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異邦人  作者: 住友
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葬送行進――1――

 A・カミュの『異邦人』の二次創作だと

断っておきます。




 


俺が語るのは不条理の哲学ではない。はっきり言えば、俺たちの時代はまだそれを知らない――

A.カミュ『シーシュポスの神話』より








 昨日、兄が死んだ。

丁度私が学校から家に帰った時に親からそう連絡が来た。何でも市内の橋の手すりに縄をかけて衆人環視の中首を吊ったのだそうだ。自殺だ。

――何故彼はあんな目立つところで首を吊ったのか? 

家を訪ねてきた警官や新聞紙だか週刊誌だかの記者が私にそう質問した。私は何も分からないと答えた。実際私が知っていることは何もなかった。


 今日は親が不在だ。私は朝早くから訪ねてくる学校の教師たちやひっきりなしにかかってくる電話の対応に追われた。対応といっても詳しいことは何も知らないので兄が搬送された病院の名前を教えるだけだ。昼になると何人か親戚がやってきた。私を色々手伝いたいとのことだった。私は遠慮なく面倒事を任せることにして二階の自室に籠った。親戚に話しかけられても気の利いたことは言えないし、兄のことも聞かれたくなかった。兄のついでに今の自分のことをあれこれ詮索されるのは特に我慢ならなかった。

夏を迎えて久しい空は綺麗な青色をしている。私の部屋は特に日当たりが良く夏場は蒸したようになる。まともな空調が欲しくなるがそれは親に許されない。窓を開けて扇風機をつけると十分涼しい、そう思い込まなくてはならないのだった。


「――自殺なんだろ? 

隆己たつみ君は……」

「何が原因なの――いじめでもあったの?」

「母親に似たんだろう――思い込みが

強かったんだよ――」

「いやいや、あの学校は

昔からろくでもないからな――」

「生徒が?」

「生徒も教師も皆だよ――

やっぱり校区からちゃんとした議員さんを

出さないといけない――」

「親より先に死ぬのが

一番の親不孝って言いまして、

いや本当にね――」


開放的なせいで階下の親戚たちの会話が筒抜けだ。特に自殺とかいじめとかいった単語が出てくるとその度に頭に血が上る。暑さも相まって昼寝もできやしない。


「検視はどれくらいかかるんだ――

通夜が明後日とかになるようじゃ

出席できないよ――」

「勉強は良くできてたんでしょう――

何で死にたいなんて思うんでしょうねぇ――」

「生きていれば良いことだってあるのに――」

「確か体の弱い下の子がいたでしょ? 

妹さん――弟さんだっけ? 

あの子は病気とか怪我とかばかりして――」

「――明朝はるかた君のこと? 

そういや彼どうしてるの――」

「さあ? さっき――上に行ったきり――

一応挨拶しに行った方がいいんじゃ――」

「別にいいんじゃないの――」

「――、――。」


 兄の死で皆の話が盛り上がっていく。私の名前も挙がった。私は両手で耳を塞いだ。頭の中が血の流れる音でいっぱいになる。人の声も、市道を走る車の音も、近場の製材所の音も、蝉の声も遠ざったみたいに小さくなる。現実逃避をしている自覚はある。自分にも何か説明できることがあるかもしれない。しかしあくまで上手く説明できればの話だが。ぐずぐずしていると私の部屋まで乗り込んでくる者が現れるに違いない。昔話や説教の好きな年配組などが来たら不味すぎる。年配に限らず親戚というのは苦手だ。そもそも私にとって苦手でない種類の人間などいない訳だが……とりとめもなく考えていると誰かが私の肩を叩いた。驚いた私は声をあげて振り向く。そこにいたのは赤毛で碧眼の、まるで古い色硝子に描かれてそうな女だ。


「すみません、ノックしたのですが

返事がなかったので……」


女は私のよく知る人物だ。だが私には彼女が目の前にいる理由が思いつかなかった。彼女は慌てる私が起立しようとするのをまあまあと制しながら、改まって挨拶した。


富士谷明朝ふじやはるかた君ですね? 

親戚の方に断って上がらせていただきました。

生徒会長のギルガメスカヤ=ベニザワです。

この度はご愁傷様です。」


『ギルガメスカヤ婦人』。私の通う学校の生徒会長だ。実際は学年相応の年齢だが、大人びた立ち振る舞いや10代らしからぬ外貌から『婦人』などとあだ名が付いている。特に今は表情にも憂いを帯び一層妖しいオーラを醸し出している。殺風景な私の部屋の中で過剰な存在感を放っている。私は猫背気味に縮こまって恐縮していることを全身で示した。


「あ、あの……通夜は明日になると思いますから、

今日はまだ何も……」

「いえ、今日は貴方に用事があって伺ったのです。少しお時間をいただいてもよろしいですか?」


私に用事と言われても心当たりはない。この『婦人』、顔は知っているが馴染みは全くない人物だ。その姿は今日の今日まで遠目からしか見たことがないし、同級生たちがする噂話くらいでしか存在を意識したことがない。兄との繋がりを強いて挙げれば学年が同じであるということくらいか。実は遠い親戚だというようなこともないはずだ。生徒の代表であるから通夜に参列する理由ならないこともないだろうが、何の接点も無い私に用があるとはどういうことか。何の用があるというのか。私は震えた。


「私は生前のお兄さんから色々な相談事を受けていたのですが……というのも、私たちはクラスは違いましたが互いによく図書室を利用していたのをきっかけに色々お話しをさせていただいていました。それで、学校生活や家庭でのことをお話ししまして、弟の貴方のことも聞かせてもらいました。」


図書室で会っていた? あの兄が女子生徒と二人きりで? あの学校の生徒で図書室を利用する者など殆どいないのだから二人きりに違いない。二人きりになって心を開いたというのか。私のことまで喋ったとは……


「木曜日にも図書室で会ったのですが、その時にこちらのものを預かりました。」


『婦人』はまるで手品のようにどこからともなく大きな封筒を取り出した。それで私はまた少し驚いたが、封筒の中身を聞かされて今度は呆気にとられた。それには遺書という表題がつけられていて原稿用紙数十枚からなる長い文章だということだった。


「弟の貴方宛だそうで、他人にはもちろんご両親にも秘密にと。まさかこれが本物の遺書になるとは思いもよりませんでしたが……今読むなら席を外しましょうか?」


封筒を受け取る。ぴったり口が閉じていて、重い。兄が遺書を残すとは。しかも私宛に。信じられない思いだ。他人には興味も関心も抱かなかった兄が女子と話したり遺書を書き残したり、一体全体……


「やけくそだったのか……」

「はい?」

「あ、いえ何でも……えっと、じゃあこれは

後で読みます。」


受け取ったものをすぐに机に投げ出すのも失礼な気がして、手で持ったままにする。幸い生徒会長はすぐに帰りそうだ。


「ご両親はお忙しいでしょうからまた後日改めて挨拶させていただきます。明朝君、連絡先の交換をしませんか? 告別式の段取りで話し合うことも出てくるでしょうから。」


私は一瞬耳を疑った。

告別式とは何だ? 葬式のことか? お別れ会のことか? 学校で兄を悼むなどということをするのだろうか? この私が、皆の前で兄にお別れの挨拶などをするということか?全校の関係者を前に、この私がスピーチを……想像しただけで生きた心地がしない。白日の下に引きずり出されるのを恐れる犯罪者の気分だ。


「い、いえ自分ケータイとかそういうの持ってないんで、はい、そういうことですので……」


我ながら見事だと思える言い訳をして私は何とか平静を取り戻す。すぐにその場しのぎでしかないことに気づき、青ざめる自分に同情する。自分に「自分は今青ざめているのだ」と言い聞かせると生じる鎮静作用はこの私になくてはならないものであった。


「そうでしたか。では私のアドレスを、どうぞ。先ほども言ったようにお兄さんから貴方の話は聞いています。もし何か困ったことがあればいつでも力になります。」


連絡先のメモを右手で受け取る。遺書を持ちっぱなしの左手はもう汗ばんでいて、気持ち悪く湿っている。この左手は隠さなければ。意識しなくても気配りができる自分の気の小ささが役に立つ。


「あ、ありがとうございます……」


生徒会長の喋り方は妙に落ち着く。うっかり心の声が出てしまいそうだ。告別式だけは勘弁してください、と。


「学校の方はとりあえず週明けは欠席しますね? 私から貴方の担任に連絡を入れましょうか?」

「あっ、いえ、学校は行きます。休みません……」

「む? しかし葬式は日曜には無理でしょう? 

早くても月曜日……」

「葬式は出ません。皆勤賞取らないと。」

「そういう訳にはいかないでしょう。そもそもご家族の葬儀に出席される場合、公欠扱いです。」

「あぁ、でも……授業に遅れたくないので……」


生徒会長は真っ直ぐ私を見ている。私はちらと目線を上げて、すぐ下に戻す。


「そうですか……しかし家族の弔事に出ないというのは感心しません。どうしてもと言うのならご両親と相談されるのが良いでしょう。」


突如、明らかに騒音と呼べる、改造してあるらしいバイクの排気音が私たちの会話を遮る。そのバイクは私の家の前で止まるとエンジン音以上に場違いで明るく賑やかな音を鳴らした。屁の音を再現できるということで人気の玩具ブーブークッションやクラッカー、ブブゼラなど王道的パーティーグッズの数々だ。それが家族が死んだ私の家の前で鳴らされるのには当然意味がある。私にはすぐに心当たりが浮かんだ。私か兄の友達か、そのうちの誰かがいたずら心をむき出しにして囃し立てに来たのだ。窓から外を見ると顔を念入りに隠した集団がバイクで走り去っていくのが見えた。生徒会長もそれを見て怒った。


「誰だあれは……くだらない真似を! いや、あの連中は確か見覚えがある……今日はこれで失礼します。あの彼らのことは私に任せて。」


私が何も知らないと言うと生徒会長は彼らの走り去った方を睨み、部屋を出て行った。

後には得体の知れない香水の匂いだけが残った。



2016/8/4に訂正『夫人』→『婦人』


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