13:あの不愛想な黒い人がねぇ
「俺の手は、人より冷たいとよく言われる」
そう言って彼は手袋を外して、私の頬に触れた。
確かにひんやりとして、んん~、気持ちいいぃ。
きもち……
「ひゃい!?」
すりすりしていた顔を仰け反らせ、慌てて立ち上がる──と、立ち眩み。
「おい」
ガシっと掴まれた肩が、ひんやりする。
そのままソファーに押し付けられ、また座った。
「立つな」
「ひゃ……ひゃい」
「ぷっ。お嬢様、おかしなお返事ですわ」
うるさいっ、今からかわないで!
「ルシアナ様、大丈夫ですか?」
「う、うん。魔力切れ、初めてだったからちょっとビックリしただけ。エリーシャさんも気を付けて。凄く、すっごく、目が回るから」
「ルシアナ様ぁ」
目が回ってるせいで、男の人の手に頬ずりしちゃうし。
絶対ヤバいって。
「俺の手は──」
「あぁ、いいです。つ、冷たくて気持ちいいですけど、でもいいですっ」
「なぜ?」
首を傾げる黒助さんに「恥ずかしいからっ」とズバっと言い放つ。
暫く考えたのか、やや間があって彼の顔がほんのり赤くなった。
ちっ。お前も恥ずかしいのかよ。てやんでぇ。
目だけじゃなく、頭もぐわんぐわん回ってる。目を閉じておこう。
うぅ、これどのくらいで回復するんだろう。
「ルシアナお嬢様、大丈夫ですか?」
「アッシュ? あぁ、あのね、この魔力切れの症状って、どのくらい続くものなの?」
「そ、それは……人によってさまざまですので。寝て休まれるのが、一番楽なのですが」
そう言われても、さすがにここで寝る訳にはいかない。
「治る条件って?」
「魔力がある程度回復することです」
あぁ、だから寝るのか。
困ったなぁ。
「おい」
どうして謎の黒い人の第一声は、「おい」から始まるのだろう。
「なんですか?」
「これを嵌めろ」
「これ?」
閉じていた目を開くと、彼の手に赤紫色の指輪があった。
指輪を……はめろ?
そのまま彼は有無を言わさず、私の左手を取って指輪を──はめようとして固まった。
あ、中指にはめたのね。
もしかして一応、薬指はマズいなとか思ったのだろうか。彼の顔が少し赤い。さっきのが継続中なだけ?
しかしこれ、たぶん彼のものなんだろうな。中指にはめたのに、すっかすかだわ。
「あの、これは?」
「……魔力を蓄える、アーティファクトだ」
「アーティファクト……わぁお! 私、始めて見ました」
「俺の魔力を、常に貯えてある」
「そうなのですか」
で、これを私にはめた理由は?
「アーティファクトに蓄えられた魔力が、少しずつ解放されているのですね?」
「そうだ」
アッシュ卿には分かったようで、その解放されている魔力が私の中にすこーしだけ吸収されているようだと教えてくれた。
魔力の回復を助ける、ため?
「ルシアナ様、飲み物をお持ちしました」
「司祭様」
司祭様と神官さんがやって来て、なにやらいろいろ持って来たようだ。
謎の黒い人、が魔法でグラスの中に氷を浮かべる。
氷魔法、いいなぁ。うちの騎士団に氷魔法使える人いないのかしら。
「どうぞルシアナ様。それと甘い菓子をお持ちしました。疲れた時には甘いものがよいのですよ」
「魔力切れにもいいのですか?」
「そう言われております。魔力の消耗も、体力の消耗と同じだからと」
確かに受験勉強の時とか、チョコを食べてからのほうが効率がいいって聞くもんね。
「魔法を使える神官たちも、よく合間に菓子をつまんでおります。太らないから安心だとか言って」
「「えぇ!?」」
私とエリーシャ、そしてローラが食いついた。
魔力を消費させつつお菓子を食べれば、太らないの!?
運ばれてきたのはクッキーで、それを一口齧ると心が満たされる気分になる。
太らない。
甘いものを食べても太らない。
「あ、えぇっと……検証はしておりませんので……」
「エリーシャさんもどうぞ!」
「はい、ルシアナ様!」
パクパクとクッキーを食べ、あっという間に二人で平らげてしまった。
ちょっとお行儀が悪かったかな?
「食べても太らないって、嬉しいですねぇルシアナ様」
「ふふ、そうね」
「神官様がそう仰っているだけで、実際には分かりませんよ。調子に乗ってパクパク食べていたら、あっという間におデブちゃんになるかもしれないんですから」
魔法もスキルももたないローラが、悔しいのかそんなことを言ってきた。
でも、うん、まぁ、そう言われるとちょっと不安でもある。
だってねぇ、人間ってこういうとき都合よく解釈しがちだもんねぇ。
でも冷たいジュースとクッキーのおかげで、少しだけ落ち着いた。
あとは黒い人の指輪のおかげかな。
「あれ? 謎の黒い人は?」
「あ、あの方でしたらさっき神殿から出て行きましたよ」
「いつの間に!?」
「剣がここにありますし、すぐ戻ってくるでしょう」
そりゃまぁ、剣を置いたまま出て行かないだろうけど。
暫く休憩したあと、眩暈もすっかり良くなって作業を再開。
ただ連続十分と、司祭様から時間制限を付けられてしまった。
気づくと謎の黒い人は戻って来ていて、椅子に腰かけじぃっと剣を見つめていた。
「はぁ……終わらなかったぁ」
「はぁ……魔法陣、まだ暗記出来ませんでしたぁ」
私とエリーシャが、同時にため息を吐く。
私の方は多分、あと一日で終わると思うんだけど……ただ司祭様に「明日はお休みください」と言われてしまっている。
少なくとも丸一日開けて、心身共に休ませないとダメだと。
私の魔力、貧弱すぎぃ。
「すみません、謎の黒い人さん」
「いや……いい」
「ローラ、明後日の予定は何かあったかしら?」
「特にはございませんが、別荘のほうをどうなさいますか? 既に参加の申し込みをされている方から、お手紙も頂いておりますし」
そうだった。じゃあ明日は鑑定しない代わりに、そっちの段取りを考えることにしよう。
「要件は明日、まとめるわ。明後日はこっちを終わらせましょう。ずっとお待たせする訳にもいかないし、それに放っておくとせっかく解いた部分がまた絡まっちゃうし」
自分の努力を無駄にしたくない。
明後日、また同じ時刻にと約束をして馬車へと向かう。
先にエリーシャを送り届けなきゃね。
謎の黒い人も、律儀に見送りしてくれるようだ。
エリーシャも明日はお休みするらしい。正しい魔法陣は、神官さんが紙に書いてくれているので、それを自宅で見て覚えるのだとか。
「じゃあエリーシャさんも、明日はゆっくり休んでね」
「ルシアナ様の方こそ。明日は絶対に鑑定を使わないでくださいね」
「ふふ。普段はそう滅多に使う機会なんてないのよ」
といいたいところだけど、別荘の売却時には絵画やアンティーク品なんかは鑑定しようと思っている。
偽物が混じっていたら大変だもの。
まぁそれは明日やる訳じゃないから大丈夫。
エリーシャが屋敷に入るのを見届けてから馬車へと乗り込んだ。
謎の黒い人さんはまだいる。
「謎の黒い人さん、お見送りはここまでで結構です。あなたもお疲れでしょ? 戻ってお休みください」
「……見ていただけだ」
「まぁそうですけど。でも見ているだけでも、退屈で疲れますよ」
私なら疲れるな、うん。
「……別荘?」
「別荘? あぁ、カイチェスター家所有の別荘を、いくつか売りに出す予定なの」
「売る?」
「えぇ。だって買ってから一度も行ったことのない別荘ばかりですし、所有していても埃を積もらせるだけですから」
掃除はちゃんとされてるけどね。
でもそれだけ、無駄に使用人を雇っていることにもなる。
使わないのに経費や人件費ばかりかさむのに、持ってたって仕方ないじゃない。
「そうか……侯爵は、北部にも別荘があったな。グラニュウダ城塞と対になる建物を別荘として買い取ったはず。ふぅ」
この人、よっぽど長いセリフが苦手なのね。
っていうか喋る時ちゃんと合間で呼吸してる?
「帰る」
帰るらしい。ほんと、言葉少なすぎぃ。
「おい」
ほら、またおいから始まった。
「どうしましたか?」
馬車の窓から顔を出すと、ずいっと箱が差し出された。
「なんですか、これ?」
「……菓子」
「え、お菓子?」
そう言うと、謎の黒い人は馬のお腹を蹴って猛ダッシュで行ってしまった。
菓子……え?
「途中で神殿を出て行ったのは、それを買うためだったんですかねぇ?」
「あ、司祭様がジュースとクッキーを持って来てくれた後ね。えー、これ買いに行ってたの?」
あの不愛想な黒い人がねぇ。
蓋を開けると、箱いっぱいのクッキーが入っていた。
ふふ。食後に頂いちゃおうっと。