翔と喋る猫
「俺様に触んな」
暗がりの空き地、近くのイタリアンレストランでシェフ見習いをしている大坂 翔は、二十年の人生で一番驚いていた。
猫が喋った。
それは御伽話でもゲームでもなく、現実世界の自分の目の前で、それも自分に向けて発された言葉だった。
始まりは翔が店の片付けを終え、帰宅している最中だった……
——三十分前
ガチャンと施錠をしセキュリティを掛ける。
毎日の翔のルーティンだ、店の後片付けと施錠をするのは翔の役目、そして朝一番で開錠と店の立ち上げも翔の役目。
大坂翔は店の見習い、全ての雑用をこなして朝一から夜最後まで居る。典型的な下っ端シェフ見習いだった。
そんな翔は文句も言わずに二年も同じ生活を送っている、そんな毎日を「唸り声」が止めた。
いつもの帰り道、空き地の真ん中、綺麗な三日月の下で威嚇し合う二匹の姿に足が止まった。
「うわ、野良猫の喧嘩だ……」
体格差の違う猫が睨み合い唸り合って、今まさに戦おうとしている。
「ウゥ〜〜」
「ミャォーーォォ」
翔は初めて猫のガチ対決を見た、目を離せなかった。
仕掛けたのは体格が小さい方だった。
低い姿勢から喉元を狙った飛びつき、そこからは団子状態でバタバタと空き地を転げ回る。
「うわぁ……激しいなぁ……」
何を持って決着かは分からない、だがどうにも体格差があるせいか大きい方が優勢に思えた。
噛みつきだけでなく爪も使い、体当たりも激しい。
それだけ大きな身体が有利なんだろう。
バタバタ絡み合っては距離を取って仕切り直し、また絡み合う。
二、三度繰り返した所で決定打が入ったようだ。
小柄な方が首の付け根を取り押さえつけた!
「うお!アイツが逆転!!」
翔は少し興奮していた、初めて見るのもあるが自身では出来ない格上へのマウント取り。
少しだけ憧れる。
そのまま時間にして5分程か、大柄な猫は負けを認めるように全力で走り去った……
残された小柄な猫は、その場に横倒れになる。
「おいおい、大丈夫か?」
思わず翔は駆け寄り猫の怪我を目の当たりにする。
耳は裂け、背や腹には爪痕から出血している。
息も荒い、流石に放って置けない。
「お前大丈夫か!」
「俺様に触んな!」
翔は誰に言われたかが分からなかった、後ろに人が居るのか?と振り向いても暗い道しかない。
なんだ?と不思議がる翔にまた浴びせられた言葉。
「人間如きが!」
今度は出所が分かった、目の前の猫の方からだ。
でも人の姿は無い、キョロキョロしていたら……
「お前……アホなのか?人間」
「人間」とはっきり聞こえ、倒れ込んでいる猫を見る……
(え?……コイツが喋った……?)
翔は何も反応が出来ず瀕死の猫を、改めて見る。
目が合った、と言うか最初から物凄い形相で見てくる。
「……俺、疲れてるんかな、猫が……喋る訳ないよな」
「おい、そこのアホ人間どっか行け」
間違いなかった、今確実に目を合わせたまま猫は翔に向けて言い放ったのだ。
「え?え?……うわわあああ!!」
「やかましい!消えろ!うるさい!」
翔は猫の前でへたり込んだ、人生の中で人間としか会話した事が無い。猫が喋るなんて考えもしない、ホラーやオカルトは信じない性格だが、こんなはっきり会話をすれば訳もわからない。
「くっ、こんなアホに見つかるとは……」
猫はなんとか離れようと這いずるように移動しようとする、少し動いた部分から血の筋が見える。
腰を抜かしていた翔だが、それを見て我に返った。
「バカやろ、動くな!」
「な!何をするアホ人間!」バサッ!!
翔は上着を脱ぎ猫に被せて、抱き抱え走り出した。
(確か動物病院が……クッダメか!時間外だ)
翔は頭をフル回転させた、そして導き出した答えは……
大坂翔宅、ワンルーム独り暮らし。
自分の家で出来る限りの処置をする事しか浮かばなかった。
幸い救急箱はある、シェフ見習いも怪我は多い。
猫用かはこの際置いといて、消毒と軟膏を塗り包帯くらいならしてやれる。
被せていた上着を取り首根っこを掴む、こうすれば猫は本能からか動きが鈍くなる。
しかし、必要ないくらいに弱っている。
「ほら腹と背からいくぞ!染みるのか?猫も染みるものか?」
「やめろ!何を……ぐあああ!」
どうやら傷口に消毒液は猫も染みるらしい。
更にぐったりしたが、これは消毒液が染みた事によるダメージでだろう。
「後は軟膏塗って……包帯はくれてやるから外すなよ?」
一番酷かった爪痕の背と腹はぐるぐる巻きにされて大丈夫か、次は耳だ。
これはどうしても薬を塗るだけしか出来ない、やはり病院へ行くべきか……
「おい……アホ人間……俺は……疲れたから、寝るぞ……」
されるがままの猫はそのまま目を閉じて寝息を立て出した、どうやら落ち着きは出てきたようだ。
野生の本能かで寝て回復なら良し。
翔は今日えらい一日になったと天井を見る、不思議な事が起こるもんだと、一日の疲れに今のバタバタで眠気が一気に襲う。
(明日は……定休日で助かっ……た……)
猫と一緒に横倒れて翔も眠りに堕ちていった……




