第1話
政令指定都市である神戸の街から高速道路で地方道へ入る。
俺は今、最後のコンビニで緑茶とサンドイッチ、それからタバコを何箱かまとめ買いしてから1時間程度の所を走っていた。
助手席に放り投げた紙切れを横目で見る。何故俺がわざわざこんな辺鄙なところを訪れているかといえば、すべてこれのせいだ。
『遺産相続に関するご案内』
差出人は実在する法律事務所。内容は至極シンプルで、俺の曾祖父の土地を相続してくれ、というものだった。曽祖父は俺が生まれる前に他界してしまっているため、顔も名前すらもよく知らない。だが、もらえるものは貰っておかなければならない事情が俺にはあった。
いわゆる量産型の売れないWebライターとして、ネットの有象無象の言葉の海で日銭を稼ぐ生活。一記事書いても二束三文。書いても書いても、それは底なしのネットの海にただ消えていくだけ。言葉、というもの自体に少し疲れを感じていた俺には、この知らせは渡りに船だった。
『限界集落に移住してみた』なんて実録風のルポを書けば、少しはPVを稼げるかもしれない。そんな浅はかな計算が、俺の背中を押していた。
暫くして、下調べの通りの薄暗いトンネルが見えた。
『梔子トンネル』。
昭和初期に建造されたという、全長二キロの暗渠。狭く、暗く、そして異様に長い。トンネルに入った瞬間、一定間隔で並ぶ黄色のナトリウム灯が、コンクリートの老朽化した染みを不気味に浮かび上がらせ始めた。ふと目をやると、ダッシュボードに固定したスマートフォンのアンテナ表示がパツンと消えた。右手でハンドルを握りながら、左手で画面を何度かタップしてみるが、無情な『圏外』の文字は変わらない。
「今どき圏外て」
思わず独り言が漏れた。
俺の愛車、中古のMTのコンパクトカー。乗り心地は決して良くないが、自分の手足で機械を操っている感覚がして、とても気に入っている。
ゆっくりと丁寧にギアを繋ぐ。ギアチェンジを如何にスムーズに行えるか、なんて遊びも、一人のロングドライブの暇つぶしにはもってこいだ。エンジンの低い唸り声だけが、暗いトンネル内に反響している。
やがて、視界の先に小さな光が見えた。出口だ。
トンネルを抜けた瞬間、分厚い白いヴェールを潜り抜けたような感覚に襲われ、思わず声が漏れた。
「うわぁ…」
梔子村。
美しい日本の原風景、とでも言うべき景色だった。限界集落なんて言葉は、ここには似合わない。美しく整備された道や、整然と並ぶ古民家のような家屋。相応の古さはあるが、それは逆に「味」として感じられるほどだった。
スピードを落としてゆっくりと村内を走る。
ふと、道路脇の畑に目をやって、俺は少しだけ眉をひそめた。綺麗に整備された村の景色の中で、そこだけが異様だったのだ。場違いに枯れ果てた真っ黒な何かが、畑に整然と並んでいる。 豆か何かだろうか。だが、その黒ずんで干からびた無数の茎は、まるで土の中から天に向かって助けを求める『指』のように見え、一瞬だけ背筋に冷たいものが走った。
(いやいや…ただの農作物やろ)
妙な邪推に首を振り、車を進める。そのなかで、ひときわ大きな建物が目に入った。
「あれが、村役場やろか」
助手席の手紙に指定されていた目的地。 徐行しながら砂利の駐車場に入る。この手の駐車場は、ハンドルを切るたびにタイヤに負担がかかっていそうで、俺はどうにも苦手だ。
静謐な村に、ジャリジャリと無遠慮なタイヤの音が響き渡り、妙な罪悪感を覚える。シートから伝わる粗い感触を味わいながら車を止め、サイドブレーキを引いた。 荷物をまとめ、ドアを開けて外に出る。
「うお、さっむ…!」
11月後半。都市部よりも遥かに冷え切った、刃物のような山間部の空気が、長距離運転に疲れた俺の肺に一気に流れ込んでくる。 だが、その冷たさが逆に心地よかった。
「きもちええ…」
いつものクセで、ポケットからタバコを取り出し火を付ける。携帯灰皿は現代人として欠かせない。駐車場ならお咎めもないだろう。フィルターを咥え、火をつける。一口、深く吸い込んで、ふぅ、と白い煙を吐き出した。 無風の冷たい空気の中で、煙はなかなか散らずに俺の頭上を漂っている。この一連のルーティンが俺をさらに落ち着かせてくれた。
改めて村役場の建物を見る。木造の立派な造りで、とてもきれいに整備されており、こんな山奥の建物とは到底思えない。
「こんにちは」
不意に背後から声が聞こえ、ビクッと肩が跳ねた。砂利を踏む足音なんて、全く聞こえなかった。振り返ると、役場の制服だろうか、よくあるベージュのジャンパーに黒のスラックス姿の、初老の男性が立っていた。
彼は柔らかく微笑んでおり、刻まれた皺から相応の年は感じさせたが、理知的な目と整えられた頭髪。
俗に言う『ハンサム』や『イケメン』といった俗物的な魅力とは違う。左右対称すぎるというか、表情筋の動きが計算され尽くしているというか――何か得も言われぬ違和感を感じたが、それはその後の穏やかな会話でかき消された。
「あ、どうも。あ、この役場の方ですか?」
「はい、私は細見トウジと申します。この小さな村の村長をやらせていただいています。…浦部、さんですね」
「はい、浦部ケイです。よろしくお願いします」
俺は軽く頭を下げた。
名前を把握しているということは、やはりあの法律事務所を通じて遺産相続の手紙を送らせた張本人は、彼なのだろう
「遠路はるばる、このような田舎までご苦労さまでした」
「いえいえ…あ、すんません」
タバコを持ったままであることに気づき、急いで携帯灰皿に押し付け、揉み消す。
「こちらが話しかけたのですから、お気になさらないでよかったのに」
そう言って、細見村長は再び微笑んだ。 丁寧な口調に、柔らかな物腰。だが、笑っているのにその目は一度も瞬きをしていないように見えたのは、俺の気のせいだろうか。
しかし、『ド』が付くほどの田舎という点を除けば、住むにはとてもいい場所なのかもしれない。それにしては、ほんの少しだけ、空気が張り詰めているような気がするが。
「外で立ち話もなんですから、中で詳しい話を。どうぞ」
「あ、はい、じゃあ」
促されるまま、俺は村長の背中を追って、立派すぎる村役場の中へと足を踏み入れた。




