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百魔の主  作者: 葵大和
第十四幕 【世界が動き出す日】
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179話 「片翼の梟」

「……ない」

「え?」


 リリウムがベナレスについていくこと数十秒。

 迷いのない足取りで蔵書室の奥へと歩を進めていたベナレスが、立ち止まると同時に言った。


「〈パラディオンの狂書〉が、誰かに借りられている」


 ベナレスの顔には驚きと不信感が入り混じった表情があった。


「タイミングが悪かったかしら」

「ちょっと待ってください」


 リリウムが平静さを装って腕を組みながら言うと、ベナレスが本棚の横に紐でつりさげられていた『貸借ノート』を手に取り、ぱらぱらとページをめくっていく。


「ギルバート?」


 数枚のページをめくり終えたところで、ベナレスがぴたりと指を止めた。目にかかる長い白緑の前髪を耳に掛け直し、開いたページに書かれている無数の本の名と人の名前を見て小さく口を開ける。


「知ってるの? 狂書を借りた人」

「ええ、僕の友人です。……よかった、この時間ならまだギルバートは学園内にいる。直接話しに行ってみましょう」


 ベナレスは貸借ノートを本棚の壁に掛け直し、蔵書室の出入り口を指差した。

 そうして踏み出した一歩。


「彼ならきっと快く貸してくれます」


 その一歩が、自分を取り巻く環境を激変させる最初の一歩であったことを、のちにベナレスは幾度も思い出すことになる。


◆◆◆


 ――なんとなく、嫌な予感がするわね。


 それはリリウムの、現況に対する至極直感的な印象だった。

 なんだかんだと数々の修羅場を潜り抜けてきたリリウムには、メレアやエルマたちほどではないにしろ、きな臭さに対して妙に鼻が利くときがある。

 

 ――重なるときは重なるものだけど。


 自分たちの求めるものが、鼻先一寸で身をかわしながら離れていっている。

 こういうのは、あまり良くない。

 時勢が悪いだとか、運が悪いだとか、そうとしか言いようのない不合理な不運は(こと)のほか連続するものだが、大抵そういうときは最後の最後にヤバい出来事がやってくる。


「サーヴィス、少し気を引き締めときなさい」

「え?」

「いいから」


 サーヴィスはまだなにも感じ取っていないらしい。――まあ、無理もない。

 今自分が感じている嫌な予感は、大体の人間にとって杞憂と称されるようなものだ。

 良くも悪くも頭が良くて、かつ適度な客観視点を持っているこの少年は、かえって迷信めいた感覚を信じきれないのかもしれない。

 意外とメレアの方がこういう感覚的なものに信頼を置く。

 あの男は理性と感覚の両方でえらく明敏だ。


 ――ともあれ、あたしが守らないと。


 リリウムは胸のうちに二つの『命の力』を感じながら思う。

 〈水帝〉ミール=ミュールの自分を励ますような姿が脳裏をよぎった気がした。


「いた」


 と、リリウムが一人静かに決意を固めたところで、前を歩くベナレスが声をあげた。

 気づけばそこは〈青薔薇の学園(ミース=アイオース)〉のとある講義室の前。

 扇状に広がった広大な教室の中は、シックな装いと最新の術式工学によって生み出された便利な小物で彩られている。

 まだ昼間なので天井から吊り下げられた術式照明は点灯していないが、夜の講義室もさぞ美しいに違いない。

 伝統と革新の融合。

 まるでこの街の学生たちが追うに追えない理想を、せめてこの学園の教室の中だけでも再現させようとしているかのようだった。


「ギルバート!」


 ベナレスは教室に入ると窓辺の席へ足早に向かった。

 その視線の先には髪をきっちりと七三に分けた怜悧な目つきの青年が一人。

 黒縁の眼鏡の奥から氷のような冷たさを連想させる視線をベナレスに送っていた。


「珍しいな、ベナレス。君の方から僕のところへ来るなんて」


 その青年はベナレスの来訪に気づくとなにげなく言った。

 手元の本は開いたままで、姿勢はぴくりとも動いていない。


「君に頼みがあってきたんだ」

「ほう」


 ベナレスはリリウムを連れてギルバートの座っている席の隣にまでやってくると、ギルバートが手元で開いていた本にちらりと視線をやりながら言った。


 『パラディオンの狂書』。


 ベナレスの予想はそこで現実となる。


「そのパラディオンの狂書を貸してくれないかい」


 リリウムはベナレスの後ろで、黒縁の眼鏡の奥にあるギルバートの目の中に鋭い光が走ったのを捉えていた。


◆◆◆


「ふむ、簡単にはうなずけない願いだ」


 黒縁眼鏡の青年――ギルバートは言った。


「どうしてだい? 少しの間貸してくれればすぐに返すよ」

「僕は今、この本を読みたい。その少しの間というのも容認しかねるほどに」


 ベナレスはギルバートにそう言われてぐっと顎を引いた。

 現状、ベナレスの方からこれ以上ギルバートに言える言葉はない。

 蔵書室の本は公共物だ。

 先にギルバートが借りたのであれば、それを横からかすめ取る権利はベナレスにはない。


「――ただ」


 と、ベナレスが八方ふさがりで黙り込んでいると、再びギルバートが口を開いた。


「僕を楽しませてくれるのであれば、考えなくもない」


 ベナレスは率直にそのギルバートの言葉を珍しいと思った。

 言葉の上ではよく辛辣になることのあるギルバートだが、こと今回にかぎってはより真に迫る感じがある。

 いつもは柔らかい棘が、今だけは本当に鋭く硬い棘に感じられた。

 だがその棘がいったいどんな精神状態ゆえに発せられたものなのかはベナレスにも皆目見当がつかない。


「本を借りたいのは君じゃないだろう?」


 するとギルバートはベナレスから視線を外して、後ろに立っていたリリウムを見た。


「……うん、そのとおりだ」

「君はあくまで『案内人』。そんな君がこれ以上できることはない。本を借りたいのは君の後ろにいる黒い髪の令嬢だ。だから僕はそこの令嬢と少しばかりゲームをする」


 言われ、リリウムはついに一歩前へ出た。


「はじめまして、ギルバートさん。わたくし最近〈青薔薇(ミース)〉に転入してきたリリウムと申します」


 片足を引き、軽く膝を曲げる。

 はいていたスカートの裾をつまみ、わずかに頭を垂れた。

 それは非の打ちどころのない華麗な一礼。

 令嬢との形容に引けを取らない挨拶だった。


「はじめまして、リリウム嬢。君がこの珍妙な本を借りたいという物好きか」

「ええ、そのとおりです。一度でいいから読んで見たかったんです。実を言うとわたくしの父がパラディオンの熱心なファンでして」


 リリウムはすらすらと口から出まかせを述べる。

 

「そうかい。なら、僕とゲームをしよう。〈青薔薇の学園(ミース=アイオース)〉らしく、実に学術的で、実に議論的で、そして実に心躍るゲームだ。それに勝てたらこの本を君に貸してもいい」

「もちろん、喜んで。わたくしの一方的な提案をご考慮していただいて感激の至りですわ」


 リリウムが再び一礼をし、ギルバートの前の席に座った。


「それで、どのようなゲームを?」


◆◆◆


「名前を訊ねるときは自分から先に名乗るのが礼儀だろう?」

小癪(こしゃく)なことを言うな、人間。勝手に他者の縄張りに踏み込んでおいて口だけは達者なことだな』


 メレアはカルトを自分の後ろに隠すように置き、改めて(ふくろう)の方を振り返って言った。

 対する梟はメレアの言葉を受けてわずかに表情を歪める。

 かつて〈天竜〉クルティスタと長い間会話をしていたせいか、メレアは人間以外の生物の表情を見極めるのが得意だった。


「ここはあなたの縄張りなのか」

『否、ここは『私たち』の縄張りだ』


 直後、周辺の茂みや木陰の奥から、さまざまな種類の動物たちが姿を現す。

 鹿、狼、蛇、栗鼠に鳥。

 本来天敵同士である動物たちが、お互いを襲うでもなく、ただわずかばかりの敵意をもってメレアたちをじっと見ていた。


『この森に踏み込んでいい人間は二人しかいない』

「……」

『それ以外の人間はすべて敵だ』


 そう言って梟はメレアたちを威圧するように大きく翼を広げた。

 そしてメレアは気づく。

 その梟の翼が『片方しかない』ことに。


 ――片翼の、梟。


『去れ、人間。貴様たちは私たちに残された最後の聖域までもを血で濡らすつもりか』

「違う、俺たちは争いに来たわけじゃない」


 メレアは赤い瞳で梟を真っ向から見据える。


「俺たちはこの森にいるという『主』から話を聞きたくてやってきた」

『かつて同じことを言って踏み込んできた人間は、私たちが取引に(しぶ)るとみな暴力に任せて襲ってきた。誰もかれもが〈識者の森〉の主から情報を引き出そうとして――』


 一拍。

 猛禽の瞳孔が攻撃色に染まったのをメレアは捉える。

 さらに直後、メレアは聞き覚えのある轟音を聞いた。


『――そして、誰もかれもが逃げ帰った』


 梟がすべての言葉を言い切った直後、ないはずの翼が空気を打って音を鳴らした。

 メレアの目は数瞬の後に音を鳴らしたものの正体を捉える。


『〈風神の双翼〉』


 それは一瞬のうちに展開され顕現(けんげん)した――

 二枚の巨大な『風の翼』だった。



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