37.小林 真希2
授業を抜け出した埃っぽい空き教室に、高く鋭い破裂音が響き渡った。
何度も健太に腹を蹴られ、床で正座をして泣きじゃくる山下の頬を、私は思い切り張り飛ばした。
ビリビリとした痺れが、手のひらから手首へと跳ね返ってくる。
べっとりと、指先に山下の冷たい鼻水がこびりついた。
「これ、すごくいいね」
汚れた手を気にすることもなく、私は自然と口角が上がるのを止められなかった。
胸の奥がスカッとするような、奇妙で黒い快感が全身を駆け巡っている。
「おい、真希、もう終わりだ」
健太が私の腕を掴んで制止した。
「は? 健太は二回もしたのに、何で私は一回なの?!」
「ばっか、見てみろ」
健太に顎でしゃくられ、私は山下の顔を覗き込んだ。
青白い豚のような山下の頬が、私の手形の形にべったりと赤く腫れ上がり始めている。
「強く叩きすぎなんだよ。こいつが黙ってても、これじゃ先生にバレるだろうが」
「それはまずいよ。明日からビンタできなくなるじゃん」
私は舌打ちをして、山下の腫れた頬を見下ろした。
「冷やせば大丈夫じゃない」
「氷なんかあるか?」
「保健室にあるはずだから、私が取ってくる」
私は教室のドアに手をかけ、ふと思いついて振り返った。
「でも、その前にもう一回だけ」
「だめだって、いってるだろ」
「かるーくやるから。ねえ、写真撮ってよ」
私の言葉に、健太は少しだけ目を丸くした。
「……それ、いいな」
私は自分のスマホを健太に放り投げた。
山下の前にしゃがみ込み、カメラを向けられたタイミングに合わせて、ペチッと軽く頬を叩く。
軽く触れただけなのに、赤く熱を持った頬を叩かれた山下は、ビクッと肩を跳ね上げて痛みに顔を歪ませた。
カシャ。
乾いたシャッター音が鳴る。
健太が私のスマホを返し、今度は自分のスマホを無言で突き出してきた。
「俺のも撮れよ」
私は画面越しに、怯えきった山下に向かってレンズを構えた。
カシャ。
再びシャッター音が響き、山下が小さく悲鳴を漏らす。
私たちは頭を寄せ合い、撮ったばかりの写真を覗き込んだ。
山下の情けない顔が、見事に画面の中央に収まっている。
二人でニヤニヤと笑いながら画面をスクロールさせた時、私の指先がピタリと止まった。
「また変な写真増えてるな。すげえ、こいつ今度は裸にしてるぞ」
健太の声が、耳元で楽しげに響く。
昨日現れた、あの不気味な男の写真。
それがまた勝手に増殖し、今度は服を剥ぎ取って、裸で土下座させている様子が写り込んでいた。
「うわ、やりすぎじゃん」
「真希、氷」
「だね、行ってくる」
私はスマホをポケットにねじ込み、駆け足で教室を出た。
保健室には誰もおらず、消毒液の匂いだけが漂っている。
製氷機から氷をビニール袋に詰め込み、結び目を作って急いで戻った。
教室のドアを開けると、健太が窓際で誰かと電話をしているところだった。
「わかりました、今から向かいます」
健太はそう言って通話を切り、スマホをズボンのポケットに突っ込んだ。
「なに?」
「いや、昔の先輩。なんか頼みがあるってよ」
健太は山下を一瞥し、私の方へ歩み寄ってきた。
「わりーけど、あとはいいか?」
「しょうがないな。今度ジュース奢ってよね」
「わかったよ。おい山下、誰にも喋るんじゃねえぞ」
低い声で脅しをかけ、健太は足早に教室を出ていった。
重い引き戸が閉まる音がして、密室には私と山下の二人きりになった。
山下は床に正座したまま、うつむいて小刻みに震えている。
私はゆっくりと歩み寄り、山下の目の前にしゃがみ込んだ。
冷気を放つ氷袋を、赤く腫れた頬にそっと押し当てる。
「ヒッ……」
山下の喉から、引きつったような声が漏れた。
「チクるつもりだろ」
私は氷を押し当てる手に、じわりと力を込めた。
「そ、そんなことしない……」
「私たちが退学になったら、健太が何するかわからないよ?」
底冷えするような声で囁くと、山下の震えがさらに大きくなった。
「い、言わないって……本当だよ……」
涙でぐしゃぐしゃになった顔。
怯えきった瞳。
なんかこいつ、怪しい。
口ではそう言っても、後で絶対に裏切るタイプだ。
それにこの怯えた顔を見ていると、もっと痛めつけたくなる。
私は氷袋を床に放り投げ、山下の震える右手を両手で強く握りしめた。
ビクリと、山下の全身が大きく跳ねた。
「女としたことある?」
甘い声を出し、上目遣いで山下を見つめる。
「な、なにを……」
私は山下の手首を引き寄せ、少しだけボタンを開けた自分の胸元に、その分厚い手のひらを無理やり押し当てた。
制服の生地越しに、心臓の鼓動と柔らかい感触が山下の手に直接伝わるように。
山下は目を見開き、呼吸が止まっている。
顔が燃えるように赤くなり、押し当てられた手がガタガタと痙攣するように震えている。
「また良いことして欲しかったら、絶対に黙ってなよ」
耳元で甘く囁きながら、私は冷たく微笑んだ。
山下は魔法にかけられたように身動き一つできず、ただ小さく何度も頷いた。




