十九
聞いてもいない事情を話し終えて、女の人が満足げな顔で頷くと、同時にグーッというお腹の音が聞こえた。女の人は途端に顔を赤くして、ちょっと視線を宙に泳がせたあと、照れ隠しで笑う。
厚化粧と、キツめの目つきのせいで、怖そうな顔に見えるが、こうして笑うと、ちょっと少女っぽさが出て可愛らしい。
「それじゃあ、かくまってくれて、ありがとね。店の男たちに見つかるまえに、アタシはトンズラ決めるとするよ」
「ちょっと待ってください! 屋台に来ておいて、お腹も減っているのに、なにも食べないんですか!? これは屋台への冒涜ですよ!?」
「そういわれてもねぇ。お金がないのさ」
サッサと去ろうとした女の人に対して、私は思わずまくしたてる。勢いが凄すぎたようで、新之助さんから、前に出た肩をそっと押し戻された。
バツが悪そうな女の人と一緒に、私もちょっと笑って誤魔化した。どうせ、お金儲けは全くというほど考えていない商売だ。お腹を減った人を、そのまま帰すほど気分の悪いものはない。
現代料理を作るというコンセプトは良いのだが、これはあくまで自己満足。手間もお金もかかるのだ。商売っ気を出すのならば、これほどダメな商売はないと思う。私の要領が悪いだけかもしれないけれど、それには目を瞑るとして。
「ちょっとしたまかない程度だったら、特別に出しますから。お姉さんは美人さんなので、特別の特別ですよ」
「……アンタ、異常なまでにお人よしって言われないかい?」
女の人の言葉に、新之助さんも何度も頷いた。私がお人よしに思えるのだとしたら、それは江戸の下町人情に染まったというだけのことだ。なんでも助け合いの精神、ラブアンドピース・ザ・江戸。
豆腐を軽く崩し、味噌と唐辛子、そしてゴマ油で、汁を少し大目にして炒める。それを、そうめんの上にかけて、彩りに刻んだ大葉を載せた。ピリ辛そうめんの出来上がり。ものすごく偽者感が漂う冷やし担担麺もどき、それがこの料理だ。
「変わった料理を出す屋台があるって噂は聞いたことがあったけれど、アンタの店だったんだねぇ」
「お口に合うかは分かりませんが、たまには変わった料理を食べるというのも、気分転換に良いと思いますよ」
「確かに、お奈津さんの料理は、気合を入れるときに食べると良いです」
「……新之助さん、それは何か違います」
女の人はちょっと笑って、いただきますをしてから麺をすすった。ちょっと驚いた顔をしたあと、さらに箸を進めた。
「うん、悪くはないね。ご飯も食べたくなる味だけれど」
「ご飯、食べます?」
「アタシがそんなに大飯食らいに見えるのかい?」
ちょっと冗談を言い合いながら、女の人は楽しそうに食べてくれた。こうして美人の笑顔が見れたことだし、作ったかいがあるというものだ。嬉しくなって、こっそりニヤニヤしていると、女の人は照れたように私の頬っぺたを引っ張った。痛い。
新之助さんは、湯呑みに減った水の追加を注いで、食器の片付けをさっさと始めた。私より、よっぽど気が利く。私は新之助さんに少し頭を下げた。
「新之助さん、ありがとうございます」
「いいえ。……ところで、お絹さん」
「ん? なんだい……って、アタシ、名前を教えたかい?」
「やっぱりお絹さんでしたか」
女の人……、お絹さんは、驚いたように目をパチクリさせて新之助さんを見た。私も驚いて新之助さんを見たら、なぜか新之助さんにも驚かれた。まさか、気づいていなかったのですか、そんな感じのことを言いたげな目で見られる。き、気づいていたし。
お絹さんと言えば、伊作さんが探していた女の人だ。夜鷹で、ちょっと釣り目な顔がシュッとした美人。ついでに、巨乳。
思わず、お絹さんの胸に目が行って、新之助さんにデコピンされた。すごい素早い対応だ。新之助さんも、私と同じことを考えていたに違いない。このムッツリさんめ。
「伊作さんと、知り合いなんです。お絹さんのことを探していらっしゃいましたよ」
「ああ、なるほどねぇ。まったく、お金がある男にしか興味がないって言っているのに、しつこい男だねぇ」
あんまりにも現金な言葉に、場の空気がちょっと凍った。新之助さんは、頭を押さえた。料亭の若旦那と伊作さん、どっちがお金を多く持っているか、明白である。
私が予想するに、伊作さんは、御用聞きの栄さんの手下だろうと思う。そうだとしたら、昨日の晩に新之助さんと知り合ったのにも納得がいく。御用聞きの旦那は、何人か手下を持つが、御用聞きの旦那自身ですらお金には苦労しているくらいだ。
手下も同様に、副業が儲かっていないかぎり、かなり貧乏だろう。吉原でも岡場所でもなく、夜鷹に手を出すわけである。
「もう、あんな男、興味が無くなっちまったよ。良い金づるが出来たからね。伊作にまた会うことがあったら、アタシの事は諦めておくれって言っていたと伝えておくれよ。アンタ達に迷惑をかけるのは、ちょっと気が引けるけれど」
「そ、そうですか……。伊作さん、お絹さんのことは本気だって言ってましたけれど」
「金」
「は、はい」
お絹さんは、悪女のように笑っていたが、一瞬、辛そうな表情になった。せめて、直接伝えてあげれば良いのにと思ったが、今、お絹さんは追われる身だ。伊作さんに迷惑がかかることを気にしたのかもしれない。
「今度こそ、帰るとするよ。ありがとね。色々と迷惑かけて悪かったね。美味しかったよ」
ニコリと笑って、お絹さんは周りを見渡しつつ、去っていく。その後ろ姿を見送ったあと、新之助さんと顔を見合わせた。
「新之助さん、どうしましょう。お絹さんに会ったこと、伊作さんに伝えたほうが良いのでしょうか?」
「ちょ、ちょっと、伝え辛いですね……」
お絹さんの金発言を思い出しているのだろう。新之助さんは苦笑した。




