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百魔の主  作者: 葵大和
第九幕 【魔王歌劇の幕が上がる】
101/267

101話 「魔神と魅魔は、名を知らない」

「つかぬことをお訊きしますが、あなたには命をかけるほどの信念がございますか?」

「急に大きな話題だね」

「もちろん、くわしい部分にまで触れなくても大丈夫です。ただ、そういうものをお持ちなのかどうか、それが気になったのです。くわしく知ってしまうと、この距離が壊れてしまいますからね」


 彼女はくすりと笑った。本当に楽しげな表情だ。

 彼女のいうこの『距離間』を、彼女自身が一番楽しんでいるようだった。


 メレアは彼女の言葉を受けて、座ったまま軽く空を見上げる。

 昼間の透き通るような陽光が、視界の端から差しこんできた。

 メレアはそうやって少し間を取ったあと、短く答えた。


「――あるよ」

「おお」


 彼女がまた楽しげに笑った。

 今度はどこかわくわくとしているふうだ。

 下で見たときの麗人風の様相はなりを潜め、今は無垢な少女のような顔が表に現れている。


「格好いいですね」

「そんなたいそうなものじゃないさ。それに俺の場合、周りを巻き込んでしまっているから。――あまり手放しに褒められたようなものじゃないんだ」


 メレアもいつの間にか、なにも知らない彼女に胸中を吐露しようとしていた。

 たしかにこの距離感は、普段仲間たちには言いづらい胸中を吐き出すのにちょうどよい距離だった。


「その巻き込まれた方々は、嫌々あなたについてきているのですか? あなたの信念に沿うように」


 と、彼女が一転して真面目な表情でメレアに訊ねた。

 その食い入るような水色の視線に、メレアは思わずたじたじとする。

 メレアは彼女の言葉をゆっくりと咀嚼して、それから自嘲気味な笑みを浮かべて答えた。


「……いや、彼らは彼らで――たぶん、彼らの信念のために俺についてきているんだ」

「なら、よいのです。それならば、あなたは誰かを巻き込んだということを自分の責められるべき責任のごとく語る必要はございません」


 やはりはっきりと物をいう。メレアは内心に思った。

 この独特の距離感があるとは言っても、相手は見ず知らずの男。こんな時計塔の上で、逃げ場すらないのに。


 メレアは彼女のたおやかでありながら強い芯のある内面に、むしろ気持ちよさを感じていた。

 冷涼としつつも、一方で熱っぽい、不思議な空気を彼女の周囲に感じる。


「こうして君にはっきり言われると、かえって近くにいる人に言われるよりも響いてくるなぁ」


 メレアは参ったとばかりに苦笑を浮かべ、片手で雪白の前髪を掻き上げた。

 そのあと後ろに両手をついて、大きく上体を逸らしながら空を仰ぎ見る。


「距離の近い方ですと、きっと自分を気遣っているのだろうと、そう思ってしまうことがありますからね」

「ああ、そうそう」


 メレアはまた困ったように眉尻を下げて、軽い笑みを口元に乗せながらうなずいた。


「それはそれで、すごくありがたいことではあるんだけどね」


 そう言って、もう一度うなずく。

 それから今度は、彼女の方を向いて訊ね返した。


「ちなみに、そういう君は? さっきの、命をかけるほどの信念があるか、って問いについてだけど」

「私、ですか?」


 彼女は眉をあげてかすかに驚いた表情を見せたあと、間に悩むような仕草をはさんで、それから答えた。


「――ええ、あります」

「ハハ、お互いに融通の利かなそうなところは似ているかもな」

「ふふ、そうですね。……でも私の場合は、つい最近そこに妥協を挟んでしまったので、あなたほど高潔な信念ではないかもしれません」

「妥協?」

「はい」


 彼女は視線を眼下に沈ませ、三角に立てた足の膝元に顔を半分うずめながら続けた。


「まだ、根本では命を懸けているつもりはあるのです。ですが、つい最近頭上に降りてきた不幸に、少し振り回されてしまっています。一番大事な信念は、まだ保っているつもりなのですが……一方でそこに不純物も混ぜてしまっている気がするのです」

「それは、どうしようもない不幸なの?」


 メレアは訊ねた。

 もし互いの名前を知っていたら、ここまで訊ねなかっただろう。

 しかし旅先で、この絶妙な距離感だからこそ、間髪入れずに訊ねてしまえることもあった。


「……どうでしょう。わかりません。でも、その不幸を取り除こうと頑張ったら、本当に死んでしまうかもしれません。私はさきほど信念に命を懸けていると言いましたが、少し矛盾しているのです。早くに死んでしまうことは、私の信念に背いてしまっています。だから、矛盾しているのです」

「なるほど。――気持ちはわからないでもないな」


 言われてみれば、というところではある。

 メレアも魔王たちを救い、そして魔王という言葉の意味を変えるということに関して、命を懸けているという自負がある。すでに、戦にも身を放り込ませた。


 しかし一方で、本当に死んでしまったら自分の信念は崩壊する。叶えられなくなる。

 周りの仲間たちにも不幸が波及するだろう。

 

 ――命を懸けていても、本当に死んではいけない。


 だから、矛盾している。

 より細かく見れば、うまい言い訳のしようも残っているのだろうが、おおざっぱに見ればそうなるのだ。

 

 ゆえに、彼女の言わんとするところも、少しわかった。


「あなたもなかなか厄介な信念をお持ちのようですね?」


 ふと、彼女がまた透き通るような無垢の笑みを浮かべて、メレアの顔を覗き込んでいた。

 三角に立てた足に頭を寝かせ、半分首をかしげたような体勢でメレアを見ている。

 近くで見ると、まるでベッドの上で寝転がりながら問いかけてきているような姿勢にも見えて、またメレアの心臓がどきりと跳ねた。

 彼女の姿は、とても蠱惑的だった。


「そうだね。……でもまあ、これを信念と偽らずに言い切れることには、うれしさみたいなものも感じるんだ。自分のことなのに、不思議な表現だけど」

「ああ、その気持ちもわかります。こう思える自分に、自分で褒め言葉をかけてあげたくなるんです」

「褒めないでへそを曲げられても困るからな」


 肩をすくめて言うと、彼女が膝元から顔をあげて快活に笑った。


「あはは、そうなんです、道半ばで衝動に枯れられてもらっては困りますからね」

「君も、不幸のために妥協を挟みつつも、まだそうやって信念を捨てずにいるのなら、やっぱりその道を進むべきなんだろう」

「それで、よいのでしょうか。私はその道を選んでしまっても――よいのでしょうか」


 彼女は次いで、儚げな表情を浮かべて空を見上げた。

 メレアもそれにならって空を見上げると、芸術都市の上空を飛ぶ黄色い羽毛の鳥が数羽映る。――風鳥だ。その足に紙束が巻きつけられているのをメレアは見定めた。


「捨てて泣くよりは、貫いて泣いた方がいいのかもしれない――とだけ。かもしれないっていうのは、俺もその道の結末を知らないからだけど」


 都市の中へ下りていく黄色い風鳥たちを見送りながら、メレアは言った。

 ――自分と同じだ。

 自分もこの道を貫いた結果、どういう思いを抱くのかまだ知らないのだ。

 もちろん、そもそも泣くつもりなどないが、まったく失敗しなかったときのことを考えないわけではない。

 そこまで馬鹿にはなれないし、そこまで強くはなれない。いつだって不安は心のどこかにうずくまっている。


「周りを巻き込んでも?」

「巻き込んでも」


 メレアは彼女の問いに答えた。


「ただし、責任はすべて自分がかぶる必要があるだろう。それがどんな責任になるのかはわからないけど。……そもそも、周りを巻き込まずに生きるなんて不可能だ。そんなに強い信念を持ってしまっているのなら、よけいにそうだ。これはこれで危険な物言いだってわかってるけど、周りばかりを気にしていたら身動きが取れなくなる。――難しいし、怖いよ。存在しないかもしれない中間点を探すのは」

「そうですね。絶妙にバランスを取れる点など、存在しないのかもしれません」

「でも、それを探すのをやめたら、すぐに天秤は楽な方に傾いてしまう気がする。それはそれで、怖いんだ。だから、その点を探すのを――諦めるつもりもない」

「あなたは強いのですね」


 彼女がまたまっすぐな目でメレアを見据えていた。

 メレアは首を振ってそれに答える。


「俺には、いざとなったら傾いた天秤をもとの位置に戻してくれる仲間がいるから。だから思い切った行動をとれるんだ」

「――うらやましいです」


 ふと、彼女の口から突いて出たように言葉があがった。

 彼女自身、それをとっさにつぶやいてしまったといわんばかりに、口元を手で押さえている。


「いえ、今のは忘れてください。今のはこの距離感の邪魔になるものです」

「……わかったよ」


 メレアは少しの間を入れて、微笑で答えた。

 もちろん、内心ではその言葉を忘れることなどできなかった。


「でも、参考になりました。今の状況がもう少しよくなったときには、私もそんな仲間を探してみようと思います」


 彼女は苦笑の混じった笑みで言う。


「なので今は、まず生きてみようと思います」


 不意に彼女の語中に紛れ込んだ言葉に、メレアの胸がすっとなった。

 今の言葉には、その言葉の短さとは比例しない、おそろしいまでの『危うさ』が混じっているように思えた。


 メレアはハっとして彼女を見る。

 彼女はメレアのその表情を見て、やってしまったと言わんばかりに目を見開かせていた。


「――大丈夫です。今はもう、大丈夫です」

「……本当に?」

「本当に」

「……」


 まず生きてみよう。

 その言葉があまりにすんなりと出てきたものだから、かえって信憑性が高い。

 

 彼女はたぶん、選択肢の一つに『死』を()っていた。


 それが間違いないかどうかを明確に確かめる(すべ)はない。

 いかにこの距離感をもってしても、彼女がそれについて断言することはないだろう。

 しかし、今のやりとりだけでも十分だった。


「……俺、まだ何日かはヴァージリアにいるから、またなにかあったらここに来て話をしよう」


 メレアは彼女を見てそう言っていた。それは、衝動的に出た言葉だった。


「え? でも――」

「この距離感のままでいいよ。互いに深く知りすぎなくていい。もし引け目を感じるのなら、俺にここから芸術都市のことを教えてくれ」


 いつかの霊山で、魔王たちを救おうととっさに言葉が出たときと、感覚的には同じだった。

 そしてあのときと同じく、メレアの中にその言葉を紡いだことに対する後悔は一つもない。


「そうだ、歌劇のことでもいい」


 メレアは人差し指を立てて閃いたように言った。

 彼女はそんな少し楽しげなメレアの様子を見て、一旦きょとんと目を丸めたあと――笑った。


「ふふ、なんだかとんだお人よしさんにつかまってしまったようですね」

「俺はお人よしなんかじゃないさ」

「いいえ、あなたはお人よしです。人たらしかもしれません」

「さんざんな言いようだなぁ」


 メレアは頭を掻きながら笑う。

 視界の端で、彼女が目の端に涙を浮かべているのが見えた。

 それでも彼女の顔に乗っているのは少し気の抜けたような笑みで、メレアはそれを見て安心したように微笑を浮かべた。


「では、また街でお見かけしたときは、お願いします。そのときは――『助けてください』」

「ああ、喜んで。ついでに俺のことも、助けてくれ」

「ええ、喜んで。歌の練習にも付き合って差し上げましょう」

「えー、俺ホント歌うの苦手なんだよなぁ……」

「だから練習するのですよっ!」


 まだ少し、目の端に光る雫を浮かべながら、楽しげに身を跳ねさせる彼女を見て、メレアはこの出会いに感謝した。

 メレアにとってもこの出会いは――とても楽しいものだった。


 たぶん、またすぐに会えるだろう。


 このときのメレアは、そのことを疑わなかった。


 

先日の100話記念に、キャラクターの人気投票所を作ってみました。

このあとがきの下部にあるリンクから飛べます。

気が向いたときにどうぞ。

(詳細は活動報告の方へ。そのページへのリンクも下の方にあります)

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