9話 チーぎゅの叫び
「――キャッ!!」
紅奈が悲鳴を上げる。ダテマヨが手頃な石を手に持ち、紅奈を殴りつけようとしていた。
「――ック!!」
蝶ネクタイの男が紅奈の名を叫びかけて堪えた。
――マズい。このままでは紅奈が殺される。人類殺戮派に対して、ダテマヨは完璧だ。一切手を抜かず、確実に殺戮派を殺す選択をとれる男だ。
俺はこんな時のために、蝶ネクタイとチー牛が言い合っている間に用意したドラム缶に足の裏を合わせる。これで注意を引くことくらいはできるはずだ。
両足に力を込め、ドラム缶を突き飛ばした。
――ドラム缶が表舞台に乱入して暴れ回る。耳障りな音を奏でた。
「――ッ!? なんだ!?」
驚くチー牛の声が聞こえた。直後、人が殴られるような鈍い音がして、誰か男のうめき声が上がる。
戦況は変わっただろうか。俺は再び壁際から顔を覗かせた。
蝶ネクタイがチー牛に蹴りを入れていた。紅奈から意識を外してそちらを見るダテマヨと、再び釘バットを握りしめる紅奈。
蝶ネクタイが一瞬でダテマヨの間合いに入り、鉄パイプでダテマヨの顎を突き上げる。アッパーカットをモロにくらったダテマヨは宙を舞う。蝶ネクタイのすぐ後ろに起き上ったチー牛が迫る。
「避けてっ!!」
釘バットを振り被った紅奈が叫ぶ。蝶ネクタイは両足を地に着いたまま上を向き、大きく仰け反る。紅奈が振るった釘バットはチー牛を仕留めようとしていた。
回避は間に合わない。寸前のところで釘バットを肩で受け止める。釘が深く突き刺さり、チー牛はその場によろめく。
「いったん逃げるぞ!!」
蝶ネクタイが紅奈の手を引いた。紅奈はその衝撃で釘バットを手放し、2人は階段のある方へ逃走した。
「――ッ、ダテッ! 追うぞ!」
「ぁ、ああ」
肩を激しく負傷しても未だ戦闘意欲に燃え上がるチー牛と、顎に強打をくらって少し朦朧としているダテマヨ。
せっかく戦闘が一時中断したんだ。もう争わせない。ここは俺が間に入るべきだ。
紅奈たちを追跡しようとする敬愛派。俺は壁裏から飛び出した。
「待ってくれ!!」
「――ッ!? おまっ、翔来!? なんでここに!?」
ダテマヨは驚きで意識が少し明瞭になったようだ。
「あ、えーっと…………」
勢いで飛び出したはいいものの、自分がここにいる理由なんてまったく考えていなかった。なにかそれっぽい理由をでっちあげなければ。
「街を歩いてたら、仮面を被った怪しい女が路地裏に入ったから、怪しいと思って尾行したんだ」
「そうか、それでここまで来たというわけか。よく来てくれた。一緒にあの殺戮派を――」
「――待て」
ダテマヨは納得してくれたが、チー牛は話を遮った。
「待てよ。じゃあさっき不自然にドラム缶が転がってきたのは、お前がやったのか? 俺たちが優勢だったところを、お前が邪魔したのか?」
チー牛は俺に対して冷静さを保っているが、仮面の裏には怒りと疑惑の色が隠れている。
あのドラム缶の妨害を俺意外の人間がやったことにするのは不可能に近い。人為的ではない自然現象の結果だと言っても説得力はない。ならば――――
「あー、すいません。俺がやっちゃいました。物陰に隠れて戦闘に見入っていたら夢中になってしまって、思わずあれを突き倒してしまいました……すみません……」
「………………」
沈黙し、仮面越しに俺をただ見つめるチー牛。
「先輩、こいつは俺の同級生で、つい昨日敬愛派に入ったばかりの新入りです」
ダテマヨがフォローを入れてくれた。
「新入りか、ならばしょうがない。次は邪魔するなよ」
許してもらえた。これで身の潔白を晴らし、一時的に自身の安全は確保した。だが、これから人類敬愛派として、敬愛派とともに行動するとなると別の危険が迫っている。
「それよりも聞いてください。さっきの女が電話してるのを聞きました。話の内容的に、ここに殺戮派の増援を呼んでいるようでした。増援の規模はわからないですけど、一旦撤退した方がいいかもしれません」
紅奈は俺のもとを立ち去る際、たしかに増援を呼んだと口にした。この発言が正しければ、敬愛派と行動を共にしている俺が殺戮派の増援と接触するのは非常に危険だし、危険なのはダテマヨたちにとっても同じだ。俺の命も、ダテマヨたちの命も危機に瀕している。
「ダテ、こいつの話は信じていいのか?」
「大丈夫です。嘘を吐くような奴じゃない」
ダテマヨは俺を信用した。敬愛派と殺戮派に二股している大噓吐きのこの俺を。
「わかった。信じよう。ここは撤退する」
完璧主義とて、人の素性を完璧に見抜くことはできない。
チー牛の同意のもと、俺たち3人は階段へ向かう。紅奈たち殺戮派の待ち伏せに警戒して慎重に進む。階段まで辿り着き、索敵しつつ物音を立てないように2階まで下りると、
「――――ッ!?」
チー牛がなにかを察知した。それは俺も気づいた。階下の1階で、幾人かがひそひそと話す声が聞こえた。
こんな閑散とした廃墟だ。まともな人間が来ることなど滅多にない。現状としてこの廃墟に集う存在として一番に考えられるのが――殺戮派の増援。
もう既に、殺戮派の増援が待ち構えている。
俺たちは顔を見合わせた。それだけで意思疎通し、静かに階段を再び上る。4階まで一気に上り、チー牛が沈黙を破る。
「新入り、お前の言ったとおりだ。あの気配の人数を相手にするのは少し分が悪い。有益な情報に感謝する」
4階を通り過ぎ、俺たちは屋上へ出た。
夕日に染まった三鳥市を一望できる。屋上も瓦礫やゴミが散乱している。ここ周辺では比較的高い建物で、隣にある2階建ての家屋の屋上に強く張ったワイヤーが伸びていた。
コンクリートに刺さった頑丈な支柱に、金属質のワイヤーが縛り付けられていた。誰が何の目的でこのワイヤーを張ったのかはわからないが、俺たちがここを逃げ出すのに利用できそうだ。ジップラインの要領でワイヤーを滑っていけば隣の建物の屋上に移動できるはず。
「ちょっと待っててくれ!!」
俺は敬愛派の2人にそれだけ告げ、4階へと駆け下りた。
ここは廃墟ホテルだ。ここならお目当てのアレが絶対に見つかる。
「ッ……あった」
古びたクローゼットを開けると、俺が探していた丈夫そうな木製のハンガーが幾つか掛かっていた。そこから3つだけハンガーをとり、屋上へ戻る。
屋上で待つ2人にハンガーを手渡した。
「これです。このハンガーをあそこのワイヤーに引っ掛けて、ジップラインみたいに向こうの屋上に渡ります」
チー牛は沈黙を挟み、答えを出した。
「………………それしか道はないだろうな。問題はワイヤーの強度だ。人を支えられるだけの強度があるかどうか…………」
「俺が試します」
ダテマヨがファーストトライを買って出た。ワイヤーが切れずに渡りきれる保証なんてまったく無いのに。安全確認のために自らの身を危険に曝すのを厭わない。
言うが早いかハンガーのフックをワイヤーに掛け、全体重を預ける。体が浮き、静かな金属の摩擦音とともに動き始める。
勢いはすぐに加速する。さながら本物のジップラインのようなスピードに乗り、あっという間に向こう側の家屋の屋上に着地する。
ダテマヨの成功を確認し、チー牛も後に続いた。同様にハンガーのフックをワイヤーに掛け、体重を乗せる。そのまま静かに加速し、ダテマヨよりも速いスピードで中腹を超える。向こうの屋上にもうすぐで届く――――
――ブチンッ!!
鈍い断裂音がした。
今この状況で、こんな音の出どころは一カ所しかない。廃墟ホテル側のワイヤーが縛り付けられた支柱。そこでワイヤーが切れた。やはり人の重さを支えられる強度ではなかった。
チー牛は宙に放り出される。幸い、ほとんど渡りきっていたようなものだったから地上に落下せずに対岸の屋上に放り投げられた。
体が地面に打ちつけられる鈍い音。ピンと張っていたワイヤーが力を失い、ピシャリと奥の家屋の壁に垂れ下がる鞭のような音。そして、
「なにか音がしたぞ! 多分上の方だ!!」
下の方から叫び声と、大勢の足音が迫る。殺戮派は待ち伏せをやめ、こちらに向かってきた。
――最悪だ。俺だけ渡れない。
こんなところにいたら敬愛派を逃がしたと怪しまれるかもしれない。それに、ダテマヨがいるこの状況で殺戮派の紅奈との繋がりが見られるのもよくない。
なにか他に逃げる手はないか。俺はダテマヨたちがいる家屋側の屋上の端に駆け寄った。下を見下ろす。
「ッ……あれは…………」
真下の地面には、廃棄されたホテルのマットレスが幾つか積み上げられていた。風雨に晒されかなり劣化しているが、コンクリートの地面よりはマシだ。
――――ここに飛び降りよう。
普段から2階建てアパートの屋上から飛び降りるのが日課になっている。今は4階建ての屋上だが、日課の影響で飛び降りに対しての足腰は鍛えられている。下には心もとないがクッションもある。行ける。
俺は覚悟を決めた。屋上の端のギリギリに立ち、呼吸を整える。
「ま、まさか! 飛び降りるのか!?」
ダテマヨが驚いて声を荒らげた。4階の屋上から飛び降りるなんて常人から考えたら異常だ。だが、俺にはできる。
背後で階段を駆け上がる音が近づく。もう時間がない。俺は考えるのを放棄して――――空中に身を投げた。
恐怖と浮遊間で全身の力が抜ける。頭の中が真っ白になる。距離にしていつもの日課のかける2倍。されど落ちる速さと時間はほとんどいつも通りだった。
――バンッ!!
再び全身に力を込め、足と腰を使い落下の衝撃を和らげる。マットレスのお陰もあり、思っていたより衝撃は少なかった。
日頃の特訓の成果が目的とは違う形で現れた。着地成功。ひとつ安堵のため息をこぼした。
「逃げてんじゃねェ糞チー牛がァ!!」
「――ッ!?」
頭上で怒鳴り声がした。紅奈の兄、蝶ネクタイの声だ。一瞬自分に言っているのかと思って肩が跳ねたが、違った。チー牛とは、敬愛派のチー牛のことだ。
頭上を見上げると、2階の屋上からダテマヨとチー牛が俺を見下ろしていた。そして――
「――シねッ!!」
4階の屋上から、おそらく蝶ネクタイが手の平サイズの、石のようなものをチー牛に投げつけた。弾丸の如く超速球で飛ぶ石。狙い通り真っすぐ、チー牛の頭部に命中。
「――チイィィィィィイイイイイイッ!!!!」
チー牛は悲鳴を上げて大出血。後ろに大きく仰け反って姿が見えなくなる。
赤く染まる夕焼け空に、チー牛の血の噴水が飛び散る。三鳥市の今日の天気は真っ赤な空よりさらに赤い、深紅の雨模様となった。
第2編 アングラ部活動編 fin




