(10) エドルバラの戦い <2>
バジャンク族の前衛隊長はザハースという者がつとめている。
ザハースは三十代、己の武勇で隊長の座までかけあがった。
その彼が部下からの報告を受けた。
ただ一騎の騎兵がこちらに向かっている、と。
彼は判断に迷った。
ルミール建国王の時代ならともかく、現在では戦い前に一騎打ちをする風習などほとんどない。
かといって、一騎で攻撃してくる奴など、いるわけがなかった。
やはり軍使か、という結論に彼は至る。
彼は旗か何かをあげているか部下に問いただすが、あげられてないと返答を受けた。
その間にもその騎兵が近づいてくる。
部下達に、止まらなければ攻撃する、と声をあげるよう命令する。
本気で一騎で攻撃しにきたのかもしれない、と彼は考えた。
まさか、とは思うが。
ザハースの下に部下から報告が入る。
止まらず、こちらに向かっている、と。
彼は決断した。
不審な騎兵をこれ以上近づけさせる訳にはいかない。
数十人で射落とすよう、彼は命じた。
「セドリアンの兵士にはおかしな奴がいるもんだな」
彼はにやけながら、側近達に話しかける。
側近達もまた、半笑いで隊長に同調した。
ハギリは弓の有効射程距離に入っても、敵に攻撃を受けなかった。
迷ってくれた敵に彼女は感謝する。
ここまで攻撃を受けなかっただけでも、彼女にとっては大きい。
後は全速力で馬を走らせるだけだ。
そのハギリに向かって、バジャンク族の短弓による攻撃が始まろうとしていた。
攻撃する兵士達も隊長のにやけ笑いが伝染したのか、半笑いだった。
彼らにとっては、これはまだ戦いではない。
バカな獲物を射落とす狩猟にすぎない。
だから、弓の射方にしても、真剣ではなく半分だらけていた。
数十人に狙われれば、ハリネズミのようになって死ぬだろう。
彼らはそう考えていた。
攻撃を開始するまでのわずかな間だけ。
ついに、ハギリの下へ数十本の矢が降り注ぐ。
どれもこれもが、直撃する矢ではない。
攻撃する兵士の慢心が直撃する矢を減らしていた。
それでも放置すれば、その内の何本かが、ハギリや乗っている馬に直撃をくらわせるのだ。
ハギリは人間を超えた動体視力で全てを見切る。直撃する矢だけを迎撃した。
一振りで一本を落とすときもあれば、まとめて二本、三本と落としていく時もある。
ハギリは矢を落としながら駆け抜けていく。
ハギリはぐんぐん彼らとの距離を詰めていく。
その様子をバジャンク族の兵士達は驚愕しながら、見つめていた。
彼らの形相がようやく真剣なものとなり、ハギリをさらに射る。
ハギリを直撃する矢の数が徐々に増えてくる。
ならば、全てを落とすまで!
彼女は縦横無尽に剣をふるい、全ての矢を叩き落した。
そして、ついにハギリは敵軍に対して、彼女の剣が届くようになる。
なので、彼女は斬った!
速度に任せた一振りでバジャンク族の兵士は斬り裂かれ、地面に倒れた。
避けようもない一撃だった。
彼にとって幸福だったのは即死だったことだろう。
何もわからないまま、死ぬことができた。
ハギリは進路に入った次の獲物を斬り捨てていく。
さらに斬る、また、ぶった斬る。彼女の進路にいた不運な兵士から。
二人、三人、四人と、血塗れになって次々と倒れていく。
兵士達の多くは呆気に取られたような表情から、驚愕、憤怒へと変わっていく。
彼らは、一人で乗り込んできた狂人を倒すべく、取り囲もうとする。
もう、弓矢が使える状態ではなかった。
射線は味方の兵士がふさいでいるし、無理に射て当たらなければ、味方に当たってしまう。
槍で、剣で倒さねばならない。
ハギリは止まらない。
一人の相手に時間もかけない。
ほとんど一撃で相手をぶった斬っていく。
倒され方は二つに一つだ。
あっという間に斬られて死ぬか。
彼女の一撃を剣や槍で受け止めようとして、そのまま自分の槍や剣を折られたりはねとばされたりして、倒されていくかだ。
ハギリの剣は頑丈さがとりえの大剣だ。
本来なら、膂力がある重戦士が用いる剣だろう。
彼女の本来の力では扱えない剣だった。
今の戦い方にしても、そうだ。故郷の彼女では到底無理な戦い方だ。
ゆえに、ハギリには爽快だった。
ハギリは女の身であるがゆえに、元の世界では自分の限界を感じていた。
女だと、いくら鍛えても筋力では男に勝てない。
力勝負、鍔迫り合いとなると、どうしても元の世界では苦しかった。
それゆえに、技のキレ、速度などを重視した剣技を磨き続けていた。
だが、今は違う。剛剣も使うことができるのだ。
かといって、今まで用いてきた技が使えないわけではない。
今の身体では動きも速くなるのだ。
ハギリが持つ技のキレと相まって、対応できないまま、倒されていく兵士も多かった。
斬って、払って、突いて、斬って、そして斬る。
ハギリは剣士として、ただただ敵を屠っていった。
今の彼女に人殺しとしての罪悪感はない。
一人の剣士として、自分の武がどこまで通用するのか、それだけを考えていた。
ハギリの周りには倒れた兵士の死体が恐ろしい速度で増えていく。
血の臭いがあたりに充満する。忌まわしい臭いだった。
部下からの報告を受けた前衛隊長のザハースは、自分の目で確かめるべく彼女に近づいた。
その結果、彼は少女の形をした死が暴れ狂う姿を見ることになる。
自分でも血の気がひいていくのが彼にはわかった。
「い、一斉にかかれっ!」
それは、彼の立場では当たり前の言葉であった。
命令を下すのが隊長としての務めなのだから。
だが、それはハギリに彼を認識させる結果となった。
ハギリは敵を殺し続けるが、血に酔っていたわけではない。
彼女は最初こそ、初陣ということもあって高ぶっていた。
しかし、数人斬り殺した時点で、冷静さを取り戻している。
それが彼女の元々の特性なのか、指輪による効果なのか。
彼女にはわからなかったが。
そして、多勢に無勢の今では、敵のリーダーを倒す必要があるという結論に彼女は達していた。
ザハースの声は彼女にとって天啓であった。
命令を出すのは隊長だからだ。
声がした方向目指して、斬り進んでいく。
何人もの兵士が彼女の行く手を阻んだ。
その兵士達を事も無げに斬り倒す。何人も、何人も。
剣刃がかなりいたんできて、切れ味が悪くなってきているが、彼女は無視した。
今の彼女の力では支障なかった。
ザハースは隊長である。
だから、装備も優れているし、取り巻きもいる。
隊長として当然のことだ。
本来なら何の問題もないが、今では大問題だった。
自分が隊長、と教えているようなものだからだ。
ハギリはザハースの視認に成功した。
ザハースは少女がこちらを向いて、薄く笑っているように見えた。
彼の背中に怖気が走る。
隊長を任せられるだけあって、幾度も死線を見てきた。
その自分があの少女に恐怖を感じているのか、とザハースは自問する。
部下達が次々と斬り倒されていくのがザハースには見える。
少しずつ少女の姿が大きくなっていく。
つまり、そのたびに少女が近づいているということだ。
そのことにザハースは恐怖する。
「あの化け物は疲れるということを知らないのか!」
つい、彼は怒鳴ってしまった。
ふと周りを見ると、側近達もひるんでいるのが彼にはわかった。
「ええぃ、貴様らもゆけっ!」
ザハースは側近達に怒鳴る。
いや、怯えている彼自身の卑小さに対して、怒鳴っていた。
側近達は悄然とした顔を見合わせ、なかなか動こうとしなかった。
「さっさとゆかんかっ! 恩賞なら腐るほどだしてやる!」
ザハースは彼らの内心をよくわかっていた。わかりたくなくても、わかっていた。
少女が怖いのだろう。自分自身がそうなのだから。
恩賞の言葉につられたのか、側近という立場に気づいたのか、ついに側近達五人は意を決して、少女の方に向かった。
彼らが倒されれば、ザハースにはもう後がない。
兵士は大勢いるはずなのに、なぜか?
ハギリの進撃速度が速いというのもあるが、それだけではない。
ハギリの人並みはずれた武勇に、兵士達は完全に怖気づいていた。
相手がただ単に強い人間というだけなら、倒しに行こうとまだ身体が動く。
しかし、ハギリが振るう剣は凄まじすぎた。
普通の人間が出せる剣速ではない。
回避することも出来ず、受けようとしても受けられず、倒される。
そんな同輩、ベテラン兵などを量産し続けているのだ。
眼で死体を見て、鼻で血臭をかぐ。
ハギリが剣を振るうたびに、彼らの士気は急速に落ちていった。
そもそも、一般の兵士達で好き好んで戦いたい者などほとんどいない。
何人かは、攻撃欲、破壊欲、虜囚となった女を抱いて性欲などを発散しようと考えている。
だが、少数派だ。
多数派にとっては、戦いもまた、生計をたてるための一つの手段である。
死ぬために戦うのではなく、生きるために戦うのだ。
そもそも、戦いたくなくても、強制的に参陣している者も多い。
つまり、彼らは死地とわかれば、飛び込む者などいなかった。
少女の進路を塞げば、自分が殺されることになる。
誰が好き好んで少女の前に立とうというのか。
であれば、背後や側面から攻撃しようと考えるだろう。
普通の人間なら倒しやすいからだ。
そう考えて実行に移した兵士は何人もいた。
しかし、相手は普通の人間ではなかった。
ハギリは横や後ろにも目がついているかのように、側面も背後も剣でなぎ払ってゆく。
死体の数が増えるだけで終わると、背後をつこうと試みる者はいなくなった。
ザハースの側近達は側近になるだけあって、武術に優れていた。
五人で連携して、ハギリをしとめるべく、攻撃を仕掛ける。
萎れていた自分の心を鞭打って。
彼らは勇者と賞賛されるべき存在だった。
それでも、彼らは少しだけ武術に優れた普通の人間にすぎなかった。
一人、また一人とハギリに倒され、彼らは全滅した。
ハギリはついに使っていた剣を捨て、スペアの剣を抜く。
剣を交換するだけの余裕が彼女に生じていた。
他の兵士達は遠巻きにしており、目の前にはザハースがいるだけであった。
また、目端のきく兵士、怯えた兵士は遠巻きどころか、逃げ始めていた。
ザハースは究極の選択を迫られた。
今までの立場も何もかも捨て、少女から逃げる。
もしくは、勝ち目が全くなくても少女と戦う。
逃げれば、生き残れても隊長から降ろされ、懲罰をくらうだろう。
身体を張って積み上げてきた全てが崩れ、恥辱の日々を過ごすことになる。
最悪の場合、処刑もあり得た。
だが、戦えばほぼ間違いなく死ぬだろう。
生きていれば、やり直しがきく。
彼の表情は苦悩でゆがんだ。
ザハースは表情をゆがませたまま、剣を抜いた。
結局、ザハースは生きることより、死を選んだ。
彼には妻子がいた。妻子のことを考えれば、逃げるわけにはいかなかった。
名誉の戦死となれば、妻子の面倒は見てもらえるだろう。
「俺はバジャンク族の隊長ザハース! 相手になろう! 名を名乗れっ!」
ザハースの顔はもう惑い悩んでいた男ではない。
一人の戦士であった。
彼は勝てるとは思っていない。
せめて、自分を殺すことになる少女の名前を知りたかっただけだ。
少女はザハースの名乗りにこたえた。
「私はハギリ=カミノ。セドリアン王国ラドヴァン王子に召喚された『究極の戦士』」
少女の言葉を聞いたザハースは納得した。
ルミール建国王の伝説は、セドリアン王国で知らぬ者はほとんどいない。
また、他の兵士達も「究極の戦士!?」「伝説の……」と、どよめきはじめ、ハギリの言葉が隊内に広まっていく。
「伝説の戦士が相手であれば、敗れても本望。いざ参る!」
ザハースは死を覚悟した気迫でもって、ハギリに斬りかかった。
戦士として蓄積してきた技量全てを剣に込めていた。
それでもザハースにとっては哀しいことだが、ハギリは一撃でザハースの剣をはじきとばすこともできた。
しかし、あえて、剣を三回、四回と撃ち合った後で、ハギリは勝負を決めた。
ハギリの剣がザハースを斬り下げ、ザハースの身体は大地へと叩き落される。
彼はバジャンク族の隊長として生を終えた。
ハギリは倒れたザハースの身体を決して見なかった。
事ここにいたって、バジャンク族の前衛は軍隊として機能しなくなった。
日頃の訓練、軍隊としての規律などで保っていた士気が、ザハースの死によって完全に崩壊した。
ハギリが口に出した究極の戦士という言葉も大きかった。
彼らは『究極の戦士』相手であれば、逃げても構わないという理由が得られたのだ。
敵は伝説であって、普通の人間ではないのだから。
この惨状は中衛部隊にも徐々に波及していく。
後衛にいる族長のゲラーシムは状況を把握するのに手間取っていた。
最初の情報が「一人の少女によって、死傷者続出」という、信じがたいものだったのも大きかった。
左翼、右翼のツァラダン族とガイヘク族は、バジャンク族の部隊が前進を停止したのを知って、慌てて部隊を停止した。
バジャンク族の状況を確認するために、両者とも兵士を派遣する。
持ち帰った情報は「一人の少女によってバジャンク族の部隊が攻撃されている」という不可解なものであった。
ガイヘク族はまだしも、ツァラダン族の族長ダヴィートは疑心暗鬼状態に陥る。
(ゲラーシムめ、何かたくらんでいるのではないか?)
彼は元々、バジャンク族やガイヘク族に心を許していない。
なので、彼は万一に備えて、バジャンク族方面も備えさせるため、部隊を少し組み替えた。
ハギリの戦っていた様子を投影魔術でラドヴァン達は観戦していた。
騎行しながらであり、距離もあって、はっきりとは映し出されない。
ごく断片的なものだ。それでも、ハギリの凄まじい戦いぶりはとらえることができた。
そもそも、普通の人間であれば、とっくに力尽きているのだ。
ラドヴァンもベネシュもジャネッタもカリーヌも、ありとあらゆる者が、画面が映し出されるたびに、見入っていた。
誰も声をあげない。
皆の顔に、驚愕、感嘆、真剣さ、そしてわずかの恐怖などの気持ちが複雑に入り混じった表情が張り付いていた。
だが、ついにラドヴァンが言葉を発する。
「ベネシュ! 俺は全騎兵部隊を率いて、このまま、ハギリが突入した中央の部隊に攻撃を仕掛ける! 残りの部隊は左翼、右翼の迎撃にあたらせろ!」
「承知しました! 左翼は私が、右翼は別の者に指揮させます!」
「右翼指揮官の人選は任せる。ジャネッタ、カリーヌ、俺とともに来い!」
ラドヴァンが鋭気高らかに告げると、二人は声をあげてこたえた。
ジャネッタもカリーヌもハギリの戦いぶりを見て、興奮状態にあった。
ラドヴァンは周りの騎兵に聞こえるよう、大きく声をあげる。
「皆の者、聞けっ! 勝機はハギリのおかげで敵中央が壊乱状態に陥った今しかない! 俺も陣頭に立ち、皆と生死を共にする! 全軍、突撃!」
「おおうっ!!」
ラドヴァンの檄に部隊全員がこたえ、一円に鳴り響く。
ラドヴァン率いる五百の騎兵部隊は、敵の短弓による迎撃をうけることなく、バジャンク族の部隊に突撃を敢行した。
残り二千三百の部隊は二手に分かれて、ガイヘク族、ツァラダン族の部隊に向かった。
こちらは弓によって迎撃されるため、セドリアン軍は盾をかかげて防いでいた。
ガイヘク族、ツァラダン族共に、部隊を停止させていたため、勢いは死んでいるが、混乱まで至っていない。
兵数もほぼ同等である。なので、一進一退の攻防が続くだろう。
つまり、ラドヴァン率いる騎兵部隊がバジャンク族を完全に撃破できるかどうかで、この戦いの帰趨が決まることになる。
エドルバラの戦いは新たな局面を迎えようとしていた。




