50.野上響の最期
「約束は約束よね…?帰りましょう?」
「約束は明日までだよ。父さんには、言ったはずだけど」
「響…っ!」
母さんはいきなり、金切り声で叫んだ。俺もビクッとしたが、俺以上にシオンが驚いてフリーズした。
「アイドルなんて、馬鹿なこと考えるのはやめなさい!」
「バカでもいい。俺はYBIでやってくって決めた」
「響き…!アイドルなんて何の保証もない、水商売みたいなものなのよ?!そんなことは、何も持ってない人間がするの!」
「何も持ってない人間…?」
その蔑んだような言葉があまりにも耳障りで、鳥肌が立つ…。初めてかもしれない、自分の母親を睨みつけた。
「YBIってグループのメンバーも、皆んな親もいない、財産もない連中なんでしょう?でもあなたは違うわ!お父さんもお祖父様も、皆んな医者様で…。帰って来なさい、響!今ならまだ間に合うわ。それが、あなたのため…」
「俺も、何もなかった!」
一言一言が嫌すぎて、母さんの言葉を遮って俺は叫んだ。だって本当に、俺も、何もなかった…!
「ずっと母さんに言われた事だけ必死にやって来て、俺の中には自分の意思なんてなかった。自分がなかったんだ。だから、母さんが浮気してるのを見て、俺は誰の子供なんだろうって思ったら…誰でもなくなっちゃって……」
「ひ、響、それは…」
「ようやく、自分のやりたい事がみつかったんだ。絶対に明日までに正式メンバーになって、ここに残る。家には帰らない」
帰らない、と言われた母さんは唇を噛んでワナワナと震えている。目には涙が盛り上がっていった。
「そんな、高校はどうするつもりなの?!」
「…やめるつもり」
「な、何てこと…。高校にも行かないなんて、絶対にダメよ!!お母さんはね、お父さんに『あなたが帰ってこないのは私の教育が悪い』って責められたのよ?!」
ーーやっぱり、思った通りだ。勉強させていたのは、俺のためなんかじゃない。自分に似て、響は勉強ができない、って言われるのが嫌なだけなんだ…。
「…ほら、それが本心なんだよ。『自分のせい』になるのが嫌なだけ。『あなたのため』なんていって、全部自分のためじゃないか!」
「そんな屁理屈ばっかり言って…!響はいつから、そんな子になったの?!ここで悪い影響を受けたんでしょう?!」
今まで、部活もせず学校が終われば塾に行き、友達は
いなかった。それが、ここに来て初めて、分からない事は教えあったり、時にはふざけたりする友達…いや、仲間ができた。それが悪いことのはずがない。
「悪い事なんかない。だって俺、ここで、自分の居場所と、目標を見つけたんだ。自分の意見を言ったら、何か返してくれる友達、仲間もできて…」
そういえばマコトは、自分の苗字なんか知らない、俺はYBIのマコトだと言っていた。親につけられた名前の漢字さえ言わなかったマコトの気持ちが、今は何となく理解できる。
「『野上響』はここに来たときに、死にました。俺はもうYBIの響だから」
あの日、母さんの言いなりに生きている野上響は死んだ。その後、マコト達に出会って、俺はYBIの響になった…。
「もう連絡しないで」
「ひ、響…!」
「シオン、行こう…送ってく!」
俺は何か叫んでいる母さんを無視して、シオンの手を引き、駅とは反対方向のシオンの住むマンションへ向かって走った。
声が聞こえなくなるとスピードを緩めて二人でマンションの前まで、無言で歩いていく。
マンション前に着くと、俺はシオンの手を離した。
「今日、事務所に週刊誌とかテレビとか、迷惑系YouTuberまで来て、俺たちがファンの子に無理に課金させて捕まりそうだって、言うんだよ」
「実際、稼いでるじゃん…。バッド課金とか過激なことして」
確かに、バッド課金はいわゆる逆投げ銭で、過激に思えるが…。
「過去最高のバッド課金が入ったのは、ファンの人数が増えた影響も大きいよ。バッド課金は上限も設定してるし、未成年の子には広告踏んでくれるだけでいいって言ってるし…。マコトはメチャクチャに見えて、ファンの子たちが無理しないように配慮してる。それはシオンも知ってるだろ…?」
マコトのことを聞くと、シオンは目を伏せた。多分、マコトのそういう優しいところが、シオンは好きなんだと思った…。
「マコトはYBIが好きなんだよ」
「うん、俺もYBIにお金使う人が大好きだって聞いた」
「……」
「シオンは?シオンも、YBIを好きじゃないの?YBIを好きなファンの子達を、このままじゃ、がっかりさせることになると思うんだ。だから、誤解を解きたい…」
「どうやって…?」
シオンは、俺をチラリと見上げた。
「明日、マコトが記者会見する。その時に証言してほしい。メンバー内のいじめはなかった、って…」
「それって、ママがやったって言えってこと?」
そこまでズバリは言わなかったが、確かにアレが虚偽で、なぜそんな事をしたかと聞かれれば、結果的に社長の悪事を暴くことになる。
シオンは再び、目を伏せた。
「パパがいなくなってからママとずっと一緒に生きて来たんだ。YBIの、ずっと前からだよ?それにさ、もう俺、YBIには戻れないだろ?その上、ママがいなくなったら俺、一人になっちゃうよ…」
「……」
それは怖いよ、と涙を流すシオンに、これ以上何か頼む事はできなかった。
結局明日、社長を告発すれば同じ事かもしれないが。それでも…。
シオンと別れて、ふらふらと辺りを歩いた。
出来たら、シオンのことには触れたくない…。
シオンのためだけじゃない。シオンが女の子だったと知ったら、ファンの子達ががったりするだろうから。それは避けたい。
そうすると、マコトが調べていた収入と支出が合わないこと、社長の自宅マンションが憲司名義に書き換えられていること…、その辺りを押すしかないけど…。スマートフォンで検索して見たけど、心配なことしか出てこない。
「最後は、演技力かな…」
そう考えた俺は、ドラッグストアへ向かった。
「響~!」
マンションに帰る途中、公園の辺りで、マコトに出会した。
俺が母さんに呼び出されて出て行ったと聞いて、俺を探していたらしい。相変わらず心配症だ。
「これ買って来たんだよ!」
「何これ、目薬?」
そう、俺はドラッグストアに寄って、目薬を買ったのだ。最後は泣き落とし。それしかないと思って。
「泣き落とし用」
「なるほど。ありがとう、響」
「…マコト、あのさ。シオンの事なんだけど…。あんまり、触れないであげて欲しくて…」
マコトは目を見開いてぱちぱちさせた。その後、目を細めて笑う。
「うん。大丈夫だよ」
「ん?何…?その笑顔…。なんか誤解してない?」
「いや、響はかわいい子が好きだったなって思っただけ」
マコトは俺が、シオンを好きだと誤解してる?そう言えば前も、同じような事を言ってた気もする。
「だから、誤解…!」
「俺も好きだよ。シオンのこと。YBIにお金使ってくれる人は大好きなんだ。俺」
「え、、YBIにお金を使ってた?シオンが?」
「うん。WEBの購入履歴を見て気がついたんだ。あいつ、響にバッド入れまくってた」
「ええ゛~~?!」
聞きたく無かった…、と言うとマコトは声を出して笑った。
「だから、大丈夫だよ…!」
そう言えば何だかんだ、過激な事をする割にマコトは優しいやつだった。きっと俺が言わなくてもシオンの事には触れなかっただろう。でも、マコトが優しいから心配になる。
「俺たちは嘘を言うつもりは無いけど…。記者会見で『計画倒産を社長が企んでる』って告発して、それが真実だと認められない場合、名誉毀損になる可能性があるだろ?」
「嘘は言わないから大丈夫」
「マコトひょっとして、そういうことに、俺達を巻き込まないように、一人で会見しようとしてる…?」
「バ~カ、違うよ。人のフォローする余裕がないからだよ。特にソウマ…!」
心配したのに、馬鹿と言われてちょっとムッとした。それを見たマコトは、俺の頭をくしゃくしゃに掻き回す。
「帰ろ」
「うん…」
明日も明後日も、一緒に帰ろう。野上響には、もう、戻らないから。




