114話 「白神であるがゆえの」
〈ザラス=ミナイラス〉は、弟と白い髪の怪物の戦闘風景を見て、驚嘆と疑問を得ていた。
弟――アルター=ミナイラスは、教化活動に重要な魔王の護衛として、サイサリスにその力を買われるくらいには武勇に優れている。
普段は姉の自分にべったりの、年相応――いや、逆の意味で年不相応の気弱な男だが、殊、武の才覚に関しては、手練れと呼ばれるような武芸者にも劣らないものを持っていると心内で思っていた。
さらに言えば、アルターの持っている術機銃は、かなり精巧に作られた出来のいい戦術器である。
近頃の術機産業の発達が背景にはあれど、あれほど小型で、かつ十分な術式性の攻撃機構を有する術機はまだ多くはあるまい。
その術機銃が『自分の能力』と噛み合っていたことも踏まえて、大枚をはたいて購入したものだ。
――普通じゃねえあたしたちが身を守るためには、金が必要だからな。
だのに。
なんだ、あの怪物は。
そんなこちらの努力や準備などささやかなものだと言わんばかりに、その身ひとつでアルターを圧倒している。
――まともじゃねえな。
たぶん、あれを見た人物がほかにもいるなら、同じ言葉を頭の中に浮かべたはずだ。
――んだが、引っかかる。
しかしザラスには、そういった驚嘆とは別の、ある疑問が脳裏に浮かんでいた。
今、アルターが腕に白い雷を通されて、術機銃を取り落とした。
これはもう勝負があった。今のはそういう攻防だ。
――めんどくせえけど。
別に、自分はここで死んでもいいが、アルターを残していくのは少し不安だ。
――しかたねえか。
やっぱりまだ、死ねない。
もしかしたら自分の抱いた疑問の中に、この場をうまく収める鍵があるかもしれない。
サイサリスに命令されているのはあくまで〈魅魔〉の護衛だ。
ここで負けたとて、ジュリアナさえ渡さなければとかくは言われまい。
――弱い立場に生まれると、なにかと面倒だよな。
ザラス=ミナイラスは心の中で嘆息して、それから、胸の内に抱いていたある疑問を口にした。
その女ながらにしゃがれた声は、絶妙に心地よい揺らぎをたたえて、見えない弾丸のように、怪物――メレア=メアへと撃ちこまれた。
「お前、なんで本気でアルターを攻撃しないんだ?」
◆◆◆
メレアはちょうどアルターの腕に調整した白雷を通して、その腕をしびれさせ、武器である術機銃取り落とさせたところだった。
驚愕の表情を浮かべて振り返るアルターへ、次はどうしたものかと視線を向けようとしたところで、不意にアルターとは逆方向から声が掛かったことに気づく。
その一連の言葉は、メレアがどうにかかき消そうとしていた己の中の『嫌な予感』を、再度思い出させた。
「……」
メレアは姉弟の姉の方から飛んできた言葉に、とっさに言葉を返せなかった。
そのわずかな停止の間に、アルターが数度の飛びのきで距離を取る。
メレアはそれを追わなかった。
代わり、視界の右端と左端にアルターとその姉の姿を捉えた状態で、今度こそ声をあげた。
「別に、必要がないからだ」
嘘だった。
メレアは彼らが自分の中のある予感に関係していなければ、もっと手痛く攻撃しただろう。
現状、少なくとも自分たちという異分子の存在は、ヴァージリアに潜伏しているサイサリスに知られたと言ってもよい。そして、向こうはジュリアナに近づこうとする自分たちに対し、明確な敵対行動を取ってきた。
それをメレアもわかっていたから、本気とまでは言わずとも、のちのちの憂慮――自分だけでなく仲間たちに対する憂慮――を残さないために、もっと端的な痛手をアルターというサイサリスの武器に与えたかもしれない。
だが、実際のところ、メレアはそれを行えずにいた。
すべては胸の中の予感が原因だった。
「嘘だな。だって、邪魔だろ? お前らもあの〈魅魔〉を奪いにきたんだろ? ならあたしたちは邪魔じゃねえか。そんだけの力を持ってて、あえてここに留まる意味なんてないだろ」
そのとおりだった。
メレアの中に『ジュリアナの方はすでに別の仲間に追わせている』という言葉がとっさに浮かぶ。思わずそのまま、口に出てしまいそうだった。
だが、いくらこの女に痛いところを突かれたとて、さすがにそこまで衝動的にはならない。
それに――無論、それは言い訳だった。
「引っかかるんだよ、お前。なんだかな、お前だけ――この世界の人間じゃねえみたいだ。いや、それは言いすぎか。『この時代の』人間じゃねえみたいだ。そんだけ強いなら何かしら戦いに携わってる人間だろ。なのに、お前からは戦乱の時代って言われる今の時代独特の、こう、意地汚い欲みたいなもんが見えねえ。たまたまかもしれねえが、なんか違和感あるんだ、お前」
メレアはその言葉を受けて、むしろその女の感性に驚いた。
あの鮮黄色の左眼には、なにか別のものが見えているのかもしれない。
「欲はいくらでもあるとも。俺は聖人でもなければ、旧派サイサリス教の信者のような清貧な男でもない」
「ハッ、悪くない例えだ。こっちにいる新派の連中に聞かせてやりたいね」
その女の答えを聞いて、メレアは確信する。
――こいつらは新派サイサリスの信者じゃない。
さきほど彼女たち自身が言ったとおり、外部の人間だ。おそらく取引によってジュリアナの護衛を請け負っているか、あるいは――
「――訊こう」
メレアはそこまで考えて、ついに意を決した。
「ん?」
半分聞きたくて、半分訊きたくない。
しかし、それを自分の、至極刹那的な欲求のために曲げてしまえば、最初に掲げた自分の信念を、偽ることになる。
だから、メレアは女に訊いた。
「お前は――」
絞り出すような声で。
「……〈魔王〉か」
メレアの予感は、そのとき複雑な二面性をたたえていた。
◆◆◆
メレアの問いに対する反応は、女――ザラス=ミナイラスではなく、その弟のアルター=ミナイラスの方から先に返ってきていた。
アルターはメレアの言葉を耳にしてすぐに、カっとなったように身を跳ねあげて大声を放った。
「ッ!! お前も姉ちゃんを奪いにきたのかッ!!」
メレアには、もうその答えだけで十分だった。
「……やっぱりか」
メレアの予感は、考えてみれば妥当な予感であった。
こうしてジュリアナという〈魅魔〉を『活用』する新派サイサリスの連中は、もしかしたらほかにも魔王を活用しているかもしれない。
これは、ムーゼッグとは違うやり方だ。
――ムーゼッグは『奪う』。
のちのちの憂いにしないために。
――〈セリアス=ブラッド=ムーゼッグ〉がいるから。
あの天才がいなければ、ムーゼッグもこのサイサリスと同じことをしたかもしれない。
しかしセリアスは、たやすく魔王の能力を一身に集約する。
だから、一度敵対的な関わり合いを持って、反逆の芽となったものは、狩ることにしたのだ。能力さえ奪ってしまえば、用済みというわけである。
そこまでやるかと言いたいところでもあるが、一方でそこには合理性もあった。
だが、おそらく、サイサリスはそうではない。
今回のジュリアナの利用のことも兼ねて予測するに、サイサリスはそういう自勢力への力の『移転』を行わず、現所持者の行動に制限を加えることで、魔王の力を『そのまま活用』することにしたのだ。
もしかしたら、彼らに反逆を許さない特別な力を持っているのかもしれない。さすがにそこまでは考えが及ばない。
しかし、この時代の魔王の立場を考えるに、
――同じこと。
自分がやっていることと、同じこと。
――安全な居場所を与えてやるといえば、彼らはうなずくかもしれない。
サイサリスはそれを、より早い段階で実行に移していた可能性がある。
――どこからがどこまでが、サイサリスの計画通りなのだろうか。
メレアは姉弟の後背に、ムーゼッグとはまた別の、巨大な影を見た気がした。
◆◆◆
星樹城ではじめてシャウからサイサリスの話を聞いたとき、漠然と予想をした。
二人して『都合のいい考え』だとしながらも、その予想を抱いた。
サイサリス教国を創設した人間は、今の時代の到来を予測していた可能性がある。
英雄が、魔王になった。
――否、された。
サイサリスを建国した人間は、もしかしたら転換期当時の英雄の一人で、自分の身を守るためにサイサリス教国という大きな城塞を築いたのかもしれない。
今もって、都合の良い考えだとは思う。
だが、そう考える時代的背景も、ないわけではなかった。
その延長線上。
そうやって作った城塞に、『ほかの英雄』を集めようとした――ということも考えられなくはない。
もしくは、
――そのときからすでに、ほかの英雄や魔王を利用する気でいたのだろうか。
そこまでは今のメレアにもさすがにわからなかった。
サイサリス教国を創設した人間に聞けるなら、その最初の理念を聞きたい。
あるいは、今のサイサリス教皇に話を聞けるなら、今の真意を聞きたい。
しかし、メレアはまだサイサリスの喉元にすらたどり着いていない。
現状で判断できるのは、〈魅魔〉ジュリアナ=ヴェ=ローナは不本意ながらも、サイサリスと条件を交換する形で、その力を使っているということ。あるいは、使わされているということ。
そして、目の前の二人――それかどちらか一方が魔王で、彼らもまた、不本意ながらサイサリスに協力しているということ。
最後に。
彼らがそういう〈魔王〉であるかぎり――
◆◆◆
自分は本気で手が出せないということ。
◆◆◆
メレアの最大の弱点は、その魔王に対して包括的すぎる『救済心』にこそあった。





