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異邦人  作者: 住友
8/15

預言者――3――



 第二校舎と第三校舎の渡り廊下から

運動場の一角を見ることができる。

また学校の敷地に隣り合う

民家のある辺りまで見通せるはずなのだが

空一面を覆う黒煙が不自然な形でたれ込め

見晴らしが悪くなっている。

夏の日差しさえ一条たりとも差し込まない。

燃える他の校舎やその火事の光を

強く照り返している運動場は

それ自体があたかも

異次元の世界から来た存在のようで不気味だ。

開いた窓から誰かの叫びや

ばりばりと燃える音と一緒に

マスク越しにも臭う

汚れた空気の風が入ってくる。

渡り廊下を抜けると

第三校舎の空き教室前へ出る。

そのすぐ隣に視聴覚室がある。

一応壁際のスイッチを弄ってみるが

どの照明もつかない。やはり停電している。

懐中電灯だけだと一人で

肝試ししているかのようだ。

しかもこの肝試しは

本物の幽霊や怪物が出る上に、

目標ゴールはあの『死神』、

化け物そのものとの接触なのだ。

昔廃屋を一人で探検させられて、

住み着いていた浮浪者と出くわして

恐怖のあまり死ぬかと思ったことがある。

今はまさにそれと同じことを

しているのではないか? 

あれは小学2年の頃だったか、

あの時から私の境遇は何一つ代り映えして

いないのではないか? 

そんな気もしてくる。


「私は何も変わっていない……

一人で歩くのも、

水責めや火で脅されるのも……」


むしろみじめさが増している。

一体、私は何歳まで

こんな心細い子供のままなのだろう。

我慢さえしていれば自動的に大人や

社会人になれると思っていたのに、

何故今こんなことになっているのだろう。

私は本当に生き残れるのだろうか……


「まぶしっ!」


人がいた。

同じクラスの友達だ。

こんな近くにいたとは、

考え事をしていたせいか全然気づかなかった。

懐中電灯の光をもろに顔面に浴びせてしまった。


「うわ富士谷かよ。

ちっ、そんなもんいきなり向けんな馬鹿!」

「うわぁす、すいません、すいません……」


友達は私から懐中電灯を取り上げて消した。


「こんなの消しとけよ

『赤鬼』とかいうのに見つかるだろ頭悪いな。

自分の兄貴が言ってたことだろうがよ」

「は、はぃすいません……」


防塵マスクは私が使っていたから

汚いということで捨てられた。


「お前これから兄貴のところまで行くんだろ?」

「は、はい……」

「どっちだよちゃんと返事しろ!」

「はいっ……」

「じゃあ校舎まで戻って

探しものするの手伝って。」


戻るというのは第二校舎に戻ると

いうことのようだ。

あそこがもう危険なのは

皆知ってるものだと思っていたが、

知らないのなら

私が何とか説明しなければならないだろう。


「第二校舎はほとんど煙が回ってて……

探し物はちょっと無理かと……」

「はぁ? ちょっと無理かと、

じゃねーよ俺の荷物があるっつってんだろーが! 

みんなの荷物だってあるんだぞ!」

「ですが……」

「高いやつとか友達がくれたのとか

いろいろあるんだよ、戻って探してよ、なあ?」


私もいくら友達の言うこととはいえ

戻るのは躊躇われた。


「お前の兄がやってることなんだろ!? 

だったらお前のせいみたいなもんじゃねーか! 

ここから出た時に訴えるぞ!」


第二校舎の火事はもう相当なもので、

危険なのは本当なので何とか納得して欲しいが……


「大体何でお前がここまで生き伸びれてんだよ! 

お前なんか真っ先に死にそうなのに、

怪しすぎだろ!」


そう友達が言い終わるが早いか、

傍の教室の窓から何かが

硝子ガラスを突き破って飛び出してくる。

硝子片がまき散らされ

私にも多少かかる。友達はもろに浴びた。

私は一瞬『死神』が現れたのかと思ったが、

見るとただの椅子だ。

それでも充分驚くべきことのはずだが

友達は見えも聞こえもしないかのように

今起きたことを無視し、なおも私に詰め寄る。


「俺が言ってるのに戻れないの? おい?」

「だ、誰かが、そこの教室に

誰かいるみたいですが……」

「無視すんじゃねえ俺の話聞けよ!」


友達の顔が暗い。

表情が怖いということではない。

光が全く差していない。

顔だけでなく全身が暗い。暗すぎる。

辺りが暗がりであることを差し引いても

なお暗い。黒いとさえいえる暗さだ。

彼の手元に懐中電灯があるので

足元が見えるくらいの明るさはあるのに、

不自然に友達にだけ

光が届いていないかのようなのだ。


「何でお前が生きてるんだ?」


不意に椅子が飛んできた教室から

声をかけられる。


「お前何したんだ? お前何してるんだ?」


教室の中に何かがたくさんいる。

友達と同じような姿の人間たちが

私の方を向いている。

廊下側に隙間なく並んでいる。

彼らは口々に喋った。


「あんた、自分だけ真っ先に

逃げ出してた人でしょ?」

「なあなあ、何でお前が生きてるんだ?」

「お前が生き伸びてどうするんだ富士谷明朝?」


喋り方ですぐにクラスの友人たちだとわかった。

私の背後からもたくさんの声がする。

振り返って見てみる勇気はないが、

廊下を埋め尽くすほどの人垣ができているのだろう。

ここにいる者たち全員が死んだ友人たちを含む

学校の生徒たちなのだ。その亡霊なのだ。

ここは亡霊の溜まり場になっているのだ。


「こいつが富士谷?」「雑魚そう」

「こいつ知ってる! 

中等部ん時クラス一緒だった!」

「ねぇ俺ん事覚えてる? 富士谷君。」

「こいつ昔さぁ、学級日誌に変なこと

たくさん書いててさぁ、

悪口とか一杯書いてたのよ、

それ見て泣き出す子とかいてさあ。なあ?」

「あれサイアクだったよな。

何もしてない人のことまで何行も

細かい字でいろいろ書いてて。

よくあんなの書けるわと思った。」


他の友人に指示されるがまま

言われた通りに人の悪口を書いていた

時期があるのを思い出した。

丁度今のように暗くなった学校で

居残りして書いたのだ。


「こいつ心とか無いんじゃねーの」

「友情とか馬鹿にしてそう」

「でもこいつ笑う時我慢するんだぜいつも、

何でか知らんけど。」

「おーい富士谷君、死ね。

おいおいおいこっち向いて、死ね! 

ぎゃははははは!!」

「ほらやっぱ笑ってるって、

震えてんじゃん、我慢してるよこいつ。」

「泣くのを我慢してんじゃない?」

「最悪キモい死ね」


息が詰まりそうだ。

今の皆の声には本物の殺傷力が

あるのではなかろうか。

少なくとも私の思考能力はほぼ止まりかけている。

頭の中が皆の声とそれに一致する

一人一人の顔で溢れかえっていて

何の判断もつかなくなりそうになる。

私は兄に会うという目的を

頭の中で繰り返し唱えて、足を一歩前へ踏み出す。

すぐに何人かに見咎みとがめられ

はやし立てられたり挑発されたりする。

私は屋上への道順を大雑把に、

しかし必死に思い描き、

息を一気に吸って走り出した。


「ちょっとは役に立てよ! 

普段から散々迷惑かけてるクセに!」

「キモいんだよお前!」「存在自体が迷惑だ!」

「病院に送るぞ!」

「あんたが学校へ来なければ

私ら巻き込まれずに済んだんじゃないの?」

「何で学校へ来たの?」「バーカ」

「お前さえ存在しなければ……」

「何で生きてるのって聞いてんだろ!?」


椅子や硝子片が飛んでくる。

そのいくつかは私に命中する。

逃げ切ろうというやる気を失いそうになる。

私は息の続く限り謝りながら闇雲に逃げ回った。

思い描いた地図のことなどすぐに忘れた。


「責任取れ!」「隠し事するな!」

「全部バラすぞ! 家の電話番号も

中学ん時の口癖も、

昔何してたか全部バラしてやる!」


 突然私は何者かに手を掴まれた。

その何者かは

私の頭と膝の後ろに手を回し持ち上げて

――つまり『お姫様抱っこ』をして――

軽快に、風のように駆け出す。

追ってきていた友人たちを

ぐんぐん突き放し遠ざかっていく。

私は声も上げられずただ身震いする。

下手に暴れて地面に落とされても

困るので私は一切の動作を停止させる。


「誰なんだ……『友達』?」


この何者かは足音が全くしない。

やはり亡霊となった友人の誰かなのだろうか? 

私はその者の相貌を暗がりの中見極める。

僅かに差してくる外の火の光が

その者の特徴を照らし出す。

人間離れした色の頭髪に鱗、間違いない。

女子生徒『死神』だ。

その瞳も、他の誰かとは間違えようもない。

私に触れた手の違和感は『死神』の鱗だ。

私が先の戦いを思い出したり『死神』の

この行動の動機を考えたりしている間に、

『死神』はどこかの部屋に入り、

長机の下に私ともども潜り込む。


「何が、何を、何で……」


私が小声を出すのすら戒めるように

『死神』が手で私の口を押さえる。

そして緊張する私と同様動かなくなる。

部屋の外では友人たちが賑やかに喋っている。

それが一旦近づいて、遠ざかる。

私も『死神』も動かない。

互いの息遣いと熱気だけが激しく入り乱れる。

触れた手は暖かい。彼女の鼓動が聞こえてくる。

彼女がただの人間のように思えてくる。

少なくとも友達とは違う気がする。

しかし、それをどう確かめよう? 


「うっ」


いつの間にか『死神』の目が

私の目を食い入るように見つめている。

人の視線には敏感なこの私が全く気付かなかった。

相手が口を開けて顎を突き出せば

私の鼻面を食いちぎれる距離だというのに。

『死神』から殺気は感じない。

軽蔑も嫌悪もない。何も感じない。

無表情でロボットのようだ。

何も分からない。何を考えているのか

本当に分からない。

確か今朝の教室でもこんな沈黙があった。

また笑い出しそうだ。

私が笑ったら彼女は怒るだろうか? 

いっそのこと大声で叫んで誤魔化してやろうか。

人前で大声を出すなどそもそも

生理的に不可能だが、

泣くのでも笑うのでもいいから

とにかく声を出さなければ――


「1243‐798‐55‐6。」


私の決心を打ち消すように『死神』が口走る。

私は一瞬戸惑って、すぐに理解し、驚いた。

その数字は聞き間違えようもない、

私の電話番号であった。


「『いつもいつもいつもいつも』、

『何でこんなことするんですか』。」


また『死神』の口から信じられない言葉が出る。

これはだいぶ昔の話だが、

一度口走ったがために何度も言わされついには

口癖にされてしまった言葉だ。


「左目はシャープペンシル、

左足は交通事故、右腕はエレベーター、

声帯はロボットごっこ、脊髄は戦争ごっこ。

私はあなたの電話番号も

中学生の時の口癖も

あなたの昔のことも全部知ってる。

全部バラすなんてあんな脅しは通じないから、

だから怖がらないで。」


私は戦慄した。

この『死神』は私の全てを知っている。

こんな今日あったばかりの人間さえもが

私の恥ずべき過去を知り尽している。

友達の誰かから聞いたのだろうか? 

私の携帯電話が返ってこないことと

関係があるのだろうか? 


「あなたは……」

「キサメ。片仮名でキサメ。」

「は、はい、えっとキサメさんは……」

「……」

「キサメさんは神なのですか?」


どうか神であってほしい。

単なる友人たちの知り合いなどという

恐ろしい答えはやめてほしい。

そんな思いで良く考え抜いたつもりの

質問だったが、言い終わってみて

変な質問をしてしまったと思った。


「私は人の心が読めるの。

目の前の人の過去、

死んだ人の感情もみんな分かる。

でも神なんかじゃないわ。」


妙な答えが返ってきたものだ。

私はどう反応していいか分からず硬直する。


「あなたを襲った時のこと一応謝っとくわね。

自分の意志で動けなかったの。

私を連れ出すために来たんでしょう? 

私が人気のない道を探すから、

そこから外へ出ましょう。」


『死神』改めキサメ女史は

私の混乱もなんのその、

机の下から出て廊下へ向かう。


「それじゃあ早くついてきなさい。

幽霊がまた来るわ。」

「えっ? あっ、ちょ、ちょっと待って……」


私は慌てて声をかけるが

キサメ女史は顧みることなくどんどん先へ行く。

とりあえず彼女の後に続くことにする。

だが彼女の自由行動を認めてよいものだろうか? 


「私が連れていかなければならないのに……

私が連れていかれてるみたいだこれでは……」

「私が案内する方が安全だし早いわ。」


絶対に聞き取れないはずの小声を

容易く聞きつけられて私は更に不安になった。

彼女が心を読めるというのは本当だろうか? 

こうして今私が考えていることも……


「分かる。特にあなたのは他の人より

読みやすいわ。ほとんど全部筒抜けよ。」


何ということだ。

考えが読まれるなどかつてない危機だ。

今までの人生で

様々なことを他人にされてきたが、

心を読む相手だけはいなかった。

普段日常でも心を見透かされているのではないかと

感じることはしばしばあるが、彼女は違う。

本当に読んでいる。

恐ろしいことだ。

どのような期待も希望も

見透かされるのなら

いかなる忍耐も無意味ではないか。

私の強がりもこの彼女の前では全て水の泡だ。

精神活動というものは何人にも束縛されぬ

最後の自由の砦だと信じていたのに、

思わぬところで最強の敵に出会ってしまった……


「ちょっと、何で私が悪役みたいになってるのよ! 

言っとくけどそれ余計な心配よ。

ほんとに何もするつもりないんだから。」


やはり完璧に読まれている。

思考と同時に関係ない単語を無作為に思い浮かべて

カモフラージュしてみたというのに。

しかしキサメ女史、声が大きいのでは? 


「カモフラージュって、何器用なことしてんのよ。

無駄だし疲れるだけだからやめなさい。

それに女史なんて別につけなくていいわ。

そんな敬称つけられると

逆に馬鹿にされてる気分になるからキサメで結構。

声は、そうね、気をつける。」


他人を、しかも女性を呼び捨てにするなど

私には不可能だ。


「あなた、喋ること自体苦手みたいだから

今のところは念じるだけでいいわ。

それで充分会話できるから。」


頭の中でも女性を呼び捨てるのは抵抗がある。


「そんなに無理? あなた童貞?」


何!? 


「……」


……不毛なやりとりはさておいて

キサメ女史、もといキサメは

『校長』たちの関係者だということらしいが

私の兄のことで知ってることはないだろうか? 


「何も知らないわ。

あなたの記憶を見て知り得ること以外はね。

あなたのお兄さん、

何とも胡散臭い人みたいね。

良い人だか悪人だかよく分からない。」


否定はしない。

内向きな性格のはずなのに

あの放送のような大それた発言や

行動をする時がある。

兄はそういう人だ。

いや、そういう人だった、か? 


「ごめんなさい、

胡散臭いってのは言い過ぎたわ。

少なくとも私が言えたことじゃないわね。」


キサメが凶暴だったのは校長のせいでは? 

『実験体』と呼ばれていたが、

何の実験の被験者なのか? 

医学的な治療を受けているのか? 

体力面での心配はなさそうだが……


「私はこの学校に来るまでは

ずっと研究のための施設にいたの。

学校に通い始めたのも研究のため。

ほとんど特別教室にいたから

他の生徒とは会話もしたことないけど。

何の研究なのかは大人たちの心を読んでも

分からなかったわ。

みんなして難しいことばかり考えてるから……

勘違いしないでよね、

私の頭が弱いってことじゃないんだから。」


研究施設とは病院みたいなものなのだろうか。

小さい頃から入院生活を続けるようなもの

だということか。


「まあそんなところよ。

だから私の体は少々特別なの。

私の体を気遣ってくれるのは

ありがたいけど……

待って、また幽霊たちが来るわ。

そこの部屋でやり過ごしましょう。」


私たちは教室へ入る。

空き教室のようだ。

私たちは廊下から見えないところに腰掛けた。


「あなたは私よりも不幸ね。」


私の耳元でキサメはささやいた。


「自由な環境で過ごしてるのに

全然自由じゃない。

みんなが自由に泣いたり怒ったりする時でも

あなただけは黙ってる。

笑う時も隠れて笑ってる。

死んだ人を真似してるみたいに。」


死んだ人の真似。的を射ているかもしれない。

死んだ人はいくら尋問されても

平気だから羨ましい。


「ペンで目を刺されたり

車で足を轢かれたりするのが尋問? 

何で尋問されるの? 

それは何かの研究なの? 

あなたも理由を知らないの?」

「分かりません……

多分理由はあると思いますが……」

「あなたいじめられているのね。

何年もかけてそんな姿になってしまったのね?」

「いやぁそれは……えーと、あはは……」


いじめかと聞かれても私には分からない。

私に分かる訳がない。

いつものことであるのは当然だからだ。

道路には電柱があるように、

川には水が流れているように、

天気が常に移り変わるように、

当然で自然なことのだ。

私はそう思っている。


「そんなのおかしいわ。

全然当然なんかじゃない。」

「そうですかね……」


キサメが私の義手に触れる。


「私も体弄られてこんなになってるけど、

あなたほどボロボロになったことはないわ。」


鎧のような手で首や額にも触れる。

顔と顔の距離がまた近くなる。

そのまま脳内にまで忍び寄ってきそうだ。


「……」


もう一方の手の指が一匹の動物のように、

小さな蛇のように

義足のくるぶしから膝へ、大腿へ這って行く。

執拗な蛇のように……


「かわいそう。」

「もうやめてっ……」


つい拒否してしまうと二人とも沈黙した。

またこの沈黙だ。うんざりする。

今日で三度目、本当についていない。


「……」

「あっ……いや、本当に読めるんですね

頭の中が……」

「ごめんなさい、やりすぎたわ。

癖みたいなものでつい、もうしないから。」


また血圧が上がっている。

私の血が叫びのような音を上げて

頭の中を走っている。

せっかく普通に話しかけられたのに

怒って返してしまったのが恥ずかしい。

くだらない冒険心がまだ精神を占めている。

一旦調子に乗った私の心が無意識のうちに

まだ燻っていて隙あらば感情を

剥き出しにしようとする。

日常に立ち返らねばならない。

生き生きとするよりも

死んでいるようであらねばならない。


「すいません……」

「謝らないでよ。私が悪かったんだから。」

「いえ、今日はその……全然調子が悪くて……

何事においても我慢できなくて……」

「ん? 何?」


聞き返してくるということは、

今は心を読んでいないのだろうか。

読んではいるが気を使って

読んでいないふりをしているのだろうか? 


「昔の私はもっと強かったんです……

昔は何でも我慢できたんです。

何をされても平気でした。

私は年を取るごとに弱くなっていってるんです。

いっそのこともっと弱くなりたいと思ってます。

誰にもまるで相手にされないほど

弱くなって、いつか本当に消えてしまいたいです。

死人のように……」


強いのも弱いのも本当は嫌だ、

自分は死ぬしかない人間だ、

そう付け加えそうになって私は口をつぐんだ。


「へ、変な話でしたすいません、

えっと、先生がどこかにいると

助かるけどですね……」

「それは駄目。強くならないと。」


キサメは窓のカーテンを爪で引き裂き、剥ぎ取る。


「ほら、マントよ。あげる。

あなた寒いんでしょう? 

あなたの体すごく冷たい。」


カーテンを持って私の頭の後ろに手を回し、

巻き付けるように羽織らせる。

真っ黒い遮光カーテンは薄闇だと逆に目立った。

だが防炎加工製品だ。

火災現場を行き来するには

役に立つのかもしれない。


「あなたは生きた人間よ。

死人でもないし怪物でもない。だから希望はあるの。

それと、喋る時も敬語でなくていいわよ。」

「分かりました……分かった」


キサメの断言するようなものの言い方で

私は落ち着いた。

生徒会長や昔の兄と似た雰囲気が彼女にはあった。


「ふふふ、勇者様みたい。」

「勇者?」

「あなたもきっと本物の勇者様になれる。

私には分かる。私、人の運命が分かるの。」


キサメは神妙な面持ちで

私の前にひざまずいた。


「あなたは夜明け。暗い夜の終わり。

太陽や風や高い空が

目覚めた人のものになる尊い時。

あなたは明朝みょうちょう

世界はあなたに燃やされるためにある。


どれほど荒れ野を歩いても、

暗い歌が流れても、何が追ってこようとも、

あなたは決して滅びない。


あなたは絶望を旅すべき。

太陽が人知れず夜の反対をゆくように。

深い、深い絶望を求めて……」


それを聞いた私は宇宙のような広さと、

自由と、全能感を味わった。

欠けた月のような僅かな光が

全てを見ることを可能にした。

全ては重く没していた。

私の空間は純粋になり、雑音は皆

外野にしかなかった。

キサメが私に手を伸ばす。

私の体と精神は区別のつかないものとなり

現実を、夢をも超え出ようとする。

突然キサメは私を突き飛ばした。

マントが外れ私は尻もちをついた。


「ど、どうしたというのだ……」


そう問いかけるが返事はない。

キサメは頭を抱え叫び始めている。


「うぅ! ああ! そんな、やっぱり駄目! 

おかしくなる! 私を置いて逃げて! 

逃げないと死ぬ! 

逃げて、逃げろっ……がああああ!! 

グギャアアアアアアアア!!」


うわ言のように喋っていたのが雄叫びに変わる。

私はそれをキサメが

『死神』になった瞬間だと理解する。

私は机の下へ逃れた。キサメは私を見ている。

それだけで凶暴さが伝わってくる。

私は机と椅子ごと部屋の隅へ移動した。

自分でも驚くほどの素早い判断だった。

背面と左手側は掃除用具入れの

ロッカーと壁で守り、頭上は机の天板、

右側は机の脚と自分の義足、

前面は椅子で塞いで、

甲羅にこもる亀を模倣する。

キサメは助走をつけて机を蹴ってくる。

衝撃と振れに襲われるが

机は部屋の隅に固定され動かない。

キサメは喚き散らしながら机の上を叩く。

私が恐ろしさのあまり目を瞑ろうとした時、

辺りが真っ白に輝いた。

部屋の照明がついたのだ。


「やーっぱりドンクサイな! 

もう見つけちゃったぁ」


友達の声だ。


「聞いた今の? 明朝君は暗い夜の

終わりなんだってさ! ぷぎゃーっ!」

「はははは!!」

「深い絶望を求めてぇ~! ぎゃははははは!」


その声を聞くだけで力が抜ける。

皆の足が、足音が近づいてくる。

震えが止まらない。

寄ってきた友人たちが椅子も机も取り上げる。

守りがあっけなく解除されて、

私はただ部屋の隅に縮こまるだけの子供になる。

恐る恐る皆を見上げると

眩しい明りが皆の後光のようだった。

友人たちは神々しく、私はただただ圧倒された。

いきなり皆の影を割いて

キサメが飛びかかってくる。

私は無抵抗のままキサメに掴まれ床に転がされる。


「お前さあ、こんなところで何やってんの? 

火事起こしてるんだのお前の兄なんだろ? 

説得しに行くとかしろよ! ほんっと使えねー!」

「ちょっとは頭使えよ! 

ドンクサい、体力もない、頭も悪い、

マジで見てるだけでイライラするこいつ、

いつもいつも!」

「こういう奴に限って生き延びるんだよ

超胸糞悪い」

「何で俺らが死んでこいつが生き残るんだ?」

「存在価値無いくせに」

「マジで傷つく、てかムカつく」


友人たちが私を責める。

キサメは友人たちには目もくれず

私の頭を髪の毛を掴んで床に叩き付ける。

世界の終わりのように見えるもの全部が

激しく揺れて周りの音も聞こえなくなっていく。

同じようなことは今までにも

されたことはあったがキサメは腕力が違う。

本当に私の頭か床かが破壊されそうだ。

何かしなければと思った瞬間、私の体が動いた。

ほとんど勝手に動いたかのようだった。


「あ~あ……」


気づくと辺りの雰囲気が

妙に穏やかになっていた。

友人たちの笑い声がする。

怒りや怨念を訴える罵声も混じって聞こえる。

泣き声もある。

仲間同士励ますために私や

兄への恨み言を呟いている。

私が知らない間に

長い時間が過ぎたかのような違和感がある。

すぐそこにキサメがいる。

彼女は仰向けになって力の抜けた表情をしている。

彼女の首が不自然な方法に曲がっている。

強い力が加えられて骨が折れているようだ。

友達が私の義肢を手に取って言う。


「自分のためなら殺せるのか」


そう言われて、本当に一瞬私の心臓が止まった。

他の友達も色々言いだして

私は自分の手とキサメの死体を交互に見やった。


「自分のためにだけしか殺せないのか」

「他人のためになることは何一つしないのか」

「この女も人殺しだから自業自得だけどな」

「それでもお前が自分のことしか

考えてないことに変わりはない」

「やっぱり兄貴と同じ人殺し」

「お前はクズだ」







 真っ暗な外。明かりのついた教室。

私と友人たち。

まるで居残りをしている時のようだ。

いいことは何もない。

特に今は不味い状況だ。

私は殺人を働いたらしい。

たった今のことだが記憶にはない。

本当に体が自動に動いたかのような、

確かにそういう感覚だったからだ。

キサメが死人らしい顔をしているのを

私は疑うことができなかった。


「今度こそ真剣に答えろ。何で人を殺した?」


友人が私を立たせて問いかける。


「……すいません、

すいませんすいません……」

「いやすいませんじゃなくてさ、

何で人殺したのかって聞いてんだよ」

「わ、分かりません……」

「分かりませんじゃねーだろ!」


よく考えて答えないと、

しかし嘘をつくのもよくない。

亡霊に嘘が通じるとは思えない。


「普通の人間は絆や仲間意識を

大事にするんです……でも、私は……

私はどこかおかしい、

だから誰とも仲良くなれない……」

「ああ!? 何ブツクサ言ってんだよ!?」

「言い訳?」「きっもー」「ほんとにね」


私は落ち着こうとした。

これはいつも通りただの尋問いじめだ。

居残りのような雰囲気だし、

まるでいつもと同じだ。皆もいつも通りだ。

これは日常の一幕で、

私は無難な返事を繰り返せばいいのだ……


「……早く水が飲みたいから。」


皆が静まり返った。

私も全く喋れなくなってしまった。

我ながら酷すぎる失言だと思った。

謝罪の言葉すら出ないほど委縮してしまう。

長い間の後に誰かが舌打ちして、

小声で話し合い、

やがて皆で冷ややかに笑い出した。


「何だそれ?」「サイテー。」

「何でそんな変な声なの?」

「ふざけんな!」「殺す価値もない……」

「お前はな、まともにものを考えれないんだよ。

よく考えずに逃げて、よく考えずに抵抗して、

よく考えずに人を殺した。

普段から頭使ってないからそうなるんだろ。

登校も会話も勉強も、

普段の過ごし方も進路選択も、

生きること自体適当なんだろうが。

お前の兄も同じだよ。

バカだから自殺なんてするんだ。

お前ら兄弟そろってバカだ。」

「すいません……」

「すいませんで済むかよ!」

「こいつ謝るばっかりかよ」「舐めてんのか」

「大体すいませんっておかしいだろ、

すみませんだろ」

「お前もお前の兄貴も何様のつもりだ!」

「自分が何をしたか分かってるのか?」

「何で何もしない?」「何かもお前のせいだ!」

「目つきキモい、体臭い、

歩き方トロい、頭悪い声小さい、

いいところ一つもない、

何が『明朝』だ! しょーもなさすぎだろ!」

「ギャハハハハハハハハハ!!」

「ヒャハッハッハッハッハ!!」

「明るい朝と書いてハルカタとかさ、

意味不明だろ! 

お前の名前なんかバカとかアホで十分だ!」

「バーカ! ひゃっははははは!!」

「バカ! アホ! クソ、マヌケ、

ノロマカスボケフヌケネクラブスザコ……」

「何で俺たちがお前の兄に

振り回されなきゃいけないんだ!?」

「ゴミ生ゴミ粗大ゴミ無意味無価値

最低最悪できそこない死にぞこない……」

「お前さあ、掃除が好きだろ? 

特技は清掃だろ? 

清掃するために学校来てるもんな。

こいつの死体どっか片付けろよ。」


友達の一人がキサメを指さす。

私がキサメに手を伸ばすと皆がキサメを蹴り始める。

私は思わず手を引く。

私は恐怖と混乱のあまりその場にしゃがんだ。

しゃがむのが精一杯の勇気だった。


「ブタサルゴリラムシケラ

ハゲチビクソガリデブボッチ、キモ富士! 

富士谷は×××! □□□の△△△! 

○○○○○!!」

「何か喋れよいい加減!」

「お前のせいで学校来るの楽しくなくなるわ! 

いじめだろこんなの!」

「ぎゃははははは!!」

「またお得意のだんまりか。

そうやって相手が自分の心中を

察してくれるのを待ってるんだろ?」

「説明しろ!」「何もできないならもう死ね!」

「死ねって言われたら死ぬんだろ? 

バカだから。」「バカは死ななきゃ治らん」

「死んで償え!」「●●●――! ――!!」

「殺す価値もない殺す価値もない

殺す価値もない……」

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね……」


死ぬって、何だろう。


「死ぬお手本見せるからちゃんと見とけよボケ」


物陰から脅かすように人型の何かが現れる。

燃え尽きた遺体だ。

匂いがする。焦げた焼き魚の匂いに似ているが、

それが人の焼けたものだと思うと

殺意すら籠っている気がしてくる。


「うっ……うぐっ……」


いきなり何の予兆もなく、全身の力が抜ける。

胃の中身を吐き戻す。

両手を床について動けなくなる。


「うわーサイアクー」

「きったねー」「死ねボケぇ」


遺体は灰となり天井へ舞い上がる。

他にも窓から、廊下の奥から、

あちこちから遺灰が吹いてくる。

遺灰は全て光っている。

白と黒の二つの色彩が

目で追いきれない海流のように渦巻く。

私の意識は鋭敏になって、

白と黒の複雑な筋を無理やり辿る。

それは熱病でうなされる時に見る

夢に似ていた。

部屋の照明が点滅し始める。

一瞬一瞬視界が途切れる度に

遺灰は人間を表す形へと変容していく。

何人分もの人の形となった遺灰は

それぞれ抱き付き合い、一体の巨大な

灰塵の怪物となって教室の半分ほどを

天井一杯まで塞ぐようにして現れる。

その体の形状は整合性のない、

未知の規則による構造からなり、

全身が腕のようであり顎のようでもある。

部屋の明かりが完全に消灯すると『灰塵』の

眩しくくすぶる炎が、

血管のような、血涙のような赤い筋となって

全身に張り巡らされているのが見て取れる。

その姿は亡霊たちの怒りや

憎悪の結晶であり象徴なのだ。

私はその威容を前にして思わず後ずさる。

亡霊の内の一人が話してくる。


「あなた服脱げてますよー」


生きていた時と全く同じ声音だ。

私が廊下へ逃げ出すと何人もが一斉に話してくる。


「きったねー体だなぁ!」

「見てるこっちが情けなくなる」

「お前の惨めな人生の象徴だよその体は」

「逃げるんかよ」「ひゃはははははは」


私は大変な覚悟をして、逃げるために背を見せた。

『灰塵』が迫りくる。

逃げ道は廊下の奥へ進む一方向しかない。

その辺りの教室に入っても

閉じ込められるだけだろう。

ふと、キサメのことを

思い出して振り返る。

丁度『灰塵』がその手のような牙で

キサメを捕食していた。

キサメは泥に沈む花のように

『灰塵』に飲み込まれていく。


 「あ……あ……」


私はうろたえて

そのままほうけそうになったが

『灰塵』の視線を感じてまた走り出す。


「お前に逃げる権利なんかないだろ!」

「みんなお前に迷惑かけられて

巻き込まれてんだ!」「隠れんじゃねーぞ!」

「お前が何とかしろ!」「出てこい富士谷!」

「自分はクズですって言え」

「お前もお前の兄貴もクズじゃ、

地獄へ行け!」


『灰塵』は明らかに歩くのに

向いていない体を強引に引きずり、

自己破壊しながら私に追いすがる。

普通の人の足なら簡単に振り切れるのだろうが、

私の場合はそうはいかない。

私の息遣いよりも

はるかに明瞭な『灰塵』の気配が

ゆすぐ後ろまで来るのを感じてしまう。


「どうせここから出れたって

将来真っ暗だお前なんか」

「人殺し兄弟だもんな!」

「私たちのこともシカトするの!? 

面倒臭いから無視するの!? ねえ!?」

「私たちの存在なかったことにするつもり? 

あんたも実は私たちを

殺したがってたんじゃないの?」

「将来の夢は兄と同じ殺人鬼になることだろ? 

クズクズクズクズ……」


下から追ってくる『灰塵』に対し、

廊下を経由して別の階段から下へ降りようという

現実的発想が思い浮かんだが、

より瞬発力ある謎の意志がそれを否定し

目の前の上へ続く階段を選び続ける。

まるで屋上を目指す本能があるかのようだ。

恐らくは防衛本能が兄を求めているのだ。

私は光を求める走光性の虫の様に

上の階へ駆け上がる。

普通の人のように走れないのがもどかしい。

だがそれ以上に煩わしいのは

考えがまとまらないことだ。思考の猶予がない。

考える時間が欲しい。

誰も、私が喋るまで待ってくれない。

例外だったキサメは私が死なせてしまった。


「止まれ!」「走るなボケ!」

「戻って来い!」「おい走るな!」

「こっち来い富士谷!!」


怪物が私を呼び止めようとする。

そのたびに私は振り向き、

足まで止めてしまいそうになる。


「怒らねーからそこで止まれよ」

「何で逃げるんだ?」

「誰も本気でお前を殺そうなんて思ってないよ」

「お前だけ何本気になってんの」

「バカじゃねーの」


手すりにしがみついていると左手に何かが刺さった。

キサメの鱗だ。

落としそうになって、とっさに右手で受け取った。

何故かそれ以上振り向いては

いけないという気持ちになった。


「兄の所へさえ行けば何とかなる……

兄の所へさえ行けば……

光だけを探さなければ……」

「それ以上行ったら殺す!」「戻って来い!」


何階まで来ただろうか、

ようやく『灰塵』を振り切ったためか

自分の背後が忽然こつぜん

静かになったのに私は気付いた。

それでも休憩もなしに上り続け、疲労のせいで

随分重たくなった足を上の段へ上の段へ

積み上げるように運んでいくと

ついに薄い赤の光が

ちらちらと閃いているのを見つけた。屋上だ。

ついに兄の待つ場所へ来たのだ。

そう思うと気が抜けてしまい

疲れがより増してくる。

疲れを意識すると無意識にまた後ろを見てしまう。

そこに灰塵の怪物はいない。

下の方を覗き込むと、怪物は脱ぎ捨てられた

着ぐるみの様に力なく崩れている。

その傍で亡霊たちが光が当たるのを

避けるかのように立ち止まっている。

深淵から亡霊たちが私を睨み付ける。

亡霊たちは叫んだ。


「来い!」「殺す!」

「何見て来てんだよ!」「殺してやる!」

「お前は屑だ!」「謝れ!」

「男として最低! 人間として最低!!」

「勝ったとか思ってんじゃねーだろうな!?」

「お前が弱いクセに生き残ってるのは、

卑怯だからだ!」

「この先のうのうと

生きていけると思うなよ!」

「お前は兄には勝てねー」

「誰にも勝てない、死ぬまで負け犬だ!」


私は頭を下げた。

隠れるように、四つん這いになって屋上へ向かった。








まだまだお付き合いください! 

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