第1話
拍手喝采が鳴り響く大ホール。まばゆいスポットライトの中心で、私はそっと息を吐いた。
国際音楽コンクールの壇上。私の手には、すべてのピアニストが渇望してやまない最優秀賞のトロフィーが握られている。審査員は手放しで私を絶賛し、観客は総立ちでブラボーと叫んでいた。
けれど、壇上で優雅に一礼する私の心は、どこまでも冷え切っていた。
―――――
私は、転生者だ。
前世のことは、ぼんやりとしか覚えていない。人生を懸けてピアノに向き合い、そして深く挫折した。それだけははっきりと覚えている。
何歳まで生きたのか、死因は何だったのか、そういった記憶はすっぽりと抜け落ちているし、どうして転生などという奇跡が起きたのかもわからない。
ただひとつ確かなのは、今の私にはどういうわけか「あらゆる音楽の才能」が与えられているということだ。
ピアノ、バイオリン、声楽、そして作曲。
どんな楽器も触れれば数日でプロの領域を凌駕し、頭に浮かんだ旋律を書き留めるだけで歴史的な名曲が生まれた。
私は、いるかもわからない神に感謝した。
ああきっと、これは私への祝福なのだと。前世で報われなかった私への、神様からの贈り物なのだと。
だから私は、その才能をフルに利用した。
まず、ネット上で匿名の音楽クリエーターとして活動を始めた。BGMの投稿に始まり、音声合成ソフトを用いて作成した楽曲などを、作ったそばから次々に投稿していった。
『Jane Doe』。
安直にもそう名付けた私のアカウントで発表した楽曲は、次々とミリオン再生を叩き出し、銀行口座には使い切れないほどの資金が振り込まれ続けていた。
手に入れた大金で楽器を買い漁り、気まぐれに弾き続けること幾年か。
前世の影響などもあり、最も手になじんだピアノでもって、私は現実世界でも活動を開始した。
暇つぶしのように数々のコンクールに参加しては圧倒的な差で優勝をかっさらい、界隈を荒らし回った。向けられる称賛が、心地が良かった。
前世の私よ、見ているか。あなたの夢を、今、私が代わりに叶えてやるぞ。
そんな高揚感に背中を押され、数々の舞台に立ってきた。
しかし、歩みを進める中で、私の中の何かが「違う」と悲鳴を上げ始めていた。
そうして辿り着いた、この世界最高峰の舞台。
この舞台に立ったとき、最優秀賞のトロフィーを手に入れた時、私はどれほどの幸せを得られるのだろう。そう思いながら、才能の示すままに、いつも通りに演奏を行った。
緊張などはしない。
私がピアノの前に座り、鍵盤に指をかけた時点で、完璧な演奏は約束されているからだ。
そうして大したハプニングもなく演奏を終え、舞台で一礼をする。
私の演奏を聴いて、人々は様々な表情を見せた。
感動で涙を流す人。
ただただ聴き惚れて呆然と虚空を眺める人。
ひたすらに拍手をし続けている人。
舞台袖に下がろうとする私に、舞台下で賢しらに解説をする指導者たちが、口を揃えて言う言葉が聞こえた。
「ほかの子たちとは、技術も表現力も次元が違う」
「あの子の音は唯一無二だ」 と。
そうだろう、そうだろう。と内心ほくそ笑みながら。
しかしどこかチクリとした痛みを感じて。
これは何だろうと思いながらも舞台袖に下がった私の優れた耳は、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた会場から、一つの言葉を拾ってしまった。
「でも、完璧すぎて、何か怖いな」
思わず足を止めて振り返ってしまった。
今、私は、何と言われた?
私の頭が理解する前に、次の演奏者が紹介され、会場が静寂に包まれていく
案内の人間に促され、舞台袖の階段を下りながら、私はまたしても正体不明の痛みに襲われた。
舞台袖から控室に繋がる通路に出ると、泣き崩れている人たちがいた。
私の演奏を聴いて自身の負けを悟ったのであろう。指導者と思わしき大人たちに抱きしめられながら、嗚咽を漏らしている。
人生のすべてを懸けて挑み、そして散っていった者たちの涙。
それを見て、ふと一つの疑問が浮かんだ。
『おまえがもしも今日、負けていたとしたら、彼女のように泣けただろうか』
なんだ、いきなり。
私はどうしてしまったというのだろう。
だが足を止めて考えてみて。
答えはすぐに浮かんできた。
わかりきったことだ。
間違いなく答えはノーだ。
なぜなら、私にとってこの勝利は、息をするのと同じくらい簡単に手に入ったものだったから。
いつも通りに楽器の前に座り、いつも通りに弾いただけ。才能の示すままに、ただ無意識に鍵盤を叩いただけなのだ。だから、万が一、億が一、負けてしまったしても、私が悲しみに暮れることはない。
控室に戻ったあとも、正体不明の胸の痛みは消えなかった。
そうして何の番狂わせもなく、私はコンクールで最優秀賞に選ばれた。
―――――
壇上で渡されたトロフィー。
かけられる称賛の言葉。
向けられる大勢の拍手。
それらを受け取って、壇上で一礼。
次はどのコンクールに出ようかな、なんてそんなことも考えながら。
ゆっくりと顔をあげ。
そうして世界の頂点へとたどり着いた私の中に、何も残っていないことに気が付いた。




