―降り続く雨―
黒い豪雨の下、巨大な影が身をよじる。
だが、巨大とは言っても、それは以前の半分以下の質量しかない。
しかも未だに減り続けている。
膨大な量の血液が、傷口から絶えず溢れ出しているからだ。
もっとも血はすぐに黒い雨水と混ざり合い、泥水同然に色を濁らせてしまったので、一体これまでにどれほどの血が流れ出ているのかは、全く判別できなくなっていた。
しかし今この瞬間に流れ出ている血液の量を見れば、かなりの出血量だということだけは漠然と分かる。
だが、それでもまだ、ラハブは生きていた。
『く……お、おのれ……』
ラハブは息も絶え絶えに、弱々しく呻いた。
しかし、そこに込められた怒りの念は、決して弱くはない。
闇竜として──この世で最強の種族として世に君臨してきた自身が、このような醜態を曝すことになろうとは思ってもみないことだった。
だからこそ今自身の身の上に起こっていることが、ラハブには理不尽に思えてならない。
『こ、この私が……このような……』
ラハブは怒りに身を震わせる。
その瀕死とも言える身体の状態ながらも、彼の目から強い意志の力は失せてはいなかった。
「ふむ……気力はまだ充実しているな。
こりゃあ……復活の可能性は、五分五分ってトコロかな?」
『!?』
間近から唐突に声が聞こえてきたことに、ラハブは驚愕した。
今まで周囲に自分以外の存在がいることなど、欠片ほども思っていなかったのだから無理もない。
ラハブが声のした方に目を向けてみると、そこには巨大な目玉──ファーブが空中を漂っていた。
「斬竜剣の直撃を受けてなお、転移魔法での逃走か……さすがは闇竜というべきか。
普通なら半身をもぎ取られる程度じゃ、済まないからなぁ……。
お前、よくやったよ」
そんなファーブの声音には、ラハブの実力を賞賛するかのような響きがあった。
しかしそれは──、
「いや……やりすぎたと言うべきか。
あれだけボロボロにされたザンにとっては、結局逃げられました……じゃ、あまりにも報われないからな。
悪いがお前は、ここで死んでくれや」
声音は酷く冷たいものに変化した。
『な、なんだ貴様は!?
いかに私がこのような状態だとはいえ、貴様のような目玉がどうにかできると思うなっ!!』
ラハブの眉間の辺りが光を発したかに見えた瞬間、ファーブの左側面部が巨大な槍にでも貫かれたかのようにごっそりと抉られた。
そして更に一拍の間を置いて、ファーブの背後に大きな爆発が生じる。ラハブが高速で魔法攻撃を撃ち出したのだ。
『なん……!?』
しかし、攻撃を仕掛けたはずのラハブの顔に、愕然とした表情が浮かぶ。
彼は直撃させるつもりで、攻撃を放っていたのだ。
実際彼が今し方放った魔法は、彼にとって最も命中精度が高く、速射できるものであった。
本来なら反応することすら、難しい攻撃だったはずだ。
しかし攻撃は、ファーブに直撃したとは言いがたい。
しかも──、
「ふん……避けきれなかったか。
かすっただけでこれとは……大した威力だ」
攻撃を受けたはずのファーブの声音は、憮然としてこそいるが、全くダメージを感じさせないではないか。
その身体の3分の1近くも欠損しているはずなのに、その健在ぶりはどう見ても異常だ。
いや、彼の異常さはそればかりでは無かった。
『……!?』
ラハブは我が目を疑った。
たかだか1秒。
そんな一瞬の間に、欠損していたはずのファーブの身体は、完全に元の状態へと復元されたのだ。
まるで最初っから、一切のダメージが無かったかのようなファーブの姿に、ラハブは幻でも見たかのような思いだった。
「……なあ、お前は目玉だけになっても生きていられる竜なんて、存在すると思うか?」
『……!!』
ファーブは唐突に問う。
それは全く脈絡の無い質問のように見えたが、ラハブは明らかに動揺した。
目玉だけになっても生きていられる竜──。
そんなものは人間は元より、竜達の常識に照らし合わせても存在する訳がない。
いかに竜の生命力と再生能力が強靱であろうとも、通常は失った手足を再生させるのが限界だ。
ラハブのように上位種の竜ならば、身体の半分以上を失っても再生させることが可能な場合もあるが、さすがにそこまで大きなダメージだと完全に回復させられる可能性はかなり低い。
無論、心臓や脳を破壊されれば、その時点で確実に死ぬ。
つまり目玉だけで生きていられる竜なんて、存在する訳がないのだ。
だが、ラハブには唯一の例外となり得るかもしれない存在に、心当たりがあった。
『まさか貴様、あの四天王にも並ぶとさえ言われた不死竜の──』
「……まあ、そういうことだ。
で、本調子ではなかったとはいえ、その俺にザンは勝ったんだぞ?
あいつを相手にして、お前ごときが勝てる道理なんか最初っから無かったんだ。
俺達に目を付けられた時点で、お前は終わりだったんだよ。
それなのに随分と、無駄な抵抗をしてくれたな。
おかげでザンにとって、結構手痛い結果となったよ……」
ファーブの声音は、徐々に怒りに満ちていく。
それに対してラハブは、
『ハハハ、そうか、手痛いか。
それは愉快だ。
ではあの化け物に、一矢報いたと私は満足しようではないか。
ハハハハハハ……』
と、ファーブを挑発するように嗤う。
彼のその行為は、更にファーブの怒りの炎に油を注ぐが、どのみちもうラハブの末路は変わらないだろう。
相手との格の違いを、彼はよく理解していた。
(奴が本当にあの不死竜ならば、どう足掻いても勝ち目など有るはずがない。
最初から全力を逃走に費やしていれば良かった……ということか)
しかし、今更そんな後悔をしても何も始まらない。
むしろ終わりが有るのみだ。
『……ふん、好きにするがいい』
ラハブは既に覚悟を決めていた。
次の瞬間、数十本もの光の槍が──先程ラハブがファーブに向けて放った魔法と同種のものだ──彼の身体に突き刺さり、一拍置いて凄まじい爆発がラハブの身体を粉々に打ち砕く。
だが、その爆音も豪雨の音に阻まれ、遠く離れた場所にいるザンの耳には届かないだろう。
全てを包み隠すように、激しく黒い雨が降り続いていた。
明日は定休日です。




