表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/40

27. awake/sleeping



 水面に靴先が触れる。そのまま靴底ソールがべったり着いた。それでも沈まない。


 正真正銘、陸は水の上に立っていた。スカートの裾を持ち上げ、優雅に歩きもした。


 はぁー、とカルアの口は素直に感嘆の息を洩らしたが、しゃくなのでばちゃばちゃと波を立ててやった。夕闇の溶けた海水が、光の加減でちらちらときらめいた。


「ちょっとっ、邪魔しないでよっ」


「おめえ、ニンジャなのか?」


「まぁ……その流れを汲んではいるよ。歩き巫女って知ってる?」


 もちろん知らないし、深く聞く気もない。

 カルアは自分でもさっそくやろうと思い、水面に向けて足を伸ばした。


 そこは大きな海浜公園のなかにある人工の磯浜だった。おとなしい岩が整然と並んでちいさな湾をつくり、日が暮れなずむこの時刻、海水が満潮位ハイタイドまで満ちてプールのようになっていた。


「ちっ……。んだよ、これ……」


 ごついブーツはいともたやすく水の膜を破いた。界面張力などないかのようだ。


「靴脱いだほうがいいかも」


 言われたとおりカルアが裸足になると、陸が水上から手を差し出してきた。


 気に食わない。そう思ったが、カルアはその手をつかんだ。


「境界を意識して。自分と自分以外との」


「おい、師匠ヨーダ、もっとわかるように言え」


「伝えるんだよ」と陸は楽しげに眼を細めた。「君の意志を、力を……」


 そろりとおろしたつま先は、つぷりと水面を突き抜けるかと思われた。けれどある地点で、たしかな感触を得た。


 見えない足場があるかのようだ。カルアはそこに体重を乗せていき、残していた足も岸から離した。


「そう……その調子」


 陸は一歩、二歩とカルアを導いていく。ワインみたいな水面の真ん中へと。


 別世界に踏み入るような感覚に、カルアは言葉を忘れている。


「君はいま、水に干渉してる。ぼくは君に干渉して、それを手伝ってる。ぼくらは〝世界〟の何にでも干渉できる……〝世界〟に許される限り」


 世界、とつぶやいてカルアは顔を上げた。


「かたちのないものにも、ぼくらの力は届くんだよ。君には、そのへんをわかってほしいな。そしたら、身体を無理に変化させなくても強くなれるってことが……」


 カルアは聞いていたが、陸の声だけに耳を傾けてはいなかった。


 波が寄せ、鳥が鳴き、子らが笑うのを聞いていた。そして自分を、陸を、海と空を包んでいる天地の気アトモスフィアを感じていた。

 海峡を渡る大橋や、行き交う船や、色もかたちも混沌とした地水平線ホライズンを見ていた。


 五感に入ってくるものを、入ってくるがままに任せていた。


「きれい……とっても」


 ささやく声にカルアは振り向く。すると陸は心臓が止まったような顔をした。


 陸の泳いだ視線が、重ねたふたりの手を見て、はたと固まる。そこから赤い光の粒が、泡噴くように現れていた。


「ぼくの干渉が打ち消されてる……?」


 カルアは別のことに気づいて、飛び上がりそうになった。


「おっわ! 沈んでる!」


 あわてて岩場に戻った。

 西の空の燃えるような赤みのわりに、地上はうっそうと闇が濃くなっていた。


 カルアが濡れた足を拭いていると、風がひやかしを入れてきて、くしゃみが出た。


「着換えたら? 寒いなら」

 陸が隣に座って言った。


「あー?」

 カルアは足拭きにしている赤いバスローブを見て、眉をしかめた。これを着ろというのか。


「ほら、今朝着てた服持ってるでしょ?」


「……。――あ」


 服屋に置き忘れた。


「え、うそっ!? 取りに行かなきゃ!」


「いいよ、めんどくせえ」

 立ち上がって靴をはこうとした。


「でも……お気に入りなんでしょ?」


「オレちゃんがそう言ったか?」

 

 カルアはムスッとした。自分でもよくわからないが、陸の決めつけるような言い方がカンに障った。


 実際、ぶかぶかの服はシェイプシフトにちょうどいいから着ていただけ。特別好みだとかそういう思い入れはない。


「なんでもいいんだよ、動きやすけりゃ、な」


 そのはずだったが、ふと、惜しいという気がしてきた。しかし自分で拒否した以上、取りに戻ると言い出せない。フラストレーション。


 そのとき、ぐうと腹が鳴った。

 これじゃ空腹で不機嫌になったみたいだ。陸はそう思ったらしい。ごはん行こ、と言ってすぐに出発した。


 近くに飲食店が並んでいる通りがあった。そのあたりを歩きながら陸は、ラーメン、中華、和食、なんでもあるよと得意そうに話した。


「でも~、やっぱお肉がいいよねっ? 焼肉っ。ぼくも賛成~っ」


「は? 勝手に決めんな」またトサカに来た。


「ごめんごめん」と陸は軽く応じた。「じゃ何がいい? 何が好き?」


「好き……」

 ちょっと考えてみたが、言葉が出てこない。無意識に髪をいじった。

「……よくわかんね。そういうの」


 へ? と陸は、それこそわからないという顔をする。カルアはちょっと心地悪くなった。


「あれが好きとか、お気に入りとか……そういうのオレちゃんにはねーんだよ」


 吐き捨て、早足で先に行く。

(そういうのは全部、カレンのものだ……)

 そう思うと同時にこみあげた感情を、カルアはあわてて打ち消した。


「つーかてめえ、忘れてんじゃねえだろうな? オレちゃんがカレンかもしれねえってこと!」


「それ、自分で言っちゃうの?」


「いいから! ……カレンの好きなもの食わせろよ。そんくらい、てめえだっておぼえてんだろ?」

 ちらりと振り返ると、誰もいない。

「あれ?」


 陸はいつの間にか前方に立っていて、危うくぶつかりそうになった。


「おっ――どかすなコラ!」


「ぼくは、君のことが知りたい」


「……」


「いま眼の前にいる、君のこと」


 視線も言葉もまっすぐすぎて、カルアはきちんと受け取ることができなかった。困惑のほうが先に来た。


「それで……できれば、ぼくのことも知ってほしい。いまの、ぼくのこと」


 視線をはずし、陸は踵を返して歩き出した。

 何もなかったように声の調子を変え、


「さってさて、じゃあ今日はラーメンでもどーお?」


「いや、ステーキ」


「結局肉じゃん!!」



 ********************



 部屋のなかは何もかもが静止していた。時でさえも止まってしまったかのようだ。

 外は陽が昇り、朝靄も晴れようとしているのに、そこにはつめたく暗い夜気が閉じ込められたまま。

 踏み入った魔術師たちも、しばし凍りついたように立ち尽くした。


 息をのむ光景だった。

 岩窟、あるいは牢獄。


 格子状の石柱が縦横に張り巡らされ、懐中電灯の照射を遮る。それでも、奥のほうの暗がりに人のかたちをした岩があるのがわかる。


 腹部で弱々しく明滅する魔導円陣、そしてブルーノの言がなければ、誰もその岩がレディ・バロンだとは信じなかっただろう。


 仮面の男たちのなかには、それでも信じられない、という様子の者もいた。

 意外なことに、夜卿カンケルもそういう顔色だった。


「……魔女めが、このような姿を晒すとはな」


 ふんと鼻を鳴らして、カンケル卿はそう言った。喜色はみじんもなかった。


「さすがはシリウス卿というべきか」


 そのつぶやきをブルーノは聞き逃さなかった。


「カンケル、あなたは……親父とつながっていたんですか」


「つながりという意味では、貴様もだ、ブルーノ。私などよりはるかに深く、な」


 ブルーノは唇を噛んだ。驚きよりも、やはりという心情が浮かんだ。


「親父を復活させたのも、あなたなんですね」


 カンケルは返事もうなずきもしないことで、それを肯定した。


「シリウス卿は貴様を術の媒介に使った。貴様の一瞥、一語一句を通して、バロンを催眠状態に陥れたのだ」


 カンケルはバロンの生み出した石柱を指で叩いた。


「やつの意識は夢幻の術のなかに囚われている。無防備になった身体を護るための術が働いたようだが、これ以上悪あがきはできまい。そのあいだに……我々はなすべきことをなす」


 魔術師たちは踵を返した。

 ブルーノは追う。


「《太陽》を捕らえる気ですか!」


「それだけで済むものか。じきに我々は――闘争に至るだろう。貴様もせいぜい備えろ」


 一団は扉を出て、石の階段を靴音で満たした。


「こんなのは間違いだ。相手は英雄と、その娘ですよ! 悪ではない」


「善悪は関係ない!」

 カンケルは振り向き、一喝した。

「大きすぎる力は〝在る〟だけで問題なのだ。貴様こそ眼を覚ませ」

 指をブルーノの胸に突き立てる。

「バロンは必ずや復活する。催眠の術者を殺してな。次にまみえるとき、やつは貴様の親の仇だ。それでも味方するつもりか」


 ブルーノの口から答えは出なかった。


 カンケルは釘を刺すような視線を残し、階下へとおりていった。そのうしろ姿を高窓から差す光が薄黄色く照らした。

 その光は部屋のなかにも伸びている。


 光明の岐路の真ん中でブルーノは立ち尽くした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ