二人の距離
イクスと話し合って──リーアはカードでだけれど──からというもの、イクスは毎日のようにリーアに会いに来た。
それこそ、師匠が「頻繁すぎるんじゃない?」と呆れるほどに。
毎日夕方に来て、その日請け負った仕事の内容をリーアに話して、それから仕事に行く。
女性が関わるような仕事は、一つもない。
たぶん、敢えてそういう仕事は避けてるんじゃないかと思う。
正直な話、リーアは、イクスが来てくれるたびに胸が痛む。
イクスは、見てるこちらが痛々しくなるくらい、リーアに気を遣っていて、前まではあんなにも軽くリーアに触れていたのに、今はリーアに許可を取り、それでも恐る恐るリーアに触れる。
わかっている。
リーアがあの時、拒絶したからだ。
あの時は、リーアも深く傷ついていたけれど、リーアの拒絶は、イクスにとってトラウマになるほどの衝撃だったのだろう。
初めてあった日から今まで、リーアがイクスを拒絶したことなんて、一度もなかったのだから。
リーアの声は、まだ戻らない。
きっとそのことも、イクスを責める材料になっている。
イクスは、悪くないのに。
師匠は、声が出ないのは精神的なことだから、ゆったり過ごせばいい、と、毎日精神の安定に作用する薬湯を飲ませてくれて、あとは、師匠の手伝いとか、リーアのしたいようにさせてくれている。
色々と試して、声が出なくても、魔法を発動させられることがわかった。
詠唱は、音にすることよりも、その意味を理解し、イメージすることが大切らしい。
傍から見たら、詠唱破棄しているように見えるかもしれない。
リーアは、魔法大全を隅から隅まで読み込んで、書かれている魔法をすべてものにした。
離れている相手と会話する魔法も、映像を届ける魔法も。
それから、紙に記した文章を、発動者の声で読み上げる魔法や、思念で会話する魔法も。
ただし、思念で会話する魔法は、相手にも同様の魔法を発動してもらう必要があり、それができなければ一方通行だ。
これらの魔法を取得したことで、リーアは自分で声が出せなくても、気持ちを伝えられるようにはなった。
もっとも、師匠は、リーアの気持ちを、何も伝えなくてもちゃんと理解してくれるのだけれど。
師匠に、文章読み上げ魔法のことを伝えたら、ものすごくびっくりされた。
師匠は基本的に、薬師なので、魔法よりも薬学についてのほうが詳しい。
魔力も、イクスやリーア程はないのだと聞いたことがある。
リーアのように、魔力も、知識もあって、両方を使う人は珍しいのだそうだ。
大抵は、自分の得意などちらかに偏ってしまうのだという。
「これで、アイツに連絡してみたら?」
師匠は、読み上げ魔法と通信魔法を使ってイクスに連絡したら喜ぶんじゃないかと言ってくれた。
(でも、本当にそうかな)
リーアは最近、不安なのだ。
こんなふうに、気を遣わせてばかりの自分に、イクスが耐えられなくなるのではないか、と。
面倒になってしまうのではないかと。
前のようにリーアを抱き上げることもない、常に風の通るような距離も、寂しさの一端だ。
こんな、嫉妬に塗れた女なんて。
それでいて、嫉妬だけは一人前にするのに、身体を許さない女。
そんな女だから、イクスに触れられなくなってしまったのではないか。
自分が拒絶したからだとわかっている反面で、どうしてもその恐怖が拭えない。
抱きしめてほしい。
キスしてほしい。
体を撫でてほしい。
イクスの鼓動が聞きたい。
イクスの体温を感じたい。
イクスの香りを感じたい。
頭に浮かぶのは、自分勝手な希望ばかり。
イクスのことなんて少しも考えていない、嫌な女。
(こんな私が、私はこの世で一番大嫌い)
リーアが静かに涙を流していると、ふわっと風が舞い、リーアに影がさした。
「リー。どうしたの?何が悲しいの?何か辛い?」
もう、イクスの来る時間だったのかと、リーアは気がついた。
心配そうなイクスの声に、リーアは胸が苦しくなる。
こんな風に、心配させたいわけじゃない。
気を遣わせたいわけじゃないのに。
リーアは、そっと腕を伸ばして、イクスの頭を撫でた。
そのまま、手のひらを頬に滑らせる。
「リー?」
イクスは戸惑ったような顔をしている。
『キスを』
思念を送ると、イクスはビクッと目を見開いた。
「え?あれ?あー、とごめん。なんか、自分の願望でちょっと幻聴が聞こえたみたい」
苦笑するイクスに、リーアは続けて思念を送る。
『幻聴じゃない。魔法なの』
「え?リー、今のも……?」
リーアはコクンと頷いてみせる。
「じゃあ、さっきの……」
言い淀んだイクスに、追い打ちをかけるようにリーアは続ける。
『キスを』
「えっと……いい、の?」
リーアは、イクスの頬に這わせていた手を、イクスの首の後ろに回して、そっと引き寄せた。
イクスの顔が近づいてきて、リーアは目を閉じる。
イクスの呼吸すら感じる距離まで来たとき、リーアの頭の中に、あの光景がフラッシュバックした。
イクスが、見たことのない少女にキスしていたあの光景。
わかってる。
あれは、相手を油断させて毒を飲ませるための行為で、イクスがあの子の唇を望んだわけじゃない。
あれは、キスじゃない。
わかっているのに、リーアの身体はこわばった。
ふ、とイクスが止まる気配がした。
「いいよ、リー。無理しないで」
(違う。そうじゃない。イクスのためじゃなくて、私は、私がキスしたいから……!)
伝えるつもりなんてなかったのに、イクスにリーアの思念が伝わってしまったらしい。
「そっか。リーが望んでくれるなら、少しだけ」
イクスの唇が掠めるように触れて、また離れていった。
「リー。焦ることはないよ。少しずつ、距離を戻していこ?俺は、いつまでだって待てる」
そう言ったイクスの目の奥に、微かに情欲が浮かぶのを、リーアは見逃さなかった。
今はまだ少しあるこの距離を、きっと縮めてみせようと、リーアは決意した。




