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リバーシブルな日々  作者: 古岡達規
第一章 ー 平凡な春の日
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第一章(8) ー 平凡な春の日

「ただいまー」


 夕方、初日の登校を終えて帰宅した迫原がリビングの扉を開けると、台所から小気味良い音が響いていた。


「あ、おかえり」


 リズミカルに包丁の音を響かせていたのは迫原の母親である。名前は迫原美奈(みな)、今年で41歳であるが見た目は20代後半から30代前半に見える。迫原の外見は明らかに母親譲りであり、中性的である外見の個々の要素は母親から受け継いでいる。

 逆に、三つ年上の姉は父親似である。


「新築の校舎どうだった?」


 蓮根をスライサーで薄切りにしながら母の美奈が言う。


「最新の設備がてんこ盛り。何もかもぴっかぴかだし、敷地が広すぎて教室移動が間に合うのか不安になるな」


 ちなみに、迫原の両親は入学式には来なかった。


 母曰く、

「この歳で母校に行くのは恥ずかしい」


 父曰く、

「新年度で忙しいから行きたくない」


 と、いうことらしい。一応息子の晴れの日ではあるのだが。しかし、三年前の姉の入学式にも行かなかったので来なくて当たり前かもしれない。迫原も親が来ないほうが恥ずかしい思いをしなくて済むから良かったと思う。


「“さつき”からメッセージと写真は来てたの見たよ」

「ああ、すっごいハイテンションで写真撮りまくってたよ」


 迫原は詰め襟のボタンを外しながら答える。

 “さつき”とは隣家の神条家に住む奥さん、神条さつきのことだ。神条ゆかなの母親であり、迫原美奈の同級生で旧くからの親友である。

 初日のスケジュールを終えて下校しようとする生徒達は、体育館前に集っていた各々の保護者に出迎えられた。入学式が終わったあと、新入生の保護者に対して教員やPTAからの説明会が行われていたからである。


「ともくーん!りょーくーん!」


 昇降口から出て駐輪場に向かっていた迫原と芥川の耳に、自分達のことを呼ぶ声が聞こえてきた。そちらに目を向けると笑顔で手を振りながら一人の女性がこちらに駆け寄ってくるのが見える。


「よかったー、帰る前に捕まえられて」


 やって来たのは胸に保護者を示す赤い花を付けた童顔の女性。


「写真、撮ろ?」


 笑顔の女性に手を取られ、そのまま体育館の入り口付近まで連れていかれる。そこにはスーツ姿の芥川よりも長身で眼鏡をかけた男性と、神条ゆかなの姿があった。

 神条正臣(まさおみ)と神条さつき、この二人が神条ゆかなの両親である。迫原とは生まれた頃からよく知る間柄で、芥川も小学生の頃から面識がある。


「すっかり新しくなっちゃってー。私たちが生徒の頃からは考えられないや」


 建て替えられた校舎や体育館を見て呟く神条さつき。この夫婦も迫原の両親も、この高校の卒業生なのである。


「ね、まーくん?」

「ん……そうだな」


 甘い声で隣の旦那と腕を組むさつきと、恥ずかしげに身をよじる正臣夫妻。そんな二人の様子を見て肩を竦める娘である神条ゆかな。


 これがこの夫妻の通常運転なのだ。なんというか、ラブラブなのである。


「あ、看板空いたよ。写真撮ろう!」


 ハイテンションなさつきに引っ張られるようにして、体育館前に立ててある『入学式』と書かれた看板の側に立たされた迫原と芥川は、その後促されるままに何枚も写真を撮られたのであった。



 自分の部屋に戻り、新しい教材が詰め込まれた鞄を床に下ろすと制服をハンガーに掛けて着慣れた黒のジャージで身を包む。


「かーさん、ランニング行ってくるー!」


 台所の母親に声をかけ、玄関でミズノのランニングシューズを履く。


「車には気を付けて、夕飯までには帰って来なさいよー」

「いってきまーす」


 母親の声を背中に聞きながらドアを押し開き、玄関先で軽くストレッチを行う。


(昨日は南だったから、今日は北に向かって走るかね)



 5時を告げる『夕焼け小焼け』の町内放送を聞きながら、迫原は茜色に染まりつつある住宅街へと駆け出した。


 迫原達が住む神川市(かみかわし)は人口40万人程の中都市であり、県庁所在地からアクセスも程よいベッドタウンとして発展してきた。北側は山あいの田園地帯、海に面した南側は工業地帯になっている。

 南側にはJRの路線も通っており、大型商業施設なんかもこちらに集中している為、北に行けば行くほど人口密度も低い。目立つような有名スポットも無いため観光地としての魅力はほぼ無いが、住人はみな住みやすい町だと思っている。


 迫原のランニングは日課である。

 元々身体つきが華奢で、外見も中性的な為に小さい頃は何かにつけて標的にされることもあった迫原。特に幼稚園や小学校低学年の頃は良く泣いていたように思う。今にして思えば、見た目以上に女々しかった。


 そんな迫原を見かねたのが幼馴染の神条だった。


 小学校三年生の頃だっただろうか。ある日、学校帰りに神条は迫原をある場所へ連れていった。


 『猫ババ』。今も昔もその名で呼ばれるその場所は、当時通っていた神川南小学校の校区内にある商店街、その一画にある銭湯だった。店先に佇む古ぼけた招き猫と、番台に座る怖い婆さんを合わせて“猫ババ”。昭和の頃からこの場所でずっと親しまれてきた地元民の憩いの場。

 また店の入り口付近は駄菓子屋にもなっていて子供にとっても、この地で生まれ育った大人たちにとっても有名な場所である。

 そんな『猫ババ』の婆さんだが、古武術の師範をしていることも有名だった。銭湯の更衣室や、駄菓子屋の柱にはいつも『門下生募集』の手書きのチラシが貼ってあったからだ。


 そんな『猫ババ』に迫原を連れていった神条は、“定休日”と書かれた札の掛かった扉を開け、番台でそろばんをはじいていた婆さんに言ったのだ。


「自分達を鍛えてくれ」


 と。自分達、特に迫原は同級生からよくからかわれて泣かされているのだと言って。

 昔のことなので迫原の記憶も朧気だが、最初は婆さんは断っていたような気がする。だがどんな経緯だったのか、蓋を開けてみれば神条と迫原は婆さんの道場に通い、そこで6年ほど鍛えられた。去年の夏にばあさんが腰を痛めて道場に立てなくなったために閉めざるを得なくなったものの、その間に色んなことを婆さんは教えてくれた。

 武術だけではない、習字やそろばんなんかも婆さんは教えてくれた。


「ええか、智也。武術で形ばっかり強くなっても意味がないんじゃけんな」


 そんな風に言って二人を鍛えた婆さん。『本当の強さは“こころ”の強さだ』と、婆さんは耳がタコになるほど迫原と神条に言い聞かせた。身体を鍛えるのは良い。だが同時に“こころ”を鍛えろ、と。


 道場に通い始めてしばらくして、迫原は婆さんに教わった技術を使って同級生に怪我をさせたことがあった。自分をからかった同級生に対して、カッとなって相手を投げ飛ばしたのだ。

 結果的には相手にも非があったということでお咎めは無かったものの、どこからかその話を聞いた婆さんは大層お怒りになった。

 その週の道場の日は、反省のためだと言って銭湯の番台の隣でまるっと3時間正座させられた。


 今現在、武術教室は閉めたものの、道場自体は婆さんの許可を得てたまに使わせてもらうこともある。だが、肝心の師範である婆さんは激しい運動ができないために、極稀に助言をしてくれる程度。


 迫原のランニングは、婆さんの道場に通い始めた頃から始めた自主トレーニングの一貫だ。最初は週二で婆さんの道場に通うためにしていたことだったが、今となっては毎日の日課となった。


 車通りの多い道を避けて川沿いの道を走る。

 犬の散歩をする人や、自分のように走る人、部活帰りの学生とすれ違いつつ走ること30分ほど。小休止に走る足を緩めて田んぼの畦道を歩いていたときだった。


ぅなぁお


 ごとり、と何か質量のあるものが倒れるような音と猫の鳴き声が迫原の耳に届いた。聞こえた方に目を向けると夕闇の中で輝く双眸と目が合った。

「え」

 思わず足を止める。


 毛の長い、真っ白な猫だった。

 しかも片眼は青く、逆は赤い不思議なオッドアイ。

 薄闇の中で浮かび上がる真っ白な輪郭はまるでその一部だけ風景を切り取ったかのようにも思える。


うにゃあぉ


 しかし白猫は一度小さく鳴くと、身を翻して畦道を走って姿を消してしまった。

 急いで白猫のいた場所に駆け寄ると、道の側に30センチほどの楕円形の細長い石が倒れている。


「なんだこれ」


 やけに形の整った石だな、そう思いながら持ち上げてひっくり返す。それもそのはずだ。


「お地蔵さんだったのか」


 長いこと雨風に晒され古ぼけた地蔵だ。しかし、慈愛に満ちた優しい微笑を浮かべた表情は読み取れる。見れば、すぐ近くに赤いよだれ掛けと頭巾も落ちている。


「猫のいたずらかねー」


 おそらく台座であろう、道端の窪んだ石にお地蔵様を立て直し、泥をジャージの袖で拭ってやると改めて頭巾とよだれ掛けを付けてやる。


「折角だな」


 迫原は近くに生えていたレンゲを何本か摘んでお地蔵様の前に備えると、しゃがんで手を合わせた。


「……よし、帰るか」


 立ち上がった迫原は家路に向けて再び走り始め、その背中を微笑む地蔵が見送る。


なぁぁぁぁお


 紫色に染まる空に、猫の鳴き声が遠く響いていた。

新しい元号は令和(Reiwa)だそうですね。


第一章の回想編はここまでとなります。


次回から第二章に入ります。


ご意見、ご感想はいつでもお待ちしております。


R1.6.10 微修正

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