第4話 想定外の出来事
「それで、これからの作戦はどうするの?」
暗い通路を歩きながら、麻衣は隣の颯太に問いかけた。
「作戦変更だ。
状況に応じて柔軟に策を変えるべきだと孫子も言っている。
これを『九変』という」
「ふーん。で、具体的には?」
「……今、考えている」
珍しく歯切れの悪い返事をする。
「もう! 早くしないとイルカショーが始まっちゃうよ!」
「イルカショーか。それはまずいな……」
颯太が眼鏡のブリッジを押し上げる。
「どうして? 楽しいじゃない」
「水族館の醍醐味は静寂だ。
ささやくように喋るからムードが上がる。
だから、おしとやかで上品に見えるはずだったんだ。
普段は騒がしい麻衣でもね」
「何よ、騒がしいって失礼ね!」
「だが、イルカショーともなれば地が隠しきれない。
きっと、いつものように大声で騒いでしまうだろう」
「何よ、それ」
麻衣がぷくっとむくれる。
瞬間、館内にイルカショーの開始を告げるアナウンスが響いた。
「あ、始まる! 行こう!」
麻衣は颯太の制止も聞かず、我慢できずに駆け出した。
***
会場はすでに超満員だった。
ようやく見つけた燎生の周りの席はすでに埋まっている。
麗華は、ちゃっかり隣を陣取っている。
麻衣に気づき意味ありげに笑った。
(もう、颯太が、もたもたしてるから……!)
麻衣は内心で毒づく。
仕方なく颯太を連れて最前列の空いている席に移った。
「ラッキー!ここなら大迫力で見れるじゃん」
ショーが始まる。
「すごい、あんなに高くまで飛び上がった!」
「私も、あの背中に乗ってみたい!」
麻衣は大歓声を上げながら、スマホで写真を撮り続けた。
いつの間にか機嫌も直り、跳ね上がる水しぶきに目を輝かせる。
***
続いて巨大なシャチのスプラッシュショーが始まる。
「麻衣、この席はまずいぞ」
「何が?」
麻衣が聞き返した瞬間だった。
シャチの尾びれが豪快に水面を叩き、巨大な水の壁が襲いかかる。
「キャーーーーーッ!」
頭からバケツで水を被ったような衝撃。
麻衣は悲鳴を上げ、全身びしょ濡れになった。
「だから言っただろう、スプラッシュショーなんだから」
隣で同じく濡れ鼠になった颯太がぼやく。
しかし、麻衣は、弾けるような笑顔を見せた。
「すごい!今の迫力、最高だったじゃない!」
颯太は、あきらめ顔で小さく首をふった。
「でも、びしょびしょ……。髪の毛もひどい……」
「……ほら、使え」
颯太が無造作にタオルを差し出してきた。
「さすが名軍師、準備がいいわね。借りるわ!」
麻衣はタオルをひったくるように受け取る。
洗面所へ駆け込んで身だしなみを整えた。
戻ってくると、颯太は一人でポツンと待っていた。
「燎生くんたちは?」
「先にアシカショーの方に行ったよ」
「私たちも行こう!急げ急げ!」
麻衣は自然と颯太の袖を掴むと、引っ張るようにして走り出す。
***
アシカショーの会場。
またしても、麗華が燎生の隣にぴったり座っている。
麗華が二人を見てにっこり笑う。
「あら。お二人さん、ずいぶんと仲がいいのね」
言われてハッとする。
颯太の手を掴んだままだったことに気づき、慌ててパッと離した。
「ち、違うわよ!これは……はぐれないようにしてただけ!」
麗華が、二人を手招きする。
「ちゃんと二人の席もとってあるわよ。ほら、ここ」
麻衣はしぶしぶ颯太と並んで座った。
「ちょっと狭いよ、あんた」
「僕に言うな。座席の規格の問題だ」
手が触れ合いそうな距離。
(え、私ドキドキしてる?)
きっと走ってきたせいと自分に言い聞かせる。
気づかれないように深呼吸をした。
けれど、アシカのユーモラスな演技が始まると、
そんな落ち着かない気持ちもどこかへ消えてしまった。
***
お昼になり、一行はフードコートへ移動した。
麻衣がシーフードバーガーを大きな口で頬張っている。
不意に隣の席に燎生がやってきた。
「香川さん。なんだか、朝と全然雰囲気が違うね」
「えっ……そうかな?」
「うん。朝会った時は、なんだか大人しかったし……
水族館が楽しくないのかなって心配してたんだ」
麻衣は首を激しく振った。
(もう、颯太のおしとやか作戦、
完全に裏目に出てたんじゃないのよ!)
横でポテトを食べている颯太を睨みつける。
「でも、今はすっごく楽しそうで良かった」
燎生が爽やかに笑う。
「うん、すっごく楽しい!」
麻衣が満面の笑みを返す。
燎生が、身を乗り出してくる。
「あのさ、俺、見たい映画あるんだけど……
今度、一緒に行ってくれない?」
「――っ!?」
驚きのあまり、ハンバーガーが喉に詰まりそうになる。
必死にむせ込みながら、アイスオレを飲み込んで呼吸を整えた。
「大丈夫? 香川さん」
「平気……ちょっと、びっくりしたけど」
「それで、どうかな?」
「うん、行きたい」
心の中で、麻衣は勝利の雄叫びを上げた。
***
グループデートの帰り道。
夕暮れの中、麻衣は弾んだ声で颯太に報告した。
「聞いた? 二人きりのデートの約束、取り付けちゃった!」
「……ああ、聞こえていたよ」
颯太は驚いたような――
それでいて少し複雑そうな顔で溜息をついた。
「『君命、受けざる所あり』
――主君の命令も、現場の状況に合わなければ従わない」
「僕の作戦より、麻衣の予測不能な行動が勝ったということか」
「何それ、負け惜しみ?」
「事実を述べているだけだ」
麻衣は上機嫌で、颯太の肩を小突く。
「次は二人っきりの本番デートなんだから。
ちゃんとした最強の作戦、考えてよね!
期待してるんだから、軍師さん」
夕日に染まる帰り道。
麻衣は弾むような足取りで、颯太の先を歩く。
振り返ると、くるくると回ってはしゃいで見せた。




