第二章(2) ー 非凡になった春の日
さて、いざ学校に着いてからどうやって誤魔化すか、である。
まず第一に、身体が思うように動かない。
朝は混乱していて自覚していなかったが、10センチは縮んだ身長とそれに伴って短くなった手足は昨日までの自分の身体と別物である。そのため、それをアジャストさせるのにはそれなりの時間を要した。
歩幅が小さくなった影響でつんのめって転びそうになる、腕のリーチが短くて物を掴むのに失敗する、そんな具合だ。
だがそんなぎこちない動きも、入学から一週間満たずの為かクラスメイト達からは特に注目されることは無かった。気になった者も何人かはいたようだったが、馴れ馴れしく近寄ってくるようなことはしなかった。
迫原を知る人間が見れば気付くような顔立ちの変化も、マスクが隠してくれているため気付かれなかったらしい。さつきには感謝せねばならない。
では逆に、迫原をよく知る人間への対処はどうか。
さしあたってはクラスメイトの芥川諒平。小学生の頃から迫原と仲の良い、親友と言っても良い間柄の人間だ。間違いなく、迫原の異常には気付いている筈である。
だが、彼に関しては迫原も神条も対策を講じる必要性を感じていなかった。
というのも、元来、芥川諒平という人間は、警視庁特命係の警部のような細かいことが気になる悪い癖を持っていない。赤の他人はともかく、仲の良い人間に対して不躾な追求をするような性格ではないのだ。
『ひとつだけ、宜しいでしょうか?』
慇懃無礼な態度でそんなことを言って他人のパーソナルスペースにずけずけと土足で踏み込んできたりはしない。
マスクをして登校した迫原が「花粉症で声が変なんだ」といえばそれが芥川にとっての真実であるし、身体が普段より縮んでいるような気がすると思っても、迫原本人から何も言ってこない以上はそれを芥川の方から詮索することはしない。
だからこの日も、迫原が登校して教室に入ってきたときこそ挨拶に近付いたものの、それ以降は図々しく近寄ろうとはせずに後ろの席のクラスメイトとの会話に興じているようだった。
(だーって近付こうとすると神条が殺す気かってぐらいの目付きでこっち睨むねんもーん)
居眠りをしている風に見せるためか、気配を消して周囲の視線から隠れるように机に突っ伏している迫原と、退屈そうに頬杖をついて教卓を見つめているようでいて、実際は周囲にピリピリとした緊張を張り巡らしている神条。
芥川はそんな二人の様子を遠目に見ながら苦笑する。まるで主人を守る番犬だ。
そんな間柄なのにこの二人はお互いのことを仲が良いとは思っていない辺り、尚のこと芥川の頬は弛む。
憎まれ口を叩きながらも相手の考えることは手に取るように解っているのに、決して素直に口には出すことはしない。その様子を例えるならば、
「さっさとくたばれクソジジイ」
「うるせぇぞクソババア」
などと言い合いながら長年連れ添った捻くれ老夫婦のような感じだろうか。
「……ぁ……ぃ」
(お互いに“そこにいる”ってことが当たり前すぎて周りの目とか何も考えてないんやろうなぁ)
「なぁ、おい」
(他所のクラスで噂話を聞くのもおもろいけど、今年は同じクラスで直に見れるから楽しみ……)
「おいってば!」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声を漏らす芥川。
我に帰ると目の前で女子生徒がこちらをじっと見つめていた。
「さっきから呼んでんだけど」
勝ち気な瞳がこちらを睨んでいる。この女子は誰だったか。
「あー、えーっと……」
「相内沙織」
憮然とした表情で名乗る目の前の女子生徒。
「そう、それ。すまん、覚えてなくて」
「おいおい頼むぜ。いくら初対面とはいえ……せめて前後の席の奴の名前ぐらい覚えててくれよ」
そういえば入学式の日に黒木教諭の無作為指名爆撃を食らったのはこの相内だったな、揺れるポニーテールを見てと思い出す。
しかしその時のことや後の自己紹介を思い出してみると……
「随分と男らしい喋り方するんやな。頭の上にエサのいらない猫飼ってへんか?」
「別に猫被ってるつもりはねーよ。単にこれがオレの自然体ってだけだ。それにお前こそ何だ?わざとらしい関西弁なんか使いやがって」
横向きの格好で椅子に座り、背もたれに頬杖をついてジト目を向けてくる相内。向かい合う芥川は肩を竦めて笑う。
「それこそ俺の地や。これはうちのじーちゃんばーちゃんからの受け売りやからな」
「へーぇ、そうかい」
相槌を打って頬杖を外すと、相内は窓枠にもたれかかる。
「……ま、お前のことは正直どうでもいいんだがな」
「なんやそれ、失礼なやっちゃなぁ。お前から話しかけてきたんやんけ」
相内の言葉に思わず顔をしかめる芥川。
「ああ、そりゃすまん。言葉が悪かったな」
口ではそう言うものの、態度からはちっとも申し訳なさを感じないのだが。
「あたしが聞きたいのは“あいつ”のことだよ」
「“あいつ”?」
相内が目線と仕草で指し示したのは窓から三列目、前から三番目の席で机に突っ伏している人物。
「智也がどないしてん?」
「名前まで覚えてねーけど、迫原だっけか?お前、あいつと仲良いんだろ」
「……まぁ、小学校二年からの付き合いやな」
「何か気付いたことねぇか?」
やけに鋭い目付きでこちらを見てくる相内。
「さぁ?何が言いたいんか俺にはサッパリや」
肩をすくめてとぼけてみる。確かにいくつか気付いたことはあるが、それを軽々しく話してしまうほどこの相内沙織という少女との間に信頼関係は構築されていない。
今の段階では、『ただ席替えで机が隣同士になった初対面のクラスメイト』という立場でしかないのだから当たり前ではあるが。
「本当に?」
「だから何がやねん」
「…………」
「…………」
見つめ合うこと数秒。
「席につけ、授業を始めるぞ」
チャイムより早く教室に入ってきた数学教師によって、二人のやり取りは有耶無耶になってしまった。
「……気づいてないならいい」
始業を告げるチャイムに紛れて、相内は小さくそう呟いて椅子に座り直した。
※
(やっと終わった……)
六限目の授業が終わり、現国の教師が教室を出ると迫原は小さく息を吐いた。
授業中は皆、黒板や教師に意識を向けているから大丈夫だが、休み時間はずっと気を張っていたので精神的に非常に疲れた。食欲が沸かなかった為に、昼食を食べなかったことも少なからず影響しているだろう。
ともかく、何とか今日一日を乗りきることができたことに安堵する。この日は金曜日であり、一先ず週末土日を挟むことで何らかの活路を見出だすことか出来るかもしれない。
(…………)
今日一日のことを思い返し、発作的に何かに頭を打ち付けたくなる自分を抑える。
原因は昼休みにあった出来事なのだが、思い出しそうになったところで理性がストッパーをかけた。
結論を先に言ってしまえばお手洗いにて用を足しただけなのだが、自分の置かれた状況を改めて再認識することになり軽く死にたくなったのである。詳細については伏せるが、僅か数分間の出来事ながら凄まじい羞恥心と得も言われぬ罪悪感に苛まれた、とだけ言っておく。
「全員おるかー?まだ帰るなよー」
迫原が死んだ魚のような目で虚空を見つめていると、教室の前のドアが開いて出席簿を手にした黒木が姿を現した。
この日は金曜日。在校生は六限が終わると普通に部活に行ったり下校したりなわけだが、新一年生はそうもいかない。入学したばかりの彼らには、次の週の日程や連絡事項を伝えるためのホームルームが設けられていたのである。
チョークを片手に、週明けからの一年生用の日程を書き込んでいく黒木。そしてあらかた書き終えると生徒達に向き直って説明を始めた。
「まず、月曜日は午前中に健康診断があるから覚えとくんじゃぞー」
迫原は思わず凍りついた。
サーッと血の気が引いていく感覚が全身を襲い、嫌な汗が背中から噴き出す。
「身体測定と検査関係。持病に関する事とか記載する問診票と検査キット入れた封筒を配るから各自、月曜日に忘れず持ってくるんじゃぞー。あと、体育は無いが体操服忘れるなー」
『身体測定』『着替え』『検査』等。迫原にとって絶望的な単語が羅列される。
ギギギッと錆び付いた機械ような動作で後ろの席の神条に視線を送る。
(どうすんだ、これ……)
(土日の間に元に戻る方法を探すしかないでしょうが!)
(マジで?)
(他にどうしようも無いっつーの!)
目だけの会話。しかし問題はそれだけではない。
(うちのお母さんにはバレたけど、あんたの両親にはまだ何にも知らせてないでしょうが!)
(あっ……)
(あんたバカァ!?)
現状、迫原の異変について知っているのは本人を除くと神条母娘の二人だけ。
今日一日の学校は何事もなかったとはいえ、何の対策もせずに月曜日を迎えれば確実に終焉が待っている。仮に誤魔化す方法があったとして、今後もそれが上手く運ぶという保証はどこにもない。
が、それ以前の問題だった。そもそも今日自宅に帰ってから、自分の親に対して行う説明を何一つ考えていなかった。
(どうする……どうしよう!?)
考えれば考えるほど混乱する。おかげで妙案など浮かぶわけもない。無情にも時間は過ぎ、黒木はホームルームを締めにかかっていた。
「そんじゃあ今週はこれで終わりじゃ。気をつけて帰るんじゃぞ!」
日直の号令と共に起立と礼。生徒達が立ち上がり、ガタガタと椅子が引かれる音が放課後を告げた。
週末前の放課後に浮き足立つクラスメイトに混じって、神条も立ち上がる。
「よし、とっとと帰るよ。ひとまずウチに来て、お母さんとも話せば何か方法があるかもしれないし」
「お、おう!」
下校するなら芥川も確実に声をかけてくるだろう。芥川には悪いが今日はひとりで帰ってもらうことにしよう。
素早く教室を出ると、廊下に溢れる他クラスの一年生達をすり抜けて昇降口へと急ぐ神条。その背中を迫原は追いかける。
「今日は金曜日だし、あんたのお母さんもう帰ってるよね?」
「何もなければ三時半には帰ってるはず」
下駄箱からスニーカーを取り出して履き替える。迫原が履いている靴は神条のものに比べて使い古された感があるが、その理由は姉の物を拝借してきたからだ。元々の自分の靴はサイズが合わなかったので仕方なく、家の下駄箱に残っていた姉の靴を勝手に履いてきた。
「よし、早いとこウチにーー」
下駄箱の扉を閉め、鞄を背負い直して昇降口を出ようとした時だった。
「そこの二人、ちょっといいかい?」
突然背後から声がかけられ、思わず身体が硬直する。
無視をするという手段もあっただろうが、反応を見せてしまった以上その選択肢は選べない。
「何か……用?」
聞き馴染みのある声ではない。少なくとも知り合いでは無い。
「少し、顔を貸してくれないかな?」
ゆっくりと振り返る。
世界的企業の御曹司がそこには立っていた。
仕事が変わってなかなかゆっくり書く時間が無くて少し時間が開きました。
書けば書くほど書き直したくなるジレンマ。
R1.6.11 微修正




