01.義姉は溜息をついた
義妹のことは好きではなかった。
今はどうかと聞かれたら、少し違ってくるだろう。
「今宵、私は真実の愛をここに見つけた!」
高らかな声を上げる、我が国の第二王子。
その腕に収まるのは、溌溂とした笑顔を弾けさせる義妹のエラだった。
純真無垢を体現したかのような彼女には、貴族令嬢にない魅力が詰まっているだろう。
いや、彼女は誰をも悪意なく誑かすのだ。
今、義妹のことをどうかと聞かれたら、間違いなくこう答える。
──今すぐ消えてほしいくらいだと。
「あの子、本当に入り込んでいたのね」
横にいる妹のジョゼットの声が呆れを隠していない。
嗜めようかとも思ったが、それよりもアシェットにはすることがある。
少し離れた先でエラの腰を抱く、第二王子ヴァレール殿下には婚約者がいる。
アシェットの生まれ育ったプレスティ男爵家も遠縁ではある、ルシャンドラ公爵家の一人娘、リュシエンヌだ。
リュシエンヌを差し置いて、エラがヴァレール第二王子の横にいるのもよろしくないし、事情を知らないにしてもエラのような立場の者が寄り添ってよいはずもない。
「リュシエンヌ・ルシャンドラ、及びプレスティ男爵家の関係者よ!
お前達を断罪する為、ここに参るが良い!」
恋愛劇の主人公のように、高らかに掲げられた正義の声は、王城の舞踏会場の隅々にまで響くもので、まだ僅かに残っていた歓談の残滓まで消し去ってしまった。
「お呼びみたいよ。
どうするの、お姉様?」
「殿下から呼ばれた以上は、参じるしかないでしょう」
ジョゼットからの問いに、溜息と一緒に返す。
王族主催の舞踏会とあれば、本来アシェット達を女手一つで育て上げた母親も参加するべきである。
だが、今宵に限って問題が生じて参加することができないでいた。
今頃は男爵家で修羅場が起こっているだろう。
親を頼ることができない以上、アシェットがどうにかするしかない。
貴族令嬢らしい微笑みを今一度顔に貼り付け、扇子の閉じる音と共に、重い気持ちを隠すように軽やかな足取りで歩き始める。
そんなアシェットを見た人々が察し、道を作るために場所を空ける。
人によっては好奇心、同情や嫌悪、猜疑といった感情を隠していたり、隠すことすらしなかったり。
そんな人々の間を構わず通り抜けて、ヴァレール第二王子の目前に参上する。
先にリュシエンヌが辿り着いていたようで、銀糸を思わせる髪の麗しい従者だけを連れ、軽い礼で済ませていた。
公爵夫妻の姿はない。
どうやらルシャンドラ公爵でも、トラブルが発生したのかもしれない。
さて、婚約者であるリュシエンヌはともかく、アシェット達のような下位貴族が会釈程度では許されない。
深々と頭を下げて礼を尽くし、目上である相手からの許可を待つ。
けれど、許しの言葉はないままに、アシェットの頭上で声が響いた。
「先ずはリュシエンヌ・ルシャンドラ。エラと出会ったことで愛を知り、お前との婚姻は無理だと判断した!
私に癒しと喜びを与えられなかった咎として、お前の有責にて婚約破棄を行う!」
離れた場所からの騒めきとは別に、近くで微かな衣擦れの音がする。
「私が有責であるかはさておき、婚約を破棄することは了承致しました。
あいにく陛下はご入場されておりませんが、ここにいる皆様が殿下の発言の証言者となりましょう」
きっとリュシエンヌは、全く傷ついた様子も見せず、美しい微笑みでいることだろう。
「そ、そうか。ならばよい」
拍子抜けした様子のヴァレール第二王子の声が届く。
もしヴァレール殿下の目論見に、リュシエンヌが泣きながら縋るというものがあったとすれば、それは大失敗だろう。
そもそも、リュシエンヌはヴァレール第二王子を気に入ってなどいないのだから。
返された言葉の意味も理解できず、ただ了承させたと思っているならば、とてつもなく軽率だとは思う。
少なくとも、男爵令嬢でしかないアシェットですら、リュシエンヌが込めた悪意に気づいている。
いや、周囲の貴族達も気づいているはずだ。
「次にプレスティの、いや、何でお前達は頭を上げない?」
不思議そうな問う声に、アシェットは溜息を落としそうになるのを我慢する。
耳に滑り込んできた囁き程度のジョゼットの罵りは、聞こえないふりをした。
「殿下が頭を上げるのをお許しにならないからでは?」
リュシエンヌの指摘に、途端喚くような言葉が爆発する。
「そんなことぐらい知っている! エラがそうしなかったから、プレスティ男爵家は気楽な家風なのかと思っただけだ!」
そうしてから舌打ちの後に、頭を上げるように声が掛けられた。
ようやく上げた頭によって、視界に飛び込んできたのは見た目だけなら麗しい二人組だ。
ヴァレール第二王子は王族らしく、豪華な衣装に見合う外見の持ち主といえよう。
少なくとも着せられた感じはしない。
そこに添えられた白金アクセサリーは、アシェットの義妹であるエラだ。
アシェットの外見が母親似であるように、エラもまた自身の母親似らしい。
黒髪に、夜の森を思わせる暗い緑の瞳をしたアシェットと違い、エラの髪は輝くプラチナブロンドで、淡い水色の瞳は晴れ空を思わせる。
王都の大きな広場に飾られた、春の女神達の一人に似ているエラ。
この国の美の基準からすると、彼女は神に愛されているレベルだといえるだろう。
実際、無条件で愛されているのも事実だ。
プレスティ男爵家の周辺に住む者のみならず、一部の事情を知っている使用人でさえ、エラを見るだけで守ってあげたくなるのだとか。
無垢な瞳で見上げ、あどけない顔で健気なことを言う。
そうやって誰をも夢中にさせるエラは、一番大きな魚を釣り上げてしまったのだ。
最悪の状況で。
「お前達は連れ子である分際で、妹であるエラを虐待しているそうだな!
男爵の忘れ形見を令嬢ではなく使用人として扱い、暖炉の近くで眠らせ、他の使用人達には灰かぶりと呼ばせているとか。
更には、男爵家の次期当主であるはずの彼女の地位を奪うなど、人の心が無いのか!」
目の前の人物は人の心とやらがあるらしく、罵倒にも似た言葉アシェットを責め立てるが、代わりに裏付けを取る慎重さや、上に立つ者としての配慮は無くしているようだった。
様子を窺う貴族達も口には出さないが、眉を顰めている。
さて、どうしようかと考えるも、ここから穏便に済ませる方法は限りなく少ない。
そして、穏便に済ませることを選ぶとすれば、いらぬ泥をかぶる必要も出てくる。
これから起こりえることを考えれば、アシェットが選ぶのは自身とプレスティ男爵家の名誉だ。
きっと母だってそうする。
ルシャンドラ公爵家に連なる者として、ヴァレール第二王子に敬意を払うつもりではいたが、婚約破棄が成立するならば、公爵家が暗愚の後ろ盾をする必要はない。
イコール、アシェット達が率先してちやほやする相手ではなく。
むしろ関わることすら避ける必要がある。
そうしたアシェットの算段に、エラの確保は入っていない。
あれは不良物件だ。人の邪魔しかできない、役立たず以下だ。
可能であれば今すぐ手離した方がいいだろう。
「ヴァレール殿下、恐れ入りますが発言の許可を頂けますでしょうか」
威圧的に怒鳴る声に怯えることなく、アシェットは片手を上げ、ヴァレール第二王子の許可を求める。
淡々としたアシェットの声に吞まれたようにヴァレール第二王子は黙り、そうしてからエラを見る。
「エラ、謝罪もせずに言い訳を望んでいるようだが」
「お義姉様がお喋りしたいのだったら、私、聞きます」
エラが普段と変わらない笑顔で、ヴァレール第二王子に言葉を返している。
事情を人から見れば、胆力がある令嬢だと思われそうだが、実際は全く違う。
怒鳴っている人がいれば、怒鳴っているなと思うだけだし、今の状況すら彼女には気を遣う場面ではないのだ。
いつだって自然体、という言い方は良すぎる表現である。
だって彼女は何も考えていないのだから。
「エラの優しさに免じて、言い訳ぐらいは聞いてやろう。
だが、もうお前達のような悪女の住まう屋敷に彼女は返すつもりはない」
ありがとうございます、とアシェットは形式的に頭を下げる。
再び顔を上げつつ、さて、何から言おうと口を開いた。
「エラを帰さないことは問題ございません。
どうぞ末永く義妹を可愛がってくださいませ。
リュシエンヌ公爵令嬢の時と同じく、この発言は公のものとして、今宵の皆様の記憶に残りましょう」
アシェットが返せば、すぐさま二人は人目も憚らずに抱きしめ合う。
「エラ! これで悪辣な者達の束縛から、お前を救うことができた!」
「ヴァレール様、今日から一緒に住めるのが嬉しいです!」
さて、僅かな言葉の違和感に気づけたのはどれ程か。
リュシエンヌは我が家の事情を知っている。
それでも何も言うことはなかった。
つまりは、そういうことだ。
喜び合う二人に、ただし、という断りを入れて水を差す。
「殿下のお話にはいくつか事実と異なる点がございます。
まず、プレスティ男爵は生存しておりますし、そこにいるエラとは父親が同じであるものの、彼女は男爵家に籍のない、使用人で間違いございません」
アシェットの言葉に動きを止めたヴァレール第二王子が、言葉の意味を理解しきれず逡巡する。
だが、使用人や籍が無いという言葉だけを受け止められたのか、すぐさま怒りが顔に満ちていく。
「言い訳すらせず、まだエラを乏しめるか!」
激昂という表現が相応しいままに、感情を露わにしたヴァレール第二王子に呆れ、アシェットは扇を広げて顔を隠しながら溜息を落とした。
「もう一度申し上げますが、プレスティ男爵は生存しており、エラとは父親が同じというだけです」
そう言ってから、エラへと視線を向ける。
「エラ、父は亡くなったとだけ伝えたのでしょう?」
「聞かれたから、答えたけど?」
そう返すエラが、何が問題なのかと首を傾げた。
エラの言ったことは事実である。
彼女とアシェットの父親は同じなのは間違いない。
ただ、説明が不足している。
本当に父親は亡くなったとしか言わなかったのだろう。
そして、それ以外のことは何も。
エラの言葉と思い込みだけで暴走したヴァレール第二王子も浅慮だが、そこに至る原因はエラの言葉が足りないことにもある。
何度言っても直らない悪癖だ。
「父が亡くなったのは事実です。
ですが、男爵なのは父ではございません」
なんて、という言葉が、造形美に恵まれた唇から間抜けに漏れていく。
「プレスティ男爵は私の母ですし、エラの母親は父の愛人でした。
つまり、彼女は男爵家の血を引いていない、ただの平民でしかありません」
だらしなく開いた口のままで呆然とするヴァレール第二王子を眺め、アシェットはもはや隠すことなく今日何度目かの溜息を落とした。




