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30. 黒く暗く



 お嬢さんは別の場所に移した、とイスマイルは言った。かつらを取って、締まった顔を取り戻している。むしろ平時よりも口調は真剣だった。


「この部屋もまぁ安全そうだが……」


「いえ、離れてよかったと思います」


 陸は歩きまわりそうになるのをこらえ、かわりに思考を巡らせた。


「ここの人除けの仕掛けは、そう強いものじゃないですし……。でもいつ気づいたんですか? こんな騒ぎになってるなんて」


「その、〝新暦〟のエレメンティアが暴れまわっているって話だが」

 イスマイルは片眉を上げた。

「俺たちが動いたのは別の理由なんだ」


「別?」


「マスターバロンと連絡がとれない」


 通常の連絡手段の反応がない、という程度のことではなさそうだった。しかし陸にはそれ以上の意味を想像することができなかった。


「泥の眠りに入ったんじゃないんですか?」


 バロンの身体は一週間の半分しか活動できない。〝世界災厄〟で負った障害のためだ。休眠期間に陥るタイミングは、世界一の術師である本人でさえ調整が難しいという。


「そうだったらよかったんだがな」


 イスマイルは首のうしろをさすり、それ以上のことは言わなかった。ナッツは? と陸が訊いてもかぶりを振るだけ。

 その沈黙がすべてなのだ。その事実を陸はのどにつっかえそうになりながら、ようやくのみこんだ。


「そんな……じゃあ《天文台》に……っ?」


「やられはしねえだろうさ。けどあのひとのアクションが見込めない以上、こっちにはもう選択肢はねえ」


 イスマイルは腰を上げた。


「雲隠れだ……本格的にな」


 陸は言葉が出なかった。まだ整理がつかない。


「なぁ、オトモダチ」

 大男は陸の横で立ち止まった。

「お嬢さんは、おまえさんも連れていくって聞かないんだ」


 陸の気持ちは浮き上がったが、すぐに沈んだ。その反動に耐えるのはつらかった。


「行けないです。ぼくが、この国を離れることは……」


「鉄乙女本家の介入をまねく」とイスマイルは言った。


 陸を息を詰めて振り向いた。大男は顔を合わさず、のそりと靴場に出ていった。


「悪いな。重石ふたつは抱えられねえ」


 ドアが軋んでゆっくりと閉まり、陸はひとりになった。


 付き人チームのキャプテンは、車で移動している〝彼女〟のもとへ向かったはずだ。大阪にあるプライベート機専用飛行場で合流する予定だという。


 それでいい。いいんだと頭で納得し、陸も動き出した。


 明石駅近くの道をしらみつぶしに当たってみると、いた。《新暦》の連中だ。


 たばこをふかしたり無意味に壁に拳を当てたりして、ひまを持て余しているように見えたが、陸が近づいていくと、全員がハイエナのような眼でいっせいに振り返った。


 マウンテンパーカのフードをかぶった陸のことを、最初はいぶかしげに見ていたが、やがて「おい」とひとりが声を上げた。「こいつ、例の」


「っしゃあ」と別のひとりが、自分の掌を拳で打った。「俺がソッコー――」


 その男を初手でして砂利を舐めさせたあと、陸はひとりひとりに訊ねた。誰が指図してるの、と。


 拳で答えようとしたやつを合気で転がす。答えて、と重ねてうながしたが誰も応じない。


 ひとり、またひとり、地に、壁に、叩きつけてやった。


「待てって……なぁ! しゃべるから!」

 残ったひとりが、ようやく口を割った。



 ********************



 女たちが脚を放り出して寝ているベッドを抜け出し、アルレッキオは寝室を出た。


 廊下にアルコールの缶やビンとともに、若者たちが転がっている。散乱したスナックと何かの粉と反吐。それをこのフラットの家主である中年男が、ロボット掃除機のようなゆるい動きで片づけていた。


「ねぇー、アルさーん」


 ソファに座った少女が声を上げた。ろれつがあやしいのは酒のせいか、もとからそうだったか。


 昼下がりの陽光をカーテンで締め出した薄暗いリビングのなか、メイクが崩れてぼやけた幼げな顔が、蒼白い携帯端末の光に照らされている。


「うちらの部隊、けっこうやられてるっぽいよー。って、うわ! アルさんエロいー!」


 振り向いた少女は、スラックスしか身に着けていないアルレッキオを見て、はしゃいだ。

 男は顔をしかめ、くすんだ道化メイクを歪めた。


「なぁにが部隊だ。笑わせるぜ、ガキども……」


 ここにいるほとんどの人間に英語は通じない。勢い、道化は独白気味になる。


 少女は酒缶を煽った。

「あいつのせいだよ。太刀花! まじむかつく。キモい」


「娘の連れ合いか」

 開けた冷蔵庫のなかをのぞきこみ、光と冷気を浴びて、アルレッキオは眼を細めた。

「JBめ……。とんだ詐欺師だったぜ」

 栄養ドリンクの列を掻き分ける。

「だが……」


 奥のほうで、蕾のついた共鳴杖コンロッドが蒼く瞬いているのを見つけ、道化男はふっと笑みを洩らした。


「ツキは俺にある」


「でーもー、華山のむっつりやろーはコロしたもんね」

 少女は上機嫌になった。

「あいつ、すぐ補導されてやんの。こりないよねー、前もたっくん殴って……あれ?」

 急に不安げな顔になり、まわりを見まわした。

「そういえば、たっくん、どこ……?」


「心配しなくていい」

 アルレッキオの腕時計デバイスが猫なで声で言った。

「万事うまくいってる。でもまだ邪魔するやつらがいるからね。力をあわせてやっつけよう、キミと俺とで」


「うん……」

 少女はとろんとした眼になった。

「そんで、つれてってね……うちが輝ける場所に」


「もちろん」

 アルレッキオは少女の酒を取り上げた。

「みんなつれてくさ。けどその前に、もうひとり仲間を迎えにいかなくちゃ。その子は特別な」

 舌なめずり。

「〝太陽〟なんだ」


「たい、よー……?」

 眠りかけている少女のほほを、アルレッキオは小刻みにはたいた。


「あの連れ合いが邪魔だ。なぁ、例の〝とっておき〟をかましてくれよ。お膳立ては俺がしてやる」


 少女は淀んだ眼のまま、にへらと歯を見せた。



 ********************



 道化メイクの外国人。アルレッキオ。

 魔術師。《新暦》のエレメンティアたちの相談役。


 彼に認められるために、彼の望むことをしているのだと、そうすればおれたちの未来がひらけるのだと、その《新暦》の高校生はつば飛ばす勢いで語った。


 ばかげていた。ふつうなら子どもでも信じない与太話。夢物語未満だ。


 しかし、だからこそ陸は慄然とした。

 漠とした幻想にとりこみ、操縦する――巧妙な幻術遣いの関与を確信した。


 もうひとつ。相手の企てが効をあらわしていることも、認めざるをえない。


 影の落ちた路地で、学生たちが何やらもめている。

 壁際で身を竦めているのは陸の学校の生徒で、詰め寄っているのはエレメンティアの若者。指先を氷柱で尖らせ、切っ先を威嚇的にゆらめかせている。


 安っぽい特撮のようなシーンだ。しかしその光景は逃れようのない現実で、陸は込み上げる慨嘆を振り払うように即介入し、敵を打ちのめした。


「なんや、おまえ!」


 にやにやと見物していたほかの若者たちが、血相を変えて向かってくる。

 陸がそっちを相手にしているあいだに、生徒は転げそうな足どりで逃げ出す。


 デジャヴに陸はめまいがした――数時間のあいだに、こんな展開を幾度繰り返したろうか。


 放課後になり、状況は悪化していた。町のあちこちで下校途中の生徒たちが襲われた。こんなところで、と誰もが愕然とするような場所でも騒ぎが起こった。


 朝の時点で、学校では注意喚起が出され、親の車で帰路に就く生徒が大半を占めた。しかしそれでも巻き込まれるケースがあった。道路に飛び出してくる《新暦》がいたという。


 道にはパトカーが増え、もっぱら夜間に活動する使い魔のパトロール隊も出張ってきた。だが通り魔的で広範囲、同時多発する襲撃をすぐには抑え込めそうにない。


 魔術師に扇動された者たちによって、陸のまわりの人たちが傷ついていく。


「俺は大丈夫だ」

 昼過ぎにようやく連絡がとれた竜三。保護司が来るのを待っているという。

「連中のことは放っとけ。あとは警察と陰陽家おまわりの仕事だ」


 おとなしくしてろよ陸、と念を押す電話ごしの声に、陸は返事をしなかった。


「みんな心配してるで」

 メッセージアプリには絵李やほかのクラスメイトからの連絡が来続けている。着信履歴の赤丸の数字もどんどん増える。


 でも――


 いま陸にできるのは、斜陽に燃え広がる町じゅうを駆けまわることだけ。それだけだと自分に言い聞かせた。

 自分がやらなければ。この責を負うのは自分しかいないのだ。


 ただ、その電話には、反応した。

〝彼女〟からだ。

 アパートの屋上で足を止め、ためらった末、応答した。


「おい! てめえ何してやがる」

 いきなり、英語の怒鳴り声が響いた。

「聞いたぞ。おめえ、狙われてるんだろ? やべえだろうが」


 君こそ、と陸は言おうとしたが、かすれた吐息になって風にさらわれた。


「さっさと来いって。まだ時間は――」


「ねえ」

 やっと声が出た。

「昨日……駅で会った男の子おぼえてる?」


「は?」


「竜三の家は、政府の術師とつながりがあるし、君の力になってくれるかもしれない。もしほかに手がなかったら彼を頼ってみて。いま連絡先」


「意味わかんねえこと言うな!」


「カルア」


 電波の向こうで、息をのむ気配があった。


「君は――カレンちゃんじゃないんでしょう? ぼくが何かしてもらう義理はないよ」


「…………」


「じゃあ、ね」


 電話を切り、陸は歩を進めた。けれど勢いがつかない。

 二、三歩行ったところで、まだ携帯を握りしめていることに気づいた。しまわなくちゃ。


 マウンテンブーツの足音が消え、それ以上進めなくなった。うしろ向きの引力を感じている。

 いまなら、まだ――そんな淡い光明のような思いがちらちらと瞳の表をかすめる。


 そのとき、着信音がした。電話ではない。


 同級生でつくったグループチャットにメッセージが届いていた。


「助けて」


 文面を一目見て、唇を噛んだ。見えていた光がしぼんでいく。


 逃げ出すことはできない。


 気持ちを立て直し、動き出そうとしたそのとき、立て続けにメッセージが投稿された。


「笑い死ぬ」

「見てこれ」


 ぞわりと。

 肌が剥かれるようなおぞけを陸は感じた。


 一枚の写真が晒されている。


 映っているのは陸だ。一昨年おととしの。


 髪が長く、生足を出し、肩にかけたトートバッグには制服のセーラーが入っている。男に要求されたものだ。


 悩み相談という名目で会ったその男に肩を抱かれ、生気のない顔でうつむきながら、コンビニを出るところ。


「これ、援交?」


 ほかの同級生たちも反応しはじめた。


「きっっっっっっっも!」

「知ってた」

「まじムリ」

「うける」

「やりそう」

「おれとヤれ!!」

「こいつ、ひとの彼氏もとった」

「よく平気な顔してられるよねー」


 棘をまとった言葉の数々に、絵李や滝内らの名札がついていた。


 眼の前が暗くなる。


 陸の瞳の闇に、空から落ちてきたかのように、満月が浮かんだ。



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