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異邦人  作者: 住友
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預言者――1――


 気づいた時、私に視力はなかった。

私は友人も便器も何もない、ただ仄暗い、闇とも光ともつかない混沌の中にいた。私はついさっきまで自分が受けていた拷問のことを思い出し、自らの意識に断絶があることとここが夢の中であることを悟った。


「……そうだ、あれからどうなった? 何が起きている?」


私は辺りを見回した。すると自分の言ったことのある場所や今までに出会い、一緒に過ごしてきた人々が

次々と現れる。皆影法師のように現れては途切れ途切れの短い言葉だけを残して消え去っていく。


「お金渡さないと殴られるならお金持っていきなさい。また怪我したら余計にお金かかるじゃない」

「お金の心配はしないで」

「我慢すればいい」

「社会に出たら嫌なことくらいたくさんある」

「お祈りしましょうよ」

「あんまり人に言いふらさないようにしなさい」

「学校にはちゃんと行って、授業に出なさい」

「勉強はちゃんとしなさい」


これは母の声だ。母の過去の発言が羅列されまるで大勢で喋っているかのように繰り出されてくる。


「金の貸し借りじゃ事件にならん」

「怪我人でも出ないと」

「あなた説明下手ですね」

「届け出は親に出してもらって」

「学校の先生とちゃんと相談しなさい」


これは警察署の人から聞いた言葉だ。


「警察が事件化してくれないならどうしようもない」

「ちゃんと警察と相談してくれないと、学校側も動きにくい」

「弱気でいるからかえって恨みを買うんじゃないのか」

「成績の方が心配だ」

「新学期だって始まるし」

「お前の相手たちにだって事情はある」


これは教師だ。


「彼は学校外での怪我で入院したと聞いてます……」

「担当の学年主任が不在ですので……」

「この件の把握確認はできておりません。夏休みが始まるからバタバタしておりまして……」

「当時各メディアで報道もされましたが、運悪く他の大事件と重なり世間への周知は徹底されなかった……」

「学校で調査委員会は設置されなかった……」


これは怪我で入院している時、病室の外から聞こえてきたものだ。どういう大人たちなのかは知らない。


「入院するほどの暴行なのに! どうして誰も助けてくれないんだ! 一体どうすれば……」

「明朝、とにかく証拠を集めよう。現場の場所、時間、加害者の人数、名前、立場、被害はできるだけ数字にして、行動の記録は一日、いや半日単位で記録して……」

「証拠さえあれば警察を動かせる。お前は何も疚しくないんだから、警察を動かすことだけを考えるんだ。」


これは……兄だ。確か一時はこんな風に、すごく前向きに親身になってくれていたような気がする。


「隆己、明朝に何吹き込んでるのよ!? あなたは余計なことしないでいいのよ!」

「明朝、お兄ちゃんから言われたことは全部忘れなさい。何があってもやり返そうなんて思っちゃ駄目よ!」


そう母が兄を叱っていた。兄が母に叱られて泣くのはこれが最初で最後だった。いくら賢くても威勢が良くても所詮は子供だ。最終的には親の前に力尽き、折れる。これ以降兄は私とほとんど口を利かなくなったし、私も相談しようとはしなかった。


「富士谷君しっかり歌ってよ!」

「お前だけ声が小さいんだよ!」

「恥ずかしがってる場合かよ!」

「協調性がない!」

「皆が真剣にやってるのが分からないの!?」

「空気読め!」

「表情が暗いから声が出ないんだよ! 笑え!」

「笑え! 真剣にやれ! 笑え!」


これは小学生の時にやった合唱の練習の風景だ。近くの老人ホームに訪問して披露する合唱の練習をしていたのだった。曲目は何だったか……『喜び』とか『歓喜』とか、そんな名前の歌だった。私はソロパートを任された。単独で歌うという誰もやりたがらない役目だ。私もやりたくないとずっと祈っていたが無駄だった。人前で歌うのはちっとも晴れがましくなく、むしろ何か自覚のない罪に対する罰だとさえ思った。今振り返ってみても特に恐ろしい出来事であった。また同じ状況に置かれたとしても喜んだり笑ったりできる自信はない。私はずっとこの頃の私のままだ。それは苦痛というものがある時突然歓喜に変わったりすることがなく、いつまで経っても苦痛のままであるのと同じだ。


「何であいつ学校来てんだろうなぁ?」

「さぁね、掃除当番やるのが楽しみなんじゃねーの?」

「そもそも何で生きてるんだ? ひひひ」

「こいつ何でここにいるんだろ?」


友達なら分かってくれてもいいんじゃなかろうか、私に楽しみなんかない。私は嬉しくない。私は笑いたくない。生きたくなんか――


「――おお友よ、このような歌では駄目なのだ! もっと心地よい、もっと喜びに満ちた歌を歌おうではないか!」


私が存在する理由、それは今の私とは違う何かに、楽園の乙女のように、神々の火花のようになるためではないのか……






 私は目覚めた。

目覚めた瞬間から飛び上がりそうな気分だった。しかし体が鉛を詰め込んだように重くて飛び起きなどできない。床に寝ているのが嫌で、酔ったような疲労感に見舞われながらも何とか便器にもたれかかる。非常に気分が悪いが現実に戻ってきた実感が湧く。とりあえず死んでしまった訳ではないと分かり何とも言えない気持ちになる。トイレ全体の照明が落ちていて辺りは暗い。天井がどこからか差す小さい光を反射している。嫌な夢を見て真夜中に起きる時は周囲の暗さがやたら怖く感じる。酷いときは物音さえ聞こえる気がする。そして明かりをつける直前が最も怖いものだが、今はそれと全く同じ状況だ。違う点は明かりをつけられないところだろうか。それに物音というか、何かざわついているように聞こえる。個室の外に大勢人がいるようだ。友人たちだろうか。変な声に聞こえるのは何故だろう? 


「みんなまだいるのか……どうしよう……」


今は何時だろう? 暑さは朝方より増しているようだ。ここまで暑いと溺れているかのように息苦しい。頭に血が上っていていつもの倍は激しい頭痛がする。非常事態でなければとっくに思考を放棄している気怠さだ。姿勢を起こしているのも目の焦点を定めるのも大儀だ。服が汗であますところなく濡れていて重い。体に密着して固く締め付けてくる。体の全部が義肢になってしまったかのように動きにくい。


「汗じゃなくて、トイレの水だったな……」


胃の奥から気持ち悪いものがこみ上げてくる。腰痛や肩こりも激しい。どれも寝相が悪い時と同じで、妙な体勢で倒れていたせいだ。寝起きには義手を何度か上げ下げして準備運動をしないときちんと動いてくれない。それであちこちの関節が良く鳴る。誰にも聞かれたくない音だ。外の友人たちの会話に聞き耳を立てるがまだ変な声に聞こえてしまい、よく聞き取れない。聴覚を補助する何らかの部品が壊れてしまったのかもしれない。義手の機械的な不具合なら自分で何とかできるが神経と繋がっているような電子部品の故障は手のつけようがない。


「よりによってこんな状況で……医局の先生に連絡してみようかな……いや、そういえば親に連絡してないな……」


私の連絡手段は公衆電話のみだ。携帯電話は持ってはいるが今手元にはない。友達の元にあるのだ。二か月くらい前に預けたまま返してもらっていない。預かる理由は聞けなかったが悪いことには使われていないはずだ。二か月も経って何事も起きてないのだから大丈夫なはずだ。


「ここから出ても大丈夫だろうか……ちゃんと事情を説明したら皆分かってくれるだろうか……いや無理か……」


冷静さを取り戻してくるとある違和感に気づく。皆の声以外の音は普通に聞こえるのだ。自分の独り言を聞いていても変な声に聞こえるということはない(普段からほとんど喋らないせいで自分の声の調子にすぐに気づかなかったが)。遠くで悲鳴や叫びが上がるがそれも単に音として聞けば異常はない。聞きなれた自分の関節の鳴る音も、忌々しいほどいつも通りなように聞こえる。この個室のすぐ向こうの皆の声だけがその違和感によって薄明りの中の静物のように目立っているのだ。


「――やっぱり息はないですケ、心臓も停止してるし脳波も発していないし、つまりは、この生徒は、死体になっちまってるんですケ!」

「なんで死んだんですかケ!?」

「このガキどもが下手に抵抗なんかしてくるから、加減を誤って死なせちまったんですケ! アンタも当事者のクセにいちいち聞いてくるなですケ! 白々しいんじゃありませんかケェ!?」

「これこそ飼ってた犬に手を噛まれるって奴ですケ!」

「それを言うなら犬に、じゃなくて猫に、じゃありませんかケ?」

「犬ですケェ! あんた、バカ! じゃないんですかケェッ!?」

「クェーッッ何だとですケーッ」

「慌てるんじゃないですケ! 落ち着いてないなんてみっともないですケ! 聖典の箴言にもありますケ、落ち着いてない人間ほど落ち着いてないことを落ち着いてないかのように……なんでしたかケ?」


声は甲高いのもあれば図太いのもあるがどの声も一様に濁った感じで、人間離れした響きがある。共通して早口で、慌てるように喋っている。語尾は特に上ずって不必要な発音が加わっている。鶏に人間並みの声帯があれば丁度こんな声を出しそうな、そんな声だ。もしかしたら皆がわざと変な声で会話しているだけかもしれない。どんな状況でもふざけるような人たちだからありえる。友達は飽きたり退屈になったりさえすれば何でもする――やはり殺人だってする――人々ばかりだ。しかし、友人たちがするにしては会話の内容がおかしいようだ。


「殺人に関与しちゃいましたケ……しかも他のガキどもはみんな逃げましたケ……あいつらは目撃者ですケ……目撃者に逃げられたら、ワレワレの社会的立場はどーなるんですかケ?」

「大体なんで生徒という奴はワレワレや教師の指示に反抗するんですかケ? 逆らわないと死ぬビョーキなんですかケぇ?」

「教職が上手くいってなかった上にこんな火事まで起こしてしまって、さらに人間を直接殺したなんて、もうワレワレの地位はどん底ですケぇ」

「ケェ~」「ケ~!」


微かにあった光が落ち着きなくちらつく。どうやら懐中電灯の光だったようだ。真っ暗なのは私の目の異常のせいではないらしい。屋内火災というのはここまで真っ暗になるものなのだろうか? 私も含めて、ここにいる人間は皆逃げ遅れているのではないのだろうか? 皆不安にならないのだろうか? 何故避難しないのだろうか? 何故避難させてくれないのだ? 


「どの道多分、私には関係ない……関わるのは疲れる……立ち去るのを期待しよう……じっと待っていよう……」


そう思いながらも私は個室の扉に静かに手を当て、できるだけゆっくりと少しだけ開けて隙間の向こうを覗いてみる。懐中電灯の明かりが声の主たちの姿を暴き立てる。それは小さく不格好な生物たちだ。どの個体も私程の腰までしかない背丈で、青緑色をしている。喋りながら腕らしきものを身振り手振りさせている。目が合うと不味い気がしたので一瞬だけ覗いてすぐに顔を引っ込めたのだが、彼らが友人たちでないことははっきり確認できた。


「人間なんて! これだから人間なんて! 人間の教師なんてやるもんじゃなかったんですケ!」

「暑いし喉乾いたし爪は火傷したし尻尾も鱗も痛いし上役との連絡も取れないし、もう! もうっですケ! もー何もかもどーでもい~ですケェ」

「うるせえ殺されたいんですかケェ!?」

「あーワレワレ一体こんなところで何やってんですかケェ?」

「ケケケ、この人間の死に顔御覧なさいケ、こんなに驚いたような顔をして、こんな風に死ぬのだけは勘弁ですケェ、ケーケッケケケ……」

「なーに言ってんですかケ!? 犯人は、あんたですケェ!」

「あんたも、犯人ですケェ!」

「ケェ~!?」「ケーッッ!」


彼らは人間ではない。友人どころか明らかに人間とは違う異形の珍獣だ。人語を操る謎の動物たちが、この薄い扉のすぐ向うにたむろしているということの意味。

それは一体何であろうか。彼らは私がここにいることを知っているのだろうか? 息遣いすら聞こえてしまいそうなこの距離で、私にできることとは一体? 彼らの早口の会話は友達が授業中にするお喋りを思い出させる。延々と続き、終わりそうにない。ここは培ってきた忍耐力を発揮して脱出の好機を窺うしかない。


「気を、心を高く持つんですケ! 落ち着けとは言いましたが落ち込めとは言っとりませんケ!」


私はまた隙間に顔を寄せて向こうを覗く。珍獣たちの足元に人が一人横たわっているのが見える。締まりのない表情で虚空を見つめているその人間は間違いなく私を拷問していた友人たちの一人だ。その様子が先日に見た兄の遺体と重なる。この珍獣たちの会話に出てくる『死人』とはまさかその友達のことなのだろうか? 


「ピンチはチャンスですケ! 今こそワレワレ変革の時なんですケェ!」

「なんですかケなんですかケ」

「殺されたいんですかケ」

「『こいつ』を活用するんですケ!」


珍獣たちの大振りな動作が自分たちの後ろに控える『こいつ』を指し示す。そこには女子の制服を着た異様な人間がいた。光の角度や明るさの加減のせいか、青白い、死そのものを連想させる色の頭髪をしているように見える。疲れ切ったような姿勢で顔が髪に覆い隠され、まるで幽霊か死神かのようで、

死人よりも死人らしく、珍獣たちよりも人間味がない雰囲気だ。私は彼女(彼?)が素足であることに気づき、余計に気味悪さを覚えた。




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