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異邦人  作者: 住友
2/15

葬送行進――2――


 夜になり日付が変わった頃に兄は家に帰ってきた。

穏やかな顔をしているのがあまりに不自然なので人の手が入っていることがすぐに分かった。生きている時はどんな顔をしていただろう。ほぼ毎日見ていたはずだがはっきり覚えていない。

 額を触ってみると冷たかった。氷のよう、というよりは日陰に放り出された石ころのようだ。


「虚しい。」


ふと母がそう言った。私は顔をあげた。母は兄の顔をじっと見ている。その眼差しには怒りのような、悔しさのような感情が込められていた。


「虚しい……虚しいって何よ……何が虚しいのよ……」


母が呪詛のように低い声で呟いているのは生前の兄の口癖だった言葉だ。


「虚しいとか関係ないでしょう……生きていかないと駄目でしょ……」


母はすっと立ち上がると不気味なほど機敏な動作で部屋を出て行った。父は疲れたような、力の抜けたような表情のまま固まっていた。他の親戚は何かいろいろお喋りしていた。私は母にならって家の外へ出た。

 空は星がよく見えた。この季節には珍しい強い風が私の髪をなびかせると、今夜が特別な夜のように思えてきた。気分がよくなってきた私は遠くからやってくる音にひどく落ち着いて聞き入ることができた。自動車のクラクション、バイクの音やパトカーのサイレン、虫や蛙の鳴く声。兄の声、兄との記憶。どこかの渓流でキャンプをした日を思い出すと、家の前に茂る木々の深い影の中に昔の太陽が見える。焼けつくような日差しの下で夢中で遊んでいた、一番美しかった頃の私たちが現れる……


「すみませーん」


声をかけられて私は向き直った。


「アスカ第三紙の記者のものですがー富士谷隆己さんのご家族の方でしょうかー?」


知らない男が近づいてくる。暗がりで姿が見えない分、はきはきとした声が余計に際立っていて不気味だ。


「ご兄弟の方ですかー? よければ2つ3つほど質問させていただきたいのですが今少しお時間いただけますでしょうかー?」

「富士谷さん! いいですか!? 富士谷隆己さんのことについて何ですが!」

「まず初めに今のお気持ちなどお聞かせ願えませんか!」

「自殺の理由はいじめですか!?」

「学校側の対応は何かありましたか?」


一人ではないらしい。男女が複数いるようだ。私がどうしようか考えていると母がスリッパのままで飛び出してきた。


「今立て込んでるんです!」

「ちょっとだけでいいんで……」

「帰ってください! 明朝、家の中にいなさい!」


母はがなり立てながら私を家の中へ押し込んだ。記者たちは喚きながら私に追い縋ろうとするが、後からやってきた親戚たちに追い払われた。私は茫然自失となっていたが今起きたことは単なる夢だったと考えることで気を取り直した。私はたった今目覚めたというような気分でいつもと違う雰囲気の家の中を歩いた。それで、私には関係のないことだったのだと思えた。


「本籍地って移してないの?」

「本籍地がどうしたの?」

「現住所と本籍地が違うとそれぞれの所管の役所に一通ずつ死亡届を……」


私は遺影に使う兄の写真を探した。見つかるのは小さい頃の写真ばかりだ。私もそうだが兄は写真を撮られるのが嫌いだった。兄は私と違って頭が良かったのでカメラの前に立つ機会をいつもうまく切り抜けていた。兄は頭が良く、潔癖だった。


「通夜の式場は自宅で、葬式と火葬場は――の紹介で……」

「お兄ちゃんの部屋どうする?」

「片付けて布団を置く部屋にしよう。いるものだけ残しておいて……」

「今みんなに手伝ってもらおうか?」

「全部済んでからでいいわ――」


アルバムの中から兄の小学校時代の成績表が出てきた。特記事項に苦手な科目はないが人付き合いが下手なようだとある。私はそれを脇に置き写真を探し続けたがそれ以上はもう何も出てこなかった。


「何してるの明朝。」

「いや……」

「お兄ちゃんの遺影を探してるの? そんなのお父さんが探すわよ。あなたは他にすることあるでしょう? 溜まってる課題やら宿題やら……」


結局、学生証を作った時に余った証明写真を焼いて使うことになった。




 通夜は明日に決まった。

通夜の日の晩には死者と家族が次の日の葬式まで一緒に過ごすのだと親戚の誰かが言っていた。通夜が日曜日、葬式は月曜日。月曜日は普通の登校日だ。葬式に出るか学校に行くか、決めなくてはならない。生徒会長は親に相談しろと言ったが、それは親に判断を委ねることを意味する。私は学校に行かねばならない。その理由を親が理解するとは思えない。当日まで黙っているのがいいだろう。


「そうだ誰も知るはずがない……」

「はぁ? 何か言った? また声が小さいわよ。話すときはもっとはきはき喋りなさいって言ってるじゃないの。」


親戚の皆が帰った後、遅い夕食を家族揃って取っていたら考えてることがつい口に出てしまった。いつもと違ってテレビがついていないのでもろに母に聞こえてしまったようだ。私は母の機嫌が悪くなるのを感じ取った。


「なんでもない……」

「もうお兄ちゃんいなくなっちゃったんだから、あんたにはしっかりしてもらわないと。今度新しくできた塾見に行きましょう。」


テレビのリモコンは私の近くにあったが私はそれを無視した。


「いつもの病院に近いところだから帰りに体の検査しに立ち寄れるわよ。受験の勉強なんてできるだけ早い方が良いに決まってるんだから。あんたの年はすごく状況が厳しくなるそうよ。平年より子供の数が多くて受験の倍率が高くなってるし、経営難で潰れる学校がまた増えるってニュースでも言ってたんだから。それにあんた、この間のテストは散々だったじゃない。あんな点数じゃとても進学なんて無理でしょ……」


私はそら豆を箸で摘まむ。完璧な力加減のはずの箸の先が豆の球面と油光沢の上を滑る。豆は皿の上へ落ちる。豆が磁器を叩くささやかな音は寂しい部屋の中によく響く。


「ちょっとお母さん話してるんだから手ぇ止めて聞きなさいよっ。」


箸をも床に落としたので流し台へ洗いに行く。私が席を立つとき母の視線が痛かった。


「もう、お父さんも何か言ってよぉ。」

「ええ? 何で俺が……何を言うんだよ……」

「何でって何よ! 子供のことでしょう! 自分の子供よ!?」


箸を泡で洗い水ですすぎ、また泡で洗うのを繰り返しながら私は言った。


「兄さんは母さんの言う通りにしてきたじゃないか。」

「はぁ?」

「野菜だけ食べろと言うから肉を食べるのをやめたし……ゲーム機で遊ぶのもやめたし、テレビを見るのもやめたし漫画を読むのもやめたし……学校の美術部もやめた、ネットをするのもやめた。全部言う通りにしてたから、だから……」

「何言ってるの? ちょっと?」

「生きるのもやめたんじゃないかな。うんざりしてたんだと思うよ。」


自分でも何を言ってるのか分からなかった。何故か、普段喋らない分が口を突いて出た。久しぶりにたくさん喋った。案の定母の顔がみるみる険しくなっていった。何も言うべきではなかったかもしれないと後悔する間もなかった。


「何がうんざりなのよ。うんざりってどういうこと?」

「……別に。」

「別にって何!? 何がうんざりか言ってみなさいよ! お母さんのせいにしないでよ! 自殺なのに! お兄ちゃんは自分で死んだのよ! お母さんが死ねって言った訳じゃないのに! 大体親に向かって言ったら駄目なことでしょうそんなこと! 人殺しみたいに言って!」

「……」

「なんで黙るの!? ちょっとお父さん、何か言ってよ!」

「なんだよ、なんで俺が言わなきゃいけないんだよ……」

「はぁーっ!? なんでって何よ!? 自分の子供のことでしょう!?」

「……」

「何よ! 都合が悪くなったらすぐに黙り込んで! ちょっと気に入らないことがあったら無視したり酒飲んだりすぐ死んだり! 男なんてみんなそうよ、どいつもこいつも自分勝手で! ちょっと何とか言いなさいよ! 黙ってればいいのかよぉ!!? ああ!?」


母は居間を出て行った。扉を壊れそうなくらいの勢いで閉めていった。父が舌打ちする。私は箸を洗い終えたがもう食欲がなかったので食器も片づけた。父はテレビをつけて酒を飲み始めた。私は自分の口を呪った。何故あんなことを喋ってしまったのか、自分でも分からない。生徒会長や友達に家にまでやって来られて頭の中の何かが狂ったのかもしれない。もしくは死んだ兄に憑りつかれたか。そうだ、そうに違いない……


 私が眠りにつこうとする頃、兄の遺体が置かれている部屋から泣き声が聞こえた。泣き声というより悪霊にとり憑かれたような叫びだった。その声の主が母であることはすぐに分かった。兄が死んだことに納得がいかないのだろう。一体誰が悪いのか必死に考えているに違いない。こんな時も父は寝室で狸寝入りか居間で酒を飲んでいるか、どちらにせよ母の傍にいないに違いなかった。母は混乱しやすくすぐ感情的になる人だし、父は母が感情的になるとすぐに逃げ出す人だ。それは天気の模様と同じでどうにもならないことだった。私は母が早く安らぐように、父が母を愛せる人間になれるようにと、できるだけ遅くまで起きて祈った。

 やがて耐えきれず眠りに落ちると夢の中で自分の未来を見た。いつも頭の中に描いている空想と大差ないものだった。つまり、私は功績と呼べるものなど何一つ残さずに死んで、焼き尽くされた後、誰からも忘れ去られ消えてなくなるのだ。

兄と同じように。






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