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黎明と踊る  作者: 野良丸
昼の章
9/23

1

 息が白い。冬が来た。そう感じる朝だった。薄暗い。太陽の熱が届くにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 貧民街の道の中央を歩いていく。我が物顔をしたいわけじゃない。端を通ると、高確率でゴミや酔っ払い、排泄物、浮浪者、最悪だと死体に蹴躓くことがあるからだ。そいつらは、金にならない。まして、大便を足の裏に引っ付けたまま店にいってみろ。ダヴィドさんには間違いなく殴られるし、女達も露骨に嫌な顔をするだろう。俺だって、悪臭を放つやつにボディーガードをしてほしいとは思わない。

 ふと、道のすみに、見慣れない色があった。

 白。綺麗な白だった。多少は土に濡れているが、そんなものは汚れのうちに入らない。

 白から、白い足が伸びていた。死体だろうか。それなら有り難い。細かい装飾のついたドレスは、素人目に見ても高級品だ。

 しゃがんで覗き込む。子供だった。十歳かそこら。胎児のように身体を丸くして寝息をたてていた。生きている。しかし、舌打ちは出なかった。

 高く売れる。ドレスはもちろん、この子供も。

 転がり込んできた幸運に笑みが浮かぶ。

 子供が微かに声を漏らした。身体が動く。咄嗟に笑みを消した。代わりに、子供に好かれるような笑みを作る。善人の振りっていうのは、欠伸が出るほど簡単だ。

 子供が目を開いた。顔をあげて、俺を見る。思った通り。いや、それ以上。とんでもない上玉だった。ダヴィドさんの驚く顔が浮かぶ。

 子供は怯えた表情をした。最初は仕方ない。

「君、ここで何してるの?」

 返事はない。よく見ると、身体が震えていた。寒さではなく、恐怖のせいだろう。

「お父さんとお母さんは?」

 首を横に振る。警戒を解いた様子はない。

「どこか行くところなの?」

 否定。

「行くところないの?」

 肯定と同時に目に涙が浮かんだ。聞き方が直接的すぎたかと反省する。

「じゃあ、僕と一緒に行こう。君が暮らせるところを紹介してあげるよ」

 中腰になって手を差し伸べる。子供は頷いたけど、手を取らないで立ち上がった。少し、腹が立った。今まで、このやりかたで油断しない子供はいなかったからだ。

 着ていた上着と帽子を子供に着させた。優しい振り。本当は、人目を引く服と顔を隠したかっただけだ。

 歩き出す。子供は、俺の斜め後ろをついてきた。よく見ると靴を履いていなかったから、道端で寝ていた男の靴を拝借した。サイズは全く合っていない。歩く度にパカンパカンと間抜けな音がした。道中、何度か話し掛けてみた。名前、出身、歳。返事がないことに腹が立ち、このままじゃあ殴ってしまうと思って口をつぐんだ。

 店についた。まだ辺りは薄暗い。男が一人、店から出てきた。街並みに合わない高級そうな服。店の外で待機していた一人の男が後ろについた。護衛付きか。どこの貴族だか。

 その二人とすれ違って店に入る。受付にはダヴィドさんだけ。客や女の姿はない。

 ダヴィドさんと目が合う。すぐに、俺の斜め後ろに視線を下げた。

「客は?」

「今出ていったやつで最後だ」

 受付の前にいってから、子供の帽子を取った。ダヴィドさんの表情に変化はない。でも明らかに目の色が変わった。さっきの俺も、きっとこんな目をしていたんだろう。

「没落貴族のガキかなんかか?」

「そんなところだと思うよ」

「あいつらを家に届けたら戻ってこい。詳しい話はそれからだ」

 親指で背後のドアを指す。頷いてから、振り返った。

「この人がこれから君の面倒を見てくれる。言うことはちゃんと聞くようにね」

 肩を震わせて、怯えた表情のまま頷いた。後ろから、ダヴィドさんの嘲笑。

「なんだ? 今回は全然懐かれてねえじゃねえか」

 図星を突かれて笑顔が凍りそうになった。大金が手に入るというのに心から喜べない理由は、まるで思い通りにならない子供のせいだろう。

「ほら、お前はさっさと行け。このガキは俺が見ておく」

 苛立ちは収まらないままだが、素直に頷いた。この子供といると、余計に腹が立つ。

 受付に入り、ドアを開けて女達を呼ぶ。何人かは待っている間に眠ってしまったらしい。のそのそと起き上がる。

「おいガキ」

 背後でダヴィドさんの声。しばらく返事はなかった。

「わたし、ですか?」

「お前以外に誰がいるんだ」

 少しだけ振り向いて様子を見た。俺が善人面して話しかけても断固として口を開かなかったやつが、粗暴な口調のダヴィドさん相手にたった一言でも言葉を発したことが信じられなかった。

 子供は受付越しにダヴィドさんと向かい合っていた。その顔に、さっきまでの怯えは見えない。

「お前、名前は?」

「なまえ? えっと、分かりません」

「あぁ? 分からねえってことはねえだろうが」

 苛立ちが含まれた声。

「ごめんなさい」

 子供は一度深く頭を下げてから「あっ」と小さく呟き、

 両膝を床につけた。

 両手もつく。

 頭を、額が床に着くくらいに下げる。

「ごめんなさい」

 その謝罪に、どこか明るい色を、嬉々とした感情を感じた。

 視線。ダヴィドさんが横目で俺を見ていた。

 厄介なもんを連れ込みやがって。そんな声が聞こえた気がした。

「立て」

 子供が顔をあげる。長い前髪が揺れて、黒くなった額が見えた。

「準備できたけど?」

 部屋の中から聞こえてきた声に振り返る。全員が立ち上がり、上着を羽織っていた。

 ダヴィドさんと子供を一瞥してから店を出た。日の光。人の気配が濃くなったような感覚。一応、依頼された仕事は送迎ではなく護衛だ。周囲を警戒しながら歩く。

「さっきの子、新人?」

 そう聞いてきたのはナタシャだった。あと二年もすれば、あの店を出ていく歳。店では一番のベテランだ。

「さあな。ダヴィドさんが決めることだ」

 そう答えながら、店内でのことを思い出す。あの子供、多分、調教済みだ。土下座やらなんやらを教え込んだのが、そこら辺の平民や貧民なら問題はない。ただ、あの子供が、貴族、あるいは他の店の所有物だった場合、勝手に働かせて客に提供すると後が面倒だ。まあそこら辺はダヴィドさんが調査するだろう。

 貧民街を抜けて大通りに出た。人は多いが、視線はほぼ感じない。ナタシャ達が少人数で歩いていたら、多分もっと注目されると思う。中には、明らかに十歳そこらの子供も混ざっているのだから、今だって、注目されない方がおかしいんだ。でもそれはしょうがないことなんだろう。誰だって、厄介事には首を突っ込みたくない。でも、善人でいたい。それなら、見て見ぬふりをするしかないのだから。彼らは、俺にとって師匠のような存在なのかもしれない。

 女達が暮らす一軒家に着いた。一人で貧民街には行かないよう念を押してから踵を返した。

 大通りを歩いていると、後ろから女の声と同時に肩を叩かれた。振り返る。男と女。どちらも知らない顔だ。

 女が名前を名乗った。それから雑誌の名前を口にして、そこの記者だと言った。名前だけで、女向けの雑誌なんだろうと分かった。

「君、十代だよね? 今、その年代の子にアンケートを取ってて――」

 再び歩き出す。後ろから女の声が聞こえてきたけど、何を言っているのか聞き取る努力をしようとは思わなかった。

 若干の自己嫌悪。それと、同情。

 さっきの俺は、あんな顔で笑っていたのだろうか。もしもあの子供が俺と同じ感性を持っていたのなら、さぞ気持ち悪く思っただろう。怖がっていたのは、俺があまりに気持ち悪かったからかもしれない。

 言われた通り、店に戻ってきた。善人面を作る。ドアを開くと、真っ先に、子供の笑い顔。俺を見た途端に消え失せた。ガチガチに作り上げた表情が崩れそうになる。

「お前、なんでそんなに嫌われてんだ」

 ダヴィドさんが言う。嘲るような色も混じってはいたが、本当に不思議に思っているようだ。そんなの、俺が一番知りたい。

「まぁいい。お前への報酬は、こいつの身元調査が終わってからだ。痣や傷はあるがそのうち消えるか目立たないくらいには薄くなるだろう。性格は、俺が見る限り問題なし。経験も無いみてえだし、ざっと計算して――――」

「経験がない?」

「ん? あぁ。自己申告だがな。前にいたのは、お妃様の家だそうだ」

「まさか」

「一応写真を見せたが、パウラ妃じゃあない。多分、ご主人様とかと同じ意味で呼ばせてたんだろうな。その場所でそいつ以外の人間に会ったことはなかったらしいし、少なくとも男になんかされたってことはねえな」

「高値を期待してもよさそうだね」

「大金を拾ったようなもんだ。運のいい奴だな」

 ダヴィドさんと報酬について話し合っている間、子供は椅子に座って眠そうに船をこいでいた。途中でダヴィドさんが「眠たきゃ中のソファで寝ろ」と言って背後のドアを指した。子供は素直に従って待機部屋に入っていった。

「まぁ、ここくらいが落としどころかな」

「散々足元見といて何言ってやがる」

 しばらくは働かなくても生きていけるくらいの大金が手に入る。ツイてる。昔から運だけはいい。

「あのガキ、調査の結果が出るまでは、お前が面倒見ろ」

「なんで僕が? 部屋がいっぱいってことはないだろう?」

「今の段階で、あまりこの店と関わらせたくねえんだ。万が一、あれが他の店の商品だったら、難癖をつける口実になる」

「なるほど」

 納得も理解もしたけど、気は進まない。身体の痣が増えたらダヴィドさんは怒るだろうか。間違いなく怒るだろうな。

「そんな嫌そうな顔すんな。ここで働くことが決まれば、それまでの世話代も色付けて上乗せしてやる」

「分かったよ」

 交渉成立。もう話すこともなかった。朝が早かったため、帰ってもう一眠りしたい。早く帰ろう。

 待機部屋に入る。子供を起こして事情を説明しようと考えていたが、その時間と、精神を削るであろう子供の反応を考え、背中におぶることにした。その際、子供が小さな声を出した。起きやがったか、と思わず舌打ち。しかし眠気が勝ったのだろう。また眠ったようだった。

 帰路。靴を拝借した男はもういなかった。そういえば、と思って、子供の足を見る。裸足。店に置いてきてしまったようだが、取りに戻ったりはしない。どうせ服も買ってやらないといけない。もっと質素で、目立たない服を。代金は後からダヴィドさんに請求しよう。

 アパートについた。木造の平屋。ドアを開くと、廊下が伸びている。左右にそれぞれ扉が四枚。等間隔に並んでいる。突き当たりの水場に住人の女がいた。

 鍵を開けてドアを開く。ベッド以外に家具はない。そんなものを置いたら、まともに歩けなくなるほどに狭い部屋だからだ。

 子供に着せていた上着を脱がせてからベッドに寝かせる。普段着に着替えて、仕事着をハンガーに吊るして壁にかけておいた。

 ベッドに入る。シングルベッドのなかでも小型の安物だ。相手が子供とはいえ、かなり窮屈だった。自分以外の匂い。ここは自分のテリトリーだと主張しているようだった。


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