249 終律を奏でる片翼
最初に感じたあの感覚は何だったのだろう。
それは私が経験してきたどんな魔力の気配よりも強く、一瞬で私の意識の一切を根こそぎ奪い去ってしまった。
だから私はその問いについての答えを今も見つけることができていない。
一瞬の空白。
意識が蘇ったという表現が正しいのだろうか。
反射的に、両手を地面について息を吸い込んだ。
私の呼吸は止まっていたみたいだった。
全身を大きく動かして必死で息を吸い込む。
肋骨が軋むように痛んだ。
折れずに済んだのは、日頃からたくさん栄養を摂っていたからだと思う。
荒い呼吸を繰り返しながら周囲を見回す。
広い周辺視野と風の感触が素早く私に周囲の状況を伝えてくれる。
王の盾の同僚が三人、私を取り囲んでいる。
心配そうな表情。
倒れた私を助けようと走って来てくれたのだろう。
自然に分担が為されたようで、他にいた王の盾の騎士十一人と魔術師八人はみんな殿下に駆け寄っていた。
より空間の奥にいて、危険な敵の近くにいる殿下を守ることを優先したのだろう。
正しい判断だ。
だけど、私には理解できなかった。
どうしてそんなことができるのだろう。
“あれ”に近づくことができるのだろう。
その異常な存在に比べたら、人間の魔術師なんて風の前の塵みたいなものなのに。
巨大な結晶が割れていた。
小さな破片が中空に舞って光を反射している。
砕けた残骸の間に立っていたのは黒い片翼の生えた男性だった。
結晶の中に囚われていたその人は、冷たい瞳で周囲を見つめている。
ゆっくりとその視線がミカエル殿下に向けられる。
殿下を守ろうと間に割って入る騎士と魔術師たち。
本能的に私は叫んでいた。
「逃げて――!」
最初の一撃が私には見えなかった。
だから何が起きたのかわからない。
おそらく、攻撃を受けた騎士も同じだったと思う。
まったく感知できていない状態で攻撃を受け、騎士の身体は激しくたわんだ。
鎧が薄い氷のように砕け散る。
百九十センチ近い体躯は巨人に蹴り飛ばされたかのように飛翔し、進行方向にいた二人の騎士と一人の魔術師を巻き込んではるか後方の壁を揺らした。
鈍い音が響いた。
吹き飛ばされた四人は力なくうなだれぴくりとも動かなかった。
しかし、残っている王の盾の騎士と魔術師にとって、それは視界の外で起きている出来事だった。
彼らは目の前の脅威から殿下を守ることだけを考えて行動していた。
積み重ねてきた経験。
高い練度と場数がいかなる状況でも冷静さを失わない心構えを作っている。
展開する魔法式。
補助魔法で身体能力を強化された三人の騎士が目の前の“それ”に斬りかかる。
二度目の攻撃を私は見ることができた。
《固有時間加速》で加速した時間の中。
すべてがゆっくりと見える中で、その動きの残像を私の目は捉えていた。
左腕を下から上に振った。
それだけだった。
三人の騎士は細い枝のようにへしゃげ、天井を突き破ってめり込んだところで静止した。
しかし、魔術師たちは動きを止めない。
光を放つ五つの魔法式。
硬い鉱石をゼリーのように裂く氷の槍が〝それ〟の全身に突き刺さる。
瞬間、舞ったのは氷の破片だった。
刺さったはずの槍がはじけ飛んでいる。
氷の槍は“それ”の皮膚に傷一つつけることができなかった。
無数の欠片となって散乱した。
〝それ〟が放つ三撃目の攻撃。
(間に合わない)
意識の無い人形のように吹き飛ぶ仲間の姿に唇を噛みつつ、私は最高速度で“それ”との距離を詰めて仲間との間に割り込んだ。
「逃げることだけ考えて!」
鋭く指示を出す。
時間を稼ぎ、撤退することに全員を集中させる。
四度目の攻撃は見えなかった。
外から見るよりも、中に入って攻撃を受けている方がより速く見えるものなのだと気づかされる。
攻撃を受けたのは殿下を一番傍で守っていた騎士さんだった。
王の盾の中でも個人能力に優れた彼は、一瞬で視界から消えて見えなくなった。
それからどうなったか私にはわからない。
確認している余裕なんて少しもなかったから。
(一人でも多くこの場から逃がす)
魔法障壁を展開する。
あらゆるダメージを軽減する障壁は、攻撃の衝撃波で砕け散った。
他より攻撃が効きやすい目に風の刃を放った。
背骨でも切断できるはずの刃は眼球に傷一つつけることができずに霧散した。
(止められない……!)
一人ずつ仲間の数が減っていく。
気がつくと、残っているのは三人だけになっていた。
その攻撃が私は見えていた。
だけど、反応することはできなくて。
殿下に向けて放たれた一閃は、しかし殿下には届かなかった。
最後に残っていた魔術師――サヴァレンさんが殿下を庇っていた。
サヴァレンさんがはじけ飛んで視界から消える。
私と殿下だけが残されている。
“それ”が私に向けて踏み込む。
飛び込みながら放つ左フック。
閃光のような一撃に私は反応している。
ギリギリのところでかわしている。
時間を稼ぐために反撃しようと魔法式を起動する。
しかし、時間を加速させた私が反撃の魔法を起動するよりも“それ”の二発目はさらに速かった。
カウンターに対して後から追いついて先に攻撃を当てる異常な速さ。
肩がなくなったと錯覚するような痛み。
殿下を巻き込んではるか後方へと吹き飛ばされる。
(まずい、殿下が)
この速度で壁に打ち付けられれば、まず間違いなく無事では済まない。
戦闘続行はできないし、下手をすれば命を失う可能性もある。
(とにかく、殿下を守って――)
衝撃に堪えようと歯を食いしばった私が感じたのは、やわらかい何かの感触だった。
大きな何かが私と殿下の身体を抱きとめている。
壁に打ち付けられた私は、想定していたようなダメージを受けてなくて。
何が起きたかわからないまま、抱きとめられた何かに向けて視線を上げた。
「間に合ってよかった」
艶やかな紫苑の髪。
私よりも大きな身体と低い体温。
レティシアさんの顔がそこにあって、瞳を揺らした私の視界の端。
私と殿下を同時に抱きとめて、衝突の衝撃から守ったその人が不敵な笑みを浮かべた。
「面白いことしてんじゃねえか。俺も混ぜろよ」
燃えさかる炎のような赤い髪。
三番隊隊長ガウェイン・スタークがそこにいた。






