を必要としない生態的な能力である。いわば〈魔眼〉等と同じ種類の力だ。


 〈術王の五指(ごし)〉。


 〈術神〉フランダー=クロウ=ムーゼッグが式を見通す〈魔眼〉に目覚めたのと同様に、マウラスには術式に干渉する特別な指が宿った。


 親指は触れた事象の術式を『読み取る』。

 人差し指は触れた術式の構成式を『効力をそのままに曲げる』。

 中指は触れた術式の構成式を『数秒の間生きたまま切る』ことができ。

 薬指はそうして切った式を再度『繋げる』力があった。

 小指に宿った力をマウラスはほとんど使うことがなかったが、一説には触れた術式を『固定する』力があるという。


 マウラスはこの五指を術式の研究のために使った。


 そしてマウラスの落とし子である〈サーヴィス=エル=フロンティア〉は先天的にこの能力を継いでいる。

 サーヴィスは父を知らない。

 父がどんな美学に基づいて術式に触れていたのかも知らないし、そもそも母を捨てた父のことなどどうでもいいと思っていた。


 しかしそんな思いとは裏腹に、サーヴィスは父の才能を色濃く受け継いでいる。

 さらには優秀な術師であった母の血も受け継いだ。

 あるいは術式に関してならば、かの〈セリアス=ブラッド=ムーゼッグ〉以上に才能に恵まれた少年かもしれない。


 そんなサーヴィスは、その日自分の敬愛する同じ〈魔王〉の前で、今の世界情勢をひっくり返しかねない行動を起こした。


 〈術王の五指〉を使い、〈クロウリー=クラウンの矛盾術式〉の矛盾部分を強引に乗り越えることで、『本来実現するはずのない術式』を――実現させようとした。


 そしてそのことにただ一人、その場にいたリリウムだけは気づいていて、彼女は大声をあげた。

 その術式が『完成』してしまったときに起こる出来事の数々を、彼女はその優秀な頭脳で鮮明に想像する。


 術式の発動による周辺一帯の爆発消滅。

 神の術式とまで呼べるであろう超効率的術式理論の完成。

 その使用の鍵となる〈術王(サーヴィス)〉の奪い合い。


 おそらくこの術式の完成がどこかに漏れたとき、三つの国が滅び、数十万の軍人が死ぬ。

 そんな未来をリリウムはまったく疑わなかった。

 

◆◆◆


「あっ」


 リリウムの怒号の直後、サーヴィスは繋いだ術式を反射的に〈術王の中指〉で切り落とした。

 次いでおそるおそるリリウムの顔を見上げる。


「あ、ごめんごめん。つい大声あげちゃったわ」


 サーヴィスがリリウムの顔を見たとき、すでにそこにはいつもどおりのリリウムの顔があった。

 少し気だるそうで、それでもやっぱり気が強そうで、それでいてとても理知的な、姉の顔。


「気にしないで? ――さ、約束どおり〈パラディオンの狂書〉は借りてくわね」


 いまだに驚きで固まっているギルバートとベナレスを置いて、リリウムは机上の狂書に手を伸ばした。

 本をしっかりと両腕で抱いて、少し嬉しそうに微笑む。


「これであのバカの不安が少しでも薄れるといいけど」


 名は出さない。

 けれどそれがメレアを指すことにサーヴィスは気づいていた。

 恋人を気遣う少女のような微笑ましい表情は、彼女がその人物を思うときにだけ見せる特別な表情である。


「じゃ、これで失礼するわね。ベナレス、あんたにもお礼を言うわ。案内してくれてありがとう」

「あ、いえ」

「また機会があったらお話しましょ。次はあたしの友人たちも紹介するわ。――サーヴィス、帰るわよ」

「あっ、はい!」


 そうしてリリウムは黒髪を翻して講義室を去って行った。

 

 部屋の中には唖然としたままの二人が残る。

 二人が顔を見合わせて大きなため息をつくのは、それから十数秒経ったあとのこと。


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