ピンクのカエルと過去の出来事
◇
重いスチールの扉が閉まる音、それだけで身体中の血管が収縮し、また更に心臓の鼓動が速くなった。
それでも、きっと風で閉まったんだ。とか、自分をなだめ、振り返ると、アキラがいた。俺を咎めているのか何も云わない。
「や……やあ」沈黙の重さに耐えきれず、そう云ってみたが、アキラは黙ったままで歩き出し、俺が見ていた奇妙な赤ん坊のビン詰めに手を伸ばした。
「これ、何だと思う?」
やっと口を開いてくれたが、返答に困った。
何って……何と云えば良いのだ?
そう、身体は人間の赤ん坊に違いない。しかし、その頭を何に例えるかと訊かれたら、何に見えるかと訊かれたら……
「カエル……?」
答えながら、あの変な夢とこの状況がリンクしているのに気付く。
アキラは何も云わず、ビンの裏を向けた。硝子ビンがスチールの棚を擦る音がして、裏を向いたカエルの赤ん坊の頭を見て絶句した。そして、何故この赤ん坊がカエルのような顔をしているのかが解った。
顔の鼻の上辺りから上半分が無いのだ。つまり“脳”の在る部分が頭骸骨ごと切り取られたように無いのだ。だがその切り口は薄い膜のようなもので覆われている。
故意に切り取られた訳では無く、元々この状態で産まれて来たらしい。
そして、顔自体は半分しかないのに、目はきちんと目のあるべき位置に付いている。つまり、半分しか無い顔のてっぺんに眼球が乗っている状況で、その目はほぼ剥き出しになっている。覆うべき皮膚が無いのだ。しかも剥き出しなので異常に眼球が大きく見える。
そう、総じていえばリアルに擬人化されたカエル。いや、カエルのように見せ掛けた人間の赤ん坊。
ふと、ビンにラベルが貼ってあるのに気付いた。
アキラは赤ん坊の頭の裏側では無く、それを見せたかったのかもしれない。
しかし
そのラベルに書かれていた文字を読んで激しく後悔した。
ラベルには河内美奈子と書かれている。この赤ん坊を産んだ母親の名前だと云う事は容易に解った。
その名前は俺の母と同姓同名だ。
じゃあこれは、俺の弟?
あの時産声を上げた俺の弟?
障害って、この事だったのか?
確かに、これでは長く生きられ無いだろう。
親父が狂った様に泣き叫んでいたのも今となっては仕方が無いと思えて来た。
でも……
俺は確かに弟が泣いているのを聞いた。
小さい頃の記憶だから何かと混同してしまったと云う事なんだろうか?
「脳が無くてもね、延髄が半分残っていれば泣くんだよ。身体も動かせるし、光や痛みにも反応する」
アキラが冷静に云う。なんだ?まるで医者みたいに。
「これ……俺の弟……」
俺の声は震えている。
ふいに、目眩に襲われた。目眩と云うより空間そのものがぐにゃりと歪んで見えた。
「お子さんは今回諦めた方が良いですよ。産まれても数時間……長くて一週間しか生きていられません」
何故か目の前に医者と、今より少し若い母が居る。
「でも……今、お腹の中で生きているんでしょう? そんな、生きている子を殺すなんて」
「良いですか? お子さんは“無脳症”なんですよ他の障害とは訳が違うんです。脳が無いんですよ」
「でも、一時の命でもいいからこの世に産み出してあげたいんです!」
「そんな綺麗事で済む話じゃない!」
「綺麗事なんて云ってません!」
「私はね、そう云って、いざ産んだ我が子を見て悲鳴を上げた母親を何人も見て来たんだ! その母親達だってあなたと同じ事を云ってましたよ」
「私は……私は違います。それは信じてください!」
それからしばらく、沈黙がと云うか睨み合いが続き、諦めた様子で医者が深い溜め息をはきながら云った。
「……仕方ないですね、そこまで云うのなら……判りました。ご主人の方には私から話しておきましょうか?」
「いえ……私が……話します」
「きちんと説明しておいて下さいね。ショックを受けるのは確実ですから」
これは、実際にあった母と医者のやり取りなんだろうか?
何故、俺がそれを今見ているんだろう? まるでテレビの再現ドラマみたいだ。
また、空間が歪み、別の場面へ飛んだ。
あの硝子ビンに入っていた赤ん坊が動いている。元気な泣き声を上げ、手足をばたつかせて、顔さえ見なければ普通の赤ん坊だ。
「ちょっとご主人! 勝手に入って来ては困ります」
看護師の制止も聞かず、我が子の所まで一目散に突き進む親父。
やがて、赤ん坊を見ると奇声を発する。
「何なんだコレは! お前、何を産んだんだ? こんな化け物、俺の子じゃない!」
親父の声で唯一聞き取れるのはそれだけだった。だが母は意識を失っているのか、眠っているのか、反応しない。
やがて、親父は奇声を上げながら何処かへ走り去り、入れ替わるように小さな子供が入ってくる……俺だ。
「あかたーん」
親父が暴れて機器を倒したらしく、看護師達はその片付けに追われ俺が入って来た事に気付かない。
やがて、俺は椅子を見付け、それによじ登り“弟”と対面する。
なんだ、あの“夢”の後半と全く同じだ。
まさか、俺……弟の顔見て泣き出すんじゃ?
しかし、小さい俺は
「あかたん、いーこ、いーこ」
そう云って自分の手より更に小さい手を握っていた。
やっと気付いた看護師に引き離されるまで。




