247 最も狡猾に動いた者
乾いた枝を踏み折るような音が響いた。
最高議長が通信機を握りつぶした音だった。
齢六十を超えた男性のそれとは思えない怪物じみた力。
外装が悲鳴のような音を立てて割れ、中から内臓のように配線が飛び出す。
「何も問題はない。状況は私が想定したとおりに進んでいる」
元老院最高議長は感情のない声で言った。
おそらく、脳内に施された遺物による調整が怒りを抑え込む方向に何らかの作用を加えたのだろう。
尋常な人間ではあり得ない、不自然な感情の切り替わりがそこにはあった。
「救済は後日やり直せばいいだけのことだ。ミカエル・アーデンフェルドを捕らえている。その時点で我々の勝利条件は満たされている」
局地的に重力を操作する魔法罠によって、私は身体を地面に縫い付けられている。
抜け出そうと力を込めるけれど、身体が動かない。
骨が軋むような痛みがある。
頬に食い込んだ小石が小さな傷を作る。
敵に向けて駆け出したところで罠にかかった私の後ろでは、ミカエル殿下が同じように罠にかかって動けなくなっている。
「これから、【竜帝】の力を抽出して私にうつす儀式を執り行う。儀式が終われば、私は君たちとは比べものにならない力を持つ存在になるだろう。つまり、儀式が完了した時点で君たちの敗北は決定する」
元老院最高議長は言う。
「だからこそ、君が狙うとすればこのタイミングだろう。未来が見える天才、ミカエル・アーデンフェルド。完全に出し抜けたと考えるほど我々は愚かではない。ここまですべてが君の計略の中にある可能性も私は想定している」
冷たい声が響く。
少し離れたところから、無数の足音が近づいてくる。
「念には念を入れよう。君の両腕と両足を物理的に削ぎ、何もできない状態を作ってから儀式を行う」
どこからか現れて最高議長の後ろに並んだのは、仮面をつけた戦士たちだった。
教国で戦ったそれと同じ人間離れした力を持った彼らの手には、殿下が製造して提供した魔法武器が握られている。
「君の武器は本当に素晴らしい。罠がある可能性を考慮し、念のために解体して隅々まで点検して感心したよ。これほどまでに見事なものが作れるとは。さすがはアーデンフェルドの魔法技術だ。そんな武器を何の罠も仕掛けずに提供した選択についてはあまり良い手ではなかったと言わざるを得ないが」
声に混じった優越感が不自然に調整されて平板になる。
不要な感情を抑制する頭脳調整が働いているのだろう。
人間のようで人間ではない何かのような不気味さがそこにはある。
「殺しはしない。安心したまえ。君の顔と胴体は我々が傀儡として効果的に利用する。アーデンフェルドが地図上から消えるきっかけを作った狂王子として。大陸史上最悪の大罪人として君の名前は記録されることになる」
仮面の戦士たちは紫色の光を放つ魔導式の銃を構える。
殿下の両腕に狙いを定める。
頭の奥が冷え切り、冷たい汗が首筋を伝った。
止めないといけないのに。
それが私の仕事なのに。
私の身体は少しも動かない。
状況判断能力も適応能力も、まるで役には立たなかった。
一番得意な時間を加速させる魔法も、身体を軋ませる強烈な重力波から抜け出すには無力だった。
何もできずに見ていることしかできない。
必死で身体を動かそうともがく。
あきらめられるわけがなくて。
だけど、どこかで気づいている。
私の状況判断能力が伝えている。
この罠から抜け出して殿下を守ることが私にはできない。
仮面の戦士たちは殿下を取り囲んで引き金を引く。
壮絶な音が響いた。
広い空間の中でその音は、鼓膜が裂けそうなくらいに大きく、同時にどこかあっけなく聞こえた。
音の無い時間の後、聞こえたのはしわがれた声だった。
「バカな……どうして……」
元老院最高議長の声。
瞬間、私は状況を見失った。
何が起きているのかわからなかった。
殿下を取り囲んでいた仮面の戦士たちが倒れている。
彼らは雨に濡れた布きれのようにぴくりとも動かない。
少し離れたところで元老院最高議長が倒れていた。
彼は、他の戦士たちとは違って意識を保っていた。
首を動かして、目の前に広がる光景に瞳をふるわせていた。
「ありえない……いったい何が……」
混乱の中で、倒れ込んでいた一人が身体を起こす。
重力を操作する魔法罠から、何の影響も受けていないかのように立ち上がる。
「重力波に関する魔法的操作を無効化する迷宮遺物です。貴方がこの魔法罠を使うことを私は知っていました」
金糸の髪。
黄金の瞳。
神に作られたみたいに整った顔。
「私が提供した武器には、大迷宮で新しく発見された遺物の技術が使われています。この技術を利用してあるものを中に仕込んでおきました。特殊な電撃を発生させる機構。この電撃は、携帯する者の身体を動かす神経回路に作用し、麻痺させて一時的にすべての身体機能を遮断します」
目を見開く最高議長。
「勝利するのは最も狡猾に動いた者でしたね」
ミカエル・アーデンフェルドはにっこりと目を細めて言った。
「貴方の言葉ですよ。最高議長」
「貴方が持つ武器には他とは違う細工をさせていただきました。遮断する神経回路を首から下に限定することで、コミュニケーションが取れるように」
ミカエル殿下の声は、日曜日の自室にいるかのように落ち着いていた。
すべてが彼のコントロール下で進んでいるのだと錯覚してしまうような自然な落ち着きがそこにはあった。
「ありえない。輸出された武器については何度も分解して、内部の機構を隅々まで確認した」
「貴方たちの慎重さを私は知っていました。だからこそ、外部にはまったく出ていない、私と深いつながりのある冒険者が発見した迷宮遺物の機構を採用しました」
「罠を仕掛ける余地はどこにもなかったはずだ。武器は一切の無駄がなく効率的に設計されていた」
「そう見えるように作りましたから。無駄な部品や機構はひとつもない。ただ、特定条件下でいくつかの機構が別の働きをするように私が回路を組みました」
「そんなこと……」
呆然と目を見開く最高議長。
倒れ込んで動けない戦士たちの中で、ミカエル殿下だけが何事もないかのように歩いていた。
その事実が、彼がこの場の勝者であることを何よりも明瞭に伝えていた。
近づいてくる足音。
私は言う。
「すごいです、殿下」
「ありがとう」
ミカエル殿下は立ったまま私を見下ろして微笑む。
「あの、できればその魔法罠を無効化する遺物を私にも使っていただければと」
殿下と私が囚われていたのは同じ魔法罠だった。
殿下は既に罠の対象範囲を出ているし、使ってもらえれば私も罠から抜け出すことができる。
断る理由なんてどこにもない。
使ってもらえると確信していた私に、殿下は言った。
「それはできない。君がそこで囚われて動けないことも私は計算していた」
(動けないことも計算……?)
殿下が何を言っているのか私にはわからなかった。
なぜ私が動けない状況である必要があるのか。
私は殿下の味方だ。
王の盾の筆頭魔術師として、立場的にも殿下に協力して警護するのが私の仕事。
そんな私を動けないままにしておく理由は殿下にはないはず。
そこまで考えて、息を呑んだ。
原則的に味方である私が殿下の敵になる唯一の例外。
殿下が人としてよくないことをしようとしているのであれば――
私が絶対に許せないと思う類いのことをするためには、私を動けない状況にしておいた方が明らかに良い。
「何をする気ですか」
頬に食い込む小石の感触を感じながら言った私に、殿下は作り物のように感情のない顔で言った。
「アーデンフェルドは豊富な迷宮資源に恵まれている。地政学上の好条件は、魔法技術の向上にも繋がった。周辺国以上の発展にも寄与した。しかし、だからこそアーデンフェルドは他国にとって奪う価値のある攻撃対象であり続ける。弱い者には何も変えられない。私が今まで一度として予知夢で見た未来を変えられたことがないように」
無機質で淡々とした声で続ける。
「争いの種を完全になくすには、覇権国家である帝国を屈従させられる力を手にする必要がある。力がいるんだよ。それがあれば、私は変えられない悲劇を夢に見る地獄のような生から解放される」
ミカエル・アーデンフェルドは言った。
「【竜帝】から抽出した力を私に注ぎ込む。帝国を支配下に置き、この世界で最も力を持つ存在に私はなる」






