56 恩賞と義務
服装を変えれば気構えが変わる。気構えが変われば視界が変わる。竜胆改め政秀はそれを今肌身で実感していた。十一月の躑躅ヶ崎館の内部が今までとまるで違う姿を見せた。
果たしてここはこんな威厳のある城だったろうかと政秀が視線をさ迷わせながら歩いていると先導する教来石から落ち着きを持てと注意された。
すると遠巻きに見ていた一部の侍が忍び笑いを漏らした。ご丁寧に後ろ指までさしてくれているようだ。政秀はささやかな反撃を試みた。
「そういえば先の合戦で首を獲らず捨て置いた雑兵はどうなりましたか」
教来石は振り向くと静かに告げた。
「捨て首など気にするものではない」
途端、それまで陰口を叩いていた侍の数名が顔色を変えた。うち幾人かは黙り、残りは先程の倍の勢いで口を動かし始めた。それを渡り廊下越しに見ている一団があった。
合戦において相手を討ち取りその首級を挙げることは武功の証である。だがしかし、他者が討ち取ってそのままにした首級を挙げることは捨て首といい恥ずべき行為とされた。
そうは言っても手ぶらで帰れぬものの中には恥と手柄を秤にかける不心得者も出てくる。それを暗に指摘されて狼狽した者が出たのだった。
そしてある一つの間へと案内されると下座で平伏して待つように言われた。そのようにしていると典厩様おなり、の声が聞こえ奥の襖が開かれ数人入室する気配があった。
「うむ、苦しゅうない、面を上げよ」
上座からそう声がかかり政秀は拳一つ程上体を上げた。すると上座から恐らく小姓だろう、一人がするすると進み出て来た。
そのまま教来石に何かを渡すとまた足音も立てず戻っていった。そして紙を広げる音の後教来石の咳払いが部屋に響いた。政秀もいつの間にか冬の寒さを忘れていた。
「白樺槍之助政秀。先の戦における働き見事であった。その方らの奮戦によって本位を遂げることができた。よって感状と諏訪に知行
百貫文を与えるものである」
ははあ、と政秀は再度平伏した。それを受けて上座からはこれらも励むよう、と声がかかり続いて退出の案内が聞こえた。結局政秀は典厩様の顔を拝むことはできなかった。
その後室内が二人きりになったことを気配から確認すると政秀は本当に面を上げると体ごと教来石に向き直った。それを待って先程の感状と知行の目録が差し出された。
ありがとうございます、と両手で受け取り傍らに置くと本題を尋ねた。
「雪の件はどうなりましたか」
武田の姫とされている仲間のことである。
「その件は今上の方で話し合って頂いておる。今少し待て。お前はその間に領主としての腕を見せよ」
眼力を込めて宿題を出されてしまった。
実際、嫁に出した姫が別人と入れ替わっていたなど、醜聞もいいところである。落とし所を見つけるのも一苦労なのだろう。まして時期も見定めなければならない。
悪いようにはしない、の教来石の言葉に嘘はないと分かっても納得できるかとなれば話は別だ。まして戦場で武功を立てた後は内政でも腕を見せろという。
政秀自身はこの沙汰に納得していたし感謝もしていた。この時代に何の地縁血縁も無い、氏素性も定かならぬ胡散臭い若造への恩賞としては破格の一言だからだ。
同時にその理由も察していた。広告塔に使えるのだ。武田家では他国者でも手柄を立てれば取り立てられるとなれば、我こそはと思うものもいるだろう。
人は城人は石垣人は堀。
ならば出自にとらわれず優秀な人材を求めることは戦国大名にとって必須と言える。だができない身分社会がそれを邪魔する。
誰しもが当然と思っていることこそ、一番の敵かもしれない。それに対処しようという発想がそもそもないからだ。実際、史実の戦国大名でも出自不詳は秀吉ぐらいのものだ。
それを考えれば一定数他国者に門戸を開いている武田家は十分に先進的、いや冒険的と言ってもいい政策を採用していることになる。ことに今は代替わり直後で時機も良い。
躑躅ヶ崎館を辞して教来石と別れた後、寒さにも関わらず活気を失っていない甲府の町を歩きながら政秀はそんなことを考えていた。無論現実逃避だ。
本当に対処すべき問題、仲間の奪還という本来の目的は達成できず、褒美でお茶を濁されたことをどう説明したものか、口元はゆがみ足取りも重くなった。
「で、見事手ぶらで戻ってきたと」
自宅の居間で正座しながら女たちに報告する政秀の姿があった。半円状に取り囲まれ静などは腕組みして仁王立ちだ。
「いやまあ、領地持ちにしてくれるみたいなんだけど」
おずおずと目録を差し出すと玉藻が手に取りふむふむと読み始めた。
あんなにょろにょろ文字を読めるんだ、と竜胆が感心しているとじろりと睨まれた。
「旦那様、まさか読めないまま受け取ったのではありませんわよねえ」
冷汗と脂汗を流しながら頷くととうとう牛若と梅子も行動に出た。「うわ兄貴それどうなの」からかう声と同時に慰める様に小さい手が肩を叩いた。同情の方がつらかった。
「諏訪で2カ村、合計で上司百貫文、定納三十貫文で軍役は騎馬二名に長槍一名とありますわね。方針を聞かせて下さいまし」
政秀は棒を飲み込んだような顔になった。
「まさか今知ったわけではありませんわよねえ」
青筋を立てながらも笑顔を崩していないのが逆に怖かった。
「結論を端的にまとめて下さいまし」
扇子を広げる事さえ省略した玉藻に反論などできるはずもなく、何とか喉の奥から声を絞り出した。
「戦場で武功を上げたら、今度は内政と部下採用もしろと」
口に出してみると改めて理不尽な無理難題さが分かり、全員でため息をついた。
政秀が躑躅ヶ崎館へ参上する前日、教来石は武田信繁より呼び出しを受けていた。用件は白樺政秀への恩賞についてだ。そして告げられた言葉に目を見開くことになった。
「なんと、手助け無用とはいかな意味にございまするか」
地侍に毛の生えたような立場である身で当主の実弟に反論するという挙に出ていた。
身分差を考えればそもそも直答することさえおかしいほどだ。しかし教来石は敢えてその禁を犯した。寄親も寄子の面倒を見るなとはどういうことかと。
答えは単純かつ冷酷な物だった。白樺政秀の器のほどを見定める、と。只の猪武者か、あれこれ仕込む価値のある男かを確かめる試験だという。
教来石は頭では理解した。しかし腹で納得することは出来なかった。けれどもそれをぐっと飲み込み平伏した。それも主君に仕える者の勤めだったからだ。
だからか、後日政秀がおかしな行動の許可を求めて来た時に、この男には珍しく内容をよく確認もせずに諾の返事を与えてしまった。後日また頭を痛めることになったのだが。
教来石の許可を貰った政秀は玉藻を連れて坂田屋を訪れた。今後の行動に必要な物を調達するためだ。もっとも、用意する方は最初顔をひきつらせたが。
玉藻が目的を説明すると納得を得られたらしく代金と調達の日取りを伝えられた。代金を支払い、一部を後日役宅まで届けてもらうことになった。
十一月の寒風吹きすさぶ中、俵を積んだ荷車を引く政秀の姿が甲府から諏訪へと至る街道上にあった。無論、他の女たちもである。荷物には大鍋や器もあった。
諏訪の町に着くと大通りの一角に陣取り、臨時のかまどを作り薪をくべて鍋へ俵の中身を放り込み始めた。麦粟稗黍の雑穀粥だ。炊き出しである。
「聞いてくれ、諏訪の民よ。武田の御館様は慈悲深くも先の戦で傷ついた諏訪を慰めようと炊き出しの許可を下された。甲府に一礼してから受け取ってくれ」
たちまちに列ができ始めた。玉藻が列を大まかに仕切り、梅子がとりわけ、牛若が巡回し、政秀と静が不心得者を制圧する。見事な役割分担ができていた。
昼前に始まった炊き出しはほんの二時間程度で材料切れとなった。甲斐もそうだが、諏訪でも食料不足はあるらしい。実際、この炊き出しも結構な出費である。
しかし、諏訪の食料不足は甲斐の様に不作ばかりではない。戦に負けたことで収穫の一部を持っていかれているのだ。この時代の戦争は食料争奪戦の一面を持っている。
その一部を炊き出しの形で武田の臣が行うのは自己矛盾にみえるが、こういった事は富裕層たる有徳人の美徳であり義務とされた時代であった。
政秀一行の炊き出しは、五日置きに十一月一杯続けられた。不思議なもので、そうするといつも間にか諏訪の民にも段取りを手伝うものが出始めた。
征服された側の民衆に、征服した側の与える施しに協力するものが出る。例え内心に納得できないものがあろうとも、今日を生きるためには目をつぶらねばならない時もある。
同時に、それこそが政秀の待っていた反応だった。領地を与えられた以上戦に連れていく家臣を召し抱えなければならない。しかし甲斐にはもう目ぼしい者はいない。
当然だ。いればとっくに他の者が声をかけているだろう。だからこそ、諏訪で探した。例え侵略者が相手だろうとある程度折り合いを付けられる者を。
そしてそれは見つかった。炊き出しの片付けを玉藻に任せると竜胆は静と先の手伝ってくれた者に声をかけた。当家に召し抱えられる気はないか、と。
結果は芳しいものでは無かった。気持ちはありがたいが自分も職を持っている。誘われましたはいそうですか、と付いていく訳にはいかない、と。
もっともだった。そしてその後に代わりと言っては何だが、と付け加えられた。家を継げない三男坊や四男坊で見どころのあるやつがいる。そいつらを紹介したいのだが。
政秀にとっては願ったり叶ったりだ。早速次回の炊き出しの時に会わせてもらうように話を付けた。足取り軽く玉藻達の所へ戻ると片付けを手伝った。
そして恒例となった寄り道をして一泊してから甲府へと帰還した。待ってましたとばかりに牛若が声を上げた。
「まさかうまくいくとは思わなかった」
おい、と頭を軽く小突くと竜胆は玉藻と今回の結果を帳簿にまとめ始めた。持ち込んだ食料の種類と量、使用した食器と戻らなかった分、炊き出しに集まった人数と内訳などだ。
やはりと言うべきか老人に女子供といった弱者が多い。その中のいくらかは武田や、もしかしたら政秀のせいで未亡人や孤児になった者がいるのだろう。
心の何かがそれを考えようとし、また別の何かが目を覆おうとした。一連の炊き出しにはそんな政秀の心の均衡を取る意味も、確かにあった。
同時に往復時に少々街道を外れて与えられた領地を見に行ったりもした。寒村、という言葉がぴったりの小さな村だった。実は目にするのは初めてでは無かったのでが。
それは兎も角五日後、諏訪の町での炊き出し時には言葉通りに若い男が数名連れられてきた。促されると横一列になってそれぞれ自己紹介を始めた。
「大工の三男、彦三郎」
「そ、染物屋の四男の孫次郎です」
「平四郎、鍛冶屋の倅だ」
自己紹介一つでも性格が出ていた。
「白樺槍之助です。これからよろしくお願します」
そう言って一礼すると先の三人は頭を叩かれた。主に先に頭を下げさせるな。
そんな声を聞いて静はくすりと笑みをもらした。なんだかんだで、どうやら家臣のあてはできたようだった。
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