晴れ空
あれから数日が経過した。
恵は警視庁の屋上で大きく深呼吸をした。
口の中で転がしている期間限定フレーバーの栗味のチョコレートの香りが広がり無意識に入っていた肩の力が抜けるのを感じた。恵にとってはそれが一番のリラックス方法と言えるだろう。
――とんでもない事件だった。
最初はただ別の事件の遺留品を届けるだけ、のはずだったのに。気がつくと行方不明者捜索、そして島から出ることが出来なくなりついには監禁状態にある子供を発見。最終的には殺人事件まで発覚してしまった。偶然と言えば偶然なのだがもし、あの島……明領島の違和感に気付くことが無かったら今も明光は家に監禁されており池の中にあった遺体もそのままだ。そう考えただけで悪寒がする。
あの後池に再び潜った轟木が池の奥に沈む白骨化した遺体を発見した。そして同じ洞窟内にもう一つ白骨化した遺体と一ノ瀬和美の遺体も発見された。どちらも人目に付かないような場所に隠されるような形で遺棄されていた。一ノ瀬和美の死因は腹部をナイフで刺され引き抜かれたことによる失血死、頭には石のようなもので殴られた跡も残っていた。解剖の結果、死後三日から四日経過していた。轟木たちが島に来る直前に殺されたのだろう。もう一つの白骨化した遺体はDNA鑑定の結果、明光と親子関係にあることが判明した。轟木の推察通り母親だった。
そして池から見つかった頭部の無い子供の白骨遺体、地元の漁師たちの証言の裏付けとしてDNA鑑定を行った。それはもちろん長谷川ウメとの親子関係についてだ。結論から言うと親子関係は認められた。つまり三十年前に姿をくらました長谷川ウメの息子、長谷川陸だということが分かった。その結果を受けて全ての捜査が終わった後、彼の遺骨は母親の元へ返された。三十年ほど前に居なくなった息子が変わり果てた姿で、しかも身近に居たことを知った彼女は何を思ったのだろうか。その思いを考えることは一生不可能だろう。長谷川ウメの様態が回復したことは聞いたがこれから彼女はどのように生きて行くのだろう。
「……私は何も出来ない」
恵の小さな呟きは目の前に広がる東京の雑踏に紛れて消えていった。
――胸糞の悪い事件だった。
轟木は警視庁の屋上へと続く階段を登りながら思い返した。池の底から頭部の無い子供の白骨化した遺体が見つかった後、常世田は全ての犯行を自供した。最初に人を殺したのは子供のころだったそうだ。それからというもの何度も人を殺したという。
『段々人の命というものが分からなくなりました』
彼はそう言った。確かにそうだ、そうでなければ娘を監禁するようなことはしないだろう。
主任の事情聴取に同席した際気になっていたことを聞いた。一ノ瀬和美の殺害現場である家の裏口、途切れること無く広がっていた血痕。対面でナイフを抜き取るとなると絶対にありえない状況だ。そして彼は言った。
『羽交い絞めの状態でナイフを抜き取った』『人間を超越した目線で見たかった』と。
――人間は神になどなれない。
一つため息をつき屋上に繋がる扉を開けるとお目当ての人物が予想した通り屋上のフェンスに凭れ掛かり黄昏ていた。
「どうした、随分と暗い顔をしているな」
「先輩!」
突然声を掛けられて思わず肩を竦ませた恵だったがその声の主の正体が分かるとホッと肩の力を抜いた。轟木は屋上へ繋がる扉のそばでいたずらっ子のような笑みを浮かべている。彼は先日秋とは言え水温の低い池に飛び込んだのだがあの後も風邪を引くことは無かった。タフと言うか何と言うか。
「なんだ、さぼりか」
轟木は恵の隣にやって来てフェンスに肘を乗せた。心なしか疲れているように見える。
「さぼりではないです。先輩には言われたくもないです」
「まるで俺がいつもさぼってるかのような言い草だな」
「事実じゃないですか」
恵がそう言うと左から控えめな笑い声が聞こえる。思わずそちらへ顔を向けるとその人物の顔色があまりよろしくないことに気付いた。
「先輩、顔色悪いですよ。大丈夫ですか?」
「あー……ちょっとな」
まるで何かをはぐらかすような物言いにムッとした恵はもう一度問いかける。
「何かありました?」
覗き込むようにしながら様子を伺ってくる後輩に轟木は一瞬「面倒だ」とでも言いたげな表情をした後、彼女に向き合った。
「まぁ、お前に言っておくのも義理だよな」
「?……どういうことです?」
轟木は一度小さく息を吐き恵の目を真っすぐ見据えながら言った。
「長谷川ウメさんが、亡くなった」
「……えっ」
容態は回復した、と先日聞いたのに……。と言いたげな恵の表情を察してか轟木は言葉を続けた。
「あの池で亡くなったらしい。息子の遺骨を抱えてな」
思わず言葉を失った恵は詳細を求めるように轟木を見つめた。
「今朝、役場の幾田さんから連絡があった。伝えようか迷ったけど一応……とのことだ。これは俺の勝手な想像だがウメさんが島の外での治療を望まなかったのには息子のことがあったからかもしれんな。恐らく彼女は息子が本気で明領様に連れて行かれたと信じていたんだと思う。そんな息子を置いて島から出れるか?無理だろう。そしてようやく息子が自分の元へ帰ってきた。安心したんだろうな。とても安らかな顔だったそうだ」
「……そうですか」
今の恵が言えるのはその一言だけだった。
「あと、役場の人が感謝してたぞ」
「え?幾田さんですか?」
「いや。俺たちが最初役場に訪れた際に一瞬だけこちらの様子を伺った女性がいただろう」
恵はその時のことを思い出し目を見開いた。
「先輩気づいてたんですか?」
「当たり前だ」
さも当然とも言いたげな表情ですかしている。
「その女性の名前は生駒さんと言うんだが彼女が言っていた。『明領島を救ってくれてありがとうございました』だそうだ」
「救ってって……何がですか?」
「彼女も島の中だと若い方だ。だからこそ自分の住む島の異常性に薄々と気づいていたんじゃないかな。最初役場に言った時、一瞬だけ合った視線が気になっていた。今なら分かるが恐らくあれはSOSだった。閉鎖されていた島に新しい風を送ったってことにしとこう」
空を見つめながら呟いた轟木の横顔はどこか寂しげだった。彼には彼なりに複雑な心情を抱えているのだろう。
「……あの島の人たちはやり直せるでしょうか」
「大丈夫さ、今まで閉ざされた空間で助け合って生活してきたんだ。それなりの根性はある。心の柱が居なくなってもな」
そういうと轟木はおもむろにスーツの胸ポケットから白い紙を取り出しそれを開いた。
「なんですか?それ」
「んー?」
問いかけた恵に対して轟木は何とも言えない返事をした。その顔はすごく緩んでいる。思わずムッとした恵は手元を覗き込むかのように僅かに背伸びをして白い紙を見た。そこには一人の人間が描かれた画用紙があった。
「え、なんですかそれ」
「んー?明光の力作」
「へぇー……え!?会ったんですか?明光ちゃんに?」
肩に掴み掛るような勢いで問い詰められた轟木は「降参」と言うようにそのまま両手を僅かに上げた。向き直った恵の眉はこれでもかと言うほどつり上がっている。ここで「せっかくの美人が台無しだぞ」という勇気を轟木は持ち合わせていない。なんならセクハラになってしまうので絶対に言わない。
「昨日な」
「もう面会出来るんですか?」
明光が保護されてから一週間、彼女は検査のため病院に入院しているがその姿を見ることは出来なかった。刑事という権限を行使しても面会は叶わなかったのだ。話を聞く限り元気そう、という認識はあったのだが面会が可能になったら言ってくれと巻に頼み込んでいたのも事実。恵は飄々と笑う上司の顔を思い浮かべながら苦い表情をした。
「そろそろかなって思って病院に行ったら面会出来た」
片手でピースをする轟木に対して一発パンチをしても許されると思う。そういえば昨日轟木の姿が見えない時間帯があったような気がする。変わりに恵が轟木の分の資料作成を担ったことも思い出した。
「その画用紙はその時に貰ったんですか」
「ああ、俺の似顔絵だそうだ」
そう言って再び画用紙に目を向けた轟木の目尻はこれでもかというほど下がっている。しかしそれはずっと面会を心待ちにしていた恵の堪忍袋を切るのには堪えやすいことだった。
「何で私のは無いんですか!」
「え、あったよ」
「……へ?」
悪びれも無く言う轟木に対して思わず勢いを失った。
「あったけど俺が代わりに貰うのも違うだろ」
その轟木の言葉の意味を理解した恵は先ほどうって変わって晴れやかな表情になった。つまり「自分の足で会いに行け」ということだ。
「分かりました!今から行ってきます!面会出来ますよね?」
「出来ると思うぞ、明光の体調が悪くなければ」
「行ってきます!」
意気揚々と屋上の扉へと向かった恵だったが不意に立ち止まり轟木の方を振り返った。どうしたのか、と首を傾げているとそれはそれは綺麗な笑顔でこう言った。
「昨日居なかった先輩の分の資料作成したんで今日は先輩が私の分の資料作成お願いしますね!」
「は?」
轟木が次の言葉を紡ぐ前にその背中は扉の向こうへと消えて行った。
暫く呆然としていた轟木だったがやがてその口元にも笑みが浮かんでいた。今日も病院に行こう。そしてずっと待ち望んでいた再会に茶々を入れてやろう。そう思ったのだ。資料作成は……梶原にでも頼もう。そう決めた轟木もゆっくりと扉の方へと歩みを進めた。
頭上の空にはあの時の曇り空とは打って変わって晴れやかな空が広がっていた。
『孤島宗教』完結しました!
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!




