なかまっていいな
僕は困惑していました。そう、あの日、あの時、教室に、不安や怯えではない、安堵の溜息が広がった時、僕にとっても、確かにそれは理想的な答えでした。
殺される者がくそぶたくん。
でも、それでもやっぱり彼は、僕・清水澄也の友達だったのです。少なくとも、僕はそう信じたい、そんなことを漠然と考えながら、その後の何日かを過ごしていました。
あの日以来、禅昌寺先生は現れませんでした。替わって翌朝、元々僕たちの担任だった小淵沢先生が現れ、全く何の説明もなく、何事もなかったかのようにホームルームを執り行い、授業が始まりました。理科の担当も塩尻先生に戻りましたが、塩尻先生からも、何の説明もありませんでした。
僕は、途方に暮れていました。
◇◇◇◇◇
しかし、それで終わりではありませんでした。またもや突然、事態は急変したのです。
まったく何事もなかったかのように、丸二週間が過ぎて三週目に入った月曜日、何の予告もなく、朝、教室に入ってきたのは禅昌寺先生だったのです。しかも、くそぶたくんを伴って。
禅昌寺先生は、開口一番、満足げに笑いました。
「ぬふふふふふふふ、久しいものだな、皆の者。爾来、もはや早くも二週間か。時は金なり、空飛ぶ矢なり。ぬふふふふふふふふふふふふ。」
そして続けました。
「ぬふふふふ。皆に実に初めて披露しよう。これこそが、くそぶたツーなれ、ぬふふふふ。」
何の事だかわかりません。くそぶたくんはくそぶたくんではないのですか?
僕が怪訝そうな顔をしていると、先生はまるでそれを見咎めたかのように説明を始めました。
「つまりであるな、この者はくそぶたではないのである。身体に関しては、くそぶたの新鮮な死体から採取したiPS細胞を用い、生体PCR法によって組織・器官を高速増殖させて作成されたクローン体である。一方、その精神に関しては、くそぶた殺害の際に、読経により魂をあらかじめ転送準備状態にしておき、御神刀である殺人丸で首をはねる瞬間に刀身と脳との霊的回路を構成、一気に魂を遠隔地にある霊的サーバーに空間を伝送してアップロードし、しかる後に人工的に再生された肉体に霊魂をダウンロードしたものなのである。要するに殺した後、生き返らせたものだ。殺人文部科学省においては、このテクノロジーを、『ドッペルニンゲン』と呼称している。以上の作業に必要な時間が二週間であった。」
そして楽しげに嗤いながら続けました。
「人間の魂の情報量は、たとえくそぶたのようなダメ人間のものであっても莫大だ。サーバーとして巨大な霊的な器が必要となる。そこでこの為に、鎌倉の大仏を利用した。知っての通り鎌倉大仏は、1498年の巨大地震による津波で大仏殿が流失した際に、霊的には、すでに溺死しているからな。中身は虚ろ、空なのだ。ただ、この地震は、1495年に起こったとする説もある。また、1495年と1498年の二回、立て続けに日本を大地震が襲ったとする解釈もある。もし最後のケースが史実だとすると、それはそれで興味深いが…。」
そんなこと知りませんよ。
「諸君が気にしていることが何なのかは分かるぞ。一体、何故に、殺して生き返らせるなど、そんな面倒なことをしたのか、そのことが、皆目見当がつかないのだろう? 分かる、分かるぞ。ぬふふふふ。結論から言おう。奴の有能化のためである。知っての通り、くそぶたは、あらゆる面において無能な輩であった。それを有能化したのである。このくそぶたツーは、諸君らの伺い知れない、驚くべき才能を秘めているのである。諸君らにおいては、貴奴のこの秘められし才能を効果的に引き出すべし。これが、諸君に課された使命であり、ひいては、『学校殺人計画』の、真なる目的なのである。」
そこまで聞いて、僕は、少し安堵していました。なんだ、くそぶたくんは、本当に殺されたわけじゃあ無かったんですね。しかも、才能を付与されて改良されたという。禅昌寺先生も人が悪ですね、脅かさないで下さいよ。
◇◇◇◇◇
そうして、僕たちの新たな学園生活が始まりました。しかし、禅昌寺先生の言にも関わらず、くそぶたくんは、相変わらず無能の塊のようでした。
勉強。
全然駄目。
以前と全く変わっていません。
スポーツ。
お話になりません。
以前と全く変わっていません。
美術の時間に、絵を描きました。
これなら、三歳児の方がマシなものを描きます。
音楽の時間。
歌えば音痴の極致。
何か楽器ができるようになったわけでもありません。
何だか、僕は、だんだんイライラしてきました。殺すのなんのと、あれだけ大騒ぎをしておいて、何も変わっていないのですか?
何が有能なのか、どんな才能なのか、全然、判りません。大山鳴動して鼠一匹とはこのことです。
この状況を放置しておくことは、明らかに僕の精神衛生にとって悪いことでした。だから、僕は僕なりのアプローチを取ろうと決めました。どういうことかって? つまり、僕の好きなことを、くそぶたくんに強要してみようと決めたのです。
◇◇◇◇◇
六月も中旬に差し掛かったある日、僕は、銀行で、虎の子の預金、十万円強を下しました。新しいカメラ、EOS KIX 6iダブルズームキットを購入するためです。以前、父親に買ってもらって、これまで使用していたKIX 4を強引にくそぶたくんにくれてやることにしたのです。つまり、僕の好きなことである鉄道写真の撮影をくそぶたくんに強要しようと決心したのです。
◇◇◇◇◇
その週の日曜日、僕は、自分は新しく購入したカメラを持って、くそぶたくんを伴って、そのくそぶたくんにはくれてやったカメラを持参させて、朝から電車で「ヒガハス」に向かいました。「ヒガハス」とは、東京近郊の東北本線の有名撮影地である、東大宮―蓮田間のことです。撮影のお目当ては、寝台特急「カシオペア」と「北斗星」です。
くそぶたくんには事前にカメラの使用法をじっくりレクチャーしておいたので、僕は言いました。
「とにかく、操作法はわかったでしょ? だから、好きなように撮ってみて。後で講評してあげるから。」
それだけ言って、列車がやってくる瞬間には放置して好きにさせてみることにしました。付きっ切りで指導しようなどとは思いもしなかったのには、もちろん、せっかく来たからには僕自身が撮影したかったから、という理由もあります。
さて、列車が来て、行ってしまって、くそぶたくんの写真の出来を見ることにしました。背面の液晶に写真を呼び出してみます。
結論から言うと、お話になりませんでした。
画面が大きく傾いているうえに、速くシャッターを押しすぎて、列車の前方に広大な余白が広がっています。というより、余白が大半で、列車がオマケみたいな、完全に論外の構図です。
シャッターを早く押しすぎるという傾向は、初心者にはよくあることではありますが、ここまで極端にひどいのは、見たことも聞いたこともありませんでした。
しかし、くそぶたくんの反応は意外でした。
「これ、面白いナリ。本当にこのカメラ、ワガハイにくれるナリか?」
と、何か目を輝かせて訊いてきたのです。何だかイキイキとしていました。
それで、僕は思ったのです。何でも、どんなことでも、結果が全てってわけじゃあない、と。要するに、この時、僕は、本人が満足なら、まぁ、これでいいかな、と思い始めていたのです。
それは、写真のことだけではなく、何に関してもです。要するに、この時、僕は、僕がイライラしていた原因は、くそぶたくんにあるのではなく、それを見ている僕の方にあるのではないか、と考えはじめていて、その考えに自分で納得しかかっていました。それで僕にとって平和なら、それでいいや。そう思い始めていました。
そう思ってしまえれば、「問題」は、それで終わりです。だから僕はくそぶたくんに言いました。
「まぁ、ひどい出来だけど…、でも、まずまずなんじゃない?」
しかし、事は、それでは済まなかったのです。
◇◇◇◇◇
翌日、学校で僕は、くそぶたくんを自分の席に呼び寄せて、彼に家から持ってこさせた例の旧式のEOSを僕に渡すよう言いました。僕は、隣の席に座っている函南さんにそれを渡しました。
ボタンの配置など、操作系に幾らか違いはありますが、操作性について言うなら、このカメラも、彼女のOLYMPOS PEN E―P3ホワイトとアイコンのマークなどは共通するものも多い筈です。案の定、彼女は大して戸惑いもせず、内部の画像を、カメラの背面液晶に呼び出しました。
一瞥するなり、函南さんは言いました。
「いくらなんでもこれはひどいわ。」
しかし、僕は言ったのです。
「いや、僕は、実は、これはこれでいいんじゃないかと思い始めてるんだ。」
「どういうこと?」
「確かにひどい写りだけど、それでも、何でも結果だけが全てってわけじゃあないでしょ?」
そして、くそぶたくんに向き直って訊きました。
「君は、これでいいと思ってるんでしょ?」
「うんナリ。ワガハイにしては上出来ナリ。」
すると突然、近くで四天王と談笑していた掛川大作くんが、くそぶたくんに言いがかり(?)をつけてきたのです。
「おいくそぶた、オマエ、本当にそれでいいと思ってんのか!? 函南と清水の奴に、はっきりとひどいと言われてんだぞ。」
「でも、ワガハイは所詮ワガハイナリ。どう頑張ってもワガハイは結局ワガハイナリ。」
「前から思ってたんだが、オマエのそういうところが気に喰わねぇんだよな…!」
掛川くんは明らかに苛立っていました。そしてそのあと、その日の昼休みに、途方もないことが起こってしまったのです。
◇◇◇◇◇
給食の前のその時間に、僕は、くそぶたくんに言ったのです。
「まぁ、ひどいはひどいなりに記念だからさ。鉄研の二年の岸辺くんに頼で、その写真、パネルにしてあげるよ。」
「うんナリ。嬉しいナリ!」
すると、掛川くんがまた言いがかり(?)をつけてきました。
「おいくそぶた、ふざけるな。オマエ、本当にそれでいいと思ってんのか!?」
「うん、満足ナリ。」
「馬鹿野郎、利いた風な口をきくな、このゴミが!!」
「でもワガハイは所詮ワガハイナリ。」
「だからそれが気に喰わねぇって言ってんだろうが…! 頭にきた! 馬鹿野郎、それをよこせ!!」
掛川くんは、くそぶたくんが愛おしそうにいじっていたカメラを、強引に奪い取りました。僕は条件反射みたいに訊き返しました。
「いったい何をする気だっ!!」
「うるさい、こんなもの、こうしてやる!!」
掛川くんは、カメラを思いっ切り床に投げつけました。がっしゃーん!、と、レンズと胴体が真っ二つに砕け散りました。掛川くんは、砕けた破片を、地団駄を踏むみたいに繰り返し踏みつけて叫びました。
「馬鹿野郎!! こんなもの、こんなもの…!!」
僕は、擦れた声で呟きました。
「カメラが潰されてゆく…。」
すると、掛川くんは、ぞっとするような凄味のある笑みを浮かべました。
「いいことを思い付いた! 二度と写真なんか撮れないように、オマエをメ○○にしてやるぜ!!」
掛川くんは極めて不穏当なことを言い出しました。僕は、また条件反射みたいに訊き返しました。
「○ク○だって!? いったい何をする気だっ!!」
「知れたこと。これから給食、そこにはちょうど箸がある。好都合とはこのことだ。」
そして四天王の残りの三人に向かって叫びました。
「おい、おまえら、くそぶたの手足を捕まえてろ!」
「お、おう…。」
三人は指示に従いました。
「よしよしよし、これでオマエも光の世界とオサラバだ♪」
掛川くんは楽しげに、歌うように言いました。
そしてくそぶたくんの両の眼に、両手の箸を突き立てました。
ずぶずぶずぶ。
箸が眼球に突き刺さってゆきます。
僕は、擦れた声で呟きました。
「カメラが潰されてゆく…。」
「ぎゃははははは、ばーか。ふん、知ったことか、クソが!」
掛川くんは嗤って怒鳴ると、箸を眼球から一気に抜き放って放り捨て、自分の席の方に去って行ってしまいました。
すると、しばらく両目から血を流しながら放心したように無言だったくそぶたくんが、うわごとのように叫び始めました。
「見えないナリー。何にも何にも見えないナリヨー。○○ラナリー。○○○ナリー。ワガハイ今や、○○○ナリー。はーん、ひどすぎるナリ―。」
これを見た四天王の残り三人は、大爆笑して大はしゃぎです。
「ぎゃはははは、くそぶた、おまえ、自分の状態を結構正確に把握してるんだな…! おまえ、まさに意外性に富む男だっ!!」
ちょっと待ってください。僕は、この一連の出来事を前に呆然としていました。今、僕は我に返りましたが、これは「途方もないこと」です!
僕が我に返った一瞬のちに、隣に座って呆然としていた函南さんがびくっと震えました。どうやら彼女も我に返ったようです。彼女は後ろの席の早川さんに叫びました。
「ちょっと、紗季! あなたクラス委員でしょう! 先生呼んで来て!!」
「え、あ、ゆり~。天国が地獄でお肴天獄~。うふ?」
駄目です。最悪の場合、ひょっとしたら、これは、もう、駄目です。僕が口を開こうとするのを、機先を制して押しのけるようなタイミングで函南さんが叫びました。
「澄也くん、紗季とくそぶたくん看てて! 私、先生呼んでくる!」
◇◇◇◇◇
この事件は、隠蔽されることになりました。
くそぶたくんは、すぐに保健室に運ばれ、そのまま救急車で病院に直行したそうです。函南さんが、いつもお昼をご一緒していた早川紗季さんは、惨事を目の前にして壊れてしまい、精神病院に直行したといいます。
しかし、禅昌寺先生はその日の終了のホームルームで宣言したのです。
「この一件は『事故』だ! くそぶたが誤って転倒した際に『たまたま』箸が両眼に突き刺さった『事故』である! そして、早川は、突如として勝手にトチ狂っただけなのである! それが『事実』である! 諸君、ゆめゆめ、この『事実』を忘れるな!!」
◇◇◇◇◇
そして早川さんは、何日待っても帰っては来ませんでした。
くそぶたくんも、また、この学校を去ることになりました。視力を失ったくそぶたくんは、もはや、この学校に居ることは出来なかったらです。くそぶたくんは、視覚障害特別支援学校に転校することになりました。特別支援学校とは、旧盲学校やろう学校、それ以外の各種障害者の為の養護学校などを、統一名称を与えた上で一本化したものです。
もっとも、一本化といっても、実際には、その実態は旧盲学校やろう学校のままであって、そうした各種の学校が同じ敷地に併設されているわけではありません。名称、呼び方だけの問題です。要するに、実態としては、「盲学校」と呼ばれたいたものを、「視覚障害特別支援学校」と呼び直しただけです。
しかし、判っていたことは、そこまでです。僕も、クラスのみんなも、くそぶたくんが、どこの盲学校に転校して行ったのか、知る事はありませんでした。禅昌寺先生は、具体的な事は何も言いませんでしたから。
また、僕の許にも、くそぶたくんは、連絡の一つも寄越しませんでした。僕は、この事件が起きるまで、くそぶたくんとは、個人的にも連絡も取り合っていたのですが、彼がこの学校を去ってからは、くそぶたくんは連絡の一つも寄越しませんでした。そうなってしまうと、何となく敷居が高くなってしまった気がして、僕の方から連絡することも、なかったのです。視力を無くしたくそぶたくんに対する遠慮もあったのかも知れません。
◇◇◇◇◇
そうして、1学期が終わっていき、夏休みを迎えました。
そして、7月も終わろうとしているある日、僕の携帯に、いつもの迷惑メールに混じって、様子の違う一通のメールが着信していたのです。
送信者の名前には、心当たりがありました。その名前とは、「袋井萌絵」。くそぶたくんの二歳離れた姉、お姉さんの名前です。
彼女は、くそぶたくん同様、まるまると太っていました。以前、くそぶたくんの家に遊びに行ったときに、くそぶたくんのお母さんにも直接会ったこともあるのですが、この人もまるまると太っていました。太っているのは、単なる食べ過ぎや運動不足などではなく、袋井家の遺伝的な体質なのでしょう。
そして、萌絵さんとくそぶたくんの共通点は、太っているという、単に、ただその一点だけでした。萌絵さんは成績も優秀、太っているせいで、さすがに走るのは遅かったのですが、運動神経が悪いわけではなく、いや、それどころか、かなりこちらも優秀で、中学時代から柔道部に所属し、その巨大な体格をも生かして、圧倒的な強さを誇っていました。二つ違いなので、僕が中一だったときには中三だったわけですが、その時には、女子部の主将を務めていたほどです。その頭脳と身体能力の非凡さは、高校に進学してからも変わっていなかったと、生前、くそぶたくんの口から聞きました。
でも、萌絵さんは、自分の優秀さをハナに掛けた嫌な奴だったというわけではなかったのだと、くそぶたくん本人は言っていました。少なくとも萌絵さんは、自分ばかり可愛がる母親に対しても反発心を抱いていた一面もあると、彼は言っていましたし、それだけではなく、実際、くそぶたくんが小学生の頃は、勉強の全然出来ないくそぶたくんを何とかしようと、懸命に教えてくれたと言う話でした。しかしいくら教えても、くそぶたくんの成績は一向に上がりませんでした。自分は結局、「地頭能力」が悪いのだと、くそぶたくんは自分で言っていました。明らかに「地頭能力」という言葉の意味を誤解しています。それを言うなら、多分、むしろ「バカによる壁」ですが、それが結局くそぶたくんの「頭」の「分」だったのでしょう。そして、あまりにも成績が上がらないので、萌絵さんが高校に上がる頃には、くそぶたくんは、とうとう彼女からも見放されてしまったとも言っていました。
そんな萌絵さんが、なぜくそぶたくんの親友だった僕に連絡を寄越したのでしょう? これはやはり、くそぶたくんに関係のある要件であることは間違いないでしょう。
僕はおそるおそる、そのメールを開封してみました。すると、次のような文面が現れました。
「清水澄也様。 私の弟、『くそぶた』こと袋井呑蔵より、貴方宛てにメッセージがあるとのことです。ただ、彼は、今となってはGUI環境のパソコンでは自分でメールを送信できないので、私が代理でお送りいたします。パソコンのインターネットのアカウント宛に、呑蔵のメッセージを録音したMP3ファイルを添付したメールをお送りして差し上げたく存じますので、そちらのメールアドレスをご教示いただきたく、ご返信くださいますようお願いいたします。」
そうか。くそぶたくんには、携帯のアドレスしか教えていませんでした。そこで、僕は、何事だろうと少々訝しく思いながらも、とにかく、自分のメアドを知らせるべく、このメールに返信しました。
◇◇◇◇◇
そして少し待つと、再び携帯が着信音を発したので、見ると、またメールです。
「澄也様。アドレス、確かに承りました。今、パソコン宛にメッセージのメールをお送りいたしましたので、ご覧ください。」
そこで、僕は、机のノートパソコンの前に行き、Live Mailを起動しました。メールが現れました。
「澄也様。件のメッセージをお送りいたします。添付のMP3ファイルを解凍してお聴き下さい。」
僕は、指示通りに、その添付ファイルを解凍し、掛っていたLZH形式の圧縮からも取り出して、Windows Media Playerに掛けました。すると、パソコンのスピーカーから、聞き覚えのある、くそぶたくんの声が流れてきました。
◇◇◇◇◇
「澄也くん、お久しぶりナリ。ワガハイは、今、九州に居るナリ。九州の福岡ナリよ。ワガハイが今通っているのは、世間で言う盲学校ってものナリ。学校の名前は、博多教育大学付属視覚特別支援学校って言って、福岡市近郊に在るナリ。もちろん、東京の家を遠く離れてこんなところに来ているから、寮に入って生活しているナリ。寮には、中等部、高等部の生徒以外にも、社会人の中途失明者も入っていて、全部で百人ちょっと居るナリ。
ワガハイがここに来ることになったのは、母さんに家を追い出されてしまったからナリ。母さんは、元々、無能なワガハイのことをよく思っていなかったナリ。母さんは、ワガハイに、よくこんなことを言っていたナリ。
『お前は、無能で醜く救いようのないクズだけど、五体満足だっていうだけの理由で、少なくとも生きているぐらいのことは、世間様に許されているんだから、ちゃんと私や周囲に感謝して、つつましく生活しなきゃダメだよ。お前がそんな風に分際をわきまえて暮らしているならば、私だけは、お前の味方だよ。私だけは、お前を愛してあげるからね。』って。
そんな母さんは、メ○○になったワガハイに言ったナリ。
『今やもう、五体満足でもないお前が、自殺もせずに、のうのうと生き永らえているなんて、およそ、あっていいことだとでも思うかい? お前は、世間様というものを甘く見ているよ。もうお前は、わきまえるべき分際というものを失ってしまった! お前のような穀つぶしは、五体満足であってこそなんだよ。お前は、なんとも恐れも恥も知らない、ふてぶてしい子だよ! 鬼子だよ! 今のお前が生きてこの世にいるなんて、およそ、そんなこと、世間様は、許す筈がないよ。そうだよ。たとえ私が許したって、世間様が、お前を許さないだろうよ。因果応報だよ。いずれ、バチが当たるよ。報いを受けるよ。』
だから母さんは、こう言ってワガハイを家から追い出すことにしたナリ。
『お前は、我が家の恥だよ。元々、無能なお前が、学校でひどい成績を取ってくることは、我が家の汚点だったけど、メ○○にまでなってしまうなんて、これはもう、見過ごせないほどの、ひどい恥だよ。お前にはがっかりだよ。堪忍袋の緒が切れたとは、このことだよ。これ以上お前を、この清らかな真っ当な家に置いておくわけにはいかない。穢れている卑しいお前は、出て行かなくちゃいけないよ。島流しだよ。私や萌絵は、つつがなく末永く幸せに暮らすから、お前は、私達の目に入らないところで、罪深い者として、つつましく相応の一生を送りなさい。』
ワガハイ自身、ワガハイのことを、まったく無能でとても醜い、ゴミ・人間のクズだと、ずっと、真剣にそう信じていたナリ。もちろん、そんな態度を表立って示せば、周りに受け入れて貰えないナリから、表面的には、自分が、さも普通の人間であると信じているかのような演技をしていたナリ。無論、ワガハイは根本的にダメなわけだから、ワガハイが、自分を普通の人間であると信じたかのように振る舞えば、それは周囲には勘違いと映って滑稽に見えるナリが、そういうふうに道化を演じないと皆と一緒に居させて貰えないと思っていたナリ。
だから、そんな、生きている値打ちの無いワガハイのようなカスを、それでも生かしておいてくれる母さんには、とても感謝していたナリよ。
でも、今回、これを聞いて、少し考えが変わったナリ。ワガハイは思ったナリ。実は、母さんは単に、体面や世間体以外のことには、何一つ興味が無かったんナリ。だから、元々無能だったワガハイが、そのうえメ○○になってしまったら、もう、用が無いナリ。ゴミみたいにポイと棄ててしまう事しか、考え付かないナリよ。だからワガハイは、もう母さんには感謝していないナリ。
実は、ワガハイ、ここに来てから、琵琶を始めることになったナリ。和楽器の琵琶ナリよ。
この学校の軽音楽クラブが、ワガハイの風体に目を付けたナリよ。もちろん、『風体』というのは、見なきゃ分からないナリが、この学校には弱視の生徒も居るナリ。全員が全盲って訳じゃないナリよ。
この学校、実は結構歴史が古いナリ。元々、明治四十三年に私立博多盲唖学校として、福岡市内に開校したのが始まりだそうナリ。その後、戦後すぐの昭和二十二年、6・3・3制に移行した時に、師範学校の傘下に組み入れられて、博多第一師範学校付属盲学校となったナリ。そのあと、昭和二十六年に師範学校が学芸大学に変わったのを受けて、盲学校も、博多学芸大学付属盲学校になったナリ。更に、昭和四十一年には、学芸大学が、博多教育大学になったナリ。だから、この学校も、博多教育大学付属盲学校に変更されたナリ。
軽音楽クラブそのものが発足したのは昭和五十年ナリが、その時の顧問が筑前盲僧琵琶・常就院清玄法流保存会のメンバーだったことから、郷土の伝統文化を学ぶと言う名目で、部員達に清玄法流の演目を紹介していたらしいナリ。
初めは録音を聴かせていただけだったそうナリが、生徒達に好評だった由で、そのうち、部内で演奏の真似事をするようになったと言う事ナリ。
清玄法流の最後の伝承者・奉山院森田光栄は六年前に亡くなって、清玄法流は絶えたナリが、師の没前数年間は、入れ込んだ当時の一部の部員が、師を拝み倒した挙げ句、直接師の許へ押し掛けて、手解きを受けていたそうナリ。学校は筑紫野市で、師のご自宅は甘木市だったナリから、西鉄を使えば、そんなに遠くなかったナリ。
それ以来、部にはこの活動が代々受け継がれていて、ワガハイはその後継者として目をつけられて部に迎えられ、日夜、芸を仕込まれてると言う訳ナリ。
この清玄法流というのは、盲僧琵琶という主に九州の盲僧によって行われた琵琶の一流派で、北九州を中心に行われてきた流派ナリ。実際、福岡市の臨洸山常就院総本山の境内には、筑前琵琶発祥の地を記念する黒御影石の石碑が在るナリ。
盲僧琵琶は、楽器の琵琶自体についても、よく知られている平家物語を演奏するための平家琵琶とは、琵琶の構造や大きさ、楽器の構え方など、いろいろな違いがあるナリ。
折角なので、これまでにワガハイが覚えた中の一本を演奏して、ニヤニヤ動画の『歌ってみた』にアップしてみたナリ。作業は、ある程度視力のある弱視の生徒がやってくれたナリ。
ワガハイは、もう無能じゃないナリ。だから、澄也くんにも見てほしいナリ。
アップされている動画は、『釈文・五郎王子物語』というタイトルで、盲僧琵琶の演目の中でも、いわゆる『くずれ』というモノナリ。
盲僧の演目の中には、『般若心経』のように世間でも広く知られているものも有るナリが、大体は盲僧に固有の物が多いナリ。その中でも『くずれ』とは、『荒神経』や『地神経』などの宗教呪術的な要素の強い詠唱以外の、呪術的要素の薄い娯楽的な出し物の事ナリ。
『くずれ』の中にも、比較的短い端唄や、長編の語り物である段物などが在るナリが、今回アップした『五郎王子物語』は、段物の中でも長編の部類ナリ。なにしろ、全四段から成る一大叙事詩ナリ。全部聴くと二時間位掛かるナリ。今のところ、ワガハイのレパートリーの中で、最長の大作ナリ。
それじゃ、今日はここまでナリ。またいつか逢いたいナリね。メールか何かで感想をくれたら嬉しいナリ。それじゃ。」
メッセージはそれで終わりでした。
僕は、くそぶたくんの言っていた動画を再生してみる事にしました。ブラウザを立ち上げ、言われた通りに動画のタイトルを検索しました。動画が現れたので、再生を開始しました。棹の長い小さめの琵琶を、棹を斜め上に向け立てて構えた、法衣姿のくそぶたくんが画面に現れ、演奏が始まりました。
◇◇◇◇◇
「…そもそも、かけまくも、かたじけなくも。まずは、荒神の御本地を詳しく説き奉れば、これより、南しゅうにあたりて、シンラン国と申す国あり。かの国には、王は六人おわします。六人の王は六社の王といわい奉りて、いまだ、マカダ国の座頭王の御后には、王子は五人おわします。
まず、太郎はサクオウ天王、次郎はマオウ天王、三郎はランジ天王、四郎はフクゾウ天王、五郎はトクゾウ天王とて、その、あらあなには、オトダイ王、オトダイ君、天に地神いげもんの神と名づけおかせ給え候いけんなる……」