月の下、猫を想う
——あれから十年が経った。
「ふぅ、皆今日はよろしくね!」
「ハイ!」
コックコートに身を包み若いスタッフ達に指示を飛ばす青年、大坂翔。
三十歳になっていた。
アルコバレーノでの修行を十年、ひたすら腕を磨き接客を学びコンクールにも出た。
あっという間の十年は翔を大きくしていた。
人脈も広がり経験も積んだところでアルコバレーノオーナーシェフ北見隼人と祥子夫妻から打診があったのだ。
「暖簾分けしないかい?勿論援助はするよ」
十年前始まったアルコバレーノは地域どころか他県にまで知られる有名店となり、連日席が取れない程の忙しさになっていた。
そんな中で翔と南の二人にオーナー夫妻は打診したのだ。
「まずは翔君がアルコバレーノ二号店を持って、南君が三十になったら三号店と分かれていくなんてどうかな?」
二人の返事はすぐだった。
「是非!」「喜んで!」
翔はついに夢だった自分の店、アルコバレーノ暖簾分けと言う形で持ったのだ。
アルコバレーノのブランド力で、プレッシャーもあるが十年の歳月は充分に翔を育てた。
そして今日がその二号店オープンの日だった。
店の立地やデザインから業者の選定に手続き等、料理以外の未知の事が沢山あったが、北見夫妻に支えられてこじつけた。
(暖簾分けじゃ無かったら夢のままだっただろうな……)
気が遠くなる程やる事は山積みだったが、一つ一つを着実にこなして辿り着いた自分の店。
感慨深い物が巡る、しかしまだ泣く訳にはいかなかった。
夢のピースがまだ一つ足りていない。
「店長!開店準備オッケーです!」
「フロアもオッケーです!」
スタッフ達が準備を終わらせて、後は翔の号令で始まる……
「開店……前に、皆支えてくれてありがとう……アルコバレーノ開店します!」
オオー!と気合いが入り扉が開かれる。
「いらっしゃいませ!」
続々とお客さんが入る。
アルコバレーノの二号店と言う事で初めから話題に上がってもいた、そのせいか開店前から長蛇の列が出来ている。
埋まっていく席の中に一席だけ予約席とカードが置かれていた。
翔は静かに待って……その時が来た。
中年の女性が一人。
翔はゆっくり向かい出迎えた「いらっしゃいませ……母さん」
「翔……立派になって……」
母を抱きしめ席に案内をする、もう涙が流れている。
スタッフ達も翔の夢を理解して二人の時間を作ってくれる。もらい泣きしてるスタッフも居る。
母のオーダーを翔が受け、翔が一番最初に作ったペペロンチーノとマルゲリータのミニサイズを作り、翔が持っていく……
母は一口ずつ静かに味わい泣きながら「美味しい」と言ってくれた。
その瞬間、人生の大きな夢が叶ったと実感してまた母を抱きしめ翔は泣いた……
アルコバレーノ二号店初日は大盛況だった。
翔を中心に鍛えに鍛えたスタッフ達に支えられて夢も叶えた。
最高の一日だった。
店を閉めて帰り道を歩く、優しく光る月を見ると毎晩思い出す。
あの日からマサムネは見なかった。
ボスを賭けた決闘がどうなったかは分からない、だが野良猫の言葉はたまに聞こえ理解は出来るままだった。
とは言え、猫はそんなに言葉を必要としない生き物。
目と顔で会話してるらしい。
マサムネが教えてくれた。
生きる為に強さが必要な事も、ボスである為に信念が必要な事も、夢を持てる人間である事の強さもマサムネから学んだ。
(アイツ……生きてるかな……)
始まりは月夜の下、空き地の決闘からだった。
怪我したマサムネを助けたら会話出来るようになって、生き方を教わり劣悪な檻から出て羽ばたける居場所を繋いでくれた、沢山猫と会話した事は人生の不思議体験だ。
ふと視界に整地された空き地が目に入る、月夜の下で語り合った空き地に似た空気を醸し出している。
「懐かしいな……」
十年前とは場所は違うけどなんだか似ている雰囲気に吸い寄せられる。
空き地に足を踏み入れようとした時だった。
空き地の真ん中で香箱座りをして月を眺める老いた猫が居る。
「……はは」
翔は思わず笑ってしまいゆっくり空き地に入る。
その猫は虎柄の猫、耳が少し裂けた見覚えのある後ろ姿……
翔は静かに横に座り静かに声を掛けた。
「……よう、マサムネ」
「……また会えたな」
十年、猫の寿命から考えると老猫になったマサムネは変わらない眼光であの頃のままの空気を纏っていた。
「……別れは済ませてたからな、だがやっぱ嬉しいよ」
「……何も約束なんかしていない、だが十年前翔は言ったな?」
「なんて言った?」
「また会えたら食い物をよこすと」
「食い意地の張った奴だ」
「食は生きる土台だ、さあよこせ」
「バカ、今ある訳ないだろ……明日からでどうだ?」
「……また話を聞くのか?」
「ああ……でも俺の夢が叶っていく物語を聞いてくれよ」
「……ふん、勝手に喋れ歳のせいか寝るかもしれんぞ?」
「それでも良い……マサムネ無事で良かった」
「……ああ、生きてきたさ」
あの時のように月は翔とマサムネを照らしていた。
——月の下、猫が居る 完




