9、白い犬(怖さレベル:無)
今回は「嘘みたいに出来すぎた話」なので書くか迷ったのだが、このまま風化させるのも忍びないので記そうと思う。
私の父の話である。
父は犬好きで、若い頃から何匹も犬を飼っていた。
飼っていたといっても、主な世話は祖母や姉妹、当時雇っていた女中がしていたそうだが。
結婚してからは母が犬の世話をしていた。
やがて私が生まれ、弟が生まれ──
父が新たに犬を飼う事はなくなった。
そして私が十歳の頃、とうとう唯一飼っていた老犬メアリー(仮名)がお星さまになってしまう。
十四才の大往生であった。
悲しみが癒えてきた三年後。
「犬が欲しい」と我が儘を言いまくった私の願いがついに叶い、新たな家族が迎え入れられる事となる。
その時の話の流れで、ある不思議な食い違いが起こったのだ。
「そういえば、私がうんと小さい頃、他に犬を飼ってたよね? あの子は何て名前だったの?」
「は? メアリーじゃなくて?」
不思議そうに顔を見合わせる両親。
飼ってた犬の名前も覚えてないのかと薄情さを感じながら、私はあまりにもおぼろ気な記憶を掘り起こして説明した。
「なんか白い……小さい犬。毛が長かったような? 弟が生まれる前だったかも。三歳位の時かな?」
その説明を受けても、母は「彩葉が生まれた時はもうメアリーしか飼ってなかったよ」の一点張りである。
「いやいや、嘘でしょ? ほら、昔は縁側の正面に井戸の跡(ポンプ式のやつ)があったじゃん? その柱の横に居たよ。縁側から見たのを覚えてるもん」
かなり幼かったので触ったり近付いた記憶はない。
本当に「縁側から見ただけ」のワンシーンの記憶だ(犬だけに)
イメージとしては某クレしんのシロを直毛にしたような真っ白な犬だったと思う。
その事を伝えると、父が深く溜め息を吐いた。
「……彩葉は覚えてないかもしれないが、昔、こんな事があった」
その話は個人的にはかなり衝撃的な話であった。
◇
私がやっとお喋りが出来るようになった頃。
私は縁側から庭に向かって「ワンワン、ワンワンいる!」と訴えたそうだ。
しかしメアリーは裏庭に繋いでおり、縁側から見る事は出来ない。
「ここにワンワンは居ないよ」とあやす父など何のその。
私は「おっきいワンワン、あっち。くろ」「ワンワン、しろ、かわいい」と繰り返したそうだ。
それを聞いた父はある心当たりにドキリとしたという。
──大きな黒い犬……あの方向なら、もしかして俺が子供の頃に飼っていたドーベルマンの小十郎(仮名)か?
──でも白い犬? 小十郎と一緒に飼っていた大型犬のヤマト(仮名)か? でもアイツはグレーに黒ブチ。腹が白かったからそれを言ってるのか?
どうやら私は白い犬が気に入ったようで、何度も「白いワンワン」を連呼したらしい。
そしてあるワードを聞いた父は驚きで言葉を失ったという。
「しろワンワン、こっち。ちっちゃい。ねてる」
──小さくて白い犬……!? あの場所(井戸の跡地)でよく寝てたのはスピッツのミント(仮名)だ!
庭に出たがる私を抱き上げ、父は部屋の中に入ったという。
「いやそこは会わせてやれよ」とも思わないでもないが、幼い子供を見えない犬に近付ける気にはならなかったのだろう。
◇
「え……じゃあ私が今覚えてる犬って何?」
「さぁ……ミントじゃないか? 結婚する少し前に病気で死んだけど」
「大きい犬は全然覚えてないんだけど。本当に私、そんな事言ってたの?」
「言ってた言ってた。白い方が好きだったみたいだけど」
記憶にございません。
白い犬の方も、まさかそんなに連呼する程会いたがっていたとは思わなかった。
つくづく幼い頃の記憶というのは不確かで不思議なものだと思う。
そして犬達の事だが、お星さまになってもそこに居てくれてると考えると切ないけれど温かいものがある。
ただ残念な事に実家は私が高校生の頃に引っ越しをしてしまい、当時の土地は今では見る影も無くビルが建っている。
父が可愛がっていたあの子達は今どうしているのだろうか──
私がねだって飼ったムク(仮名)は十五年生きて引っ越し後の実家で看取ったのだが、まさか今もそこにいるのだろうか──
幽霊の類いや死後の世界などはあまり信じていないと言いつつも、たまにふと、期待を込めて考えてしまうのだ。