猪突猛進
「ネコー?」
「はーい?なんですかー?」
一ノ瀬家に戻った轟木は裏口の扉を少し開け、中で鑑識作業をしている猫屋敷に声を掛けた。
「一つ気になることがあるんだが入っても大丈夫か?」
「あー……出入り口付近ならいいですよ!」
片手に小さくオーケーマークが作られたことを確認して轟木はゆっくりと中へ入る。昼間に関わらず裏口には光が入っていないため先ほど吹きかけたルミノール試薬が青く発光しているのがよく分かる。轟木は人差し指を口元に持っていき何かを考えている。その様子をチラリと横目で見ながら猫屋敷は少し離れたところにある『何か』を引き摺ったような跡を写真に収めた。
「あっ」
あれから暫く同じ体制で何やら考えこんでいた轟木が小さく声を上げた。鑑識作業も一区切りついたところで猫屋敷は轟木に声を掛けた。
「何かあったんですかぁ?」
「……返り血を浴びた痕跡が無い」
「返り血?」
「これ見て見ろ」
轟木は床に広がっている血痕を指した。
「床に広がってる血痕に切れ目が無い。この血痕の量からしてナイフで一突きしたんだろう。ただ刺しただけじゃあこの量は出ない。となると刺したナイフを抜き取ったという可能性もある。しかしその場合犯人――常世田だと仮定して彼がそのナイフと抜き取ったとしたら彼にも少なく返り血がかかる。が、その痕跡が無い」
「……なるほどぉ?けどその場合被害者がナイフを自分で抜き取ったってことになりません?」
「そう!それが問題なんだよ」
指していた指を血痕から猫屋敷に移し轟木は大きく頷いた。
「もしそうだとしたら別の問題が出てくる。『なぜ一ノ瀬和美は自らナイフを抜き取ったのか』という問題だ。まぁ理由は後で考えるとして……ネコ、この現場にナイフのようなものは落ちてなかったか?」
「いや、落ちてなかったです!けどこの物置にもたくさんの物がありますし……どこかに隠されてたりしたら分からないですね」
「なるほど……被害者捜しとナイフ捜し(仮)か。やる事が山積みだな」
この島から出れるのはまだ先か……と心の中で独り言ちた時だった。裏口の扉が勢いよく開いた。
「とどろきー!」
「うわ、びっくりした」
勢いよく扉を開けて轟木の名前を呼んだのは梶原だった。
「なんだよ心臓に悪い」
「お前帰れ」
「……理由を述べよ」
いきなり帰れと言われて素直に、はい帰ります。と言える人間がいるとしたら轟木はその人について尊敬、そして研究の許可を取りたい。ついでに論文を書こう、題名はそうだな……人間の素直さについて。……ちょっと安直すぎるか。
「さっきそこで丸ちゃんに会ったんだけどさ、あの子もなんかめっちゃ顔色悪かったんだよね。そこで何か心当たりあるのか、それとも体調が悪いのか問いかけたらこの島に来てからずっとこんな感じでちょっと体が重たいなんて言うからさぁ……絶対何か憑いてるよ」
「……根拠は」
「そんなものは無いよ」
あっけらかんと言い張る梶原に対して轟木は大げさにため息をついた。
「確かにこの島に来た時は少しばかり体調が優れなかったのも事実だ。だが今はこの通り元気だ。心配するようなことは何も無い」
「気づいてないかもしれないけどお前今めっちゃ顔色悪いよ」
「そんな真顔で言われたら困るんだが。ってかお前そんな顔してたんだな」
「話を逸らさない」
「……はい」
「これ見てみ」
梶原は自身のスーツの内ポケットからいつも携帯しているコンパクトミラーを取り出し轟木に差し出した。轟木はというと一瞬だけ受け取ることを躊躇したが結局梶原の鋭い目力に負け渋々受け取った。そしてミラーに自分の顔を映した途端顔を顰める。
「うわ、学校の朝礼で校長の話を聞きながら倒れる三秒前みたいな顔色してる」
「……それはただの貧血だよ?」
「実は起立性調節障害という通称脳貧血なんだけどな」
「え、そうなの?」
思わず聞き返してしまった梶原にミラーを返した轟木はそばにいた猫屋敷に声を掛けた。
「他に何か気づきがあったら梶原に言ってくれ」
「あ、はい!分かりました!轟木さんはさっさと帰った方が良いですよ!ゆっくり休んでまた元気になってから会いましょう!」
悪意ゼロ、純度百パーセントの激励を受けた轟木は微妙な表情で頷きながら小さく「そうだな」と言う言葉をなんとか絞り出した。
裏口から出ると少し離れたところに恵が居た――両手で明光を抱えながら。
恵は轟木に気がつくと笑顔で駆け寄って来た。確かに言われてみると彼女も顔色が悪い。
「先輩!聞きました?主任から帰宅命令です。『二人ともこのまま捜査を続けて倒れられたら困ります。もしそうなってしまったら心配が勝って事件に集中出来ない可能性が高いので早めに帰って休んでください……この子も連れて』と言われました」
「確かに主任の言うとおりだな。モノマネに関しては敢えてノーコメントということにしておこう」
「えっ」
頬を膨らませむくれてしまった恵を華麗にスルーした轟木はゆっくりとかがんで彼女の腕の中にいる明光と目を合わせる。相変わらず『純粋無垢』という言葉がピッタリ合う綺麗な瞳をしている。
事情が事情とは言え父と娘を引き離してしまったことに対して何の感情も抱かない訳でない。
「……すまなかったな」
小さく呟いた轟木の声が聞こえたかどうかは分からないが腕の中の彼女は轟木に向かって両手を伸ばした。
――抱っこをせがんでいるポーズだ。
思わず轟木は恵の方を見た。しかし彼女は笑顔で頷いているだけだ。これは抱っこしてあげて欲しい、という笑顔だ。結局轟木はその笑顔に逆らうことが出来ず明光を抱き上げた。
「本当にコイツは人見知りをしないな」
怖いくらいに。
とここで轟木はとあることに気づく。明光の口回りに何か付いている。『何か』と言っても大体の見当はついているのだが。少し顔を近づけ匂いを嗅いでみる。……チョコレートだ。犯人は一人しかいない。
「お前、明光にチョコ食べさせたな?」
「あっ、はい。何か私のスーツの匂いを嗅いでたのでどうしたんだろうなぁって思って……普段チョコレート食べるからスーツにまで甘い匂いが移っていたんでしょうね。試しに食べさせてみたらすごく気に入ったみたいで……二粒食べさせちゃいました」
照れるように笑う恵に対して轟木は明光を抱えたまま大きくため息をついた。
「お前……恐らく今までチョコレートのような甘いものを食べた事が無さそうな子に対していっぺんにチョコレート二粒を与えてみろ……体調崩すかもしれないだろ」
「はっ」
うっかり失念してた、という表情で明光を見る恵に対してもう一度ため息をつくと続けた。
「まぁ今のところ問題は無さそうだが……注意しておこう」
「そうですね……ところでチョコレートはダメでもチョコレート味の飴はどうでしょうか?」
「チョコレートの類のものは禁止!」
「……はぁい」
すっかり不貞腐れてしまった恵と腕の中で楽しそうに揺れている明光を交互に見、どっちか子供なのか分からなくなりそうになってしまった。
「一旦戻るか。本土の方には明光を保護するための病院関係者が待ってたりするんだろう」
「はい。一見特に外傷が無いように見えても体の内側までは分かりませんからね。しかも結構痩せてますし……栄養失調の可能性も大いにあります」
「だな」
恵は轟木に抱かれている明光の顔を覗き見た。お人形さんのような綺麗な目をしている。そう、綺麗な目だ。綺麗な目が瞬きをしている。パチパチと。
「……なんか、多い?」
「ん?どうした」
「瞬きが多いような気がするんです」
恵の発言を受け轟木が腕の中の明光の顔を覗き込む。その間にも明光の目はパチパチと瞬きをしている。
「確か子供の瞬きの回数の平均は一分間で二十から三十回だ。大体の原因は過度な緊張状態などが挙げられるが……今のところよく分からんな。こんな大の大人が二人で覗き込んでしまえば緊張もする。一旦本土へ戻るときにでも気にかけてやってくれ」
「わかりました」
轟木の言葉に頷いた恵はそっと明光の顔を覗き込んだ。恐らく『外の世界』が珍しいのだろう、キョロキョロと周りを見渡し珍しそうに目を輝かせている。もしかすると珍しいものを目にしているから瞬きが増えているのかもしれない。
――先輩の言う通り注意しながら様子を見よう。
抱きしめている腕に少し力を入れながらそう決心した恵はここであるものを見つける。明光の小さな手の中にあるはにわだ。どうやら今の今まで大切に持っていたらしい。
「あ、先輩。このはにわはどうするんです?明光ちゃんにあげます?」
「あ?はにわ?……あー、そうだな。何か気に入っているみたいだしやるよ」
厚田から新しいはにわ貰ってくるわ、と言い残して立ち去って行った轟木に対して恵は「自分の携帯からはにわのストラップが無くなることは嫌なんだ」と心の中で呟いた。
轟木は少し離れたところにいた紫色の背中に声をかけた。
「あつだくーん、はにわちょーだい」
「え、何すかその喋り方……」
ギョッとしたような顔で振り返った厚田だったがその右手はスーツの内ポケットに入っているはにわのストラップを取り出そうとしていた。
「たんぽぽのはにわどうしたんすか?」
「あれは明光にあげた」
「なるほど。けど今持ってるのあんま種類ないですよ、出先なんで……デスクに戻ればいっぱいありますけど」
「大丈夫。自分の携帯にはにわのストラップが付いてないってことに違和感を覚えているだけだ」
「……なるほど。じゃあこれあげます」
内ポケットから取り出して轟木の手のひらの上に置かれたはにわは『牛』の角が生えていた。
「なんで牛?」
「牛というか正確には闘牛なんですけどね。ロキさんにピッタリなんであげます」
「え、どういうこと?」
頭にはてなを浮かばせながら厚田の方を見るが当の本人は「何か問題でも?」と言いたげな表情だ。
「さっき丸中から聞きました、また無茶なことしたらしいっすね。『猪突猛進』、ロキさんにピッタリでしょ?」
厚田は笑顔で言った。
――それで言うなら牛じゃなくて猪だろうが……
全てにおいて考えることをやめた轟木はひとまず厚田の隣で腹を抱えて笑っている梶原に対してコブラツイストを決めた。
最後の下りを思いついたのは投稿する直前でした…危なかった…




