第7話 用間の正体
颯太の部屋。
麻衣は息を切らせ、肩を上下させながら颯太の部屋に駆け込んだ。
夕焼けが窓から差し込み、部屋の中をオレンジ色に染めていた。
「どうした、そんなに急いで」
彼が差し出したペットボトルの水を一口、飲んだ。
「……ふぅ。……目が覚めたわ、颯太」
麻衣は、ベッドに腰を下ろし、晴れやかな顔で告げる。
颯太は察したように少し目を伏せた。
「……デート、うまく行かなかったのか?」
颯太の声は、安堵したようにも聞こえた。
麻衣は真っ直ぐに颯太を見つめた。
「麗華から全部聞いたわよ。
あんたが燎生くんの正体を知ったんだってね」
「あいつ、口が軽いな」
「口が軽いんじゃないわ。
私のことを心配して、教えてくれたんだよ」
「……ずっと、私のこと守ってくれてたんでしょ」
颯太は少し顔を赤らめながら、椅子を回して背を向けた。
「別に。
幼馴染みとして、最悪の事態を考えリスク管理をしていただけだ」
相変わらずの理屈っぽさ。
けれど、その耳が赤くなっているのを麻衣は見逃さなかった。
***
二人の会話が途切れる。
麻衣は、ベッドの隅に置かれた一冊のノートを手に取った。
「何これ、新しい作戦?」
「あ、おい!それはダメだ!」
颯太が血相を変えて飛びついてきた。
麻衣はひらりと身をかわし、ページをめくる。
そこに書かれていたのは、燎生とのデート作戦。
――だけではなかった。
燎生とのデート計画の裏で、麻衣のために何が出来るのか。
そして、そこに赤字で書き加えられていた麻衣への想い――
『麻衣攻略・完全計画』
『夕立ちでの相合傘へと誘導』
『水族館の暗がりを利用してドキドキ感アップ』
『シャチのショーで濡れた麻衣をケア』
麻衣が目を丸くして驚く。
「これって……私の気を引くための作戦?」
颯太は天を仰いだ。
***
「いや、その、それは……」
今までどんな難題にも即答してきた無敵の軍師。
その軍師が、初めて言葉に詰まっている。
顔を真っ赤にして、視線を泳がせる颯太。
「本当の用間は、颯太だったのね」
麻衣はいたずらっぽく笑い、固まっている颯太の顔を覗き込んだ。
「ふーん。軍師のふりして、実は私の攻略法を考えていたんだ」
颯太は黙ったまま、顔を真っ赤にして俯いている。
「それとも、これもただの幼馴染みとしてだけ?」
追い打ちをかけるような問いに、観念したように肩の力を抜いた。
***
「……ああ、そうだ。悪かったか」
颯太は絞り出すような声で、けれど真っ直ぐに麻衣を見据えた。
「どんなに兵法を尽くしても、だめなんだ。
君が他の男子に笑いかけるたびに作戦が狂うんだ」
「……僕にとっては、君が世界で一番の強敵だよ」
理屈も兵法も投げ捨てた、生身の言葉。
「ずっと、ずっと……
出会ったときから、ずっと好きだったんだ」
今度は、麻衣が顔を赤くする番だった。
麻衣は照れ隠しに楽しそうに笑ってみせる。
その瞳は少しだけ潤んでいた。
「どうしようかなー」
麻衣はノートを丸めて、望遠鏡のように颯太を覗く。
「そんなに長い間、騙してた軍師さんの告白。
すぐ受けるのは悔しいし」
***
麻衣は、白紙のページにペンを走らせた。
「はい、これ。新しい作戦名よ」
差し出されたノートには、大きな文字でこう書かれていた。
『颯太と麻衣の初デート作戦』
「一緒に最高の攻略法を考えるわよ」
颯太は驚いたように目を見開き、やがて嬉しそうに頷いた。
「最初の指令は食糧確保。
うちから苺ジャムクッキーを調達してきてよ。
それとジュースもね」
「ええ、夕ご飯前だよ」
「つべこべ言わずに、早く行く」
麻衣が、颯太の背中をぴしゃりと叩いた。
それは新しい二人の始まりを告げる音だった。
(第13篇 用間篇 完)
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
本作「孫子の兵法シリーズ」は、
“戦いの理論を恋愛に応用したらどうなるのか?”という、
かなり無茶な発想から始まった企画でした。
正直に言うと――めちゃくちゃ大変でした。
孫子の言葉は本来、戦争という極限状態での意思決定や戦略を語ったもの。
それを「恋愛」に落とし込むとなると、
- 解釈が堅すぎると浮く
- 軽くしすぎると兵法が死ぬ
- 理屈に寄るとキャラの感情が消える
という三重苦との戦いでした。
本来の意味から離れた“こじつけ”になってしまった部分も多いと思います。
***
特に「用間篇」はシリーズの締めくくりにふさわしく、
“情報”や“裏で動く存在”をどう恋愛に落とすかで、最後まで悩み続けました。
結果としてたどり着いたのが、
「一番近くにいる人が、一番見えていない存在になる」
という構図です。
そのギャップこそが、用間篇の着地点として最もしっくりきました。
少し理屈っぽくて、でもどこか不器用な二人に、
ここまで付き合ってくださって本当にありがとうございました。
***
もしこのシリーズを読んで、
「恋も少しは戦略でうまくいくのかも」と思っていただけたなら、
そして最後に
「でもやっぱり、いちばん強いのは気持ちだな」
と感じていただけたなら、作者としてこれ以上うれしいことはありません。
それではまた、どこかの物語で。
(孫子の兵法で学ぶ恋愛戦略シリーズ 全篇 完)




