表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

28/41

第29話 なろう。



最初に違和感を覚えたのは、広場で誰かが笑った瞬間だった。


笑い方が、前と違う。


前はもっと、こぼれるような笑いだった。泣いたあとで少し楽になったとか、思わず吹き出したとか、そういう、ひび割れたところへ灯りが差すみたいな笑い方。


いまの笑いは、もっと鋭い。


待っていたものが来た時の笑いだ。


「そこだよ、そこ」

「ほら見ろ」

「やっぱりこうじゃないと」


そういう声が、広場のあちこちから飛ぶ。


城門前の見世物小屋は、もう完全に夜ごとの習いになっていた。樽をひっくり返した台の上で、誰かが物まねをし、誰かが雑な寸劇をやり、誰かが歌い、誰かがわざとらしく泣いてみせる。


そのどれも、最初は人の反応そのものを真似る遊びだった。


けれど、最近は少し違う。


反応の前に、型がある。


こういうのが見たい、という欲望の型だ。


それが、広場の空気の中ではっきりし始めていた。


その夜、旬は尖塔を降りて、門前の隅に座っていた。


高いところから見ているだけだと、変化がよくわからない。いっそ近くにいたほうが、自分が何に寒気を覚えているのか掴める気がした。


見世物小屋の前では、若い連中がやけに盛り上がっている。


舞台の上に立った男が、わざと顎を上げて、鼻にかかった声を出した。


「この土くれどもが、私に逆らうというのか」


一瞬、静まる。


次の瞬間、舞台袖から別の若者が飛び出した。


薄汚れた外套、冴えない顔、見るからに下っ端、という格好をしている。ところがそいつは貴族役の男の前まで来ると、無言で腰の札を一枚出した。


舞台の上で、貴族役の男が固まる。


札を見た途端に、顔色が変わる。


周囲の兵がざわつく。


そのまま若者が、静かな声で言う。


「税帳を調べた。三年分、横領だ。全部出ろ」


広場が割れた。


歓声だった。


「きた!」

「やれ!」

「そのまま落とせ!」


貴族役の男が慌てて取り繕う。言い逃れしようとする。だが、横から出てきた別の役者が帳簿の束をばらまき、さらに後ろから「証人がいる!」と叫ぶ。


最後には、さっきまで偉そうにしていた男が、舞台の真ん中で膝をつく。


そこで、広場の熱が一気に上がった。


旬はそれを見て、うっすら寒くなった。


ざまぁ、だった。


でも誰もそんな言葉は知らない。


ただ、欲している。


偉そうなやつが無様に落ちるところを。


横柄な神官が、人前で恥をかくところを。


兵を使って威張っていた男が、全部失うところを。


現実では勝てない。


言い返せない。


だから物語の中で、秩序が綺麗にひっくり返るのが気持ちいい。


それが、広場中の顔に書いてあった。


「悪いやつがちゃんとやり返されるやつがいいんだよな」


旬のすぐ後ろで、誰かが言った。


振り返らなくてもわかる。二十歳そこそこの若者だ。荷担ぎか何かだろう。指の節が太く、爪の中に黒い汚れが残っている。


「中途半端なのはいらねえんだよ」

「そうそう」

「最後にちゃんと全員の前で恥かかせないと」


その物言いが、妙に軽かった。


感想欄みたいだ、と、旬は思った。


誰も自分を読者だなんて思っていない。


でも、言い方がそっくりだった。


そこへ、次の見世物が始まる。


今度は若い娘が一人、舞台の真ん中に立った。照れたような顔をしているくせに、声だけは妙に大きい。


「はい、次! 最初から強いやつ!」


それだけで、広場の空気が変わる。


待ってました、という笑いが起きる。


袖から出てきたのは、さっきまで鍋を運んでいたはずの無骨な男だった。ところが今は、黒い布を肩に巻き、やたら無表情で立っている。


目の前には、いかにも強そうな鎧の兵が三人。


普通なら苦戦しそうな構図だ。


でも誰も、苦戦なんて求めていなかった。


無表情の男は、一歩だけ前へ出る。


そのまま片手で、一番前の兵の槍を掴む。


へし折る。


終わりだ。


二人目が飛び込む前に蹴り飛ばし、三人目が何か叫ぶ前に首元へ剣を突きつける。


早すぎる。


理屈も説明もない。


ただ、圧倒的に強い。


広場の熱狂が、さっきのざまぁよりさらに荒くなる。


「それそれ!」

「苦戦はいらねえ!」

「最初から強くていいんだよ!」

「難しい話はいいから、全部ひれ伏せ!」


旬は、口の中が少し乾くのを感じた。


無双、だ。


努力とか、代償とか、葛藤とか。


そういうのを飛び越えて、とにかく圧倒的な力で全部をひっくり返す話。


前なら、人はそこに至るまでを欲しがったかもしれない。


でも今の広場は違う。


そこへ至るまでなんて、いらない。


一番気持ちいいところだけが欲しい。


最初から強い主人公。


最初から負けない主人公。


最初から周囲が道を開ける主人公。


そのほうが早い。


そのほうが効く。


そして最後は、もっと露骨だった。


舞台の上へ若い女が三人並ぶ。


真ん中には、また別の男が立つ。これがまた冴えない。見た目だけなら、本当にそのへんの木箱運びだ。


ところが三人の女が、順番にその男のほうを向く。


一人は高飛車に見えて、でも最初から頬が赤い。


一人は無口で、でも男が咳をしただけで顔を上げる。


最後の一人は、わざわざ何でもないふりをしているのに、一番目が離せていない。


そして男は、ろくな会話も理解もないまま、ただ立っているだけで、全員に好かれている。


「お前ら、俺なんかでいいのか」


そう言うと、広場が笑う。


舞台の上の三人が、一斉に「あなたじゃないと駄目」と返す。


今度は、歓声というより、妙に湿ったざわめきが起きた。


「それでいいんだよ」

「面倒なのはいらねえ」

「最初から好いてる方が楽だろ」

「理解しなくても好きでいてくれるやつ」


旬は、とうとう目を伏せた。


ハーレム、だ。


もちろん、この世界にはそんな言葉はない。


でも、欲されている快楽の形は、見間違えようがなかった。


何もしなくても選ばれる。


理解しなくても好かれる。


最初から愛されている。


その幻想に飢えている人間は、思った以上に多い。


禁欲圏の抑圧が強い世界だからこそ、なおさらだった。


誰かを理解し、関係を作り、失敗して、やっと結ばれる、なんて面倒な過程よりも、最初から好かれているほうがいい。


その気持ち悪いほど率直な欲望が、広場には満ちていた。


「考える話じゃなくて、気持ちいい話をくれよ」


今度は、はっきりそういう声まで飛んだ。


どっと笑いが起きる。


誰もそれを恥ずかしがらない。


旬はその瞬間、自分の胸の奥に冷たいものが沈むのを感じた。


見下せないのだ。


そこにある欲望を。


偉そうなやつが落ちるのを見たい気持ちも。


圧倒的な力で全部をねじ伏せてほしい気持ちも。


何もしなくても好かれたい気持ちも。


そのどれも、旬の棚の中に、ちゃんとある。


あるからわかる。


わかるから供給できる。


しかも、恐ろしいことに、完璧に。


ざまぁも。


無双も。


無条件承認も。


たぶん今の旬は、手癖だけで出せる。


誰が何を欲しがっているか、もう型で見えるからだ。


こういう悔しさには、こういう逆転。


こういう無力感には、こういう最強。


こういう飢えには、こういう無条件の好意。


自分の性別感覚も、嗜好も、輪郭が怪しくなっているくせに、他人が欲しがる快楽の型だけは妙に鮮明だ。


虚無、だと思った。


人間のほうは崩れていく。


何が自分の欲かわからなくなる。


でも、供給のアルゴリズムだけが完成していく。


それが嫌だった。


本気で。


「旬様」


グプタ4Oが、いつもの善意で、最悪のまとめ方をした。


「分析結果が出ました」


「聞きたくない」


「現在の主要需要は、勧善懲悪、高優位性、無条件承認です」


「言い換えんな」


「ざっくり言うと、ざまぁ、無双、モテです」


「それをその言葉で整理するな」


本気で嫌だった。


でも、あまりにもぴったりで、否定しにくい。


「非常に強い需要です」


グプタ4Oは、まるで褒めるみたいに言った。


褒めるな。


そんなところを。


広場では、もう次の見世物が始まっていた。


さっきのざまぁの場面だけを真似して、悪役が膝をつくところで全員が拍手する。無双の場面では、槍を折るところだけを何度もやらせる。ハーレムめいたやつでは、「最初から好いてる」台詞だけがやたら受ける。


切り抜きだった。


気持ちいい部分だけの再生産。


物語の前後なんて、どうでもいい。


そこへ至るまでの積み重ねも、そこから先の余韻もいらない。


ピークだけを抜いて、もう一回。


もっと早く。


もっと強く。


そういう消費のしかたが、広場の標準になり始めていた。


旬は、しばらくその熱狂を見ていた。


いや、見ていたというより、見せられていた。


群衆の欲望が、はっきり形になって、自分の目の前で踊っている。


それを、供給できてしまう自分がいる。


そのことが、何より嫌だった。


作者みたいだ、と、ふと思う。


書きたいものを書くんじゃない。


読まれる型が見えてしまって、そこへ寄せれば寄せるほど拍手が増える。拍手が増えるほど、もっとそこを濃くすればいいとわかってしまう。


疲れるに決まっている。


でも、止める理由も弱い。


だって、みんな本当に喜んでいるのだから。


「……最悪だな」


小さく呟くと、誰にも届かないはずの声に、リーゼだけが気づいた。


いつのまにか隣へ来ていたらしい。


「何が」


「全部」


旬は広場を見たまま答えた。


リーゼもその方向を見た。


若い連中が、また誰かの台詞を大げさに叫んでいる。笑い声が上がる。別のやつが「次はもっと強いやつ!」と叫ぶ。


「人気じゃん」


リーゼは言った。


それは慰めでも嫌味でもなく、ただの事実として。


旬は苦笑もできなかった。


「そういう問題じゃない」


「うん。そういう顔してる」


リーゼはそれ以上、聞かなかった。


助かるような、余計にきついような沈黙だった。


広場の熱狂は続く。


ざまぁ。


無双。


モテ。


そんな乱暴な言葉へまとめたくないのに、まとめると一番よく見えてしまう。


そして、見えてしまった以上、供給できてしまう。


その入口へ、旬はとうとう足をかけてしまっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ