第二章(1) ー 非凡になった春の日
第二章開幕です。
さて、再び時間は数日後の迫原家に戻るわけだが……。
めそめそと瞳を濡らす迫原と、それに向かい合う神条。
こうしている間にも時間は過ぎていくし、あと1時間もすれば学校へ行かねばならない時刻になってしまう。
それに先程から自分の家の庭先からこちらを伺う母親の姿が塀越しにチラチラと見えている。
これ以上時間をかけるのははっきり言ってよろしくない。
「……おい、智也」
神条はおもむろに立ち上がると、項垂れたままの迫原を見下ろして問いかけた。
「ひとつ、身体の変化を誤魔化して男として通す」
人差し指を立てる神条。
「ふたつ、このまま女として生きる」
「んなっ……!?」
慌てて顔を上げる迫原。
「どちらか選べ、今すぐに」
二本の指を迫原に突きつける神条。
「あたしはどっちでも構わない。ただし、この場で答えなかった場合、あたしはこの件を完全に知らなかったこととして一切関わらない。他言もしないけどね」
迫原の揺れる瞳を神条の吊り目が射抜く。
正直なところ、神条は迫原がどちらの答えを選ぶのかに興味はない。
と、言うよりも
どちらを選ぶかは最初から解っている。
ただ、迫原の口から答えと“ある一言”を聞く為にこんな言葉をかけたのだ。
もちろん、迫原にも神条の考えはわかっていた。そして彼女の考えることを実行しなければならない、ということも。
苦虫を噛み潰したような顔で炬燵から一歩分下がると、フローリングの床に手をつく迫原。そしてそのまま額もフローリングに押し付けた。
「よろしく、お願いします……!」
絞り出しすような声と土下座。
「……貸しといてやるわ。ちゃんと返せよ」
にやり、と口角を上げる神条。
長い付き合いの幼馴染だからこそ“自分達は対等である”という前提がある迫原と神条。片方に優劣がつかないように、二人の間には互いで決めた掟が存在する。
一つ、お互いに無償の助勢は絶対にしない
一つ、助けて欲しけりゃ『お願いします』
一つ、どんな貸しでも倍にして返せ
一つ、約束は死なない程度に必ず守れ
一つ、約束破ったらペナルティ
ちなみにペナルティとは、ありがちだが『相手の言うことを何でも聞く』である。これについてはまだお互いに被ったことはない。
小学生のころから今まで、些細なこともそれなりのことも手を貸したり借りたりした。100円借りたり、失くしたブローチ探したり、忘れたユニフォーム届けたり、ナンパ男の撃退に手を貸したり……とにかく色々やってきた。
今回もその取引の一つ。単に迫原が神条に借りを作るだけ。また後日になって神条が満足する形で返せば良い。
「よし、じゃあ脱げ」
「………………は?」
迫原は予想外の言葉に素っ頓狂な言葉を漏らした。
「いいから脱げ、さっさと脱げ」
「えっ……ちょっ、待っ!」
おもむろにジャージの裾を掴む神条とそれを押さえる迫原。
「待たない!時間が惜しいんだよアホたれ!」
「何で脱がなきゃならないんだよ!誤魔化すために助太刀してくれるんじゃねーのかよ!」
「助けてやるから脱げって言ってんだ!はーやーくー脱ーげー!」
ジャージの裾での綱引きが始まる。
「放せ、服が伸びる!おい、ズボンは止めろ!!」
「抵抗すんなー!」
「脱いだら必然的にみ、見ることになるだろうが……っ!」
「赤面するな、気色悪い!自分の身体に恥ずかしがるな!」
「俺は男なんだーっ!」
服を引っ張り合いながら取っ組み合う二人。
しかし普段と違い、女になってしまった身体では迫原の分が悪く、足にタックルを受ける形で押し倒された。そのまま馬乗りになった神条はジャージのジッパーを下ろして前を開く。そして肌着のTシャツの裾を掴んで捲り上げようとする。
「おい、ゆかな!冗談はやめろって!」
Tシャツの裾を掴み、なんとか抵抗を試みる迫原。胸部のでっぱりに引っ掛かり、鳩尾付近で停止した服の下から白い南半球が露になる。
「あたしよりちょっとおっきいか……?」
「そういうことはいいから!」
何とかマウントポジションから抜け出そうと藻掻こうとした時だった。
「二人ともさっきから何してるのー?」
背後から聞こえた声に、ビクッと同時に身体を硬直させる馬乗りになった神条と下敷きの迫原。
「朝からすごい声が聞こえたから様子を見てくるって出ていったきり、なかなか戻ってこないからどうしたのかなーって思ったんだけどー?」
声がした方に目を向けると、庭に通じるガラス戸を開けて神条の母親のさつきがこちらを見ていた。
「いや、お母さん……これは、その……」
「…………」
母親の登場に口篭る神条と、自分をよく知る人に見られた、ということで思考が停止する迫原。二人の背中に嫌な汗が伝う。
「あれぇー?」
さつきの視線が神条と迫原を何度も往復する。
「おかしいなぁー?」
その視線が迫原へ向いたところで止まった。そして首を傾げる。
「うーん、ともくん……だよねぇ?」
眉根を下げ、訝しげな表情のさつき。
「「…………」」
降りる沈黙。
必死に言葉を探す神条ともはや思考が働いていない迫原。
どう誤魔化せばいいのか、そもそも誤魔化せるのか。
さつきは普段、のんびりした雰囲気と甘い声で緩い印象を受けるし、実際もその通りなのだが神条の母親だけあって察しは良い。
迫原の母の迫原美奈の親友でもあり、人当たりの良い性格でご近所ネットワークも広い。
(どうする……)
何も妙案を思い付かない頭をフル回転させて状況のシミュレートをする神条。
やや強引に言わせたとはいえ、迫原に『助けてください』をされた以上は助けねばならない。それは自分にとって絶対である。
「あ、あのさー、お母さん」
何も思い付いてはいないがとりあえず、この場からさつきには退場してもらうべきだと考えて言葉を捻り出そうとする。
「ともくん、女の子になっちゃったの?」
しかし返ってきたのはド真ん中の豪速球ストレート。ストライク、バッターアウトである。
「お母さん、あのね……」
震える声を絞り出す。
「うん、ともくんってばいつもより可愛い!」
違う、そうじゃない。
「でも女の子同士じゃ結婚できないからともくんとゆかなちゃんが結婚できなくなっちゃうから……あっ、ともくんにお嫁に来てもらえば良いんだ!……あれ?でもゆかなちゃんも女の子だから……」
「おかあさん!!」
何かぶっ飛んだことを言い始めたさつきに、思わず声を荒げる神条。
「……なぁに?ゆかなちゃん」
「サラシ持ってきて!」
「どうして?」
「このままじゃ智也が学校行けないでしょうが!とにかく、まずは胸を潰して誤魔化す!」
「他はどうするのー?」
「今から考える!」
娘に強く言われ、やれやれといった具合に嘆息すると自宅へと戻っていくさつき。
「ちょっと待ってなさいね」
残された言葉は普段の甘い声とは違う、落ち着いた大人の、親の声だった。
※
「……よし、何とか形だけは誤魔化せた」
30分後、どうにか形を繕って制服に着替えた迫原が和室の全身鏡の前に立っていた。
その場には神条母娘もいる。
「とりあえずマスクしてなさい。顔もわかりづらくなるし、花粉症とでも言っておけば声が変なのもある程度誤魔化せるはずだから」
そう言って大きめのマスクを手渡してきたのはさつきだ。
彼女はサラシを持ってきた後も、女になってしまったことは一切聞かずに外見を取り繕うのを手伝ってくれた。
やや縮んでしまった身長のせいでサイズが合わなくなった制服の丈と裾を仮縫いで直してくれたりもした。
「胸は苦しいだろうけどそれぐらいは我慢するとしても、縮んだ身体のサイズはどうしようもないから何とか誤魔化すしかないね」
神条も既にセーラー服に着替えており、登校する準備は整っている。
「さつきさん、有難うございます」
マスクを受け取って装着した迫原はそのままさつきに頭を下げる。
「うん、頑張ってね」
にっこり微笑んださつきは巾着袋を迫原に手渡した。
「朝ごはんのおにぎり。もうそろそろ行かなきゃ遅刻するから、途中で食べてね」
言うが早いか、居間の壁時計から8時を告げる音が鳴る。正門の朝の門限が8時20分、迫原家から神川東高校までは自転車で約15分ほどかかる。
「大丈夫、ともくんもゆかなちゃんもなーんにも心配しなくて良いからね」
満面の笑顔のさつき。
何の根拠があっての言葉なのか、しかし不思議と説得力がある言葉だった。
「さ、いってらっしゃい」
40を過ぎているとは思えない童顔にひまわりのような笑顔を咲かせて、さつきは迫原と神条を見送る。
「行くよ、智也」
先に自分の自転車に跨がった神条がペダルを踏み込み、迫原もそれに続く。
「「いってきまーす」」
「車に気を付けてねー」
曲がり角の信号で振り向くと、玄関先で手を振るさつきの姿が見える。迫原は手渡された巾着袋を掲げて手を振り返すと、変わった青信号を右折するのであった。
「……話が違うぞー、美奈」
二人の後ろ姿が見えなくなることを確認したさつきは身を翻して自宅に戻る。
そしてエプロンのポケットからスマホを取り出すとどこかへ電話をかけ始めた。
『……お掛けになった電話は、電波の届かないところにあるかーー』
待つこと数十コール、返ってきたのはテンプレートの電子音声だった。
嘆息して通話を終了させる。
(黙って成り行きに任せろ、ってこと?みっちゃん)
予約投稿はせず、出来次第投下していきます。
なので、投稿間隔が長かったり短かったりすると思います。
R1.6.11 微修正




